銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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デビュタントとの夜

 

 帝国歴485年12月31日 新無憂宮 翡翠の間

 

 議会が存在しない帝国ではパーティー等の人が集まる場所が秘密裏の議会となりパーティー等に参加する事は重大な仕事でもあった。

 しかし、この日のパーティーは別の意味でも貴族達には重大な意味を持つものであった。

 軍部では将官以上の者、文官では局長の地位以上の者、貴族では爵位を持つ者とその子女のみである。例外として特別に許可を貰えた者も参加を許される。

 そして、爵位を持つ者の子女に取っては一生に一度の晴れ舞台でもある。

 普段は深窓の姫君として屋敷から出る事のない姫君が、このパーティーに参加する事により社交界にデビューする日でもある。

 このパーティーで素敵な異性と踊る事は帝国の娘達の憧れであり、この日に社交界にデビューする少女達をデビュタントと呼ぶ。

 しかし、普段は深窓の姫君として過ごしている少女達である。積極的になれずに壁の華として声を掛けられる事を待っている者も少なくない。

 

 そんなパーティーの中で談笑する相手も無く壁の華に目も向けずに若い食欲を満たす事に専念する若者が二人いた。ハンスとラインハルトである。

 

「閣下、お久しぶりで御座います」

 

「ハンスか。息災だったようだな」

 

「年内は大変でしたが、やっと開放されました」

 

「研修は大変だった様だな」

 

「内務省の研修も大変でしたけど、軍務省の研修は桁違いでした。幼年学校で数年掛けて習う事を半月で覚えるさせるとは無茶ですよ」

 

「まあ、そういう言うな。実際に幼年学校で習う事は実技科目を除けば軍科目は意外と少ないからな」

 

「そうだったんですか!」

 

「絵画やダンスも習ったぞ」

 

「幼年学校って、軍人養成所ですよね?」

 

「軍人だけではなく医者の卵や技術者の卵も養成している」

 

「そうなんですか」

 

「それより、姉上の事、卿に会ったなら礼を言わねばならんと思っていた。改めて礼を言う」

 

「礼を言われる様な事では有りません。弟子の自分が自由に会えるのに実の弟である閣下が会えないのは道理に反するからです」

 

 この二人、パーティー開始から参加していたが料理の攻略に夢中で互いの存在に気付きながら会話を始めるまで二時間の時が必要だった。

 

「それと平行して卿には苦情も言わねばならん。あれ以来、姉上はケーキ作りの毎日らしい」

 

「それが何か?」

 

「卿と会った次の日に大量のケーキの材料を仕入れたらしく。リヒテンラーデ侯が後宮でケーキ屋でも開業するかと半ば本気で疑う程の量だったらしい」

 

「……」

 

「……」

 

「僕がケーキ作りを習いに行けるのは月に一度か二度程度と思います。流石にそれは……」

 

「まあ、姉上が大量に物を買うのは昔からの事だからなあ」

 

「はあ」

 

 ラインハルトの述懐に共感もするが自分が苦情を言われる事でもないと思った。勿論、口に出せなかったが。

 

「私も子供の頃に姉上によく買い物に付き合わされたものだ」

 

「もしかして特売の時ですか?」

 

「卿は、よく分かったな」

 

「もしかして出入りの業者から大量に買うと安くなるとか言われたかもしれませんね」

 

 ハンスの言葉に思い当たる節があるラインハルトだった。

 

「姉上も伯爵夫人なのだから、貧乏性を治して頂かないと……」

 

 自覚の無い貧乏性が偉そうに論評する。この場にキルヒアイスが居れば呆れ半分に「貴方も十分に貧乏性です!」と、言った事であろう。

 

「閣下、反対方向よりは遥かに良いと思いますよ」

 

「それはそうだがな」

 

「それより、閣下はダンスは踊れますか?」

 

「一応は幼年学校で習ったからな。しかし、男同士で踊る気はないぞ」

 

「僕も閣下と踊る気はありません。先程、仲良くなったフロイライン二人組がダンスの相手を探していましたから閣下が協力して頂くとフロイラインと僕も踊れるのですが」

 

