宇宙歴799年 帝国歴490年 4月25日
自由惑星同盟と銀河帝国の間には和睦が成立する。
星系の名を取り一般には「バーラトの和約」と呼ばれる条約なのだが条約成立までが両陣営ともに苦労したのである。
ハンスなどは「戦争で生き残り、和睦で過労死」と皮肉を口にしたが誰も咎めなかった。
最初に苦労したのはヤンであった。会見後にヒューベリオンに帰還したヤンを幹部一同が待ち構えていた。
「おい、ヤン。折角、脱出させたフィッシャー提督を呼び戻すとは何故なんだ?」
一同を代表してキャゼルヌがヤンに問い質す。
「帝国のミューゼル大将に看破されてましてね。呼び戻さないと追い討ちを掛けられそうだったんですよ」
ヤンの返答に全員が諦めの表情になる。
「奴さんを帝国に亡命させたのは同盟の痛恨のミスですな」
シェーンコップの感想にアッテンボローとポプランは同意を示し、ムライですらシェーンコップの感想を否定しない。
「まあ、悪い事だけじゃないよ。ミューゼル大将はローエングラム公に完全併呑された後に民主共和制の自治領を提案してくれた」
ヤンの発言に一同が驚くのも無理からぬ事である。
「しかし、提案だけでは却下されたら意味が無いのでは?」
ムライが疑問形で当然過ぎる一般論を口にする。
「私も確約は出来ないが期待しても大丈夫だと思うよ。ミューゼル大将はローエングラム公に対して強い影響力がある様に見えた」
流石に全員が十代の一個人に期待する事に不安を覚えた。
「それから、ミューゼル大将だけに苦労させる訳じゃない。私も援護射撃が出来る立場になった」
ヤンが帝国の学芸省に学芸員として引き抜かれた事と経緯を話すと全員が納得したものである。
「先輩を引き抜くのなら、これ以上の手は無いよなあ」
「見事としか言えない手腕だな」
「ポプランに美女ですな」
「シェーンコップ中将に美女だな」
「おめでとう御座います。閣下!」
アッテンボロー、キャゼルヌ、シェーンコップ、ポプラン、フレデリカの順で感想を述べる。
全員の反応にムライが無言で頭を抱えパトリチェフが「やれやれ」と場を締め括った。
ヤンが部下と会見の結果を報告している間にラインハルトも部下の相手をしていた。
「ほう。まさか、ヤン・ウェンリーが閣下に臣従すると思いませんでしたな」
オーベルシュタインが器用な事に無表情なまま驚いて見せた。
「それなら、我らにもヤン・ウェンリーと話す機会が得られますな」
「俺は奴と話す事なんか無いけどな!」
用兵家として純粋にヤンに興味を持つファーレンハイトの隣で再戦の機会が無くなった事が面白くないビッテンフェルトが毒つく。
「しかし、ヤン・ウェンリーという男も変わっていますな。元帥の地位より学芸員としての地位を選ぶとは」
生真面目な軍人のレンネンカンプには軍人以外の道を選ぶヤンは変わり者に見える。
「しかし、ヤン・ウェンリーの件は別にしてフェザーンの様な共和政治の自治領とは斬新な発想ですな」
生粋の軍人であるルッツにはハンスやヤンの様な歴史家志望の人間の危惧する理屈は理解が出来ても実感が伴わない。
「確かに同盟も建国当初は健全な国家だった事を考えたらミューゼル大将やヤン・ウェンリーの言い分にも一理はありますが、気が遠くなる話ですな」
シュタインメッツの感想は提督達の本音の代弁と言えるだろう。
「どちらにしても、一度、ハイネセンに赴き随行している行政官の意見を参考にした方が宜しいのでは?」
ミュラーが一般論でまとめる。置き去りにして来た艦艇達の再編作業も残っていて畑違いの会議に出席するのも時間が惜しいくらいなのである。出来れば軍人の自分達に相談をしないで欲しい。
「ふむ、やはり卿らも同じ意見か。この件はハイネセンで随行して来た行政官に検討させる」
ラインハルトはオーベルシュタインを指名して行政官の意見を取り仕切りの責任者に任命させるとレンネンカンプをウルヴァシーに駐屯させて全軍にハイネセンへの進発を命じた。
途中でフェザーン回廊の機雷撤去作業を終えたロイエンタールと合流すると惑星ハイネセンに降り立つ。
ラインハルトがブリュンヒルトの昇降口から姿を見せると帝国軍将兵からの歓声が挙がる。
「カイザー、ラインハルト!」
「ジーク・カイザー!」
「ジーク。カイザー、ラインハルト!」
出迎えに来たミッターマイヤーとキルヒアイスが将兵達の歓声に応える様にラインハルトに促す。
ラインハルトが片手を挙げて将兵達の歓声に応えた瞬間に爆発的な大歓声が沸き起こる。
将兵の中には感極まり泣き出す者達もいた。
ハンスはブリュンヒルトの昇降口が開く前から耳栓をしていたが余りにも歓声の大きさに耳を塞いだほどである。
