銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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流血と止血と

 

 アンスバッハが引き金を引くと室内には轟音と閃光と爆風が誕生した。

 提督達は反射的に腕を上げて閃光と爆風から身を守る。

 そして、閃光と爆風が消えた室内で提督達の視野に飛び込んで来たのは上半身を血で染めて立っているキルヒアイスであった。

 キルヒアイスの足元にはアンスバッハが倒れている。

 そこにハンスの怒鳴り声とも言える声が響く。

 

「キルヒアイス提督、離れて!」

 

 キルヒアイスはハンスの声に反射的に横に飛び退いて従う。

 倒れているアンスバッハがキルヒアイスを追い掛ける様に左腕を上げかけた瞬間に左腕の肘が銃声と共に弾けて千切れ飛ぶ。

 提督達が銃声の発生した方向を見るとハンスが銃を構えたまま提督達の列を走り抜け、アンスバッハの千切れた落ちた腕を踏みつながら銃口をアンスバッハに向けたまま話掛ける。

 

「最期に言い残す事はないか?」

 

 アンスバッハの口から出たのは呪詛に近い言葉であった。

 

「そうか、貴様か。貴様がメルカッツやファーレンハイト、レンテンベルクにヴェスターラントを!」

 

 アンスバッハはラインハルトを討ち損じても半身であるキルヒアイスを道連れにと考えていたがハンスという存在を見落としていた事に最期に気付いた。

 

「ヴェスターラントは参謀長の仕業だ」

 

 それ以外は自分の仕業であると言外に認める。

 

「貴様さえ居なければ!」

 

 短い言葉にアンスバッハの怨念が込められていた。ハンスが居なくともアンスバッハの主君もアンスバッハ自身の運命も変わらないのだが、それをアンスバッハに説明する事も出来ないし説明する気もハンスには無かった。

 そして、口にしたのは別の事であった。

 

「それ以前に貴方は致命的な間違いをしている」

 

 ハンスとキルヒアイス以外にもラインハルトに取って重要な人物と言えばアンネローゼだが、流石にアンネローゼを暗殺する事はアンスバッハの武人としての誇りが許さなかった。

 

「なんか勘違いをしている様だが、貴方の間違いは主君の命令に従うだけで主君を諫めなかった事だ。娘とローエングラム侯を結婚させて数年すればリヒテンラーデ侯は寿命で死にリッテンハイム侯も簡単に倒して帝国の実権を握れたのに」

 

 ハンスの説明を聞いてアンスバッハの表情が一変する。

 

「そうか。そんな手もあったのか!」

 

 アンスバッハにもラインハルトと手を結ぶ発想はあったが結婚まではなかった。ブラウンシュヴァイクの気性からして諾と言わない事が分かっていた、ゆえにアンスバッハはブラウンシュヴァイクを説得する事を最初から放棄していたが、根気よく説得するべきだったと気が付いた。

 

「己の不明をヴァルハラで公に詫びねば……」

 

 アンスバッハが歯に仕込んだ自決用のカプセルを嚥下するのを誰も止めなかった。アンスバッハが助からないのは分かっていたからである。

 アンスバッハの目が光を失うのを確認するとハンスは銃を下げて自身も、その場で座り込む。

 

「キルヒアイス提督、怪我は無いですか?」

 

 ハンスに気を取られていた提督達もキルヒアイスの事を思い出して視線を向ける。

 

「私は大丈夫です。この血も返り血です」

 

 キルヒアイスが顔に浴びた血をハンカチで拭い取ると上着を脱いで見せた。

 上着の下には白いワイシャツが姿を見せた。

 

「閣下。やはり親衛隊を組織して下さい」

 

 オーベルシュタインがラインハルトに親衛隊を付ける事を要求している。

 どうやら以前に進言して却下された様子である。

 

「参謀長、親衛隊より先に大事な事を忘れてますよ」

 

「何の事だ?」

 

「実行犯は死にましたけど、アンスバッハに命令した主犯が残ってます」

 

「ふむ。確かに卿の言う通りだな。命令した主犯を逮捕せねばならぬな」

 

 二人の会話にキルヒアイスを筆頭に提督達は理解不能である。

 

「聞いての通り、アンスバッハに命令した主犯を卿らに逮捕して欲しい」

 

「主犯なら、そこに居るではないか!」

 

 ミッターマイヤーが吠える様に応えた。

 

「ブラウンシュヴァイクではない。主犯はオーディンに居る」

 

「誰の事だ!」

 

 今度はロイエンタールが応える。

 

「帝国宰相、リヒテンラーデ侯」

 

 その場に居た全員が絶句した。ハンスとオーベルシュタインは暗殺者の凶弾を躱した直後に潜在的な敵を倒す手段に利用してきた。

 

「あの老人が誠実で潔白な人間なら問題ないが、あちらも色々と陰謀を巡らせているだろう」

 

 ハンスも腕組みして頷く事でオーベルシュタインの意見に賛意を表している。

 

「要は互角の権力闘争という事か」

 

 ロイエンタールが事態を簡略化して言外に正当防衛だと全員に納得させる。

 

「どうやら、卿達も納得した様だな。ここの事後処理にメックリンガーとルッツが残留して、他の者は私に続け!」

 

 ここで初めて口を開いたラインハルトからの命令に提督達が部屋を出て行く。

 その場にはラインハルトとオーベルシュタインが残る。

 

