ハンスとフィッシャーがヒューベリオンを懸命に追跡していたが、アンドリュー・フォークが指揮する武装商船は既にヒューベリオンを捕捉していた。
そして、フォークはヤンと同等にビュコックに対して敵愾心を持っていた。
フォークはアムリッツァの前哨戦の時にビュコックと口論となり失神した事を逆恨みしていたのである。
フォークにしたら士官学校も卒業していないビュコックが提督や元帥の地位に就いた事が許せないのである。
ましては役目も果たせずに敵艦隊相手に尻尾を巻いて逃げた卑怯者であり、本当なら自分が同盟の救世主になり人々の賞賛を受ける立場であるべきだったのだ。
完全な責任転嫁の産物であるがフォークには正当な主張なのである。
「ビュコックといい、ヤンといい、私の完璧な策を蔑ろにして、今の地位を得た卑怯者ではないか!」
地球教としてはフォーク程、簡単に操れる人間も珍しいのであった。
そして、エル・ファシルの使節団を暗殺する功績をフォークに譲る筈もなかったのである。
地球教にしたら異教徒のフォークではなく高潔な地球教が手にするべき功績である。
更に言えば、地球教が用意した暗殺部隊全員が本物の帝国軍であり、彼らが暗殺に成功する事で帝国とエル・ファシルの関係を悪化させて戦争を起こす事が目的であった。
戦争になれば提督達を後ろから撃ち帝国の勢力を弱めてエル・ファシルに宇宙を統一させた後に自分達が簒奪する計画なのである。
第三者が聞けば穴だらけの計画なのだが地球教としては完璧な作戦であった。
アンドリュー・フォークと地球教の両者は目的地点は別だがコースは同じという奇妙にも似た者同士であった。
そして、地球教を警戒していたキャゼルヌやビュコックもアンドリュー・フォークという名前は入院した事と同時に忘却可の印を押して脳裏の引き出しに封印していた。
その頃、ヒューベリオンを追跡しているフィッシャーは途中で帝国軍製のジャマーを発見していた。
「やはり、ヒューベリオンとの通信途絶は人為的なものか!」
現時点で帝国軍がジャマー等を撒く必要も無い。明らかにヒューベリオンを狙っている事が分かる。
「急げ。敵は既にヒューベリオンを捕捉しているぞ!」
この事をフィッシャーはエル・ファシルを経由してハンスにも報告する。
「間に合ってくれると良いのだが」
フィッシャーからの情報を知ったハンスは焦るのと同時に胸を撫で下ろした。
「まだ、ヒューベリオンは無事なのだろう。しかし、敵が近くに居る事も分かった。急げ!」
ハンスが焦りを感じてオストマルクの速度を上げた頃、既にフォークはヒューベリオンに牙を剥いていた。
いきなりの衝撃であった。船体自体が大きく揺れた。
ビュコックは時間を確認すると日付けも変わる直前の時間である。
枕元のインターホンで艦橋に状況を報告させる。
「敵襲です。敵戦力は武装した商船が一隻。五分前に後方に突然に現れました」
「分かった。儂も今から艦橋に行く。それまでは艦長に一任する」
ビュコックが艦橋に行くと武装商船が後方から必死に追跡をしていた。
「閣下。如何されますか?」
艦長の問にビュコックも呆れながらも応える。
「商船に取って付けた武装等では戦艦には効かぬだろうに、時差を付けた機雷を三個ばかり落とすか」
ビュコックの指示を艦長が部下に伝えた直後に武装商船が爆発した。
「後方と前方に帝国駆逐艦一隻を確認。帝国駆逐艦が交信を求めてます」
「うむ。助けてくれた恩人には違いないからのう」
「では、回線を繋ぎます」
スクリーンに顔色の悪い帝国士官が表れる。
「我々はミューゼル元帥閣下の命令により、エル・ファシル政府の使節団の皆さんの護衛の為に派遣されました!」
「それは、ご苦労!」
「つきましては、直接に会って、ご挨拶をしたいのですが」
「ふむ。その前にミューゼル元帥が派遣した部隊なら合言葉を知っている筈だが?」
ビュコックが背中に回した手で指示を艦長に出すと艦長もスクリーンに写らない位置で部下達に命令を伝える。
「貴官達はミューゼル元帥の命令により我々を護衛に来たのではないのか?」
ビュコックの問に帝国軍士官が返答に窮する。その事が事実を雄弁に語っていた。
「儂らを暗殺するにも小賢しい策を弄せずに、三隻で掛かってくれば良いものを」
ビュコックがスクリーン内の帝国軍士官に手を振り通信を切るとヒューベリオンの後方で爆発が起こった。
帝国の駆逐艦のスクリーンからは白い光が溢れでる。艦橋に居た者達は反射的に目を庇う。
光が収まった瞬間に再びスクリーンから前回より強い白い光が溢れ出した。
