銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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銀河英雄伝説IF~亡命者~外伝 ラング 中編

 

 リスナー公爵の告白は貴族社会では珍しくもない事であるが、耳にすれば不快感を覚える類の話であった。

 

「二十数年前になる。先代である父が屋敷のメイドを孕ませた事がある。その時の母の怒りは凄まじく。メイドと産まれたばかりの男子を僅かな金銭を持たせて追い出したのだ。当時、子供だった私の目にも本当に酷い仕打ちであった」

 

 ハンスが居れば何か嫌味の一つも言った事であろうが、皮肉な事にハインツは義弟の善良さを知っていたので何も言えなかった。

 

「代替わりをして、私が当主となった時に腹違いの弟と母親を探したが行方は掴めなかった」

 

「それで、その母子の身内が屋敷内に居るのではないですか?」

 

「そ、それは……」

 

 公爵の態度が口で語らずとも全てを語っていた。

 

「家令と教育係のどちらが身内なのですか?」

 

 公爵も観念した様子で呻く様に応えた。

 

「エマの兄が教育係のヘルマンだが、二人とも私とも私にとっては兄と姉の様な存在だった」

 

 公爵は長年の間、罪悪感を抱いていたのだろう。ヘルマンを側に置いて息子の教育係にしたのは贖罪の意味があったのかもしれない。

 

 公爵とハインツが今後の対応を話していた頃、ヘルマンは屋敷を抜け出していた。

 

「伯父貴殿、首尾は?」

 

 安酒場で安い酒を片手に持った男が新しく入って来た男に声を掛けた。

 声を掛けられた男は慌て気味に隣の席に座る。

 

「うむ。公は既に指定された金額を用意している」

 

 伯父貴殿と呼ばれた男はヘルマンである。ヘルマンを伯父貴殿と呼ぶ人間は宇宙に一人しか存在しない。

 

「ヨハン。その前に、事が終わるまでは連絡は控える様に言っていただろう!」

 

「それより、警察の心配は無いのか」

 

「ふん。警察などに話せるか。家宝のフルートが宝物庫から消えた時の公の顔を見て長年の恨みが消える思いがしたわ!」

 

 ヘルマンが徴兵をされて屋敷から離れ時に先代のリスナー公爵が妹のエマに手をつけて孕ませたのだ。

 ヘルマンが戦場から戻った時には妹は僅かな金銭を与えられ、今は隠居している先代公爵の妻から屋敷を追い出されていた。

 ヘルマンは必死になって妹の行方を探したが妹の行方は掴めなかった。

 ヘルマンが妹の行方を知ったのは妹が死ぬ直前だった。

 先代公爵の妻はエマを屋敷から追い出した後に将来の後継者争いの種を摘み取る為に追手を差し向けていた。エマは赤ん坊のヨハンを抱えてフェザーンの親戚を頼りオーディンから逃げ出していた。

 

「エマは死ぬ前に、お前の事を頼むと何度も何度も繰り返し俺に頼んだのだ」

 

「そして、母はフェザーンで追手に怯えながら死んでいった。俺にはリスナー家は母の仇でしかない!」

 

「ヨハン。俺もお前と気持ちは同じだが、若様だけは助けてやれ。お前と公は腹違いとは言え兄弟だぞ。そして、若様はお前の甥だぞ!」

 

「ふん。その腹違いの兄弟で、一方は公爵様で、一方は人生の裏街道を歩いているわ。そして、甥は公爵家の御嫡男様だわ!」

 

「ヨハン!」

 

「先代の公爵は間に合わなかったが、母を追い出した隠居婆はまだ生きている。死ぬ前に地獄を見せないと死んでも死にきれん!」

 

 ヘルマンは甥の説得を諦めた。ヘルマンは甥の事を色々と気に掛けたがオーディンとフェザーンとの距離はあまりにも遠すぎた。ヘルマンは自分の無力を噛み締めた。

 

(エマ。すまぬ。お前を守れなかったばかりか、ヨハンも守れなかった。せめて、隠居殿に一泡吹かせてやるからな)

 

 ヘルマンは悔恨と怨嗟の思い囚われていた為に警戒心が揺るんでいたのであろう。ヘルマンとヨハンの会話を集音マイクで盗聴されていた事に気付いていなかった。

 

(なるほどね。公爵家の浮沈に関わる大問題だわ。局長が部下ではなく、俺を使う筈だわ)

 

 ヘルマンが屋敷から抜け出した時から尾行していたハンスが二人の会話を聞いて、ラングの判断に納得をしていた。

 ラングは主だった門閥貴族の家族や主だった使用人についてのデータを持っていたのである。

 長年、社会秩序維持局を運営していたラングなら当然の事である。

 それでも、先代の公爵の醜聞までは知り得なかった。ハインツから家宝の盗難の話を聞いて内通者がいると判断して、ハインツが自分の前から辞去するのと同時にハンスにリスナー公爵邸から抜け出しす人間の尾行と調査を依頼していたのである。

 

(しかし、誰も幸福にならん事件だな)

 

 ヘルマンとヨハンにも同情するハンスであったが両親の仕打ちが原因で息子を誘拐されたリスナー公爵にも同情するハンスであった。そして、全く関係の無いリスナー公爵夫人にも同情していた。

 

(先代の公爵に、ほんの少しでも情があれば、ヨハンの人生も違ったのに)

