ハンスは約束通りにガルミッシュ要塞に帰還する道中でリッテンハイム侯の秘蔵の酒蔵を解放してパーティーを開いた。
「ガルミッシュ要塞に着くまでには酒が抜ける程度にする様に」
ベルゲングリューンも苦笑しながらも黙認してくれていた。
「しかし、最初の戦いでは一隻で三隻もの相手に勝つ事が出来たな」
ベルゲングリューンも405年物の赤ワインを飲みながらハンスに聞いてくる。
「まあ、考える暇は有りましたからね。それに、時間稼ぎをすれば、提督が必ず来てくれると分かっていましたから」
「俺が参謀長に媚びを売ると思わなかったのか?」
「まさか、そんな人物なら例のアレを黙認する筈がないでしょう」
ハンスに言われてベルゲングリューンは例のアレについては追及が出来なくなった。
「それに、参謀長は媚びを売っても買う人ではありませんよ」
このハンスの評にはベルゲングリューンも同意するしかなかった。
「まあ、悪い人じゃあないですし、真面目で平等な人なんですけど」
オーベルシュタインが上官のキルヒアイスの処遇の事でラインハルトに色々と言っている事はベルゲングリューンの耳にも入っている。
「確かに、参謀長の言う事は正論なんだが……」
ベルゲングリューンにしたら年下ながら敬愛する上官の事を言われると面白くはないが正論なので文句も言えないのが現状である。
(まあ、オーベルシュタインはラインハルトの軍事ロマンに毒されてない数少ない人だからなあ。生粋の軍人には煙たがられるだろう)
「まあ、この戦いが終わり同盟と和平条約でも締結すれば平和になる。そうなれば軍で参謀長が危惧する事もなくなるでしょう」
「おい、卿は同盟と和平条約が成ると本気で思っているのか?」
「別に不思議じゃないでしょう。同盟も内部抗争で攻める力は無いでしょう。帝国も内政に力を入れる時期に入ります。戦争をしてる暇は無いでしょう」
「しかし、どちらかが先に力を回復したら、また戦争になるぞ」
「その時までに数十年は掛かるでしょう。数十年の間だけの平和でも戦争するよりはマシでしょう」
「そうなれば、卿も安心して軍を辞められるか」
「はい、元帥府の前で屋台でも引きましょうかね。その時は贔屓にして下さいよ」
「卿も男なら高級レストランの一軒でも持つとは言えぬのか?」
「そんなの人を雇って気を使うじゃないですか!」
(人に気を使う性格か?)
思った事を口に出さないのは大人の嗜みである。口に出したのは別の事であった。
「しかし、旨いワインだな」
「そうですか?それ渋くないですか?」
(こいつ、ワインの味も分からんとは、こいつは別の意味で高級レストランを経営するのは無理だな)
「それでは、俺も部下を待たせているからな。卿らも、パーティーは早めにお開きにしないと仕事に差し支えるぞ」
口では真面目な事を言いながら、ちゃっかりとワイン数本を部下達の土産に持って帰ったベルゲングリューンであった。
「はい、皆さん!お開きですよ!」
パーティーの終了を宣言するとハンスは自分も残りのビールを飲み干して艦橋に戻る為に食堂を出る。
(しかし、長かったなあ。後はアンスバッハを始末するだけだな)
無駄な流血を嫌うハンスもアンスバッハの様な忠臣は殺すには惜しいとも思うが、仕方がないと割り切っているハンスであった。
割り切る事が出来るのは、本人に自覚が無いがハンスも戦乱の時代の人間であったから。
「今回は不問にしますが、この様な品は個人で楽しんで下さい」
ガルミッシュ要塞に到着したハンスはキルヒアイスの執務室に呼ばれ少将に昇進の辞令と一緒に説教もされた。
お調子者がハンスが流したアレをコピーしていてキルヒアイスに渡したらしく、ベルゲングリューン部隊の全艦とオストマルクのコンピューターから記録を消去した上に、どさくさ紛れに兵士達がコピーした光ディスクの回収も行われた。
(堅物だと思っていたが、ここまでだと思わんかった)
これが、温厚なキルヒアイスだったから良かったがラインハルトなら更に悲惨な結果になっていた事だろう。
「それから、ミューゼル少将が出撃した後からですが、ガイエスブルク要塞からは投降者が続出しているそうです」
「ヴェスターラントへの熱核兵器攻撃が原因ですか?」
「ヴェスターラントが原因と言えば原因なんですが、ミューゼル少将は学校では歴史は、どの辺りから習いましたか?」
キルヒアイスが場違いな質問をして来たが、取り敢えず答える。
「銀河連邦の設立前後からですね。地球時代は簡略化した授業でした」
「十三日戦争は?」
「それは、必修でした」
「それを聞いて安心しました。これは、帝国の士官学校で使用されている教材ですが、まずは観て下さい」
壁のモニターに熱核兵器を使用された地上の地獄が映し出される。
