ハンスはラインハルトと久しぶりに大喧嘩をした。
今回の原因はハンスに部下を持たせる事の是非である。
ハンスにして見れば自分の様な若僧に親より祖父と言える年代の部下を持たせる事に不快感があった。
まして、部下を持ち一部署を任せられては軍を辞められなくなる。この件に関しては断固として拒絶した。
一方、ラインハルトにしてみればハンスの才幹を最大限発揮させられる環境を用意した自負があり、それを拒絶された不快感がある。
結局はキルヒアイスにロイエンタールにミッターマイヤー、更にメックリンガーまでが間に入り、二人を宥める事になった。
「正直な話。あれほど、ミューゼル大佐が嫌がると思いませんでした」
疲れきった声でキルヒアイスが述懐する。
「別に卿だけの責任ではない」
「そうだ。卿が気に病む必要はない」
ロイエンタールとミッターマイヤーも疲れきった声でキルヒアイスを慰める。
結局は最年長のメックリンガーの提案で形式上はハンスが責任者となり実際はラインハルトが推挙した人物が取り仕切る形になった。
「しかし、年の功とは言えメックリンガーには感謝するべきだな」
ロイエンタールの意見にキルヒアイスとミッターマイヤーも同意する。
メックリンガーはラインハルトが推挙した人物をハンスが高く評価しており一つの部署を任せるなら自分より相応しいと言った事を形にしてみせ、ラインハルトに対してはハンスが行動をする時に件の部署が全面的にバックアップする事でハンスの才幹を発揮させられると説得した。
「しかし、ハンスがそんなに高く評価する程の優秀な人材なのか?」
ロイエンタールが尤もな疑問をキルヒアイスにする。
「はい。数年後には退役する人物で大尉になったばかりの人です。今回はミューゼル大佐の部下という事で中佐に昇進させての抜擢でしたが、まさかの事態でした」
「俗に言う老大尉と言うが、確かに本来は将官になっていても不思議ではない人材もいるからな」
ミッターマイヤーの言葉にロイエンタールが無言で頷いた時にメックリンガーが戻って来た。
「流石に疲れた。あの二人は頑固な所が良く似てる」
常々、キルヒアイスも思っているが口にしない事を遠慮なくメックリンガーが口にする。
「メックリンガー提督にも迷惑を掛けてしまいました」
キルヒアイスの謝罪にメックリンガーは手を振り無言で謝罪は無用と伝え口では別の事を伝える。
「伯と大佐が卿を呼んでる。大佐は明日から休暇なので今日中に全てを決めたいと言っている」
「分かりました」
キルヒアイスがメックリンガーと入れ替りに出て行く。
「しかし、あの二人と付き合うキルヒアイス准将も苦労が絶えぬ」
メックリンガーの言葉にロイエンタールとミッターマイヤーも同意して他人事と思い苦笑するが、さほど遠くない未来に他人事ではなくなるのである。
翌朝、ミッターマイヤーが出勤すると憔悴した顔のラインハルトとキルヒアイスがいた。
二人の顔色を見てミッターマイヤーが片手を掲げて包みを見せる。
「どうやら、無駄にならなかったみたいですな」
「卿の配慮に感謝する」
「有難う御座います。ミッターマイヤー提督」
ミッターマイヤーはラインハルトとキルヒアイスが徹夜していると思い通勤中に独身者相手の屋台で朝食を買ってきていた。
三人で朝食を済ませて食後のコーヒーを飲んでいたら、ラインハルトのデスクの抽斗の非常用回線電話が鳴る。
ラインハルトが素早く電話に出るのと同時にキルヒアイスがデスクの上の内線電話で逆探知を依頼する。
「元帥執務室非常回線!」
「ハンスか!何事か?」
ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に緊張が走る。
「一度、使ってみたかった。卿は何を考えてる?」
ミッターマイヤーとキルヒアイスが精神的によろめいてしまった。
「金額は?」
ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に困惑が浮かぶ。
「警察には?」
ミッターマイヤーとキルヒアイスの顔に再び緊張が走る。
「分かった。場所は?」
ラインハルトがデスクのメモ用紙にメモを始める。
「うむ。宜しい。丸腰なら仕方ない」
ラインハルトが電話を切るとキルヒアイスが逆探知の結果を書いたメモ用紙をラインハルトに見せる。
「ご苦労だったが場所は分かっている。ハンスが朝食を摂りに街を歩いていたら、ひったくりの現場に遭遇したらしく犯人は逃がしたが荷物は取り返して被害者に返そうと現場に戻ったら、被害者の姿はなく、何時の間にか怪しい男がハンスを尾行しているそうだ。荷物はスポーツバッグで正確には分からんが五十万帝国マルク程度の現金が入っているそうだ」
金額を聞いてミッターマイヤーとキルヒアイスも驚いた。士官学校を卒業した少尉の年俸の約二倍の金額である。
