銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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亡命への苦難

 

 会いたくもない人物とは初陣の時の上司でフランク・ダグラス兵長であった。不愉快な顔が視界全体を占領している。

 

「おい、馬鹿!何時まで座り込んでるだ!」

 

 言われて自分の状態を確認してみると後頭部を両手で抑えて壁を背に足を投げ出している。

 着ている服は同盟軍の軍服に義足ではなく自分の足がある。

 

「うわ!軍服を着てるし足がある!」

 

「おいおい、マジで大丈夫か?」

 

 さすがに嫌われ者の兵長も斜め上の反応に心配顔である。

 

「自分の名前は?」

 

「ハンス・オノ」

 

「今いる場所は?」

 

「えっと、何処?」

 

 兵長の顔が一気に青くなる。

 

「ここは戦艦イカロス、ついでに言えば今は戦闘中!」

 

「ええっ!?」

 

 自分はハイネセンのベンチにいた筈が初陣の時の搭乗艦にいて当時の上司と話している。第6次イゼルローン攻略戦の撤退中に帝国軍の砲撃を受けて足を亡くした筈が足がまだある。そして、その砲撃で兵長も戦死した筈。

 そこまで思考を進めた途端にハンスの全身に恐怖が駆け抜けた。

 やっと不遇な人生が終了したのにゴール直後に振り出しに戻るとは、もう一度、あの苦しみを味わうのか。

 

「おい、オノ。大丈夫か顔色が悪っ!?」

 

 ハンスは奇声を挙げて兵長を突き飛ばし脇目も振らずに走り出した。

 まるで走る事で不遇な人生から逃げ出せるかのように。

 

「誰か止めろ!オノが錯乱した!」

 

 兵長の叫び声の直後に爆音がして鼓膜が悲鳴をあげ体が爆風で床に叩きつけられる。

 ハンスは起き上がり後ろを振り返ると床に穴が開き、炎が噴水の様に湧き出ている。兵長や取り巻きの兵が人の形をした火柱となっている。

 ハンスの脳裏に過去に何度も戦場で全身火傷した恐怖の記憶が甦り再び走り出す。

 通路の継ぎ目まで走り隔壁のスイッチを入れるが隔壁が閉まらない。火災が発生すれば自動的に作動するスプリンクラーも作動してない事に気がつく。

 恐慌状態なまま、三度目の全力疾走を始める。心臓と肺が限界点を突破する寸前に目の前に扉が見えた。転がる様に扉の中に逃げ込む。

 

 扉の中では作業服姿の整備兵が脱出シャトルの整備をしていた。必死の形相で走り込んで来た少年兵に驚きながらも整備兵達が駆け寄る。

 

「何があった?」

 

「床に穴が、火が出て、隔壁、スプリンクラー、動かない。火が来る!」

 

 乱れた呼吸のままハンスが単語だけで伝えると整備兵達は状況を正確に理解して手に消火器を持ちハンスだけを残して消火に向かう。

 無人となった格納庫でハンスは自分の置かれた状況を考え始める。

 

 何故、過去に戻って来たか不思議だが今は生き残る事を考えよう。

 これからどうする?

 無事にハイネセンに着いても次の出征でまた怪我をするだけでは?

 ハイネセンに着いて軍を辞めるのか?辞めても親もいない自分に働き口があるのか?

 考えれば考える程に暗い未来しか見えない。軍以外の選択肢が見えない。

 まあ、軍以外の選択肢が有れば過去の世界で選んでいた筈。

 自分自身に冷笑を浴びせた時に視界に脱出用シャトルが入ってきた。

 この時、脳裏に亡命の文字が浮かんだ。

 

「そうだ!亡命すれば帝国で厚遇されると聞いた。現にローゼンリッターの前の指揮官も亡命して出世したと聞いた」

 

 幸い家族も無い天涯孤独の身で親戚もいるかも知れんが会った事もない。自分が亡命して迷惑を掛ける者もいない。このままでは同じ人生の繰り返しになる。

 

 亡命を即断するとハンスは立ち上がり整備兵達の休憩室に向かった。長年の貧困生活の癖で食べ物を物色する為である。

 休憩室の中央にある皿にはキャンディーと一口サイズのチョコがありベレー帽に全て移してスカーフでベレー帽ごと腹に巻き付けた。

 次に冷蔵庫の中のペットボトルを上着やズボンのポケットにねじ込む。

 作業に淀みない。整備兵達が消火作業を終えて戻って来る前に脱出しなくてはならない。

 

 作業を終えてシャトルに乗り込む。操縦手順は半世紀前の事だが研修で習っている。おぼろ気な記憶を頼りに発進準備を進める。隔壁が閉まりハッチが開くと滑走路の先に暗い宇宙空間が見える。新天地に向かう高揚感で胸が高鳴る。電磁カタパルトが作動してシャトルが射出される。