一同は将兵の歓声の中を縫うように地上車で移動した。
キルヒアイスが接収したホテル「ニューハイネセン」に着くと意外な人物が出迎えていた。
「ハインリッヒ!」
「ヒルダ姉さん!」
キュンメル男爵が背後に車椅子を控えさせているとは言え、自らの足で立っていた。
ヒルダが思わず泣きながら従弟に抱きつく。それを見ていたハンスも釣られて貰い泣きを始める。
「フロイライン。積る話があるだろう。落ち着いたら職務に復帰するが良い」
ラインハルトの本来の優しい顔が発露する。
そして、ホテルに入ると優しい青年の顔に冷徹な独裁者の仮面を被り、キルヒアイスとミッターマイヤーからの報告を受ける。
「亡命貴族共はどうした?」
「亡命貴族の長であったレムシャイド伯は自裁しました。その他の亡命貴族は全て逮捕拘禁しました」
ミッターマイヤーの報告にラインハルトの返事も短い。
「そうか」
実はミッターマイヤーはリップシュタット軍に参加せずにラインハルトに反旗を翻したレムシャイド伯爵に敬意を抱いて自裁する時間を与えていたのだ。
「連中の家族の事も含めて参謀長が中心となって随行して来た行政官の意見を取り纏めよ」
「了解しました」
「それと平行して和約に関する条項の作成もせよ」
「それは構いませんが、二百万人の将兵を養えませんので数個艦隊は帝都に帰すべきです」
「確かに既に征服して目的が達成したからには将兵も望郷の念が強まろう。ミッターマイヤーとワーレンとウルヴァシーのレンネンカンプは先に凱旋せよ。レンネンカンプに代わりシュタインメッツをウルヴァシーの司令官に任命する」
矢継ぎ早にラインハルトは次々と指示を出しているとヒルダが帰って来た。
「閣下には特別の配慮を有り難う御座います」
「別に構わぬ。肉親とは大事なものだ」
「それでは、閣下にはご足労を願います」
「何の用だ?」
何故かミッターマイヤーとロイエンタールにオーベルシュタインにキルヒアイスまでが集まっている。
「閣下には同盟の最新医療での精密検査をお受け頂きます」
「私には不要だ。精密検査をするならレンネンカンプかオーベルシュタインが受けるべきだ」
ラインハルトは基本的に医者嫌いである。更に言えば健康に対して若さ故の自信もあった。
「駄目ですよ。ラインハルト」
ラインハルトの表情が硬直する。ハイネセンで聞ける声でなく、ましてはラインハルトを呼び捨てに出来るのは宇宙で一人だけである。
「あ、姉上!」
「皆さんがラインハルトの健康を心配して用意してくれたのですよ」
アンネローゼが部屋の入り口に立っていた。傍らにハンスが居る事から黒幕の正体も察しがついた。
「ハンス!謀ったな、ハンス!」
「自分の生まれの不幸を呪うといい!」
ラインハルトとハンスの大袈裟な会話に呆れながらもアンネローゼがラインハルトを病院まで連行して行く。
「その、卿も意外と手段を選ばんな」
ロイエンタールが呆れと感心のカクテルを言葉にして出す。
「まあ、お互い様ですけどね」
ルッツとヒルダしか知らないがラインハルトがハンスに一服盛った事をハンスは根に持っていた。
ロイエンタールも事情は分からないままラインハルトとハンスの間に何かあった事を察したが何も言わなかった。
一週間後に検査入院から解放されたラインハルトとアンネローゼはハンスに感謝する事になる。
ラインハルトとアンネローゼに遺伝子疾患による膠原病の因子が発見されたのである。
幸いに早期発見の為に完治は無理だが定期的な投薬で発症を封じる事が可能であった。
引き続き研究が必要であるが帝国と違い同盟の遺伝子治療なら早晩に治療法も発見される事であろう。
帝国に恩を売った形の同盟の医療界には帝国から人道支援として多額の資金援助がされる事になる。
逆行前のハンスが苦労した義手義足も帝国から援助される事になり義手義足を手に入れる為に働き、その為に義手義足の寿命を縮める悪循環を絶ち切る事にハンスは成功したのである。
それと同時に帝国に対する信頼を植え付けたのである。
帝国軍は征服したが一方的に搾取して恨まれるつもりは無い。「協力」の名の元に同盟の政府高官や一部の特権階級の不祥事も摘発を始めた。
民衆を味方に付ける方法として貪官汚吏の駆除が一番早い方法なのである。
更にハンスから「都市伝説」としてハイネセンポリスの地下の各所には大昔に貯蔵された大量のゼッフル粒子があり管理する者も居らずに爆発の危険があるという噂を聞きビッテンフェルトが中心となり調べると「都市伝説」が事実であり回収騒ぎとなった。
同盟の役人の仕事の杜撰さが浮き彫りになり親帝国の民衆が増えるのであった。