「何事か!」
更に三回目の光の奔流に帝国士官も身の危険を感じて主砲発射を命じる。
「ファイエル!」
「ファイエル!」
駆逐艦から発射された光の槍は数十秒前までヒューベリオンが居た空間を通り過ぎ味方の駆逐艦に突き刺さる。
後方に居た駆逐艦の乗組員は何が起きたかも分からずに殉教する事になった。
機雷を爆発させて目眩ましをした隙に垂直上昇したヒューベリオンから前方の駆逐艦に副砲が斉射される。前方の駆逐艦の乗組員も事態の把握が出来ないまま殉教を強いられた。
「有能な指揮官が居ないと艦長レベルでは、こんな物なのか!」
戦場経験の長いビュコックも驚きを禁じ得ない。
「おそらく正規の艦長研修も受けてないのでしょう。挟撃するなら互いの火線を避ける配置にする事は基本です」
ビュコックの驚きに艦長に返答する。
「しかし、駆逐艦を二隻も動員する勢力があるとは、ミューゼル元帥が地球教に手を焼く筈じゃ」
「戦場で敵と戦うのとは違いますからね」
ビュコックと艦長が殲滅した敵の論評をしていると通信士官から報告が入る。
「また、帝国軍です。今度はミューゼル元帥自身が交信を求めています!」
「今の爆発で我々の場所が判明したみたいですな」
「折角、こんな所まで出迎えに来て貰ったからには挨拶ぐらいはするのは礼儀じゃろう」
通信士官が回線を繋ぐと心労で少し痩せたハンスがスクリーンに現れる。
「提督には害虫を退治して貰ったみたいですね」
「まだまだ、若い者には負けんぞ!」
スクリーンの死角ではヒューベリオンの艦橋スタッフが必死で笑いの発作を噛み殺している。
「元気ですねえ!」
ハンスは感心するばかりである。ハンスの脳裏には「老虎」というワードが浮かんだ。
自分がビュコックの歳の頃に比べてもビュコックは活力に富んでいる。
「まだ、他にもテロリストが居るかもしれません。双方の応援が来るまで、ここで待機して下さい」
「了解した。エル・ファシルからも応援が来ているのか」
「心配してフィッシャー提督達が向かっていますよ」
「そうか!ついでにフィッシャー達もフェザーン見物をすれば良い」
これにはハンスも呆れるだけである。
「物見遊山にフェザーンに行く訳じゃないでしょう」
苦笑しながら通信を切った途端にハンスは指揮席に座り込んだのである。
「元気な老人ですなあ」
オストマルクの艦長がしみじみと呟くとハンスも苦笑しながらも応じる。
「元気過ぎて周囲の人間も大変だと思うよ。それより、補給の方は?」
「出力全開で来ましたから応援部隊から燃料を分けて貰わないとフェザーンまで帰れませんな」
「バイエルラインがフィッシャー提督より先に来ないと恥を掻く事になるなあ」
ハンスは急ぐ余りにオストマルクの燃料タンクが空になるまで急いで駆けつけたのである。
「取り敢えず、バイエルラインが来るまで寝かせて貰うよ」
ハイネセンを出立して以来、不眠不休だったハンスは指揮席で泥の様に眠るのであった。
ハンスが眠りから覚めた時には既に六時間が過ぎていた。
「流石に貴族が金に物を言わせて作っただけあって、下手なソファーより良く眠れる」
(この人、日頃は何処で寝ているんだ?)
艦長も呆れ顔でバイエルラインの部隊が到着した事を報告する。
「では、補給の方を頼む。自分はヒューベリオンに行ってくるよ」
ハンスはヒューベリオンとの回線を開かせるとビュコックに提案した。
「まだ、出発するまで時間が有りますから、その間に使節団の方に陛下の逆鱗のポイントをレクチャーしたいのですが」
ビュコックもハンスの提案に賛成してロムスキーに伝えた。
ロムスキー達もハンスの申し出を喜んで受け入れた。
「陛下は潔癖症でして損得勘定で話をすると逆鱗に触れる事になります」
「具体的には?」
「そうですね。陛下個人の利益になる様な話は駄目ですね。それと、プライベートな話も駄目ですね」
結局、フィッシャー達が到着するまでにラインハルトの取り扱い説明会は続くのであった。
フィッシャーが到着するとハンスは航路計算をフィッシャーに任せてフェザーンへと進発するのである。
(これで、地球教の戦力も底をついた筈だ。後は首謀者の潜伏場所の特定だけだな)
地球教の陰謀は老いたりとは言え虎のビュコックに正面から叩き潰された。
地表の花も葉も切り落とされ地下の根の枝も相次ぐテロで使い潰した。既に根元だけが残る状態である。
(これで、地球教を壊滅させたら、心置きなく退役が出来るな)
ハンスが世の中、そう甘くはない事を思い知る事になるまで、まだ、幾分かの時が必要であった。