「仕方ない。卿には借りがある」

 

「では、少しお待ち下さい。すぐに連れて来ます」

 

 五分後、ハンスが金褐色とクリーム色の髪をした二人の少女を連れて来た。

 二人とも美しい少女で濃い化粧もせずドレスも淡い色に控えめのデザインで二人の清楚さにラインハルトは関心した。

 かつてラインハルトはキルヒアイスに門閥貴族の姫君を「ケーキ」に例えて、外側は美しく中身は甘いと酷評した事がある。

 そのラインハルトさえ二人を見て好印象を抱いた。

 

「閣下、此方のフロイラインはドルニエ侯の姫君です」

 

 ハンスの言葉を引き継いで金褐色の髪をした娘が口を開いた。

 

「初めましてミューゼル閣下。マリー・フォン・ドルニエと申します」

 

「そして、此方のフロイラインはフォカ伯爵の姫君です」

 

 クリーム色の髪をした娘がマリーと同じくハンスの言葉を引き継いで口を開く。

 

「初めまして、ミューゼル閣下。ゾフィー・フォン・フォカと申します」

 

「初めまして、帝国軍中将ラインハルト・フォン・ミューゼルです」

 

「閣下、ダンスまで時間が有りますので立ち話も何ですから、彼方のテーブルにでも」

 

 ハンスが半円形のソファーの席を指して提案した。全員で席につくとハンスとマリーが飲み物を取りに席を離れる。

 

「全く、落ち着きの無い奴だ。フロイライン達に何か迷惑でも掛けませんでしたか?」

 

「そんな事は有りません。逆に面白い話や色々とためになる事を教えてくれましたわ」

 

 ラインハルトも若い女性の扱いに長けてる若者でなく通常なら話題に困るのだが、今日はハンスという共通の知人をネタに話題は困る事はなかった。

 ハンスとマリーが帰ってきたのはダンスが始まる10分前である。

 飲み物を受け取りながらラインハルトがハンスに皮肉を投げつけた。

 

「随分と遠くまで飲み物を取りに行ってたらしいな」

 

「ええ、飲み物を取りに行くついでにフロイライン・ドルニエを口説いてましたから」

 

 皮肉を投げつけてもハンスの顔面の皮はイゼルローンの装甲並みに厚いらしく効果が無い様だ。

 

「……フロイラインには迷惑を掛けてないだろうな?」

 

「閣下、そんな事は有りませんわ。准尉はとても紳士ですわ」

 

 マリーが笑顔で助け船を出すのでラインハルトも仕方なしに引き下がる。

 気を取り直して、新年の乾杯をした。その後にハンスはマリーとラインハルトはゾフィーとペアを組みダンスを踊った。

 ラインハルトはハンスが踊れるか心配したが杞憂だったようでマリーのエスコートが巧みなのかもしれないが大過なくダンスを踊りきった。

 

 パーティーも終わり珍しく帰りの遅いラインハルトを心配したキルヒアイスが公用車を借りて迎えに来てくれていた。

 キルヒアイスはラインハルトが貴族の令嬢と一緒にいる事に軽く驚いたがハンスの姿を見て妙に納得した。

 公用車にフロイラインとハンスも同乗させフロイライン達を屋敷に送り届けた後にラインハルトが口を開いた。

 

「こんなにパーティーが楽しかったのは初めてであった。ハンスには礼を言う」

 

「此方こそ、楽しかったです」

 

「ハンス、単刀直入に聞くが誰に依頼されてフロイライン達と私を引き合わせたのか?」

 

 ラインハルトの目は嘘は許さぬという光が放たれていた。

 

「まあ、閣下が勘違いされるとは思っていましたけど……」

 

「ほう、勘違いとな。ドルニエ侯とフォカ伯と言えば帝国でも指折りの軍需産業の名家だがな」

 

「閣下、今夜のパーティーは名家ばかりが集まったパーティーてすよ。軍需産業と言っても帝国の軍需産業は貴族が独占しているでしょうに」

 

