キルヒアイスがミッターマイヤーの身元引受人として警察署に赴き、事情を説明してミッターマイヤーは無事に釈放された。問題はハンスである。
ミッターマイヤーをパトカーに乗せた後で私服警官が被害者であるハンスを探したが見つからないのである。
取り敢えずミッターマイヤーを署に連行してからバックの中身を確認したら大量の現金が発見された。同時にミッターマイヤーの供述から事情を知りラインハルトの元帥府に確認の連絡を入れてキルヒアイスに身元引受人として警察署に来てもらい互いの情報交換となったのである。
「元帥閣下からは誘拐事件となれば警察の領分であり元帥府としては警察主導で全面協力を惜しまないとの事です」
「ご協力を感謝します」
この様な経緯でラインハルトの執務室は清掃員姿の刑事と軍人の合同捜査本部となった。
「私が捜査責任者のクラウス警部です。今回、元帥閣下には署の者がご迷惑を掛けました」
「いや、本来なら最初に卿らに通報するべきだった案件を素人が手を出して複雑にしてしまった。此方こそ謝罪するべき事だ」
ラインハルトが頭を下げた事に警官達は驚いた。まさか、帝国の若き英雄である元帥が警部等の小役人に頭を下げるとは思っていなかったからだ。
そのまま謝罪合戦に突入する前にキルヒアイスが本筋に話を戻す。
「それで、警部。私達は誘拐事件等は専門外の素人です。捜査について説明を願います」
「大佐が御自分の携帯端末で此方の非常回線電話に連絡したなら、犯人側も連絡には此方の非常回線電話を使うと思われます。それと、大佐が誘拐された事は出来るだけ限られた人間のみに知らせて下さい」
クラウスの説明と要望にラインハルト達も首肯するしかなかった。
「それと、大佐の御家族もお呼び下さい」
「了解した」
急遽、姉であるヘッダが呼ばれた。ヘッダが到着すると同時にミッターマイヤーがヘッダに謝罪する場面もあったがヘッダは誘拐される弟がドジと一刀両断にした。
(流石はミューゼル大佐の姉だ)
ハンスを知る軍人達は口にしなかったが妙に納得したものである。
この時点で既にハンスが誘拐されてから4時間が経過していた。
「しかし、あの大金は何の金だったのだろうか?」
ミッターマイヤーが事件の元になった現金に対する疑問を呈する。
「ミューゼル大佐は麻薬捜査の関係の仕事もしてました。その関係の線は?」
キルヒアイスがミッターマイヤーの疑問に答える形でクラウスに情報を提供する。
「いいえ。その線は無いと思われます。現金には銀行の帯封がされてました。麻薬組織が扱う現金なら帯封は無い筈です。既に部下が帯封をしていた銀行に聞き込みに行っています」
クラウスがキルヒアイスの疑問に答え終えた時に非常回線電話が鳴った。
「まず、最初は大佐の知り合いの方が出て下さい」
クラウスの指示でロイエンタールが最初に電話を取る。
「はい。もしもし」
「あっ、マスター。悪いけど姉貴は戻っているかな?」
「ハンスか?ちょっと待ってくれ。今、確認してくる」
ロイエンタールが目だけで捜査課長の指示を乞う。捜査課長も目だけでヘッダに指示を出す。
「いたぞ。今、代わる」
「あっ、姉貴。赤ちゃんは三階に預けたから安心して。それから、今朝、姉貴に渡したバックの中身の半分だけを持って来て欲し」
ハンスが喋りきる前に電話の向こうから打撃音が聴こえた。
「てめえ、何、勝手な事を言っているんだ」
「何だと、誘拐した泡銭じゃないか!こっちはお前らの顔を見てんだ。口止め料だよ!」
受話器から聴こえるハンスと犯人の会話に一同の顔に緊張が走る。
ハンスが手にした大金は誘拐事件の身代金であり、ハンスは誘拐犯達に拉致されているのだ。
「いいか。よく聞けよ。弟の命が大事ならバックの中身には手をつけずに持って来い!」
「わ、分かったわ。何処に持って行けばいいの?」
「場所は後で連絡する」
「ちょっと、待って!」
ヘッダの呼び掛けを無視して電話が切られる。
「逆探知に成功しました。ノイケルン区のMSZ-006です!」
逆探知をしていた若い刑事が興奮気味に報告する。
「軍部の方とハインツは、この場で待機して下さい。残りは現場に急行する」
清掃員姿のままの刑事達が執務室を出て行く。最後にクラウスがヘッダに声を掛ける。
「大丈夫です。フロイライン・ヘームストラ。弟さんは利口な方です。自分が殺されない様に保険も掛けてました」
捜査課長の言葉にヘッダは安心した様にソファーに座り込んだのを見て部屋を出ようとした時にクラウスの携帯端末が点滅した。
「私だ。何、大金の持ち主が判明した」
クラウスに全員が注目する。
「昨日、歯科医師が自分の預金から全額を引き出した。名前はホルスト・シューマン、住所はルードウ区SCVー70」
ハインツが素早くメモを取る。
