六月の半ば帝国にフェザーンを経由して同盟軍の大規模攻勢の報が入る。
ハンスは帝国三長官に出頭命令を受けて三長官会議に出頭する。
最初に軍務尚書であるエーレンベルクが口を開く。
「そう身構えんでよい。卿も既に承知しているだろう。叛徒共の大規模攻勢の報を」
「はい、聞いております」
「その事で情報の信憑性について意見を卿に聞きたい」
「確かな情報だと思います」
「しかし、叛徒共は昨年も大規模攻勢を掛けて敗退している。今年も初頭に敗退しているのに、とても兵力に余裕があると思えん」
「単純な兵力なら余裕が有ります。12艦隊が有りましたが、昨年のイゼルローンの戦いで1個艦隊分の兵力を失っています。今年の初頭の戦いで1個艦隊を失っています。残りは10個艦隊ですが、その内の1個艦隊は首都星の警護役なので使えません。ですから9個艦隊分の兵力は有ります」
(今更、こんな初歩の説明させるなよ)
「兵力に余裕があるのは分かった。問題は出兵が多過ぎではないか?」
「それは仕方が有りません。選挙が近いですから選挙前には出兵するのが同盟の常識です」
「叛徒共は政治的儀式の為に出兵するのか!」
(何年も戦っていて今更、何を驚く)
「非常に馬鹿らしい事ですが、それに敵の総司令官のロボスも立場的に微妙ですから」
「どう言う事か?」
「ロボスは昨年は自ら指揮を取りながら敗退してます。今年も自分が抜擢した馬鹿が原因で敗退してますから責任を取らされて引退させられても不思議では有りません」
ミュッケンベルガーは、またハンスのホーランドへの罵詈雑言が始まるのではと心配したが杞憂に終わった。
「つまり、敵将は自分の保身の為に出兵すると言うのか?」
「はい、ロボスは地位に執着する男で権威主義で大雑把な男ですから」
「ご苦労であった。退って宜しい」
「失礼します」
ハンスが退室した後でエーレンベルクがミュッケンベルガーとシュタインホフに意見を求める。
「卿らはどう思う?」
ミュッケンベルガーが返答する。
「あの者の知識と洞察力はティアマトの戦いで実証されている」
シュタインホフがミュッケンベルガーの意見に補足する。
「確か敵の行動の正解な予測と対策も提示していたな」
エーレンベルクが二人の意見を聞いて結論を出す。
「では、この度のフェザーンからの情報は信用に足ると言う事か」
「では、これからは対応策の協議に移るとするか」
ミュッケンベルガーは同僚の二人の前では言えなかったが本音は対応策もハンスの意見を聞きたかった。
その頃、ハンスは喫茶室でアプフェルショーレ(アップルサイダー)を前に自分が今回の戦いに何処まで介入が出来るのか介入したとして何をどれだけ改変させる事が出来るかを考えていた。
(まあ、イゼルローン要塞での戦闘は無理か。前回の大穴も完全に修理が出来てないからな)
ストローでアプフェルショーレを一気に飲み干す。
(前回と同じティアマトでの迎撃となるか。まあ、問題は同盟の陣容だな。ロボスが出てくるのは間違いないが、その下の司令官だな)
グラスの中の氷をストローで掬い上げようとして失敗してしまった。
(ボロディンと腰巾着のパエッタは間違いない。問題はウランフが歴史通りに出て来るかだな)
ストローでの氷の掬い取りを断念して氷が溶けるのを待つ事にする。
(まあ、最初に作ったAプランで行くか。運が良ければロボスを戦死させたらアムリッツァ会戦が無くなるかもしれん)
ハンス自身はアスターテ会戦で負傷して入院治療中の為に帝国領進攻作戦には不参加だったが参加した仲間の殆どが戦死している。
ロボスはアムリッツァ会戦の後に戦死した将兵達の遺族からの報復を恐れて行方を晦まして逃亡した。
ハンスは無駄な血を流したく無いと思うがロボスに関しては自業自得だと思っている。
(まあ、チャンスは今回だけでは無いし、帝国領に進攻するか分からん。それにトリューニヒトが国防委員長を失脚するかもしれん。まあ、それは望み薄かな。第六次イゼルローン攻略の失敗から続けて負けてばかりなのに国防委員長やっていたからなあ)
この時にハンスは重大な事を忘れていた事に気付いた。
「地球教の事を忘れていた!」
思わず口から内心の声が出てしまった。
(トリューニヒトが政治家を続けられたのは地球教の支持があったからだ。地球教は早めに対処して置かないと引っ掻き回される!)
