昨夜の記憶が無いハンスは悩んでも仕方がないとシャワーを浴びて心の整理をする。
良くも悪くも二回目なので立ち直りは早い。
シャワーを浴び終わり身支度を終わらせた時に訪問者が来た。
「ミンツ君じゃないか。昨日は裏切りおって!」
「昨日は失礼しました。ところでヤン提督がお呼びです。執務室までご足労を願います」
「了解した。じゃあ、行こうか」
ヤンの執務室には当然ながらフレデリカもいる。
執務室の扉が開いて、お互いを認識した途端にハンスは顔を緊張させるし、フレデリカは顔を明後日の方向に向けるが耳まで赤くなっている。
(大尉も准将も純情だな。一昨日の事を気にしているとは)
戦争以外は鈍感なヤンは見当違いも甚だしい事を内心で思ったが口に出したのは真面目な話である。
「先程、非公式ながら国防委員会から通達がありまして、帝国の提案を受諾するそうです。細かい部分はフェザーンの互いの弁務官事務所で行うそうです」
「了解しました。小官もヤン大将閣下も軍人なので交渉事が本職の弁務官事務所に任せた方が賢明でしょう」
「それで、正式な受諾の文書は夕方になるそうです。准将が来られたのが土曜日の午後でしたので関係各部署が今朝まで閉まっていた為に遅くなってしまいました」
「気にしないで下さい。此方がアポも取らずに押し掛けて来たのですから」
「そう言って貰えれば助かります。此方が文書の草稿です。不都合な部分があれば指摘して下さい。すぐに修正します」
「ちょっと待って下さい。私は書類仕事に明るくないので、部下に明るい人間がいますので部下に確認してきます。書式の問題が有りますので大尉をお借りしたいのですがよろしいでしょうか?」
「分かりました。では、頼んだよ。大尉」
「了解しました」
こうしてハンスはヤンの前からフレデリカを連れ去る事に成功した。
一応は本当に部下に確認してもらい問題無しと太鼓判を押されたハンスは部下を下がらせた後にフレデリカに昨夜の事を質問する。
「大尉、小官は昨夜は大尉達に失礼な事をしませんでしたか?」
ハンスは顔を赤くしているがフレデリカも顔を赤くして答える。
「いえ、閣下は泥酔しても紳士でしたわ。しかし、昨夜の事は忘れた方が宜しいです。宇宙には知らない事が幸せな事も有ります」
フレデリカの言葉にハンスは素直に従った。一方、フレデリカも昨夜の事を誤魔化す事が出来たので内心は安堵していた。
これ以降、この件は二人が触れる事は生涯なかった。
自室に帰って来たハンスは昨夜のチップを銀行に持って行き新品の紙幣と硬貨に両替してもらい帰りに文房具店で額縁を買うと薔薇の騎士の詰所に寄った。
「閣下。この様な所に如何なさいました」
リンツが慌てて応対する。
「すいませんが工具を貸して欲しいのですが」
「別に構いませんが、何か修繕するなら私達がしますよ」
「そんな事ではなく、ちょっと土産物を作るつもりなんです」
「はあ……」
ハンスは銀行から両替した新品の紙幣と硬貨を二枚ずつ表と裏を額縁に入れていく。
「何をしているんですか?」
「帝国の金持ち連中の土産でね。連中は金があるからイゼルローンで売っている物はフェザーン経由で持っているけど、同盟の通貨は珍しいだろうと思ってね。フェザーンはマルクが使えるからディナールは見る事が無いからね」
リンツもハンスのセコさに呆れながらも感心していた。
「そして、イゼルローンのデパートの包装紙に包んだら立派な土産の出来上がり!」
「ほぼ詐欺ですかな」
「詐欺は酷いなあ。せめてペテンと言ってよ」
「それじゃ、うちの司令官ですよ」
ペテンの片棒を担いだリンツが自覚もなく上司を扱き下ろす。
「ヤン提督も大変だな。上司を平気で扱き下ろす部下を持って」
ラインハルトが知れば呆れる様な事を自覚の無い部下が言う。
「それでは工具と場所を借りた代金の代わりに食べて下さい」
ハンスが包装紙を土産物に取ったクッキーを置いた。
「こりゃ、有難い。私達は甘い物に目が無いんですよ。おい、ブルームハルトとお前も此方に来て頂け!」
リンツに呼ばれた青年は力なく頷いた。
「彼、具合でも悪いんじゃないの?」
リンツがハンスの耳元で囁いた。
「体の不調なら、まだマシです。医者にも治せない病気でしてね」
「もしかして、アレかい?」
「そうなんですよ。昨夜、酒場で流しの踊り子に一目惚れしましてね」
「そりゃ、大変だ。あの種の仕事の女性は偽名を使って、目標の額を稼いだら、すぐに足を洗うからね。それも大抵は出稼ぎだから、イゼルローンならハイネセンとかに帰ってしまうだろ」