「始まりましたな」

 

「ああ、新しい時代の始まりがな」

 

 そして、ラインハルトは謝罪と礼を言う為にキルヒアイスに会いに行くのであった。

 

 

 ハンスはキルヒアイスの旗艦ではなくミッターマイヤーの旗艦に乗り込んでいる。

 

「卿は何故、ここに居るんだ?」

 

 ミッターマイヤーの当然過ぎる疑問にハンスが答える。

 

「ミッターマイヤー提督はノイエサンスーシの内部をご存知で?」

 

 ハンスに言われてミッターマイヤーも気付いたがノイエサンスーシの何処に玉璽が保管されているのかミッターマイヤーは知らなかった。

 

「そうか、俺とした事が迂闊だったな」

 

「それから、玉璽を奪取した後に自分は少し消えますから」

 

「分かった」

 

 ミッターマイヤーは何をする気かと聞かなかった。

 基本的にハンスは人畜無害な存在であり、ハンス自身についてミッターマイヤーは信用していた。

 

「しかし、卿がオーベルシュタインと同じ発想の持ち主とは思わなんだよ」

 

「それ、褒めているんですか?」

 

「褒めるも何も事実だからなあ」

 

 ミッターマイヤーはハンスは人畜無害だと判断をしていたが、それとは別にオーベルシュタインと同じ発想をする事に戦慄していた。

 味方にすれば頼もしいが敵にすればオーベルシュタイン以上に厄介だと判断を下すしかない。

 ハンスには政治的な野心が無い。オーベルシュタインと同じ発想力を持ち、用兵家としても油断が出来ぬ相手である。

 まともに戦えばハンスに負ける事は無いと思っているミッターマイヤーだが、まともに戦わずにあの手この手と絡め手で来るだろう。

 

(俺も味方に居ながらアンスバッハに指摘されるまで気付かないとは迂闊な話だ)

 

 ミッターマイヤーは思考の海に浸かりながらも艦隊運用には手を抜かなかった。

 ガイエスブルク要塞からオーディンまで二十日間の行程を半分の十日間で移動したのである。

 

「ミュラーは衛星軌道上に展開、制宙権を確保しろ。その他は湖でも森でも降りられる所なら降りろ!」

 

 強行着陸の態勢から空挺部隊も市街地に降下させる。

 

「無茶させるなあ。命令する方もだが命令を受ける方も方だよ」

 

 モニターの中で器用に建物の屋根を避けて道や公園等に着地する空挺団に感心するハンスであった。

 

 ミッターマイヤーはノイエサンスーシに近い森に旗艦を強行着陸させると軍用車でノイエサンスーシに乗り込む。

 ハンスが案内役をして玉璽が保管されている地下金庫室まで一気に突入する。

 

「金を出せ!」

 

 ミッターマイヤーの拳骨がハンスの頭に炸裂する。

 

「誤解を招く様な発言をするな!」

 

「申し訳ない。つい、言ってしまいました」

 

 実際には現金か玉璽かの違いでやっている事は変わらないのだ。

 

「貴方達は帝国の権威を何と心得ますか!」

 

 定年間近の老職員がミッターマイヤーに抗議する。銃を構えた兵士も恐れない行動にミッターマイヤーも感心しながらも反論する。

 

「権威とは実力があっての物だ」

 

 ハンスはミッターマイヤーと老職員の会話を耳にしながら、その場から抜け出して後宮に向かう。

 後宮では市街の騒ぎに何事かと騒ぎになっていた。

 

「これは、ミューゼル准将ではなく中将閣下!」

 

「お久しぶりです。ベーネミュンデ侯爵夫人」

 

「この騒ぎは何事か?」

 

「はい、古狐と金色の狼が権力闘争の末に古狐が金色の狼に敗れました」

 

 ハンスが名を出さずに簡略化して事態を伝える。

 

「何と!」

 

「この事で、夫人には被害が及びませんが将来的には陛下や夫人にも被害が有り得ます」

 

「そちは、その事を伝える為だけに妾を訪ねて来た訳ではないであろう」

 

「はい。夫人は別にしても先帝陛下には恩が有りますから」

 

「それで、妾は何をすれば良いのじゃ」

 

「はい。金色の狼の姉に頭を下げて懇願するしかありません。それも、早い方が宜しい!」

 

「そうか、アンネローゼに頭を下げれば良いのじゃな」

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人の物分りの良さにハンスも拍子抜けしたが、一刻を争う現状ではありがたい。

 

「夜が開ければ行動の自由も無くなります。夜が開ける前に陛下をお連れして行くべきです」

 

 ハンスが部屋を出て数分後には着替えを終わらせたベーネミュンデ侯爵夫人がいた。

 

「女性の着替えは時間が掛かるものだと思っていました」

 

「それは、時と場合によるものじゃ」

 

「それは結構な事で。陛下をお連れして抜け出しますぞ」

 

 本来の歴史ではエルウィン・ヨーゼフ二世は大人達の都合で翻弄された挙げ句に無責任極まり無い事に行方不明となる。

 今は母親として愛情を注いでくれるベーネミュンデ侯爵夫人がいる。

 願わくば平凡な貴族として平凡な人生を送って欲しいものだと思うハンスであった。

 それが、先帝フリードリヒ四世に報いる事だと思っていた。


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