「これは?」
映像の悪さからヴェスターラントの風景では無い事は理解出来る。
「十三日戦争の時の映像です。余りにも悲惨な映像の為に一般では閲覧禁止指定にされている資料です」
「まさか、これを流したのですか?」
「はい、参謀長が帝国中に流しました」
「そりゃ、これを見れば将兵だけじゃなく貴族も見限るでしょう」
ハンスも八十年近く生きて来たが初めて観る映像である。
考えてみれば、ラインハルトもキルヒアイスも幼年学校までしか進学をしていない。士官学校出身のオーベルシュタインならではの策である。
「自分達の盟主が人類史上の禁忌を犯したのです。投降者が続出して投降者の話では貴族の中には絶望して自殺する者も出ています」
「ガイエスブルク要塞も中から崩壊ですか?」
「いえ、まだ頑迷に抵抗する者達も少なくありません」
「無益な事を……」
既に戦いの帰趨は決していた。頑迷な貴族達が現実逃避して足掻いているだけである。
「少将には帰還して落ち着く暇もありませんが、分艦隊を率いて、すぐにガイエスブルク要塞に向ってもらいます」
「数で圧倒して抵抗の意思を挫くのは分かりますが、自分に分艦隊を率いるのは無理です。自分は参謀教育も艦隊運用教育も受けてませんよ」
「安心して下さい。分艦隊の司令部はベテランの人材を配属します。リッテンハイム侯の率いた軍を吸収して提督が足りないのです。だからと言ってガルミッシュ要塞に残す訳にはいかないのです」
「閣下の麾下にはビューロー提督やベルゲングリューン提督が居るでしょうに、自分に無理をさせなくても大丈夫でしょう」
「既に二人には規定限界の兵を率いてもらってます。諦めて下さい」
「仕方ないですね。諦めます」
ハンスはすぐに諦めた事を後悔する事になった。ガイエスブルク要塞に向かう道中で司令部のベテラン達から参謀教育と艦隊運用についてスパルタ教育をされる事になった。
「閣下は仮にも提督なんですから、分艦隊程度はご自身で運用が出来てもらわねば困ります!」
(しまった。昇進すると研修があるのを忘れていた)
研修の教室と化した艦橋でベテラン達からスパルタで艦隊運用と参謀教育をされてるハンスを見て艦橋の乗組員達はハンスに同情したが助け舟を出す気は無いらしい。
(早く、ガイエスブルク要塞に到着して!)
「ガイエスブルク要塞に到着する迄に、全てを終わらせますよ!」
ハンスの胸中を見透かしたベテラン勢はハンスの怠け心に釘を刺す。
(鬼!)
この様にハンスは鬼教官と化したベテラン達の研修でガイエスブルク要塞に到着した時はフラフラであった。
(ガイエスブルク要塞が既に陥落したと思って遠慮なく扱きやがって!)
ハンス達が到着する前にガイエスブルク要塞は陥落しており到着するとラインハルトが出迎えてくれた。
「ハンス、元気が無いな。どうした?」
全ての事情を知っていてラインハルトが笑顔で聞いてくる。
「そりゃ、少将研修で扱かれましたからね」
「ふむ。まだ、元気があるみたいだな」
「はい、研修は終わりましたから!」
「そうか。なら卿は今から中将に昇進だ。引き続き中将研修を受ける様に!」
「えっ!」
ラインハルトが満面の笑みで言う。その後ろではロイエンタールが冷笑を浮かべている。
「もしかしたら、レンテンベルク要塞の事を根に持ってますね!」
ラインハルトは涼しい顔で否定する。
「卿は何を言っているのだ。レンテンベルク要塞を無血開城した功績で中将に昇進させるのだ。信賞必罰は当然の事ではないか」
「オーディンに凱旋してからで良いじゃないですか!」
「今回の戦いの戦後処理が忙しくなるからな。卿にも早めに昇進してもらい戦後処理を手伝ってもらわないと困る」
ラインハルトの後ろで笑いを噛み殺しているロイエンタールの更に後ろでミッターマイヤーやビッテンフェルトが器用な事に声を出さずに笑っているのがハンスには見える。
どうやら、ハンスには味方は居ない様である。
「つ、慎んでお受けします」
「では、頑張ってくれたまえ。ミューゼル中将」
ラインハルトが立ち去った後にロイエンタールが目の前で立ち厳かな口調で宣言する。
「私が卿の研修の教官を務める事になった」
ロイエンタールの色違いの左右の瞳には報復という色の光が宿っていた。
「もう、好きにして!」
その後、言葉通りにロイエンタールに好きにされてしまったハンスであった。
ガルミッシュ要塞からガイエスブルク要塞までの間に不幸の階段を上っている心境のハンスであった。
階段を上る度に不幸がパワーアップしているのは気のせいだろうか。
「不幸の階段のぼる。僕は、まだ未成年さ」
中身は八十過ぎているのに図々しい事を歌にして唄うハンスであった。