軍務省からの発表は全宇宙を驚愕させるに十分であった。
前触れもなくテロリストの首謀者と幹部が一網打尽にされたのだから無理もない。
一部の人々は人心安定の為に捏造された情報ではないかと勘繰りもした。
彼らの勘繰りの根拠は、逮捕したのが憲兵隊でもなく社会秩序維持局でもなく、軍務尚書オーベルシュタインの直属の部隊であったからである。
オーベルシュタイン自体に信用が無い事も有るが、帝国軍の内情を知る人程、畑違いの様な印象を持っていた。
オーベルシュタインはフェルナーの進言を入れて記者会見を開く事にする。但し、自身は多忙を理由に出席せずに逮捕現場を指揮したフェルナーを出席させたのである。
「先に明言しておくが、今回の逮捕劇で軍部は逮捕現場を担当しただけで、テロリストの首謀者と幹部、及び潜伏先を特定したのは司法省の専従班である」
「何故、軍部が逮捕現場を担当されたのですか?」
「テロリスト達は武装していた為に銃撃戦になる事が予想が出来たからだ」
「では、司法省の専従班がテロリスト達を特定出来た経緯も差し支えなければ公表して貰えますか?」
フェルナーは即答せずに部下に何かを確認をする。
「司法省からの許可が出たので捜査の経緯を公表する。最初にフェザーン占領時から話が始まる」
フェルナーの話によれば、司法省はフェザーン占領時から帝国から逃亡した刑事犯がフェザーンに潜伏していると判断してフェザーンの全ての病院から実在しない名前の患者を探しては一人ずつ捜査したそうである。
その中には地球教の幹部と思われる人物も入院していたので見舞い客も含めて監視していたのである。
退院後も監視を続けて幹部達が集合する時期を待っていたのである。
「エル・ファシル政府使節団の暗殺失敗と新たなテロ活動の相談に集まったと判断して我々が逮捕に赴いたのだ」
「では、地球教の原理主義集団は壊滅したと思って大丈夫なのですか?」
「取り調べの途中なので、無責任な事は言えないが我々の見解では壊滅したと思っている」
フェルナーの最後の一言で会見会場に歓声が上がる。
一般市民も地球教のテロ活動に恐怖していたのである。
ラインハルトは、この捜査に関わった全員に報奨金を出したのである。
この事については帝国政府の内外から好評を得た。
「地味に働いている人間を賞しないと、皆がスタンドプレーに走り組織が破綻するからな」
ハンスだけではなく、オーベルシュタインも珍しくラインハルトを支持したのである。
この一ヶ月後に司法省は地球教の原理主義集団の壊滅と残存している各地の地球教が無関係である事を宣言する。
「狂信者共が壊滅して、宇宙は平和になり結構な事だ!」
ガイエスブルク要塞の駐留艦隊司令官に就任したビッテンフェルトが吠えている。
どうやら、巡回と称しては宇宙海賊の討伐に出掛けているが、宇宙海賊側も相手がビッテンフェルトと分かると戦闘になる前に白旗を振るのでストレスが溜まっているらしい。
要塞司令官に就任しているファーレンハイトも苦笑するしかないのである。
ビッテンフェルトの期待を裏切り、宇宙は平穏無事に七月に入ると大本営で小さな出来事があった。
ハンスがラインハルトに辞表を出したのである。
「卿は余より若いのに隠棲するつもりか?」
「陛下は、私は本来は料理人志望なのは御存じの筈です」
「しかし、幕僚総監の職は、どうするのだ?」
「私じゃなくとも、人材は他にもいるでしょう」
この時、フェザーンの地表にはレンネンカンプ、ルッツ、ミュラー、シュタインメッツの五人の上級大将が存在する。
五人共に幕僚総監の任を完璧に遂行が出来るのである。
「それに、ケスラー上級大将の首都防衛司令官の任を他の者に割り振ってやるべきでは?」
憲兵総監も首都防衛司令官も激務である。平和になり人材も余っているなら一人の人間に兼任させるべきではない。
ハンスの主張は正論であるが皇帝の人事に異を唱えるのはオーベルシュタインとハンスぐらいである。
(こいつ、俺に対して遠慮なく物を言えるのは他に居ない事を理解してないな)
自分が慰留される理由を自覚もないに発揮するハンスである。
「そうか。本人の意志を無視して強制するのは余は好まぬ。だが、」
「だか、とは何ですか?」
「今、辞めると年金が貰えないが良いのか?」
ラインハルトの静かな指摘はハンスには大きな反応を起こさせた。
「何故!」
「卿は軍に入る時に渡された契約書に書いてある筈だが、恩給の支給は最低十年の軍属期間を必要とすると」
ラインハルトは涼しい顔をして説明する。
