ロイエンタールも驚いたがハンスは意外な事に中将研修を一日で終わらせた。
少将も中将も研修内容は殆ど同じなのだから当然と言えば当然でもある。
ハンスは仕返しが出来なかったロイエンタールの機嫌取りと自分の昇進祝いとヴェスターラント攻撃阻止を手伝ってくれたミッターマイヤーに礼を兼ねて酒宴を開いた。
ロイエンタールはハンスの作った手料理を肴に赤ワインの逸品を楽しんでいる。
「うむ、実に旨い。この肉の歯応えとソースが絶妙だな」
「同感!」
ミッターマイヤーもハンスが持ち込んだ赤ワインを飲みながら同意を示す。
「しかし、平民の出のミッターマイヤー提督なら分かりますがロイエンタール提督は金持ちの出でしょう。自分みたいな素人じゃなく、プロの料理を食べ慣れているでしょうに」
ハンスも自分の料理を誉められて悪い気はしないがロイエンタールの反応が不思議でもある。
「卿の料理は変に気取ってなく実に酒に合う」
ロイエンタールの発言は意外にも正鵠を射ていた。ハンスがロイエンタールに出す料理は逆行前の世界で安酒場で働いていたハンスが、客に酒を注文させる為に考案した料理なのだから、気取る必要も余裕もなく酒を飲む為の料理なのである。
「俺は卿が軍を辞めて店を開く事を心から応援するぞ!」
「おい、ロイエンタール。迂闊な発言は止めておけ」
ミッターマイヤーもハンスが軍を辞めて店を開く事を個人的には応援したいが公人としてハンスが野に下る事は反対である。
ラインハルトに遠慮なく諫言できるのはハンスの他にオーベルシュタインとキルヒアイスだけである。
ハンスは諫臣として貴重な存在と言えた。ハンスはラインハルトに対して情理を尽くして説得が出来る貴重な存在ある。オーベルシュタインは理論による説得に傾倒している。そして、キルヒアイスはと思考を進めた時に嫌な噂を思い出してしまった。
「そう言えば、ロイエンタール。元帥とキルヒアイスがやり合った噂を知っているか?」
「それは本当の話か?」
「あくまで噂だが……」
「危険な噂だな。どうせ、参謀長のNo.2不要論が火種だろう」
「確かに頭が切れる男だが理屈に合わぬからと言って、現状で上手くいっているものを無理に変える事もあるまい」
「確かに論として一理あるが平地に乱を起こす様なものだな」
「それは、問題が無いと思いますけどね。No.2不要論も実際は机上の空論ですよ」
一刀両断でオーベルシュタインの論を切り捨てたハンスに二人が驚いて注目する。
「卿は参謀長殿と反対意見の様だが、後学の為に是非とも拝聴したいもんだな」
ロイエンタールが意地の悪い笑みを浮かべてハンスに話を促す。
ミッターマイヤーは親友の悪い癖が出たと思ったが純粋にハンスの意見を聞きたいと思い黙っている。
「そりゃ、普通に考えて上司と部下の間を取り持つ人間が必要でしょうよ。所謂、中間管理職ですけどね」
あまりにも一般的な意見に二人の提督は肩透かしを食らった気分だが、確かにラインハルトと諸提督の間を取り持つ人物がいる。
まずはオーベルシュタインは論外である。オーベルシュタインと話をする度胸が有ればラインハルトに直接に話が出来るだろう。
そうなれば当然の事にハンスとキルヒアイスしか居ない。
「先に言っておきますが、自分は艦隊に関しては素人ですからね。それ以前に未成年を頼りにしないで下さい」
二人の提督は釘を刺されて互いの顔を見た。
確かに提督とか閣下と呼ばれる大人の男が未成年に頼るのは情けないと言える。
「そうなれば、キルヒアイス提督しか人は居ないでしょう」
ハンスは現状維持が望ましいと言っている。
「それに、件のやり合った話もキルヒアイス提督が毎度の事で、元帥閣下に説教しただけでしょう」
事も無げに言い切るハンスに噂を聞いたミッターマイヤーが疑問をぶつける。
「卿は何故、そう言い切れるのだ?」
「ガルミッシュ要塞を出る時にキルヒアイス提督に釘を刺しておきましたから」
「何だと!」
二人の提督が異口同音に声を出す。
「ヴェスターラントの件でミッターマイヤー提督に言いましたが元帥閣下は参謀長に見事に乗せられましたからね。キルヒアイス提督の性格からしたら腹を立てると思いまして釘を刺しておきました」
ミッターマイヤーの顔が青くなる。この少年は自分にヴェスターラントの件を依頼をしてきた時に確かに、それらしい事は言っていたが正確に事態を読み既に対策を取っていたのだ。
ラインハルトやキルヒアイスがハンスを軍に留めたがる理由をミッターマイヤーは理解した。