 

 シャトルで宇宙空間に出た瞬間に高揚感は消え地獄が現れた。

 帝国軍の追撃の砲撃と同盟軍の抵抗の砲撃の打ち合いの渦中にあった。

 

 帝国軍の主砲に対して同盟軍は後方の敵に副砲と誘導ミサイルで対抗している。誘導ミサイルは識別信号でシャトルを避けてくれるが敵の主砲と味方の副砲は避けてくれない。回避システムに助けられながら不慣れな操縦で必死に回廊内の天低方向を目指す。帝国軍の艦艇は惑星からの離着陸を想定して建造されているために艦底部分の武装が極端に少ないからである。

 

 何とか回廊の天低部分に張り付く事に成功したが救難信号を出せる状況ではなかった。帝国軍は逃げる同盟軍を追い討ちを掛けるのに忙しく味方ならまだしも敵の救難信号など無視される可能性があったからである。

 

「高見の見物ならぬ下見の見物を決めるか」

 

 砲撃戦の渦中から逃れた安心から軽口を叩きポケットのペットボトルの封を切り数時間ぶりに水を口にした。

 一気に飲み干さず半分ほど残したのは長年の貧乏性からである。

 

「さてと、まずは腹ごしらえと」

 

 同盟軍の脱出用シャトルは色々とサイズや規格があるがハンスのシャトルは10人乗りの中型サイズである。1人につき3日間分の水と食糧が装備され更に緊急用の宇宙服も人数分を装備されてある。宇宙服内にも3日間分の水と流動食が装備されカルシウム注射も装備されている少なくとも1ヶ月は食糧の心配は無い筈であった。

 

「えっ、無い!」

 

 通常は座席の下に装備されてる水と食糧が無く。足元には宇宙服が格納されてるが宇宙服も無い。

 ハンスは亡命を果す前に餓死の危機に直面した。

 

「何で無い!これだと帝国軍が何処まで追撃するかで生死が決まるのか!」

 

 過去の世界では退却戦の最中で負傷して意識を回復した時はハイネセンの病院のベッドの上だった。帝国軍が何処まで追撃したのかはハンスは知らなかった。

 回廊内までか回廊外までかで日数が大幅に変わる。

 

「あるのはベレー帽一杯分のキャンディーとチョコ、水が3本と半分か。水が少ないのが心許ないな」

 

 ハンスは口にした言葉ほど、現状を悲観してはいなかった。

 回廊付近まで帝国軍が追撃したとしても全部隊が回廊付近まで追撃する筈もなく必ず途中で引き返す部隊もあり長くても3日間の忍耐だと思っていた。3日間なら水も辛うじて足りるだろうと。

 後にハンスは自分の読みの甘さを後悔する事になるのだが、この時のハンスの心身は疲労の極であり力尽きる前にシートを倒して全身を投げ出すのが限界であった。

 

 

 

 

 ハンスが眠りの園の住人となった頃、ラインハルトは不眠不休で仕事に追われていた。ラインハルトは味方の部隊が追撃に向かうのを尻目にイゼルローン要塞に帰還していた。

 既に帝国軍の勝利を決定づけた武勲があるラインハルトには殺戮と破壊の量を競う武勲に興味も必要性も感じずに部下達に安心した休息を与える事の方が大事であった。

 そして、部下は休息を貪る事が出来るが指揮官であるラインハルトには休息を貪る贅沢は許されなかった。

 部下からの被害報告書に損傷した艦艇の修理の報告書、消耗した戦力と物資の補給と指揮官は忙しい。

 全ての仕事が終わりラインハルトがベッドに入ったのが要塞に帰還して24時間後であった。

 ラインハルトが目覚めてシャワーと食事を済ませるとミュッケンベルガーから呼び出された。

 執務室に入るとラインハルト以上に贅沢を許されぬミュッケンベルガーが憔悴した顔で書類と格闘中であった。

 

「閣下、失礼ですがお疲れの御様子。少し休まれては?」

 

 敬老精神の少ないラインハルトが心配する程にミュッケンベルガーは憔悴していた。

 

「そんな暇が無いのだ。お調子者が回廊の外まで叛徒共を追撃をしようとしていると報告が入った」

 

「それは危険です。敵に余力が有れば回廊の外で半包囲体制で待ち受けて回廊から出て来た我が軍を十字砲火で狙い打ちにする好機です」

 

「若い卿でも予想がつく事が分からん馬鹿者がいるのだ!」

 

「前線にはゼークト、メルカッツの両提督が居ますので両提督が連れ戻すでしょうから、閣下には安心して御休息されて下さい!」

 

「そのゼークトが追撃しているのだ!」

 

 ラインハルトも呆れて絶句してしまったし、さすがにミュッケンベルガーに同情の念を禁じ得なかった。

 

「…………」

 

「今朝、メルカッツから報告があったのだがメルカッツの諫言にも奴は聞く耳を持たんのだ!」

 

 ミュッケンベルガーが苦虫を噛み潰した顔をする!

