宇宙歴798年 帝国歴489年 10月20日
オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将を総司令官に三万六千隻の大軍がイゼルローン要塞に来襲した。
その報は遠くフェザーンで無聊を託っていたハンスも耳にする事になる。
(本来の歴史より一ヶ月も早いな。誘拐事件が未遂になった事とガイエスブルク要塞を使った作戦が発動してないからか!)
ハンスは自分が歴史を変えた事を実感していたが長い休暇が終わった事も自覚した。
(ルビンスキーは入院中で動く事は出来ない。問題は息子の方か)
物心が付いた時には父親が他界していたハンスにはルパートの考えが理解が出来ない。
ハンスは学費や生活費を面倒みてくれたら父親が不在でも構わないと思っている。
ルビンスキー親子の争い等は理解が出来ないが実際に争われると計画が狂うので対策は取っていたが更に保険の必要性を感じた。
ハンスはオーディンに居るフーバー准将に連絡をした。
「お久しぶりです。准将!」
「本当にお久しぶりですね。大将閣下!」
「えっ?」
ハンスの間の抜けた反応にフーバー准将は苦笑を隠そうともしない。
「あの方から「合流するまでは暇だろうから勉強してろ」との伝言を預かっています」
あの方が誰かも確認する必要も無い。ハンスの顔が不機嫌になる。
「仕返しに戦艦一隻を要求してやる!」
地位が上がれば責任も増えて辞められなくなる。あの方と周囲のハンス包囲網は完成されつつある。
「それで、急な連絡で何か急務でしょうか?」
ハンスの不機嫌を無視してフーバー准将が話を進める。
「そうでした。何人か陸上戦の専門家を回して貰えませんか?」
「分かりました。手配します」
「それと、ロイエンタール提督の戦いに関連してフェザーンの仕事攻めを続けて下さい」
「了解しました。しかし、フェザーンに儲けさせて宜しいのですか?」
「構いません。最終的には帝国に帰ってくる利益ですし、奴さんは本職の仕事が忙しくて悪さをする暇が無い様です」
「しかし、斬新な手段でしたな」
ハンスはNo.1が不在のNo.2の心理を正解に理解していた。
No.1が不在の間に成果を落とせばNo.2の力量を疑われる事になり、逆に成果を上げれば力量を過大に評価されると思い込む心理を利用してルパートが多忙になるように仕事を用意させたのである。
「今頃は過労でフラフラだろうね」
民間企業勤めが長いハンスならではの発想であった。
ハンスの罠に嵌まっているルパートはロイエンタール襲来の報を聞くと指示を次々と出したが、そこで限界だった様である。
一応の指示を出した後に過労で倒れてしまった。
「て、帝国軍の動きが早すぎる」
フェザーンの計画では幼帝誘拐の後にランズベルク伯達を同盟に亡命させてからの帝国の攻勢の手筈が誘拐をする前に帝国が攻勢に出たのである。
それでも、一応の対策と指示を出せたのはルパートの優秀さを示していた。
ルパートを過労で倒れさせたロイエンタールはイゼルローン要塞の攻略に手を焼いていた。
「しかし、予測はしていたが、此方が仕掛ける策の全ての先手を取られてしまう」
ロイエンタールの感想には畏怖が混入している。
回廊内に入りイゼルローン要塞まで目前の距離の所でヤン艦隊が忽然と後方に現れて後方から集中砲火を浴びせて来たのである。
イゼルローン要塞との挟撃の形になり、トゥールハンマーの餌食になる寸前に艦隊を小集団に散開させて離脱に成功した。
この段階で少なからずの犠牲を出したが態勢を整え直す事に成功したのはロイエンタールの指揮能力の優秀さを示すものであった。
「あれを凌いだか!」
ヤンとしては必勝とは言えないが大打撃を与える自信がある策であった。
「流石に帝国の双璧と言われるだけの人材だ。彼を麾下に持っただけでもローエングラム公の名は歴史に残るよ」
ヤンの言葉を証明する様にロイエンタールは即座に態勢を整えると五百隻前後の小集団を作り、一撃離脱戦法を試みる。
ヤンは空中砲台で第一陣を撃退すると第二陣の集結予定宙域をトゥールハンマーで牽制させる。
ロイエンタールは慌てて第二陣を散開させるがヤンは駐留艦隊で直接攻めて来る。
ヤンの直接攻撃にロイエンタールも予備兵力を投入して乱戦状態を作り出す。
三万隻を有するロイエンタールと二万隻に届かないヤン艦隊では乱戦に持ち込めば数の有利を生かせる。ヤン艦隊が退却するなら平行追撃すればトゥールハンマーを使用させずに要塞に肉薄する事が出来る。
しかし、ロイエンタールは知らなかった。「敵を罠に嵌めるには金貨を置く事が必要だよ」ヤンがユリアンに言ったヤン流の用兵術である。
相手の願望が叶うと見せ掛けて敵を罠に嵌めるのである。
衝撃は突然であった。総旗艦トリスタンだけではなく中級指揮官の旗艦に強襲揚陸艦が強行接舷して白兵戦を仕掛けたのである。
「チッ、俺とした事が見え透いた手に引っ掛かるとは」