ヤン・ウェンリーが戦場の心理学者と呼ばれ正確に事態を予測したのは、ヤンの桁違いの洞察力に寄るものであるが、ハンスのそれは単にカンニングの結果である。
しかし、ラインハルトに遠慮なく諫言が出来るのはハンスとラインハルトの相性でハンス個人の資質である。
「元帥閣下にしたら顔を見た事もない民間人より自分の命令で死地に行く部下が可愛いのは当然ですからね」
ハンスの述懐にミッターマイヤーとロイエンタールも互いの顔を見る。二人とも士官学校に入学した時から覚悟を決めていた事で部下を死地に行かせる事は軍人としては当然の事だが目の前の少年は自分達と違うのである。
少年は病身の母親を設備の整った病院に入院させる為に軍に身を投じたのである。
「卿が元帥閣下に対して遠慮が無い理由が分かった気がする」
ロイエンタールの言葉には珍しく皮肉や冷笑の成分が混入していなかった。
ハンスと自分達とでは出発点が違うのだ。だから、ハンスが流血を嫌う理由も理解が出来た。
「この戦いを最後の戦いにして欲しいもんですけどね」
ロイエンタールもミッターマイヤーもハンスの言葉を一般論として捉えていたが、ハンスの言葉には帝国を掌握してフェザーンの小細工を逆手に取って同盟に侵攻するラインハルトに対しての危惧があった。
(キルヒアイス提督さえ生きていてくれたら、ラインハルトは無駄な流血を避けて帝国の内政に専念するだろう。同盟は無駄な出兵をせずに国力の回復に傾注するだろう。そして、同盟が国力を回復した頃には自分は寿命だろう)
「取り敢えずは、卿も姉の元に帰れるか」
ロイエンタールが冷やかし半分で掛けた言葉にハンスも答える。
「はい、上手くいけば、年末興行の準備で忙しくなる前に帰れると思います!」
ロイエンタールの冷やかしに気付かずに嬉しいそうに答えるハンス。
それに肩透かしを食らったロイエンタールの表情を見てミッターマイヤーが笑いを噛み殺す。
「ふん、からかい甲斐の無い奴だ!」
「えっ、自分は今、からかわれたんですか?」
ハンスの反応にロイエンタールは天を仰ぎ、
ミッターマイヤーは我慢が出来なくなった様で声を出して笑い始める。
笑われたロイエンタールは小さく舌打ちして自室に引き上げる事にした。
「流石に名将は引き際を心得ているとみえる」
ミッターマイヤーもロイエンタールに追い打ちを掛けた後に自室に引き上げる事にした。
二人が帰った後にハンスは後片付けをしたテーブルの上に鞄を置いた。
「まあ、危険だが仕方がないか」
ハンスが鞄から小型の火薬式の拳銃を二丁取り出す。
装弾数は二発で口径も小さいが弾丸を炸裂弾にしてある。
「二発しか撃てないがブラスターは貫通するからなあ」
弾丸が装填されている事を確認するとハンスはシャワーを浴びてベッドに潜り込む。
(全ては明日で決まるから早めに寝よ!)
翌日、いつもの様に銃を身に付けると昨夜、確認した銃を両方の足首に装着する。
「ふむ、見た目も問題は無いな」
そのまま自室を出て戦勝式典の会場に向かう。会場の入り口の前で警備兵から武器の提出を求められる。
「これは失礼、戦勝式典とか初めて何で知りませんでした」
警備兵に言われるままに、いつも身に付けてる銃を渡す。
「ご協力、有り難う御座います」
「いえ、キルヒアイス提督も銃を提出したのですか?」
「はい、キルヒアイス上級大将閣下にも提出して頂きました」
「有り難う」
キルヒアイスが丸腰なのを確認するとハンスは会場に入場する。
会場には諸提督達が既に中央の道を挟み二列縦隊で並んでいる。
ハンスは最年少提督のミュラーの横に並ぶ。
緊張で額に流れる汗をハンカチで拭う。
「そんなに緊張する必要ないから」
ミュラーが声を掛けてくれたが、何処か遠くからの声に聞こえる。
一向に緊張が解けないハンスを見てミュラーが苦笑するのが分かったがハンスの関心はアンスバッハに集中していた。
アンスバッハが死せる主君とともに会場に入って来るとハンスはハンカチを握り締めた。
汗で手が滑らない様にする為である。
「主君の遺体を手土産にとは結構な事だ」
誰かがアンスバッハに対して嘲笑するがアンスバッハは無視する。ラインハルトも窘める気は無い。
アンスバッハは無言でラインハルトの前まで来ると一礼してから主君の亡骸に手を延ばす。
会場に居る人間でハンス以外はアンスバッハの行動が理解が出来ていない。
アンスバッハは亡骸から小型ランチャーを取り出した。スパルタニアン程度なら破壊する威力を有する兵器である。
あまりにも意外な物の登場に誰も動く事が出来ない。
狙われているラインハルトさえ動けないでいる。
アンスバッハはラインハルトに狙いを定めると引き金を引いた。