 

「そこで卿にも仕事をして貰う。本来なら駐留艦隊の仕事なのだが回廊内の残骸を撤去せよ。このままでは要塞の破損箇所を修復するのに資材運搬の艦艇の航行にも支障が出る」

 

「了解しました」

 

「それから、私と入れ替りにメルカッツが帰投する。メルカッツの補給と再編が終了次第、メルカッツと共に帝都に凱旋するように」

 

「閣下、それでは残骸撤去作業が中途半端になりますが宜しいのでしょうか?」

 

「構わん!残りはゼークトにやらせておけ!本来はゼークトの仕事だ」

 

 ミュッケンベルガーは口や態度に出さないが今回の戦いでの最高殊勲者であるラインハルトが功績を鼻に掛けない事と残敵の掃討の功を他者に譲った事に評価していた。

 対照的にゼークトの評価は下がる一方である。通常は敗軍の追撃などは駆け出しの若手の指揮官の仕事である。年齢や地位から言えばラインハルトの仕事であり、深追いするなど危険なだけでメリットが無い行為を大将の階級を持つゼークトが行う事ではない。

 

「承知しました。」

 

 返答するラインハルトも心境は複雑であった。生真面目なラインハルトに取っては仕事を中途半端に終わらせる事に対する罪悪感があるがミュッケンベルガーのゼークトに対する怒りも理解が出来るからである。

 

 

 ミュッケンベルガーがゼークトへの怒りと苛立ちを漲らせている頃にハンスも怒りと苛立ちに加えて焦りで全身を震わせていた。

 帰投するメルカッツ艦隊に気付いて救難信号のスイッチを押したが機械が一向に反応しない。救難信号を諦めてシャトルを動かそうと操縦桿を握るがシャトルも動かない。

 

「動け!動け!動け!動け!」

 

 悲鳴の様な叫びを上げて操縦桿とスロットルを動かすがシャトルは動かないままメルカッツ艦隊が頭上を通り過ぎるのを手を束ねて見送るしかなかった。

 

「迂闊だった。非常食や宇宙服が無かった時点で気付くべきだった」

 

 ハンスは込み上げてくる苦い思いを噛み締めながら呟く。

 スクリーンの中で帝国艦隊は光の点となって消えていく。

 

「まだだ!まだ、終わらんよ!」

 

 ハンスは自分自身を鼓舞して救難信号が発信されなかった原因とシャトルが動かなかった原因を考える。

 半世紀以上前の古い記憶を頼りに点検口の扉を開き不具合の原因を探り始めた。

 2時間後に驚くべき原因が判明した。救難信号が発信されなかったのは本来なら廃棄処分されてる筈の古いバッテリーが使用をされていて電力不足で救難信号が発信されなかった。シャトルが動かなかった原因は単純な燃料切れだった。通常なら10日間は航行可能な燃料がタンクに入っている筈なのだがタンク内は空だった。

 

 「80年近く生きて来て、こんな脱出用シャトルは聞いた事が無い」

 

 社会の底辺で生きてきて色々な不正を見てきたハンスにしても初めての経験であった。

 後に同盟軍の黒い霧事件と呼ばれる同盟政府末期の三大疑獄事件に発展する事になるのだが、この時のハンスには知る術もなく知っても無意味な事であった。

 

「取り敢えずはバッテリーは索敵システムと通信システムだけを残して全ての電源をきり、エンジンは動かす程の燃料はないからジェネレーターを動かすのに使う。結局は緊急用マニュアルに従うしかないか」

 

 救難信号を出す電力を蓄える為にエアコンのスイッチもオフにした。本来は定員10名のシャトルである。狭い船内に10名の人が居れば互いの体温で室温が下がらない設計だが、ハンスの場合は船内の室温が下がり続けハンスの体力を奪う事になる事は容易に想像がついた。

 

「さて、寒くなる前に寝るか。また、凍死したくないからな」

 

 室温が下がる前に睡眠を取る為の準備を始める。靴下の中にスラックスの裾を入れワイシャツと上着の襟を立て、その上からスカーフを巻き着けた。

 ハンスが長年の貧困生活で身に付けた防寒の知恵である。

 準備が終わりシートに身を預け、赤い非常灯の光を避ける為にベレー帽を顔に乗せるとハンスは直ぐに眠りについた。

 歴史が大きく変わる亡命劇まで、まだ幾何かの時間を必要とした。 

 


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