イゼルローン要塞攻略中のロイエンタール上級大将からの援軍要請を請けてイゼルローン方面に出撃した筈のミッターマイヤー艦隊二万隻がフェザーン回廊にワープアウトしたのは11月27日の未明であった。
ワープアウトしたミッターマイヤー艦隊に気付いたフェザーン宙港管制局は混乱の極みであった。
必死に何度も停船命令を出すオペレーターの声を無視して進軍するミッターマイヤー艦隊に対して有効な対策も取れずに自治領主府に連絡を入れる。
「オーディンの弁務官事務所の連中は何をしていたのか!」
管制局の至る所で同様の罵倒をする者が続出していたが事態の解決に何ら貢献しない。
昼過ぎにフェザーン上空に帝国軍の艦艇が視認が出来る様になるとフェザーン全土がパニックになった。
「じゃあ、仕事を始めますか」
ハンスはフーバー准将が派遣した陸上戦の専門家達を召集して同盟弁務官事務所に突入を開始した。
完全に虚を突かれた弁務官事務所は無血でハンス達の手に落ちた。
「拘禁するのはヘンスロー弁務官とヴィオラ大佐の二人で十分です。残りの人達は帰宅して貰っても構いません。但し明日には此方に出頭して下さい。私物と残りの給与の精算をします」
ハンスの宣言に弁務官事務所の職員も面食らう。
職員の一人が恐る恐るハンスに質問する。
「あのう、帝国軍が給料を払ってくれるのですか?」
「まさか、弁務官事務所の金庫の中の現金と備品を売り飛ばした金で払いますよ。何でうちが敵国の役人の給与を払う必要があるんですか」
「それは、ごもっとも」
「それから、突然に仕事が無くなって困るでしょうから、転職先の無い人は履歴書も持参して下さい」
逆行前の世界で雇い主が給与未払いのまま夜逃げをされたりしたハンスの経験が弁務官事務所の職員達に親切な対応をさせてしまう。
一緒に突入した兵士達もハンスの対応に苦笑している。
ハンスはミッターマイヤーが差し向けた部隊に事情を話してルビンスキーが入院している病院とルパートが入院している病院に兵士を差し向けて貰う。
別に二人の身を案じての警護の為ではなく監視の為である。ルビンスキーとルパートの親子に関しては1グラムも信用して無いハンスであった。
「皆さん、ご苦労様でした。本日の仕事は終了しました。解散!」
突入部隊を解散させた後でハンスはミッターマイヤーにルビンスキーとルパートの事を報告に行く。
「お久しぶりです。ミッターマイヤー提督。提督に無断で部下の人達をお借りしました」
「謝罪の必要は無い。卿の働きで同盟の弁務官とルビンスキーの身柄を押さえる事が出来た。逆に此方が礼を言いたいくらいだ」
ミッターマイヤーの占領作戦は完璧だった。フェザーンの主要施設は全て無血で手に入れている。翌日には、フェザーン占領に伴い各業界に便乗値上げを禁止の布告を出して市民生活に支障が無い様に対処している。
唯一の失敗と言えば女性に暴行した兵士が出た事である。
掠奪や暴行を嫌悪するミッターマイヤーは怒り心頭であり、暴行事件を犯した兵士の部隊の上司から助命嘆願されたが、ミッターマイヤーが聞き届ける筈もなく「俺に二言は無い!」と一刀両断にされ、穏健派と言われるハンスも取り成しを依頼されたが、ハンスも「却下!」と一言で断った。
ハンスは銃殺ではなく自らの手で軍刀による斬首を提案した程の怒りを覚えていた。
「ミュラーが来る前に少しでも清潔にする必要があるな」
暴行犯は公衆の面前にて銃殺刑にされたのである。処刑の模様はテレビ中継をされてフェザーン全土に放送された。残虐な様だがフェザーンを統治する上で市民からの信用を得る為には必要な処置であった。
「ミッターマイヤー提督に警察から連絡が来ています。首席補佐官の自宅からサイオキシン麻薬が発見されたそうで、フェザーンの警察から補佐官の身柄の引き渡しを要求してます」
ハンスからの報告にミッターマイヤーも数瞬だけ考えた後にハンスに意見を求めた。
「卿の意見は?」
「それなら餅は餅屋に任せるべきでしょう。ただ、サイオキシン麻薬は国単位で解決する訳では無いので本国の麻薬撲滅局にも協力する事を条件にするべきでしょう」
「卿の意見は正論だろうな。その様に取り計らってくれ」
「了解しました。それとミュラー提督の司令部に麻薬関連に詳しい士官が居るそうなのでミッターマイヤー提督から部下を貸して貰える様にお願い出来ませんか?」
ハンスにしたらルパートの自宅からサイオキシン麻薬が押収されるとは思っていなかった。
(思わぬ事で地球教の尻尾を捕まえられるかもしれない。ルパート自身が使っている筈も無いが、ユリアンの回顧録では地球教の司教が被害者らしい。ルパートにペテンを掛けて喋らせるか)
