銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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覆土

 

 旅行から帰ってきたハンスは多忙であった。年明けの出征の準備とヴィーンゴールヴでの後処理とキルヒアイスにクロイツナⅢでの事件の聞き取りにラングとの打ち合わせである。

 

「卿は私の情報武官なのだから、麻薬捜査まで協力する必要はないのだぞ」

 

 見かねたラインハルトが言ってくれたが、地球教摘発の為にはハンスの協力は必要であるのだ。ハンスは本当の理由を言うわけにはいかず口では別の事を言う。

 

「しかし、帝国の麻薬汚染は同盟より深刻です。特に死の恐怖から麻薬に走る兵士も少なくありません。軍の秩序維持の為にも、今が千載一遇のチャンスですから」

 

「そうか、だが無理はするなよ」

 

 ラインハルトは心配しながらもハンスの行動を許可してくれた。

 ハンスにしたら少しでも早い段階で地球教を叩きたいのが本音である。

 

(連中を放置したら犠牲者の数が半端ないからな)

 

 軍務省も軍の麻薬組織摘発には力を入れているが軍高官も関わっていて捜査は難航している。先日もバーゼル退役中将が逮捕されている。現役時代から麻薬密売を行いアルレスハイムの惨敗を引き起こしているのだ。軍務省としても看過が出来ない事態なのだ。

 

(困ったもんだ。サイオキシン麻薬と言えば地球教の代名詞だったが調べれば地球教以外の組織も暗躍しているな)

 

 調査の結果、バーゼル退役中将の麻薬組織とヴィーンゴールヴの麻薬組織とは違う麻薬組織である事は判明している。

 

(これだけ麻薬組織が乱立していれば嘗て帝国と同盟が摘発の為に秘密裏に手を結んだのも理解が出来る。残念なのは当時の資料が無い事だな)

 

 この時のハンスの思考は完全に麻薬組織撲滅に傾いていて、来年の出征の事は念頭になかった。

 軍高官と門閥貴族が逮捕されて、軍務省、内務省、司法省と各省が帝国の麻薬汚染に深刻さを意識している現時点で省庁の垣根を越えた対策が取れるチャンスだと思っているからである。

 

(やっぱり、役人らしく上申書でも出すべきかね)

 

 ハンスは机に向かい手書きで書類を書き始めた。

 

 翌日、ハンスは書き上げた書類を持ってキルヒアイスの元に訪れた。

 

「それで、これを私に添削しろと……」

 

 キルヒアイスは書類を一読して書類を手にハンスに問い掛けた。

 

「はい。誠に申し訳ありませんが宰相閣下に提出する上申書としては自分の文章力には限界がありまして」

 

「分かりました。引き受けましょう。但し条件があります」

 

「条件とは?」

 

「私も連名させてもらう事が条件です」

 

 キルヒアイスもハンスに賛同してくれると言外に言っているのである。

 

「これは、絶対条件です。それとミューゼル閣下にも連名してもらいます」

 

 この言葉にはハンスも驚いた。キルヒアイスが厄介事にラインハルトを巻き込むとは思わなかったからである。

 

「宜しいので?」

 

「逆に二人の連名だけで提出したら後でミューゼル閣下に怒られます」

 

「はあ」

 

「それと提案があります。軍部だけではなく内務省のラング局長にも連名して頂くと宜しいでしょう」

 

「はい。ラング局長も麻薬組織撲滅には意欲的ですから添削して貰った書類を一読して貰うつもりでした」

 

「そうですか。では、明日の朝一番に書類をお渡しします」

 

「有難う御座います!」

 

 この時、ハンスもキルヒアイスも、この上申書が帝国三長官や司法尚書や内務尚書まで巻き込んだ大事になるとは思っていなかった。

 

 翌日、書類を持って内務省を訪れたハンスはラングに会う事が出来なかった。ラングは朝から司法省の会議に出席中であり内務省に戻るのは夕方になると顔見知りの職員から告げられた。

 

「宜しければ此方で書類をお預かりしますが、どうされますか?」

 

「では、お願いします」

 

 ハンスも顔見知りの職員という事で安心して預けたのだが、翌日にはラインハルト、キルヒアイス、ハンスと三長官に呼びつけられる事になる。

 

(ハンスは今度は何をやらかした?)

 

 ラインハルトとキルヒアイスの二人の脳裡には同じ疑問が浮かんだ。

 しかし、今回の被告はラインハルトであった。

 

「ミューゼル大将に聞くが、この上申書の連名の署名は卿で間違いないな?」

 

 軍務尚書のエーレンベルグが前日にハンスが内務省職員に渡した上申書の連名の署名を指して詰問する。

 

「はい。小官の署名に間違いありませんが何か間違いが有りましたか?」

 

 ラインハルトにしては上申書の件で呼び出された事は理解したが言葉通りに何が問題かは分からなかった。

 ラインハルトの様子を見て、ミュッケンベルガーが呆れた口調で理由を説明する。

 

「この上申書の発起人はオノ少佐となっていて卿とキルヒアイス中佐が連名しているが、内容が内容だけに卿らと内務省の局長だけで上申して良い内容ではないのだ」

 

 ミュッケンベルガーの言葉にハンスの顔が一瞬だが硬直する。

 

「これ、ミュッケンベルガー元帥。そんな言い方だと若い者が怯えるではないか!」

 

 統帥本部総長のシュタインホフがミュッケンベルガーを窘めて詳細に説明を始める。

 