「ロイエンタールの様な一流の用兵家の足元を掬うには、意外と稚拙の罠が有効なものさ」
策は稚拙かもしれなかったが規模は大きかった。旗艦を人質に取られた形になった帝国の分艦隊はヤン艦隊の餌食であった。
二割の旗艦が占拠される被害を出しながらも侵入して来た薔薇の騎士を何とか迎撃してロイエンタールは一時的に退却する事に成功する。
「敵の被害より此方の被害が大きいです」
副官の報告を聞きながらロイエンタールは苦虫を噛み潰した表情になる。
「ハンスがヤンと正面から戦うなと言う意味が分かった」
「閣下でも恐れる敵がいるとは宇宙は広いものですな」
「ああ、自分の慢心が消し飛ぶよ。これ以上の無駄な犠牲を出す必要も有るまい。作戦を第二段階に移すぞ」
「大芝居の始まりですね。流石のヤン・ウェンリーも見抜けないでしょう」
「奴の事だ。既に見抜いているだろうよ。しかし、奴には手も足も出せん。尤も出させる気も無いがな!」
ロイエンタールは一時的に撤退をして、イゼルローン要塞から距離を取りオーディンに援軍要請をする。
ロイエンタールからの援軍要請を受けてキルヒアイスはミッターマイヤーを援軍の総司令官としてシュタインメッツ、ワーレン、ミュラーに出動命令を出した。
11月9日、四個艦隊からなる援軍がオーディンから旅立つ。ラグナロック作戦の第二段階の始まりである。
フェザーン経由で知った同盟政府はヤンに警戒態勢の強化を命じたのみである。
援軍を派遣したくとも派遣する兵力が無かった事もあるがイゼルローン要塞とヤンを過信していた側面もあった。
これに対してヤンは帝国軍がフェザーン回廊を通過して同盟領に侵攻する事を指摘したが指摘されても対策が取れる余裕も無かったのである。
ヤンは同盟政府に指摘する一方で自身はイゼルローン要塞の放棄の準備に取り掛かり始めた。
そして、それを黙って見過ごすロイエンタールではなかった。
ルッツに言わせると「嫌がらせの為の攻撃」を始めるのであった。
ロイエンタールは百隻単位の小集団を広く薄く配置をしてトゥールハンマーで直撃されても被害が最小限に抑えられる形で二十四時間体制でイゼルローン要塞に攻撃を仕掛ける。
要塞自体には損傷を与えられないが要塞内の人々には心理的なダメージを与えた。
特に脱出計画と各部署に補給と補充を行う事務方には過労と心労で倒れる者が続出していた。
「おいヤン。この攻撃を何とかしろ!」
キャゼルヌに言われなくともヤンも対応を考えていたが最初にロイエンタールが回廊に侵入した時は無人の監視衛星からの情報で事前に察知が出来たが今回は既に監視衛星は破壊されていてロイエンタールに先手を取られてしまった。
「トゥールハンマーを連続で発射する、エネルギーの充填率は最低限でよい。敵を牽制して艦隊が出る隙を作る」
驚いたのはロイエンタールだけではなく帝国軍の全員が完全に虚をつかれたのである。
彼らは末端の兵士までトゥールハンマーの威力とエネルギー充填時間を熟知していた為に半分の時間で連続して発射されるとは思ってもいなかった。
「全艦、トゥールハンマーの有効射程外まで緊急離脱せよ!」
ロイエンタールの命令に全艦が真摯に従い後退を始めるとアッテンボローを筆頭にヤン艦隊が追い討ちを掛けるように帝国軍をトゥールハンマーの射程外まで追い払う。
「流石に嫌がらせも度が過ぎたな」
ロイエンタールはトゥールハンマーの有効射程外で艦隊の再編を行うとヤンがイゼルローンを放棄するまで待つ事にした。
そこに、ロイエンタールのもとにハンスからの通信が入った。
「ロイエンタール提督、忙しい時に失礼します」
「構わんよ。卿の事だ。何か忠告があるのだろう?」
「忠告とか大袈裟な物では無いですが、ヤン・ウェンリーに民間人に攻撃を加える気が無いと宣言してやり、攻撃を中止してやればイゼルローン要塞の放棄も早まるし同盟を征服した後の統治もやり易くなります」
「卿も大胆だな。しかし、確かに互いに無駄な犠牲が出ないな」
「ヤン・ウェンリーはイゼルローン要塞を攻略した時にゼークト提督に逃げろと宣言してますよ。追撃もしないとオマケ付きです」
「分かった。卿とヤン・ウェンリーは同じ発想の持ち主だな。卿の進言に従う事にする」
すぐにハンスの進言に従いロイエンタールがイゼルローン要塞に宣言をすると、民間人が置いて行く私有財産も後で返還して欲しいとヤンの名前で返信があった。
ロイエンタールは苦笑しつつも私有財産のリストを残す様に返信をした。
「リストに記載されている物には最大限の努力を約束する」
ロイエンタールは宣言した二日後には堂々とイゼルローン要塞に入る事が出来たのである。
(ヤン・ウェンリーが素直に要塞を放棄したとも思えん。置き土産があるかもしれんが、今は譲られた勝利を悪怯れずに受け取れば良い)
中央指令室に足を踏み入れたロイエンタールが最初の命令を出した。
「オーディンに連絡を入れろ。我、要塞の奪還に成功せりと」
イゼルローン要塞は、ほぼ二年半ぶりに帝国軍の手に返ってきたのである。