翌日からルパートの取り調べにハンスも同席させて貰う事にした。
そして、その翌日には遠征軍の総司令官のキルヒアイスが到着した。
「既に報告は受けてます。明日にもミッターマイヤー提督には同盟領に進攻して貰います。イゼルローン要塞のヤン・ウェンリーはロイエンタール提督と対峙中との事です。ヤン・ウェンリーが要塞を放棄して同盟軍本隊と合流する前に本隊を叩きます」
「了解しました。既に艦隊の方は準備が出来ています」
キルヒアイスはフェザーンの留守番部隊としてベルゲングリューンとビューローの両中将にボルテックの補佐という名目で監視を付けさせる。
「閣下。しかし、大丈夫ですか?」
ベルゲングリューンが自分達二人がキルヒアイスの傍らで補佐をしない事に危惧の念を表す。
「卿は過保護な親か!」
ビューローの感想は過不足なくベルゲングリューンの心情を表現していた。
年長の部下の心配にキルヒアイスも苦笑しながらも応える。
「大丈夫です。ミッターマイヤー提督を始め他の提督達も居ますから」
赤面する僚友を横目にビューローがキルヒアイスに来客を告げる。
「ベルゲングリューンの戯言は別にしてミッターマイヤー上級大将とオーベルシュタイン総参謀長とミューゼル大将が面会を求めています」
「お三人を会議室に通して下さい」
(ミューゼル大将だけなら昇進の事で苦情と見当はつくがミッターマイヤー提督とオーベルシュタイン総参謀長と一緒とは)
日頃から単独行動を好むハンスが誰かと行動を共にする事は稀有な事なのでキルヒアイスも不思議に思いながらも会議室に向かった。
「ラインハルト様、ローエングラム公が病気!」
ハンスの告げた内容に驚いたキルヒアイスの声が会議室に響いた。
「だから、病気の疑いがあると言っているだけです」
キルヒアイスの狼狽ぶりにハンスも驚きながらも宥める。
「宰相閣下の母上も若くして病気で無くなっているでしょう。帝国の人は遺伝に対して関心が無いですが病気で早死する家系の場合は殆どが遺伝なんです。だから、宰相閣下をハイネセンの病院で精密検査を受けさせたいのです」
ハンスの意見を聞いて考え込むキルヒアイスにミッターマイヤーが質問の形で追い討ちをかける。
「宰相閣下が素直にハイネセンまで行く性格か?」
キルヒアイスの次にラインハルトと付き合いの長いミッターマイヤーである。ラインハルトの性格を正確に把握している。
「それに、医者では無いので不確かだがグリューネワルト伯爵夫人が先に発症しますな」
ハンスも言えない爆弾をオーベルシュタインが平気で投げ込んで来た。
アンネローゼの事に話が及ぶとキルヒアイスの顔色が一気に変わる。
「分かりました。私からローエングラム公に話をしましょう」
「それで、あの頑固者が素直に動くか?」
ハンスの遠慮の無い発言にキルヒアイスも何とも言えないのである。
「動かないなら、動かすだけの口実が必要になるでしょう」
キルヒアイスの冷静な分析に全員の視線がオーベルシュタインに集中する。
「何故、私を見る。まるで私が陰謀家みたいではないか!」
(自覚が無かったのか!)
全員が口に出さなかったが驚愕する発言であった。
「手段を選ぶ余裕が無いので方法が限られて来るが仕方ないだろう」
自分の発言を裏切りオーベルシュタインが策を発表した。
「流石は総参謀長ですな」
ハンスがオーベルシュタインの策を賞賛した程にオーベルシュタインの策は全員が感心する内容であった。
「確かにローエングラム公も動くでしょう」
ラインハルトを知り尽くしたキルヒアイスも太鼓判を押す策であった。
「実行は問題提起をしたミューゼル大将に一任するべきでしょう」
オーベルシュタインの意見に全員が納得した。
「宰相閣下を騙す様で心苦しいが仕方が無いですな」
ハンスの表情は言葉を完全に裏切っていた。どうやら大将昇進の仕返しが出来る口実を得て喜んでいるのが丸分かりである。
ハンスにしたら、この為に膠原病の権威を苦労して探したのだ。
それに、安心して軍を辞める為にもラインハルトの存在は重要なのである。
帝国歴489年、宇宙歴798年、11月30日、キルヒアイスがフェザーンに到着して2日目の事であった。
この時点ではイゼルローン要塞ではヤンとロイエンタールの戦いは続いていた。
そして、帝都オーディンではラインハルトが帝国宰相として内政改革に勤しんでいる。
ハンスの暗躍の為に本来の歴史より遥かに帝国が有利の状況であるが、それを望まない人間が宇宙には存在していた。