銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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絵に描いたハニートラップ

 

 ハンスが面接マニュアル作成に悪戦苦闘しているとドミニクから連絡があり件の医師の情報が入って来た。

 

「宇宙は広い様で狭い。結局は同じ人物かよ!」

 

 ドミニクが教えてくれた医師はアンリ・ジャックという人物で帝国に移籍したジャン・ジャックの兄であった。

 

(これで、アンリ・ジャック医師の腕が分かった。キュンメル男爵を安心して任せる事が出来る)

 

 ハンスがドミニクに丁寧に礼を言うと意外な事にドミニクから食事の誘いがあった。

 ハンスとしては儀礼上から断る事も出来なかったが、ドミニクの様な美女から誘われて断る事が出来ても断る気もなかった。

 

(浮気じゃないからね。仕事だもんね!)

 

 実際はハニートラップか探りを入れるつもりだろうと予測しながらも美女に誘われるのは嬉しいのである。

 

 ハンスが来るというので料理の仕込みに専念しているドミニクを見てルビンスキーも呆れ気味であった。

 

「気合いが入っているじゃないか。ドミニク」

 

「あら、嫉妬?」

 

「嫉妬もするさ。長い付き合いだが手料理など振る舞われた事は無いからな」

 

「あら、覚えて無いのね。昔、人が作った料理に味見もしないでソースを掛けたのは誰でしたかね」

 

 ルビンスキーはドミニクの嫌味に表面上は平然としながらも脳裏では慌てて過去の記憶を検索するが該当する記憶は出てこない。

 

「ふん、どうせ記憶にも残して無いんでしょう」

 

「……」

 

 図星なのでルビンスキーも何も言えないし言わないのが正解であった。

 

「で、あの坊やから何を聞き出せばいいの?」

 

「ローエングラム公の同盟侵攻の時期」

 

 渋い顔をしていたドミニクの顔が更に渋くなる。

 

「あの坊やが知っているとは思えないけど……」

 

「奴が知らなくても良い。奴がローエングラム公のお気に入りで接する機会も多い。奴自身が気付かないだけで何か漏らしてる可能性がある。それに直前に奴に連絡があるかもしれん」

 

「要は坊やを色仕掛けで垂らし込めと言いたい訳ね」

 

「手段はお前に任す」

 

「坊やも気の毒な事」

 

「お前は見掛けに騙されているが、奴は切れ者だぞ。私の目を盗み不満を抱く人間を探し出して引き抜いた手腕は見事なものだ」

 

「そんな切れ者に私が勝てると思っているの?」

 

「奴は切れるが根本的に俗物だからな。鮫とメダカでは釣る餌が違う」

 

「あの坊やも気の毒な事ね」

 

 ドミニクから気の毒と言われたハンスは弁務官事務所でシャワーを浴びて新品のワイシャツにクリーニングから帰ってきたばかりの軍服を着て完全武装状態であった。

 

「ハンカチもティッシュも持った。髪も洗ってリンスもした」

 

 初デート前の中学生状態である。

 ドミニクがルビンスキーからハンスを抱き込む事を指示されている事を承知しながらもデート気分が抜けないのである。

 

「閣下……」

 

 高等弁務官事務所の職員一同は呆れるより憐れみの視線を向けている。

 ドミニクはフェザーンでも一部の人々では有名人である。類稀な美貌の持ち主でありルビンスキーの愛人でもある。

 フェザーンの経済界では一目を置かれる女傑でもある。

 一般男性なら遠くで観賞するべき女性であって決して近づくべき女性ではないのである。

 

「人間、生まれてから女にモテた事が無いと何も見えなくなるんだなあ」

 

 若手の職員の一人が感想を洩らすと全員が相づちを打つ。

 

(俺みたいな小者を本気で相手にする程、暇じゃないだろうよ。ラインハルトの様子を探るか抱き込んで非常ベルにするつもりだろ)

 

 正確にルビンスキーの思惑を洞察しているハンスとしては身の安全は確保されているので弁務官事務所の職員達の心配は余計なお世話であった。

 

「ミューゼル閣下。若い女性から連絡が来てます」

 

「フロイラインからかな?まさか、デートが中止とかじゃないだろうな!」

 

 三分後、通信室から出たハンスは宇宙の終わりの様な表情になっていた。

 

「閣下、どうされました?」

 

 先程、何か失礼な事を言っていた若手職員が心配して聞いて来た。

 注目する周囲の職員達の予測は「デートの中止」だと思ったが事態は更に深刻だった。

 

「デートが中止になっても後日が有るじゃないですか。楽しみは先に取っておいた方が仕事にも張りが出ますよ」

 

 若手職員の懸命な慰めは空振りに終わった。若手職員はハンスの心配より自身の心配が必要になった。

 

「卿は何を言っているのかね。デートとは何の事だ?」

 

「え、だって先程……」

 

「人材移籍に対する懇親会に行くだけだ!」

 

 若手職員はハンスの目を見て絶句してしまった。危険な光が宿っている。

 

「それより、卿は先程、上官侮辱罪になりそうな事を言っていたな!」

 

「え、閣下。すみませんでした」

 

「私は、そんな小さな男じゃないから安心しろ!」

 

「はい、有り難う御座います!」

 

 完全な八つ当たりであった。若手職員は自業自得とも言えるがサービス残業をする事になる。

 

「弁務官閣下、公用車と運転手をお借りしますよ」

 

「ああ、構わんよ」

 

 不注意な部下は弁務官に生贄とされてハンスを乗せて宇宙港に公用車を走らす事になった。

 

「あれ、デーじゃない。山荘に行かれないのですか?」

 