「そのままにして様子を見ろ。子供が誘拐されている。そして、犯人の一味が監視している可能性もある。取り敢えず、さりげなく近所の聞き込みをしろ。それと私は逆探知場所に急行する。以後の連絡はハインツにしろ」
クラウスの矢継ぎ早の適切な指示にラインハルトも目を見張る。
(ほう。軍部以外にも人材とは居るものだ。優秀な人間が警部程度に留まるとは勿体ない事だ)
ラインハルトは自分が至尊の座についた時は軍部だけでなく全ての省庁の人事について刷新する事を決めた。
クラウスが電話の応答をしてる間にキルヒアイスが逆探知場所と地図を照合している。
「発信場所は工場地帯ですね。それも廃工場の様です」
「あの辺りは以前は大手企業の下請けの小さな工場が沢山あった場所だからな。今は廃工場も少なくない」
ロイエンタールが場所について説明をする。
「卿は詳しいな」
ミッターマイヤーが親友の意外な知識に驚く。
「そうでもない。父親が以前にあの辺りに工場を持っていたんだ。父親が死んだ時に管理が面倒だから売ったのだが、その後で大手企業の粉飾決算が明るみになって倒産した時に下請け企業も連鎖倒産したらしい。未だに役所も管理が行き届かないらしい」
「犯罪者がアジトにするには絶好の場所という事か」
ミッターマイヤーとロイエンタールの会話を聞いていたハインツがロイエンタールの話をクラウスに慌てて伝える。
「提督、知っている事は、どんな些細な事でも提供して下さい」
「いや、すまん。この様な知識も必要とは思わなかった。以後は気を付ける」
ロイエンタールが謝罪した直後に今度はハインツの携帯端末が光る。
「はい。ハインツです。えっ、三日前から奥方が子供を公園に連れて来ていない。赤ん坊に日光浴させる事が日課になっていたので赤ん坊が風邪でも引いたかと近所の人も心配している。分かりました。警部に伝えておきます」
ハインツの応答を聞いていた。ハンスを知る軍人に一つの事が確信に変わった。
一同を代表してキルヒアイスがハインツに話す。
「ハインツ刑事、先程のミューゼル大佐の赤ん坊は預けた安心しろと言うのは、あの時点で人質の赤ん坊は無事との意味だと思われます。それと、三階と言う言葉も犯人は三人組との意味だと思われます」
キルヒアイスの意見にハインツも驚嘆するしかなかった。
「ミューゼル大佐は私よりも遥かに年下なのに、何処まで機転が利く人なんです。流石は十代で大佐になる人だ」
ハインツがクラウスに報告する前にクラウスからの連絡がラインハルトにきた。
「私だが、そうか、既に移動した後だったか。ミューゼル大佐のDNAデータと指紋のデータは直ぐに用意が出来る。分かった。其方にデータを送ろう」
ラインハルトがキルヒアイスに命じてハンスのDNAデータと指紋のデータをクラウスに送らせる。
その間に先程、ハインツに話した事をクラウスに直接に話をする。
ラインハルトがクラウスとの通信を切った後に全員に報告内容を説明する。
「犯人達は既に現場を移動した模様である。現場にあった足跡から犯人は女性を入れての三人組。現場には血痕と牛乳瓶の蓋が落ちていたそうだ」
「牛乳瓶の蓋と言うとあの紙で出来ている蓋ですか?」
ロイエンタールがラインハルトに確認を取る。
「そうだ。蓋には指紋が一つだけ残っていたらしい。既にクラウス警部が牛乳瓶の蓋について製造元に問い合わせをしている」
ミッターマイヤーが何かを思いついた様でハインツに近寄る。
「その、誘拐された歯科医師の近所に牛乳屋は無いか現場の刑事に聞いてみてくれないか?」
ミッターマイヤーの話にラインハルト以外が反応した。
「どう言う事だ?ミッターマイヤー」
「はい。閣下。私の実家では母がカルシウムを取る為に牛乳屋から牛乳を配達して貰っていたのですが、最近の牛乳は乳児用から老人用まで数種類があるのです。もしかしたら歯科医師も赤ん坊用の牛乳を牛乳屋に配達して貰っていたのかもしれません」
ミッターマイヤーの説明でラインハルトもミッターマイヤーの言わんとする事が分かった。
「卿は牛乳の蓋にミューゼル大佐の指紋が出る様なら牛乳屋が犯人とミューゼル大佐が示唆していると言いたいのだな」
「はい。閣下。ミューゼル大佐は此方が逆探知している事も承知で血痕を残しているのに指紋付きの蓋も残すのは牛乳屋を疑えとのメッセージだと思われます」
ミッターマイヤーの説明を聞いたラインハルトがクラウスに連絡するがクラウスからの返答は芳しくなかった。
「確かに牛乳屋が怪しいですが、それだけでは令状を取る事は出来ません。帝国の何処かで誘拐事件が発生しているのは事実ですが、それがシューマン夫妻の子供との確証も、まだ、ありません。閣下、我々と犯人達の戦いは始まったばかりなのです」
クラウスが言う通り犯人達との戦いは始まったばかりなのである。
今回は長くなりましたので次回はエピローグになります。