「今回のオノ少佐の上申は素晴らしいのだが素晴らし過ぎるのが問題になったのだ」

 

 シュタインホフの言葉で三人の顔に理解の色が加わる。

 

(要は、たかが少佐の手柄を元帥や尚書が横取りするつもりか)

 

 ラインハルトとキルヒアイスは怒りより呆れながら三長官を眺めていた。

 ハンスは三長官に問い掛けた。

 

「では、三長官方も賛同して頂けるのでしょうか?」

 

 ハンスの問い掛けに三長官を代表してエーレンベルグが返事する。 

 

「勿論だとも、我らだけでなく内務尚書に司法尚書も賛同している」

 

「では、発起人の名を小官ではなく軍務尚書閣下に変えて頂けるでしょうか」

 

 ハンスの申し出に流石のエーレンベルグも慌てる。

 

「待て、それでは卿の功績を私が横取りするのと同様ではないか!」

 

「いいえ。これには理由が有ります。一つには、たかが、少佐の上申で騒ぎになると銀河帝国の鼎の軽重を問われるでしょう」

 

 ハンスに冷静に言われると皮肉なのか判別が難しいらしく三長官も激昂する事なく

渋い表情をするだけである。

 

「それと二つ目は私的な深刻な理由です。私には姉がいますが姉は帝国では有名人ですので麻薬組織からの報復の標的にされる可能性が有ります」

 

 ハンスに言われて全員が思い出したがハンスの姉は義理とは言え帝国一の女優である。

 

「あっ!」

 

 その場にいたハンス以外の口から異口同音の声が出る。

 

「そうか。卿の姉は女優だったなあ」

 

「それも、あのヘッダ・フォン・ヘームストラだぞ」

 

「確かに卿の姉なら報復の心配があるな」

 

「これは困りましたね」

 

「ああ、確かに私も迂闊だった」

 

 ミュッケンベルガー、シュタインホフ、エーレンベルグ、キルヒアイス、ラインハルトの順にヘッダを心配する声をだす。

 

(流石に全員が心配するとは全員が姉の隠れファンか?)

 

 ハンス以外の全員が一気に深刻な表情になるので発言したハンスの方が戸惑う。

 

「なんだ?その顔だと卿は自分の姉の事を知らんのか?」

 

 ハンスの正面の位置にいたエーレンベルグがハンスの表情を見て問い掛けてきた。

 

(えっ!確かに父親が同盟で麻薬捜査官だったが一般的には秘密の筈なんだが)

 

 返事をしないハンスを見てエーレンベルグだけではなく、その場の全員が納得した顔になる。

 

「え!全員で何ですか?」

 

 ハンスの表情と態度にハンス以外の人間達の間で目だけの会話が行われた結果、エーレンベルグが事情を説明する。

 

「その卿の姉には実弟がいた事は卿も知っているな」

 

「はい。小官と同い年の弟を亡くしている事は承知してます」

 

「その弟御の死因は卿は知っているか?」

 

「いいえ、知りません。姉は実弟の話は私の前では一切しません。姉の知人友人も実弟の話は私の前では一切しません」

 

「然もあらん。実弟の死因はなサイオキシン麻薬なのだ」

 

 ハンスの顔が一瞬で険しくなるが、エーレンベルグは更に話を続ける。

 

「サイオキシン麻薬の禁断症状が出た中毒患者の暴走車が歩道に乗り上げて通学中の生徒数人が……」

 

 流石にエーレンベルグもハンスの顔色が青くなるのを見て話を止める。

 

「当時、帝国全土を震撼させた事件なので記憶している人も多い筈」

 

 シュタインホフが取り成す様に付け加える。事実、未成年者が犠牲になり、その中に有名人の家族もいたので帝国全土に報道されてラインハルトやキルヒアイスも知っていた。

 

「事情は了解しました」

 

 ハンスの声も生気が無い。

 

「取り敢えず卿の主張は理解した。発起人の名義は私に差し替えておこう」

 

 エーレンベルグが了承して、そのまま散会となった。

 

 ハンス達が退出した後で残った三長官が上申書を前に困惑してた。

 エーレンベルグが上申書の内容に感心しながらも沈痛な声で口を開く。

 

「しかし、実現すれば麻薬組織撲滅に成果を出す事は間違いなく、複数の意味で被害者の救済になる案だが、発起人が不幸になるとは皮肉な事だな」

 

 シュタインホフが受けて答える。

 

「しかし、この様な発想は我らには無かった」

 

 シュタインホフの言葉を今度はミュッケンベルガーが受ける。

 

「省庁や官民等のあらゆる垣根を取り外して超法規的組織とは常人なら考えつくが構成員がサイオキシン麻薬の被害者遺族のみとは帝国人には思いつく筈がない」

 

 シュタインホフがミュッケンベルガーの言葉尻を捉えて疑問を口にする。

 

「我ら帝国人には思いつかないとは?」

 

「うむ。恐らくは叛徒どもの陸戦部隊の薔薇の騎士の真似であろう」

 

 エーレンベルグとシュタインホフの耳にも薔薇の騎士の噂は届いている。

 

「なるほど、確かに我ら帝国人には思いつかぬ事だな」

 

 シュタインホフが納得する。

 

「しかし、オノ少佐の才幹は恐ろしいものがあるな」

 

 エーレンベルグの言葉にシュタインホフとミュッケンベルガーも同意せざるを得なかった。

 ハンスは知らぬ間に帝国の上層部に評価をされる事になる。

 皮肉な事にハンス自身には迷惑な話であった。

 

 

 


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