「何ですと!」
ハンスにしてはゴール直前にゴールが逃げ出した気分である。
「因みに幼年学校は入学しても軍属扱いにはならんが士官学校は軍属扱いになるがな」
全く関係ない話をしてハンスの反応を心地よく楽しむラインハルトであった。
「元帥の年金は一律で150万帝国マルクと決まっているからな。それと退職金も出ないぞ」
「帝国軍は鬼ですか!」
「人聞きの悪い。戦没者や傷病兵には別に一時金や恩給を出しているぞ」
「卿も一時金を貰う資格が有るが正規の退職金よりは遥かに額が違うけどな」
「最初から陛下は知っていて黙ってましたね」
「そんな事は無いぞ。卿は既に承知だと思っていた」
この時、傍らで二人の会話を聞いていたシュトライトは笑いの発作に耐える為に腹筋を酷使していた。
「三年、後、三年の我慢をすれば良いのですか?」
ハンスが血を吐く様な声を出してラインハルトに確認を取る。
「そうだな。卿は三年後に年金と退職金の受給資格が得られるな」
三年後にハンスが辞表を持って来たのと同時に内務尚書にでも任命する算段をしているラインハルトであった。
ラインハルトにしては直言する数少ない部下であり、庶民感覚を持ち、他の部下とは違う視点を持つのは唯一、ハンスだけなのである。簡単に手放す気は最初から無いのである。
ハンスは自分の執務室に帰る前に事務局に行き自分が辞めた時の一時金の額と退職金の額を教えて貰い、教えて貰った額を片手に執務室で電卓を叩き何やら計算をしている。
「全然、話にならんなあ」
脳裏でロイエンタールの顔が浮かんだがロイエンタールにスポンサーになって貰うのは遠慮したい気分であった。
それに、年間150万マルクの年金も魅力的である。逆行前の世界では財政破綻寸前のバーラト政府では年金も貰えなかったのだ。
150万マルクの年金が有れば最悪、事業に失敗したり、ヘッダに離婚されたりしても十分に余裕のある生活が出来るのである。
「夏に野菜を育て冬のビタミン不足を避ける為に塩漬けにしたり、冬にゴミを燃やした火で石を焼きボロ布に包んで寝たりしなくてもいいんだよなあ」
結局、三年の月日をハンスは忸怩たる思いで過ごす事になる。
三年後、年金と退職金の受給資格を得たハンスはラインハルトに辞表を出す。
ラインハルトは呆気無い程にハンスの辞表を受け取ったのである。
「何だ。意外そうな顔するじゃないか」
「実際に意外ですからね」
「この、三年で帝国の軍事情勢も変わったからな」
ラインハルトとは帝国に亡命して以来の付き合いである。互いの性格も把握は出来ているからラインハルトが素直に辞表を受け取るのを怪しむのは当然である。
「まさか、文官になれとか言うつもりではないでしょうね」
「卿は慧眼だな。実は内務省の事務次官にと思っている」
「陛下、私が何の為に軍を辞めると思っているのですか?」
そこまで、話を進めた時にラインハルトが人を招き入れた。
「元帥。私からも頼みます。陛下を助けて差し上げて下さい」
「皇妃様!」
ラインハルトはヒルダを援軍として控えさせてたのである。
本来ならアンネローゼを控えさせたいのだがアンネローゼを呼び寄せるには、それなりの口実が必要となる。
「一晩、考えさせて下さい」
ハンスもラインハルト相手なら瞬時に拒絶が出来るのだがヒルダ相手では話が違う。
その場で陥落させられなかっただけマシであろう。
翌日、逆にハンスに機先を制されてしまったのはラインハルトであった。
ハンスは最強の札を切る事にした。妻のヘッダを投入したのである。
「陛下は私の家庭を破壊するつもりですか!」
ヘッダは安定期に入った大きな腹を突き出してラインハルトに迫る。
「夫が退職する事を念頭に入れて色々と家族計画を組んでいるのですよ!」
ヘッダの迫力にラインハルトも手も足も出ない状態である。ラインハルトは目線だけで妻のヒルダに来援を求めるが、ヒルダも目線で拒絶する。
人であれ動物であれ妊娠中の母親は強いのである。
「夫人が懐妊中とは知らなかったのだ。許して欲しい」
結局、ラインハルトはハンスの退職を素直に認めざる得なかった。
「まあ、陛下。困った事が有れば相談に乗りますから」
流石に気の毒に思った様でハンスが助け船を出す。
「分かった。遠慮なく相談に乗って貰うぞ」
後日、宣言通りにハンスの言葉を最大限に使うラインハルトであった。
こうして、ハンスは念願の退役を果たす事になる。そして、宣言した通りに軍務省前では、背中に赤ん坊を背負って屋台を引くハンスの姿を見る事が出来たのである。