多少、鬱になる内容ですので苦手な方は注意して下さい。
誘拐事件の翌日、ハンスは病院のベッドで唸っていた。
(頭がガンガンする。吐き気も酷い)
ベッドの横ではヘッダとマリーが角を突き合わせている。
(俺、何か悪い事をしたかな?)
周囲の人間が聞けば「自覚が無いのか?」と言いたくなる事を思っているとラインハルトとキルヒアイスが見舞いに訪れた。
「美人に囲まれて羨ましいぞ。ハンス」
病室に入るなり嫌味を言うラインハルトであった。
(前は逃げた癖に!)
「喜べハンス。警察と軍務省から感謝状と金一封を預かって来ているぞ」
言い終えたラインハルトの肩が震えている。
「まあ、名誉の負傷には違いがないが……」
ラインハルトは我慢が出来ずに俯いて笑い出す。
「ラインハルト様、笑っては失礼ですよ」
窘めるキルヒアイスの肩も震えている。
「そう言うキルヒアイスも笑っているじゃないか」
ハンスはベッドに俯せになり上半身はパジャマだが下半身は下着も着けずに臀部を丸出しである。その丸出しの臀部の上に段ボール箱を被せてから布団を被せているから布団が臀部の部分だけ盛り上がっている。
原因は冷蔵室で赤ん坊を抱えて床に長時間スニーカーの上とはいえ座っていたので臀部だけが凍傷になってしまったのである。
ハンスにしたら薬を塗る為とはいえ臀部を若い看護婦に見られた上に触られるのは羞恥心を刺激されるのである。
更に二日酔いである。体を温める為にヘッダからブランデーを飲まされ風呂に入れられたのだから当然の結果である。
頭痛と吐き気の波状攻撃でラインハルトに何か言い返す余裕もない。
そこにマリーとの戦いを一時中断してヘッダが弟の為の援軍となる。
「お忙しいのに見舞いに来てもらい感謝に堪えませんわ。お兄様!」
ヘッダのお兄様発言でラインハルトの笑顔も凍りつく。
「フロイラインは何を言われるのかな?」
「あら、ハンスが弟なら私より年長の閣下にしたら、私は妹になるじゃありませんか!」
「そう言えばミューゼル大佐の事を大事な弟分と言ってましたね」
キルヒアイスもヘッダの味方として参戦する。
「キ、キルヒアイス!」
ヘッダとキルヒアイス連合にラインハルト。それに好奇心を刺激されたマリーと病室は大騒ぎになる。
(こいつら、病室だぞ!)
声に出して文句を言う気力も体力も無いハンスであった。
この日の騒ぎは婦長から怒られるまで続きハンスが退院する日まで繰り返される事になる。
そして、退院後、一日だけ自宅療養した後に出仕したハンスを悲報が待っていた。
出仕したハンスはラインハルトに呼び出されて執務室に入るとラインハルトとクラウスが待っていた。
お互いに挨拶をした後でラインハルトと共にソファーに座りクラウスから事件の報告を受けた。
「昨日、誘拐に関しての取り調べが終わりました。そして、誘拐事件が新しい事件を引き起こしました」
「他に余罪があったのか?」
ラインハルトの質問にクラウスは苦い顔をして応える。
「余罪と言えば余罪になるかもしれません。カールは自分の子供を誘拐して殺そうとしたのです」
「えっ!」
ハンスが思わず声を出してしまった。
「つまり、誘拐した赤ん坊は歯科医師の子供ではなく歯科医師の妻と牛乳屋の夫との間の子供だったのか?」
「はい。しかし、カールは妻のビビアナの事を愛していたのでしょう。母親が死んだ事を契機にフェザーンで二人でやり直すつもりで狂言誘拐を考えついたのです」
「では、歯科医師の妻もグルなのか?」
「はい。歯科医師の妻も夫から手切れ金を引き出す為に狂言誘拐に協力しました。歯科医師のシューマンも牛乳屋のビビアナも互いの伴侶の不貞の事を知りませんでした」
「では、あの日の引っ手繰りは?」
「事情を知らないビビアナと弟のテオドールの犯行です」
「カールは妻を裏切り愛人も裏切ったのか」
「そういう事になります。閣下。これにはビビアナも怒り心頭で拘留中ですが既に離婚手続きを始めています」
「妻の立場からすれば当然の事だ」
流石のラインハルトもビビアナには同情していた。
ハンスはテオドールからバッグを取り返した事を後悔する気持ちが生まれていた。
ハンスの行動で二組の夫婦が破滅したのだ。
クラウスの胸ポケットから携帯端末の音が鳴った。
「緊急回線の音ですので失礼します」
ラインハルト達の前で携帯端末で話を始めるクラウスの顔は段々と深刻になっていくのを見て、ラインハルトとハンスも心配顔になりだす。
「シューマンが妻を殺害して自分も自殺しました。赤ん坊は無事だそうです」
ラインハルトが咄嗟に心配したのはハンスの事である。敵兵にも同情するハンスが二組の夫婦の破滅と二人の死と一人の赤ん坊を不幸にする引き金を結果として引いたのだ。
「卿は軍人として人として賞賛される事をしたのだ。卿に罪は無い!」
「大丈夫です。閣下。私は閣下が思っている程の善人ではありません。それでは仕事がありますので私は失礼します」
ハンスの言葉はハンス自身の顔が裏切っていた。血の気が引いた顔で言われて誰が信用するであろう。
「しかし、卿は……」
心配するラインハルトをクラウスが目で止める。
ハンスが出て行った扉を見ながらクラウスが止めた理由をラインハルトに説明する。
「警官なら多かれ少なかれ経験がありますが一人になるのが一番の薬です」
「分かった」
ラインハルトは自分が若僧である事を自覚していた。
(帝国元帥と言われても傷心の少年も癒す事が出来ないとは笑止な事だな)
「しかし、閣下は良い部下を持たれましたな」
「うむ。私の自慢の部下だ!」
ラインハルトがハンスの前では絶対に言わない事であった。
しかし、ラインハルトは知っていた。ハンスの心は年齢に似合わない程に満身創痍である事に。
そして、それがハンスの優しさの源泉である事に。