「そして、ハンスは現在は丸腰でファーストフード店に居て待機しているそうだ」
「それなら、小官がハンスの所に行きましょう。ハンスの居る店は、元帥府から小官の自宅の延長線になります。軍服ではなく私服で行った方が良いでしょう」
ミッターマイヤーがキルヒアイスが書いたメモ用紙を片手に買って出る。
「ここは、ミッターマイヤーに任せた方が良いな。どうやらハンスは犯罪に巻き込まれた様だ。現場でミッターマイヤーの判断で警察に任せても構わん」
「了解しました。しかし、ハンスも運が良いのか悪いのか?」
ミッターマイヤーの言葉にラインハルトも皮肉な笑みを浮かべて応える。
「日頃の行いが悪いのだろう」
二人の会話を聞いていたキルヒアイスは溜め息ををつきたい衝動を抑えるのに苦労していた。
ラインハルトから日頃の行いが悪いと評されたハンスはファーストフードの二階の全面ガラス張りの席で尾行者を逆に監視しながら朝食を摂っていた。
(しかし、失敗したなあ。銃も着替える時に家に置いて来てしまった)
ハンスは朝食を済ませると家に帰りシャワーを浴びて夕方まで寝るつもりでいたのでスウェットスーツに財布と緊急の呼び出しの為に携帯端末しか持って居なかった。
(銃は別にしてもスウェットスーツは駄目だな。せめてベルトは必要だよな)
ハンスの軍服のベルトはバックルに小型ナイフ、ベルト自体も武器に出来る様に特殊繊維を使っている。
ハンスは地球教のテロだけでなく同盟人から裏切り者として復讐の対象になるのではと警戒していた。
(考え過ぎと言えば考え過ぎなんだが、ヤン・ウェンリーさえテロに倒れてるからな。私服の武装も考えないとな)
ハンスは考え事をしながらも朝食を食べながら尾行者の監視も続けている。
そして、ハンスが五杯目のコーヒーを飲み始めた時に私服姿のミッターマイヤーが現れた。
「卿も楽しそうな人生を送っているな」
ミッターマイヤーはハンスの後ろ席に座り背中合わせで皮肉を言ってきた。
「楽しいかは別にして退屈だけしませんね」
ハンスの返事はハンスの心情を過不足なく表現していた。
「それで、尾行している男とは、あの灰色の作業服の男か?」
「はい。自分が電話を掛ける前から彼処で見張っていますね」
「どうやら素人の様だな。もしくはハンスを民間人と思って油断しているのか?」
「訓練を受けた人間とも思えませんけどね。それで、これが例の物です」
ハンスがミッターマイヤーの足元にスポーツバッグを足で押しやる。
「バッグは普通の市販のバッグだな」
ミッターマイヤーも片手でバッグの中を確認する。
「確かに五十万帝国マルク以上は有りそうだな」
「あまり、ここも長居が出来ませんからね。どうします?」
「近くにスーパーマーケットがあったから、そこに逃げ込め。スーパーマーケットは万引き防止に防犯カメラもあるし人の目もある。そこで同じ様なスポーツバッグを用意するから、取り敢えずスーパーマーケットでバッグをすり替えよう」
「では、自分が先に出ましょうか?」
「そうだな。それが良い。上から作業服以外の人間が卿を尾行してないか確認してから俺も出る」
「了解しました」
ハンスが店を出た後でミッターマイヤーは他に怪しい人間が居ないか確認してから店を出た。
ハンスはスーパーマーケットに入ったが作業服の男は入って来なかった。
(ヤバいなあ。顔を監視カメラに記録されたくない様な事をするつもりかよ)
店内の品を物色するふりをしながらハンスは店の出入り口を確認していた。
作業服の男は店の外からハンスを監視しているようだ。
(店内に居る間は安心かな)
十分後にミッターマイヤーが大きな紙袋を提げて店内に入ってきた。
ハンスは店の外からは死角になる場所まで移動するとミッターマイヤーが紙袋からハンスのスポーツバッグと同じバッグを取り出してハンスのスポーツバッグと取り替える。ハンスも気付かないふりをしながら周囲に注意を払う。
作業が終わった後でミッターマイヤーがスポーツバッグ入りの紙袋を提げて店を出た時に騒ぎが起こった。
ミッターマイヤーが女性二人から取り押さえられた。
「警察よ!窃盗の現行犯で逮捕します!」
「ちょっと待て、違うんだ」
「言い訳とか見苦しい!」
店内に居たハンスも店の前で騒ぎが起こり何事かと店の出入り口に行く。
店の外では人垣の出来ていて人垣の中央ではミッターマイヤーが手錠をされてパトカーに乗せられるところだった。
未来の元帥閣下で現職の中将が逮捕される光景にハンスも呆然となった。
この瞬間、周囲の人間の意識がミッターマイヤーに向いていてハンスも例外ではなかった。
ハンスの背後から女性が近付いてハンスの口をハンカチで塞ぎスタンガンでハンスが気絶させられた事に誰も気付かないままであった。