 

 ヘルマンとヨハンが店を出た後にハンスはヨハンを尾行した。

 ヨハンが郊外の山荘に入るのを確認すると近くの木に登り窓に向けて集音マイクを向けた。

 ハンスが外から盗聴している事を知らないヨハンは上機嫌で仲間達にヘルマンからの情報を報告していた。

 

「流石は公爵家だな。ヨハンが言う通りに、本当に指定された金額を2日間で用意しやがった」

 

「だから、言っただろうが、その程度の金なんか連中には安いもんだ」

 

「しかし、ヨハンよ。これで、お前の溜飲も下がっただろ」

 

「この程度で、長年の恨みが晴れるかよ!」

 

 ヨハンの剣幕に仲間達も面食らった。ヨハンの恨みの深さを仲間達は見誤っていた。

 

「オーディンを逃げ出した後も、俺達母子の命を狙って刺客を差し向けやがった!」

 

 仲間達も流石にヨハンの話に驚くしかなかった。

 

「頼った親戚の家も追われて、刺客に怯えながら逃げ隠れする生活したんだ!」

 

 ヨハンの両眼には暗く強い怨嗟の光が宿っている。

 仲間達も人生の裏道を歩いて来た者だが、リスナー家の所業には嫌悪感を抱いた。

 

「そこまで、するのか」

 

 仲間の一人が呻く様に呟いた。

 

「だから、この程度では気が治まらんわ!」

 

「おい。お前の気持ちは分かるが、ガキは大事な人質だぞ」

 

「金を貰った後なら構わんだろ。コイツは俺が八つ裂きにしてリスナー家に送ってやるわ!」

 

「なら、好きにしろ!」

 

 仲間達もヨハンを制止する事を諦めた。事を出来るだけ穏便に運ぶつもりだったが彼らは身代金を手にした後にヨハンを口封じを兼ねて始末する事にした。嫡男を殺されたリスナー家の報復が恐ろしい。

 今はリスナー家との窓口であるヨハンを殺すわけにはいかないのである。

 

 ここまでの会話を聞いたハンスは胸を撫で下ろした。

 

(身代金の受け渡しまでは人質は無事だな。しかし、早目に捕まえないと人質よりヨハンの命も危ないな)

 

 ハンスは一旦、山荘から離れるとラングに事情を報告するのであった。

 

 ハンスがラングに報告していた頃、リスナー邸ではヘルマンが既に拘束されていた。

 

「ヘルマン。あの時の事を忘れてくれなかったのか」

 

 リスナー公爵が話し掛けても、後ろ手に手錠をされて床に胡座をかいたヘルマンは憮然として無言のままである。

 

「いや、忘れられないのは当然だな。忘れろというのは虫が良すぎるな」

 

「旦那様、フルートはヘルマンの部屋のクローゼットに有りました」

 

 リスナー公爵が自嘲していると家令がフルートを抱える様にして持って来た。

 

「かせ!」

 

 リスナー公爵は家令の手から乱暴にフルートを奪うと家令が止める間もなくフルートを真っ二つにへし折った。

 

「旦那様!」

 

「ヘルマンよ。これで贖罪が済んだとは言わんが、私のせめての謝罪の気持ちだ」

 

 顔を青くする家令に、リスナー公爵の意外な行動にヘルマンも驚きを隠せない。

 

「それから、母上には養老院に入って頂く。母上には私も息子も母上の葬儀まで会わぬ」

 

 周囲に居た者には、リスナー公爵の真意が伝わった。

ヘルマンにも伝わった筈だが、それでも二人の関係が戻る事が無いであろう。

 重苦しい空気が支配する場にハインツがリスナー公爵に耳打ちをする。

 

「そうか。息子は無事に保護されたか」

 

「はい。一味も既に全員が捕らえられました」

 

 この時になり初めてヘルマンが口を開いた。

 

「ヨハンは?」

 

「卿の甥御もだが、全員が余罪がある身で既に警察が身柄の引き渡しを要求してきている」

 

「そうか。やはり、余罪があったか!」

 

 ヘルマンの気持ちをハインツも理解が出来た。ハインツは妹と同じフェザーンにいたから、妹の危急に駆けつける事が出来たが、自分もヘルマンと同じ境遇になったかもしれないのだ。

 そして、妹の忘れ形見の事を思うとヘルマンに同情するハインツであった。

 

 一時間後、我が子を抱きしめる妹を見てハインツは胸を撫で下ろすのであった。

 

「義兄殿には何と礼を言えば分からぬ。ラング殿にもリスナーが礼をすると伝えて欲しい」

 

「部長は別にして、私は身内です。尽力するのは当然の事。礼には及びません」

 

 これは社交辞令ではなくハインツの本音である。僅か数日で、心労の為に痩せた妹が満面の笑みを浮かべているのを見れば報われた気分になる。

 

 被害者側は人質が戻れば一件落着だが加害者側と逮捕した側は事後が大変なのである。

 

「この種の取り調べは、何時になっても慣れんもんだな」

 

 ラングはヘルマンはリスナー公爵の意向もあり、直ぐに釈放した。

 ヨハンと仲間達に関しては余罪の追及の為に釈放せずに取り調べをする事にした。

 取り調べの過程で先代のリスナー公爵夫人の執拗さと陰湿さをラング達は知る事になった。

 

 

 


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