キルヒアイスがプロポーズした翌日にはキルヒアイスの高等弁務官の就任と二人の婚約発表がされた。
帝国軍の発表は意外な事に同盟市民からは好意的に受け入れられた。
温厚で人望のあるキルヒアイスの高等弁務官就任は同盟市民を安心させた。アンネローゼとの婚約は一種のシンデレラストーリーとして特に若い女性達から支持された。
そして、婚約発表から式まで一週間というスピード婚である。
帝国側としては発表と同時にウエディングドレスの一般募集から式場の予約に披露宴会場の予約に警備計画と慌ただしい。
警備計画等はヒルダの管轄外の領分なのでミュラーが担当している。
同盟側としてはゼッフル粒子騒ぎの直後の消費低迷の時期に結婚特需と便乗する企業で活気付いた。
当のアンネローゼはキルヒアイスの両親が不在での結婚式を躊躇したがキルヒアイスの両親はウルヴァシー基地に滞在していて既にハイネセンに向かっているとハンスから告げられて呆気に取られる事になる。
「そう、最初から私達はハンスの手の平にいたのですね」
「はい。アンネローゼ様がハイネセン行きを同意した時から計画してました」
ハンスもアンネローゼに対しては正直に応える。
アンネローゼとしてはハンスが自分の事を真剣に考えてくれた事に感謝するしかなかった。
もう一人の当事者のキルヒアイスは高等弁務官としての責務に忙しい。
結婚式の後に一週間の新婚旅行まで予定されていて、その間はロイエンタールが高等弁務官代行として留守番する事になっている。
世間がキルヒアイスとアンネローゼの結婚で沸き立つ頃、路頭に迷う者達がいた。同盟軍の下士官や兵卒達である。
宇宙艦隊は解体されて艦艇など廃棄される中で多くの人員がリストラされている。
士官は経歴を買われて再就職もスムーズだったが下士官や兵卒は再就職に困る事になる。
工兵や陸戦要員は比較的に再就職が決まるがスパルタニアンのパイロットは再就職先が皆無である。
古来より軍隊とは衣住食が保証されてる為に困窮者が入隊する事が多いのだが同盟の場合はスパルタニアンのパイロットには若い女性が多いのである。操縦には男女の差は無く軍隊でも技術職なので給料も待遇も良く人気の職なのだが潰しが効かない職でもあった。
民間で単座の宇宙船など無く民間企業からの募集など皆無である。
カリンは途方に暮れていた。母の葬儀を済ませて養成所に帰ると同時にミッターマイヤー艦隊がハイネセンポリスの空を埋め尽くす事になる。
カリキュラムの関係でカリン達はハイネセンに残る事になったのだが、一期上の先輩達の大半がバーミリオンで戦死したのである。
「命があるだけ儲け物よね。帝国軍が攻めて来るのが、もう少し遅ければ私達も参戦していたのだから」
命はあるが仕事や住み処が無くなるまで数ヵ月である。軍部も一生懸命に自分達の受け入れ先を探してくれているが単座式の宇宙船など軍隊以外で使われて無いのが現状である。
食堂で予算不足な為か少しずつ貧相になる食事を見て自分の未来を暗示している気分になってくる。
「クロイツェル伍長は居るか?」
「はい。ここに居ます!」
珍しく教官が食堂までカリンを探しに来たのである。
「食事を済ませたら私の執務室に来る様に」
「了解しました」
同じ様にテーブルに居た仲間達が心配そうにしている。
仲間達もカリンが喪中である事を知っているので心配なのである。
「私は大丈夫よ。母の事もかなり前から覚悟はしていたから。何か書類の記入ミスでもあったのかもね」
仲間達に心配を掛けまいと笑顔を見せるカリンであったが執務室の前に行くと自然と表情が強張るのである。
「失礼します。カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長です」
「来たか」
執務室のソファーには帝国軍の将官が座っていた。
「ほう。美人だな」
自然な口調で将官が口にするのでカリンも思わず赤面する。
その様子を見て教官が珍しい物を見たと言わんばかりの表情が癪に触る。
「兎に角、まずは座りなさい」
将官が手で自分の隣を示す。
「はい。失礼します」
(普通は正面に座らせると思うけど)
カリンがソファーに座るのと同時に教官が部屋を出る。
教官が部屋を出ると将官は自分のポケットから缶コーヒーを出しカリンと自分の前に置く。
「私はハンス・フォン・ミューゼルと言う。昔、君の母上に世話になった者だ」
カリンの目と口がOの字を作る。
「そんなに驚く事かね?」
「普通に驚きます!」
カリンは服の上から心臓を押さえてハンスに応える。
