銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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~亡命者~外伝 ケスラーⅢ

 

 ケスラーとナターシャがローフテン地区の聞き込み調査を終えたのは、日が沈んだ後であった。

 

「内務省に問い合わせたら、ローフテン地区から引っ越した人の現住所も分かります。まだ1日目です。根気良く探しましょう」

 

 実りの無い1日が過ぎようとしていた。ケスラーは宿舎に向かう車内で沈むナターシャの為に慰めの言葉を掛けた。

 ローフテン地区の住民も協力的だったが、四十年の歳月は長かった。

 

「帝都は暗い所ですね」

 

 ナターシャの呟きは市街の明るさを指していない事は、ケスラーに分かっていた。

 ナターシャは、今日の聞き込みで四十年間の長さを実感したのであろう。

 ケスラーはナターシャの掛ける言葉もなく無言で地上車を運転する。

 宿舎の玄関ホール前に地上車を停めて、ナターシャが玄関ホールに入ったのを確認すると、物陰から私服の憲兵が地上車に駆け寄って来た。

 

「首尾は?」

 

「はい。既に副官殿にも報告していますが、人員の増員を」

 

 私服の部下が報告している途中に、ナターシャの悲鳴が玄関ホールから聞こえて来た。

 

「待て!」

 

 

 悲鳴を聞いて駆け出そうてする部下を制止して、ケスラーが玄関ホールに自ら走り出す。

 

「フラウ。何事ですか?」

 

 ナターシャが自分に宛がわれた部屋の玄関前で、人形を抱えていた。

 

「フラウ。これは?」

 

「総監さん。父は生きていました。これは、私が子供の頃に欲しがっていた人形です!」

 

 ケスラーは人形を包んでいた。包装紙と人形が入っていた箱を確認した。

 包装紙は古く経年劣化していたが箱は新しいままである。恐らくは包装してから年単位で保管されていたのだろう。

 

「フラウ。お父さんは生きてますよ!」

 

 人形を抱えて子供の様に嬉し涙を流すナターシャを部屋に入らせると、ケスラーは管理人室に向かった。

 

「失礼だが、玄関ホールにある防犯カメラのデータをコピーで良いから渡してもらうぞ」

 

「はい。それでは椅子に座って待って下さい。直ぐにコピーしますから」

 

 管理人はケスラーに椅子を勧めると、データのコピー作業を始める。

 

「その、何だ。手慣れているな」

 

「そりゃ、毎年の事ですよ。残留孤児の人も、親が生きて自分の事を忘れてなかった事に満足される方もいますが、映像でも良いから親を見たい方もいますから」

 

「そ、そうなのか」

 

「でもね。母親を探していた筈が、土産を置いていた人が男性だったりとか、互いに思い違いもあるんですよ。だから、私達も孤児の方達が要求されない限りは防犯カメラのデータの事は口にしません」

 

 ケスラーは管理人の話に天を仰いだ。ナターシャの部屋の前に人形を置いた人物が男性である事を心から祈った。

 

「はい。出来ました」

 

「ご協力、感謝する」

 

「思い違いでなければ良いですね」

 

 ケスラーが地上車に戻ると部下が二人になっていた。部下に運転を任せて残った部下から報告を受ける。

 

「朝から宿舎を見張ってましたが、宿舎に入らずに外から宿舎を伺っていた初老の男性は、小官達が確認しただけで八人いました。その八人を尾行して、住居を確認した後に事情を聞いてみました」

 

「そうか。事情を聞いてみたのか」

 

「はい。出過ぎた真似と叱責されるかもしれませんが、黙ってられませんでした」

 

「構わん」

 

「有り難う御座います。それで、結果から言えば八人全員がフラウの父親で無い事が確認しました」

 

「そうか」

 

 ケスラーが小さく溜め息をつくと、運転していた若い部下がケスラーに恐る恐る声を掛けた。

 

「あのう、閣下。小官達は明日も同じ任務なのでしょうか?」

 

「なんだ、嫌なのか?」

 

 ケスラーとしては冗談のつもりだったのか口調が軽かったが、部下は冗談と捉えなかった。

 

「はい。出来れば違う任務をお願いします」

 

「おい!」

 

 ケスラーよりケスラーに報告していた年長の部下が慌てた。

 

「自分は軍人を志望したからには命を賭ける覚悟もありますが、自分の祖父と変わらない老人に泣かれるのは辛いです」

 

 運転していた若い部下はケスラーを始め、残留孤児の問題に関わった者達の気持ちを過不足なく表現していた。

 

「そうか。私自身がフラウ一人だけでも気が滅入るのだから、何人もの涙を見る事になった卿達が耐えられんのは当然だな」

 

 ケスラーは自分の迂闊さを反省した。彼らは憲兵であり軍隊内の犯罪捜査が仕事なのだ。ましては若い者に前王朝の尻拭いをさせてしまったのだ。

 

「分かった。卿達に明日は有給を与える。明日中に気分転換をして、明後日から通常の任務に就いてくれ」

 

「あ、有り難う御座います!」

 

 耐え難い任務から解放されて喜ぶ部下を見て、願わくば彼らの労苦が無駄にならない事を祈った。

 

 憲兵本部に帰ったケスラーはヴェルナーと情報交換すると、防犯カメラのデータを再生する。

 

「これですね。この包みで間違いないですか」

 

「うむ。間違いない。フラウの部屋の前に包みを置いている」

 

「顔も映っていますから、拡大します」

 