「ええ、 だから、本人も自分が見つける前に彼女が帰るかもと思って、あの通りなんですよ」
「見つかるといいね。私も祈っておくよ」
ハンスの祈りも虚しくブルームハルトの相手は見つかる事がなかった。
自室にお手製の土産を置いた後に話は再びヤンから呼び出された。
「早いですね。もう送られて来たのですか?」
「准将には大変申し訳ありませんが、事務方の手違いで明日になるそうです」
「それは仕方が有りません。ヤン提督の責任では無いので頭を上げて下さい」
もう一日、イゼルローンに滞在が出来る事を喜びながらもハンスは頭を下げるヤンに寛容に接する。
(さてと、お土産は確保したし小遣いも手に入ったし、今日は女性連れでもないから大人の店に冒険でもするか)
実は最初から、これが目当てで使者の役目を引き受けたハンスであった。
「それから、無許可の軍事施設の立ち入りは禁止ですが、未成年が立ち入り禁止の場所も閣下は立ち入り禁止です」
「えっ!何で?」
「私の伝達ミスですが一昨日、准将達がイゼルローンに入港と同時にローエングラム元帥の名で准将を未成年立ち入り禁止の場所に入れない様に通告がありました」
ハンスの考える事などラインハルトはお見通しであった。フレデリカが同じ場に居なかったらヤンの前でもラインハルトを罵倒していたハンスである。
「元帥閣下も冗談がきつい。私が如何わしい場所に行く筈がないのに!」
しかし、ラインハルトとハンスでは俗世間の知識はハンスが上であった。
自分が行けないなら自分の所に呼べばいい。ハンスには昨夜のチップの残りもある。
だが、ハンスは自分の知名度とヤン艦隊の誠実さと物分りの良さを知らなかった。
フレデリカがハンスと同年代の婦人兵との合コンを企画したのである。
(そりゃ、若い娘かもしれんが自分の孫と変わらんぞ。未成年相手に酒抜きの合コンとかロリコンじゃあるまいし)
ハンスは中身は八十歳近い老人である。
十代の少女などは孫の世代である。
まして、フレデリカもいるがフレデリカは未来のヤン婦人と知っているから口説く気にもなれない。
それでも、少女達に愛想を振り撒き場を盛り上げる為にサービスするハンスであった。
翌朝、ハイネセンから正式な文書が届き昼前には出発する帝国軍であった。
艦橋では艦長以下の乗組員が鬼の居ぬ間の心の洗濯をした様で朗らかな雰囲気である。
ましてやラインハルトがヤンに通達した内容も皆が知っているのである。
他人の不幸は密の味と笑う乗組員なのが憎らしい。
「まあ、数年後には閣下も堂々と遊べるじゃないですか!」
艦長が本気で慰めてるのか皮肉なのか判断が難しい発言をする。
「皆さん。楽しまれたみたいで宜しかったですね!」
「閣下のお蔭で私達は楽しめましたよ!」
「家族にも珍しい土産も買えました!」
艦橋の乗組員からも本気とも皮肉とも判断し難い言葉が掛けられる。
「ふん!」
ハンスは不貞腐れたふりをして艦橋を出て行く。
「お前ら酷い奴らだな。閣下は全然、楽しめてなかったのに」
「まあ、いいんじゃないですか。閣下はあの、ヘッダ・フォン・ヘームストラと同居しているんだぜ」
「本当だよな。あんな美人の姉がいるとか羨ましいぜ」
因果応報の見本市になっていた。日頃からラインハルトに対する僻みが反射してハンスに返って来ている。
ハンスは物陰で隠れて乗組員の本音を聞いていた。
(ラインハルトも連中も甘いね。イゼルローンに行って手ぶらで帰る筈がないのに!)
ハンスは合コンの日の昼間に帝国軍の若い兵士に小遣いを与え、自分の代わりにポルノショップで買い物をして中身を自分の端末にコピーしていたのであった。
(帝国はポルノも厳しい国だが、同盟はポルノが緩い国だからなあ)
ハンスは家で一人の時に楽しむつもりでいたが、すぐにヘッダにバレて三日間程、家に帰れなくなり元帥府で寝泊まりする未来を知らない。
緩い国と言われた同盟の人々は去り行く帝国軍巡航艦を見送っていた。
「しかし、ミューゼル准将一人を麾下に置いた事だけでもローエングラム侯の器量が分かるね」
「そうですね。もし弟を持つならミューゼル准将の様な弟を持ちたいですわ」
「僕と二歳しか違わないのに立派な人でしたね」
「戦争は尊敬できる立派な人と殺し合う事だ。如何に罪悪な事か分かる」
帝国側の事情を知らないヤン艦隊の面々はハンスの事を誠実で品行方正な若き将官と思っていた。願わくば戦場以外の場所で再会する事を期待して巡航艦の姿が消えるまで見送り続けた。