「しかし、母からは何も聞いていませんけど」
「世話になったと言っても、飯を食わせて貰ったり食べ物をくれたり食事をご馳走してくれたりだったからなあ」
(そう言えば母さん、野良猫に餌をあげるのが好きだったわね)
「そんな事でハイネセンに着いたら最初に君の母上に挨拶に行くつもりだったが色々と忙しくてね」
「はあ」
(確かに占領していて忙しいでしょうよ)
「それで、時間が出来たので母上を訪ねたら……」
ハンスの沈痛な表情にカリンもハンスに対して帝国軍の高官という意識を捨て娘として遠い所から来た母の知り合いとして応える。
「いえ、母も大将閣下に来て頂いて喜んでいると思います。大将閣下は私達の様な軍の末端には憧れの存在ですから」
「そ、そうか。そこで、ここからは半分は仕事なんだが貴官は再就職先は決まっているのか?」
カリンは声に出さずに首を横に振る。
「やはりな。君以外のパイロット連中も同じか?」
今度は首を縦に振るカリンであった。
「そうか。そこで帝国に来る気はないか?」
「えっ、帝国にですか?」
「そうだ。これから同盟は大不況になる。君がハイネセンで堅気の仕事をして生きるのは無理だ」
ハンスの言葉にカリンも顔を青くする。
「お、脅さないで下さい!」
「別に脅しではない。客観的な事実だ。私達が不況になる様にするからね」
「そんな!」
「私達は戦争の勝者だよ。勝者としては当然の事だよ。遅かれ早かれ同盟は滅びて帝国の一部になる。なら、少しでも早く帝国人になったほうがいい」
ハンスの言葉には真実味があった。彼自身が同盟を捨て帝国に亡命したのだから。
「でも、帝国に行っても暮らして行けるのでしょうか?」
「それは大丈夫だよ。私が保証するよ」
カリンも数瞬だけ考えたが自分が同盟に拘る理由も無い。母も既に埋葬しており心残りも無い。
「では、お願いします」
「では、二週間後に迎えに来るよ。支度をして待っていてくれ」
「はい、了解しました」
カリンが退室するのを見てハンスは缶コーヒーを一気飲みする。
カリンの母親とは面識も無い。カリンを安心させる為の方便である。隣に座らせたのもカリンに反発させない為である。人は正対すると反発しやすくなるのである。
(しかし、あんな娘まで戦争に駆り出すとは…同盟にも呆れるな)
自身もカリンより年少ながら志願して戦場に出た事を忘れている訳では無い。
逆に自身の経験から未成年が戦場に出る事を忌避していた。ハンスはラインハルトに進言して幼年学校の生徒が戦場に立つ事を禁止にさせている。
養成所の帰りにハンスは改めてカリンの母親の墓に来ていた。
(貴女の娘さんは父親に立派に育てさせますので安心して下さい。因みに娘さんの結婚相手は父親と違い立派な男です)
この男、他人の母親の墓参りをしているが自分の親の墓参りを完全に忘れているのである。
それ程、ハンスにしたら同盟には未練が無いのである。
ハンスには同盟に対しては嫌な思い出しか無い。キルヒアイスの弁務官業務が軌道に乗れば帝国に帰るつもりである。
帝国には彼の仕事が残っている。残った仕事が片付いてもハイネセンに帰る事は無いだろう。
翌日にはハンスはキルヒアイスとアンネローゼの結婚式の準備をヒルダに押し付けた弟相手に喧嘩していた。
喧嘩の理由は寮付きの職業訓練校の設置の是非である。
「若いから仕事は幾らでもあるだろう」
「有りますが堅気の仕事は無いですな。女性は手っ取り早く売春婦ですな!」
「……」
「誰も只でとは言って無いでしょう。月々の給料から天引きすれば問題無い。箱も今ある養成所や寮を使えば問題無い」
「しかし、帝国に完全併呑する為には同盟を不況にする必要がある」
「併呑して不況の新領土に税金を投入する位なら最初から税金を投入して若者に恩を売った方がマシです!」
それでも渋るラインハルトに業を煮やしたハンスは奥の手を使う事にした。
「ふん。中には幼い弟や妹の為に体を売る少女とかも出るでしょうなあ。闇の売春婦等は性病を移されたり特殊性癖の連中に殺害されたりと危険が伴うものですけどね」
「分かった。卿が責任者となる事を条件に許可する」
「有り難き幸せ」
喜んで執務室を出て行くハンスの後ろ姿を眺めながらラインハルトは自分とは違い平和な時代には平和な仕事を行えるハンスを羨ましく思っていた。
これが、キルヒアイスとアンネローゼの結婚式の四日前の事である。
尚、職業訓練校を卒業した若者が次々と帝国の企業に就職して同盟を出て行く為に同盟の過疎化が進み帝国に併呑されるのが早まる事になるとはラインハルトもハンスも、この時は予想もしていなかった。