 ヴェルナーが拡大した顔のコピーを取り憲兵隊に尋ね人として配布させた。

 

「しかし、閣下。これ以上は憲兵隊としての任務に外れてしまいます」

 

「……」

 

 ヴェルナーとしてはケスラーの気持ちも理解していたが、憲兵隊が1人の人間に肩入れする事に軍務尚書の反応が怖いのである。

 この件が原因でケスラーが何かしらの処分を受ける事を恐れていた。

 ケスラーも、ヴェルナーの危惧も、憲兵隊が1人の人間に肩入れする不公平も理解が出来るので、黙るしかなかった。

 

「それなら、任務に外れない理由があるぞ」

 

 憲兵副総監のブレンターノが執務室に入ると同時にケスラーに助け船を出した。

 

「外からも卿の声は丸聞こえだったぞ」

 

「それは、失礼しました」

 

 恐縮するヴェルナーを尻目にケスラーはブレンターノの発言の意味を目線だけで促した。

 

「先ほど、ミューゼル退役元帥が来られまして、これを置いて行かれました」

 

 ブレンターノのがケスラーに書類の束を手渡す。

 

「件のフラウの父親が名乗り出ないのは、時効間近とは言え、殺人を犯しているからです」

 

 ケスラーとヴェルナーが顔を見合せた。

 

「被害者はトニーオオタ。残留孤児の親達に裏ルートで子供に会わせると言って金を巻き上げていたそうです」

 

「その詐欺の被害者欄に父君の名前もあるな」

 

 ケスラーは手にした書類のアンダーラインが引かれ部分に視線を向ける。

 

「一応は刑事犯の逮捕に協力する名目が出来ます」

 

 ブレンターノの言葉に、反応したのはヴェルナーであった。

 

「ブレンターノ大将。貴方は手錠した父親に娘を引き合わせるつもりですか!」

 

「それしか、我々が動く口実は無いのだぞ」

 

「だからと言って、閣下からも言って下さい!」

 

 ヴェルナーがケスラーに援軍を求めたがヴェルナーの期待は完全に裏切られた。

 

「ヴェルナー。それでも、肉親には生きている間に会いたいものなのだ」

 

「そんな。閣下!」

 

「ヴェルナー。今は会わす会わせないではなく、探す事だけを考えるんだ」

 

「納得は出来ませんが命令には従います」

 

 ブレンターノが年長者らしくヴェルナーを諭すと、ケスラーが指示を出す。

 

「ヴェルナー。人形を包んでいた包装紙のロゴと人形の製造会社を洗い出せ。販売ルートを辿れば父君の生活圏が割り出せる」

 

「了解しました」

 

「それから、ミューゼル元帥は帰られたのか?」

 

「はい。翌日の仕込みが残っていると言って帰られました」

 

「そうか」

 

 ハンスは、この殺人事件の事を覚えていたのだろう。だから、レストランでケスラーに念押しをしたのだとケスラーは悟ったのである。

 

(確かな確信があった訳では無いのであろう。それでも、万が一の事を考えてはいたのか)

 

 ケスラーは皮肉な笑みを浮かべた。自分より年少ながら元帥杖を手にした理由が判ったのだ。

 

(なんという。読みの深さと気配りか。私なぞが到底及ぶモノではないな)

 

 ケスラーから感心されたハンスはラインハルトと久しぶりに茶を飲んでいた。

 

「そうか。アムリッツアの時に。ケスラーには気の毒な事をしたな」

 

 話題は残留孤児問題からケスラーが肩入れする理由に及んでいた。

 

「運が悪い事に、同盟のクーデター騒ぎの時に母子して亡くなられている」

 

「あの時、あそこまで同盟が暴走するとは思わなかった。まさか、民間人まで巻き込むとは思わなかった」

 

 リップシュタット戦役を控え、敵国の民間人の事まで考える余裕がなかった。

 今更ながら無慈悲な事をしたと罪悪感を覚えるラインハルトであった。

 

「陛下。あまり気にする事はありません。陛下は弾倉に弾を込めましたが、引き金を引いたのは同盟です。責任は同盟に有ります」

 

 ハンスは内心は救国軍事会議の連中の近視眼には呆れていた。

 

(難攻不落の要塞があるのだから、内政に力を入れて国力の回復に力を注ぐべきだったものを)

 

 とは言え。戦争になれば犠牲になるのは、何時の時代も市井の民なのである。

 ケスラーの従妹母子もナターシャも、為政者の安易な戦争の犠牲者なのである。

 

「陛下にはカプチェランカ残留孤児に対して寛大な措置をお願いします」

 

「うむ。明日にも内務尚書に訓令を出しておこう」

 

 ラインハルトは野に下ったハンスが時折、顔を出して行く事に安堵した。

 軍隊育ちのラインハルトには、ハンスが持って来る市井の情報は宝石より貴重であり、ハイネセンに居る分身であるキルヒアイスとは違い、数少ない大事な友人なのである。

 

「それにしても、卿に聞くまで、カプチェランカの残留孤児の事は知らなかった」

 

「無理もありません。彼らを引き取った養父母も、今更ながら子を返す事は出来ぬでしょうから、帝国軍も出来れば秘密にしたかったのでしょう」

 

 政略や戦略と違い、駆け引きや武力では解決しない問題ではラインハルト自身が己の未熟さを理解していた。

 

「前王朝の負債を精算するには、まだ時間が必要な様だな」

 

 ケスラーとナターシャには、その時間が無かったのである。 

 

 


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