「行くよ。その前に美人に会わせてやる!」

 

 不審に思う若手職員が宇宙港に到着して、十分後には納得した。ハンスの姉であるヘッダが現れたからである。

 

「では、山荘に行こうか。帰りはホテルに寄ってくれ」

 

「了解しました。しかし、閣下の姉君が何故、フェザーンに?」

 

「CMの撮影らしい。我が儘な女優さんは自分だけ自腹で先にフェザーンに来たそうだ!」

 

「刺のある言葉ね。姉が弟に会いに来て悪いの?」

 

「悪くは無いけど、職場に不必要な連絡をするな!」

 

「まあ、良いじゃないの。フェザーンと帝国の友好に貢献してあげてるのよ」

 

「相手は女性だぞ。有名とはいえ女優に会って嬉しいか?」

 

 ハンスの心配は外れドミニクは大歓喜であった。

 

「閣下には感謝しないと、私はヘッダさんのファンですけど、フェザーンから離れる事が出来ないので舞台を観れませんから映画で我慢していましたの」

 

「有り難う御座います、来年末にはフェザーンでの公演が決まってますから、その時は招待状を贈らせて下さい」

 

「まあ、それは有り難う御座います。必ず観させて貰いますわ」

 

 ドミニクがヘッダのファンなのは本当の様である。

 二人の会話はヘッダのデビュー当時の話から始まりドミニクが若い頃に女優を目指していた話にまで及んだ。

 

「私はダンスの才能が無くて稽古の時に苦労してますわ」

 

 ヘッダの話では女優にはダンスは必修科目である様である。

 二人はお互いの分野の話からヘッダがドミニクにダンスの稽古を受けるまでに盛り上がっている。

 ハンスはゲストなのに食事の後片付けから稽古後のお茶の用意までしている。

 

(おいおい、女同士仲良くなるのは良いが話が逸れてないか)

 

 ハンスは茶の用意をしながら自分の不運について考えざるを得ない。

 

(昔からだよなあ。何か楽しい事が有れば俺だけ不参加になるのは、若い頃に女の子達とのパーティーも俺だけ不参加だったよなあ。あれは確か機械の故障で休日出勤したんだっけ)

 

 他にも過去の不幸な出来事を思い出してしまった。政治や経済とは別の次元で己の不運を呪ってしまった。

 ハンスが茶の用意をしている間にもドミニクのダンスレッスンは続いていた。

 ドミニクもダンスで社会の上層を目指していただけあり、コーチとしては優秀の様である。

 

「はい。二人ともお茶が用意できましたから一度、休憩にしましょう」

 

「あら、失礼しました。お客様に茶の用意をさせるなんて」

 

 ルビンスキーが居れば頭を抱える事になっただろう。本気でハンスの存在を忘れていたドミニクであった。

 

「大丈夫です。家でも同じですから」

 

 (後で覚えてなさいよ!)

 

 姉弟の家庭内抗争を無視してドミニクはハンスが淹れた紅茶を頂く事にする。

 

「あら、美味しいわ!」

 

 亡命したばかりの頃にフリードリヒ四世の茶会に呼ばれた時に茶会のマナーと紅茶の淹れ方を徹底的に叩き込まれた賜物である。

 全員が紅茶を飲んでリラックスした時にハンスが本来の目的の話をする。

 

「肝心な話をしますが帝国の同盟進攻は今年中にあると思いますよ」

 

 ドミニクが手練手管で聞き出すつもりでいた情報をハンスが自ら提示してきた。

 

「出来れば自治領主閣下も帝国に帰順して頂きたい。閣下の才能は宇宙統一後には貴重な才能です」

 

 ドミニクも駆け引き無しで正面から話す事に最初は面食らったが冷静さを取り戻すのは早かった。

 

「そんな、情報を簡単に漏らして宜しいの?」

 

「地下に潜られてテロに走り出されるよりはマシですよ。それに閣下の健康面も心配です」

 

「健康面?」

 

「本人に自覚があるか分かりませんが恐らく脳腫瘍だと思います。脳腫瘍なら今の時代なら早期発見すれば治ります」

 

「何故、脳腫瘍だと?」

 

「同盟に居た頃に脳腫瘍だった人とナイフやフォークの使い方が同じなんですよ。何人も見て来たから間違いありません」

 

「そう、それはルビンスキーに伝えておきましょう」

 

「伝えるだけじゃなく、首に縄をして医者の所まで連行して欲しいですね」

 

 ハンスの過激さにドミニクも失笑してしまった。

 

「女の私に可能だと?」

 

「その事なら大丈夫です。私も手伝いますよ」

 

 ドミニクはメルカッツとファーレンハイトの件を思いだした。この男なら簡単に事を運ぶだろう。

 

「生きていればローエングラム公と喧嘩も出来ますが死んだら喧嘩も出来ませんよ。それに、ローエングラム公みたいに真面目な生活が出来る人じゃないでしょう。面倒な事はローエングラム公に任せてローエングラム公の下で才能を発揮して欲しいですな」

 

 喋り終わると冷めた紅茶で喉を潤すハンスを横目にドミニクも真剣に考え込む。

 

「まだ時間が有りますから、ゆっくりと考えて下さい」

 

 そう言い残すとハンスはヘッダを連れて辞去した。

 二人を見送りに玄関まで出たドミニクは既に決断をしていた。

 

「明日、病院に連れて行きますので閣下にも同行をお願いします」

 

 ドミニクの決断が本来の歴史を修正する事になるのかはハンスも分からなかった。

 しかし、本来の歴史よりは血が流れる量を減らせればと願うだけであった。


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