ハンスは一瞬、自分が雪の降る冬の海に全裸で飛び込んだ様な錯覚を自覚した。
(この戦いの後に急いで何か手を打たないと色んな意味で命取りになる)
逆行前の世界でも地球教の事は詳しくは解明されていなかった。
ルビンスキーとトリューニヒトと地球教の捻れた三協定と地球教の歴史は解明されたが組織の全容は解明されていない。
(関係者が全滅した事も問題なんだよなあ。ユリアン・ミンツが地球から持ち帰ったデータが唯一のデータだからなあ)
そして、ハンスに取って最重要な事を思い出した。
(ちょっと待て、ユリアン・ミンツの回顧録には地球に居た信者は善良な人も多かったらしい。けど、ワーレン元帥評伝には信者を救出した話は無かったが……)
それから先の考える事をハンスは止めた。精神衛生上に支障をきたすし、今は目前の戦いに集中するべきである。
不意にハンスの肩を誰かが叩いた。ハンスが反射的に振り返ろうとしたら肩を叩いた手の指が突き出され頬を止める。
「……」
「卿は迂闊過ぎるぞ」
「ラインハルト様……」
ラインハルトと頭を抱えて呆れるキルヒアイスが居た。
後年、当時を知る者からはラインハルトが子供じみた行動を取る相手はハンスだけであると証言が一致している。
二人はハンスの前に座りコーヒーを三つ注文する。
「朝から三長官に呼び出されそうだな?」
ラインハルトが好奇心が溢れている瞳でハンスに問い掛けてきた。
「その事が気になって二人して仕事を投げ出して小官を探していたんですか?」
ハンスの声に呆れの成分が混じっている。仕事をサボる口実に自分を探しに来たのだろう。
「そ、そんな事は無いぞ。部下が上官に呼び出されたら心配するもんだ」
ラインハルトの声と表情が言葉を裏切っている。横に座っているキルヒアイスの呆れた表情が証明している。
「まあ、それは別にして閣下の想像通りですよ」
二人の顔が真剣になる。
「まあ、詳しい事は分からんみたいですよ」
真剣な顔も束の間にラインハルトはハンスをからかう表情で聞いてきた。
「ほう、三長官には分からんでも卿なら分かるのでは?」
ハンスがラインハルトの問い掛けに答えようとした時にコーヒーが運ばれて来た。
ラインハルトとハンスがクリームを大量投入してから話を再開する。
「私が分かる事などは高が知れていますよ」
今度は真剣な顔でラインハルトは聞いてきた。
「卿は無駄に謙遜するな。兵力の規模程度は予測しているのでは?」
「総司令官の直属部隊を入れて四個艦隊だと思いますよ。それ以上になると予算処理が大変になる。選挙には間に合いません」
帝国人のラインハルトとキルヒアイスには選挙と言われても実感が持ってない。
「まあ、一番の問題はロボスが誰を連れて来るかが問題なんですけどね」
「流石に卿でも予測は無理か?」
ラインハルトの問いにハンスも苦笑しながら返す。
「そりゃそうでしょう。三人全員とかは無理でしょう」
ハンスの返答にラインハルトとキルヒアイスは驚く。
「卿は三人は無理だが一人か二人なら分かるのか?」
「はい」
ラインハルトとキルヒアイスが顔を見合わせる。
「別に驚く程でもないですけどね。パエッタとボロディンは確実ですね。問題はウランフかホーウッドのどちらなのか難しいんですよね」
「その根拠も知りたい」
「本当に単純な話ですよ。パエッタは能力的には可もなく不可もない指揮官ですが頑固で上に媚びる性格なんですよ。国防委員長の犬をしてますからね。国防委員長も犬には餌をやらないと」
「要は派閥人事なのだな」
ラインハルトが一言に要約する。
「身もふたもない話ですが、次にボロディンは能力、人格、人望ともに完璧です。順番から言えばボロディンの出番ですよ」
「そうか」
「問題の二人ですけどね。ホーウッドは体調が悪いみたいでしたからね。去年のイゼルローンの戦いも不参加でしたからね。体調が回復しているならボロディン同様に使いたい人材ですけどね。体調が回復してないならウランフが代打でしょうよ」
「ウランフとは第三次ティアマト会戦の前に卿が褒めていた指揮官だな」
「はい、閣下もウランフの勇戦ぶりを褒めてましたよね」
「ああ、敵ながら見事な戦いぶりをしていた」
「ラインハルト様、今回の戦いは油断が出来ませんね」
「ああ、しかし、今回は私の麾下にはロイエンタールとミッターマイヤーがいる」
「こうなると心強い二人ですね」
仕事をサボる口実でハンスを探しに来た二人であったが意外な事に真剣な話になってしまった。
その二日後にハンスの予測通りの情報がフェザーン経由で軍務省に報告された。
そして、翌日にはラインハルト達にも出動命令が下された。
それに伴い、一つの意外な辞令書がラインハルトの元に届く事になる。