「では、今夜の事は偶然と卿は主張するのか?」

 

 ラインハルトの眼光が一段と強くなる。

 

「偶然では有りませんが、閣下の想定外の理由です」

 

 ラインハルトはハンスの言葉に疑惑より好奇心が刺激された。

 

「ならば、拝聴するか」

 

「その理由は、閣下が朴念仁ですから」

 

 確かに想定外の言葉に呆気に取られるラインハルトを無視してハンスが言葉を続ける。

 

「閣下にしたら、姉君以外の貴族の令嬢は頭の中は空っぽと思っていて女性の事に関しては無知無関心で女心など無理解ですから」

 

 ハンスが遠慮なく事実を指摘する言葉に運転席でハンドルを握っていたキルヒアイスも笑いの発作を耐える苦労を強いられた。

 

「それでは私が女性蔑視者に聞こえるではないないか!」

 

「女性蔑視者に聞こえるのではなく、実際に女性蔑視者なんです。自覚が無いとは重症ですね」

 

「……」

 

 既にトゥールハンマー並の致命傷を与えてるがハンスは容赦なく攻撃を続ける。

 

「どうせ、閣下の事ですからフロイライン達の化粧やドレスの色やデザインを見て貴族らしからぬ清楚な娘とか思ったんでしょう」

 

「……確かに」

 

「閣下の女性に対する審美眼は所詮はその程度なんです!」

 

「卿は私の評価が間違えてると言いたいのか?」

 

「間違いも何も基本的な知識が皆無です」

 

「では、卿は私より年少でありながら知識があると言いたいのか?」

 

「少なくとも閣下より有りますよ。まずは化粧から、あの二人の化粧は薄いようですが、あれはナチュラルメイクと言って、普通の化粧より手間も時間も掛かってます」

 

「そうだったのか」

 

「姉君も同じメイクをしてましたよ。まあ、元が良くないと自滅する化粧ですけど」

 

「……」

 

「次にドレスも色が淡く薄い色とデザインは胸が無いのを誤魔化す為です」

 

「……その、私が女性に無理解であった事は認める。だから、彼女らを引き合わせた理由を教えてくれ」

 

 流石のラインハルトも自分の無知を的確に指摘されて素直に降参した。

 

「それは、フロイライン・フォカは今年の六月に政略結婚をするんです」

 

「そうか。それは気の毒だと思うが、それと今夜の事の関係は?」

 

「本当に朴念仁ですね。結婚する前に、せめて憧れの人と話をしたい。ダンスを踊りたいと思うのが乙女心ですよ!」

 

 運転席で話を聞いていたキルヒアイスがラインハルト本人より先に理解していた。

 ラインハルトは類い稀な美貌の持ち主で、その事に本人が無関心な為、昔から女性から好意を寄せられても気付かない。ハンスが朴念仁と呼ぶのは仕方がないとキルヒアイスも思った。

 しかし、実際はキルヒアイスも宮廷の貴族の令嬢から小間使いの少女達からも「ノッポのハンサムさん」と人気がある事に気付いてない。その意味では似た者同士の二人である。

 

「閣下は中身は朴念仁ですが見映えはいいですし十代で将官ですからね。若い娘が憧れるのは当たり前です!」

 

「そうか」

 

「だから、途中で閣下とフロイラインを二人にしたんです!」

 

「そ、それは手間を掛けさせたな」

 

「閣下、別に僕は閣下を責めてません。ただ、閣下に理解して欲しいのは門閥貴族も自分家の家人や雇っている人達の為に必死になって犠牲を払っている人もいる事を知って欲しいのです」

 

「分かった。肝に命じておこう」

 

 返事こそ短いがラインハルトの内心では新鮮な驚きと大きな葛藤があった。

 門閥貴族が政略結婚する事は知っていたが、単に権勢を求めての事だと思っていた。しかし、ゾフィーの様に家人や雇っている人々の為に従容と犠牲になっている事の驚き。

 今まで増悪の対象でしかなかった門閥貴族も九年前のミューゼル家と同じ苦しみを持ち、更に覚悟も持っている事。

 

「まあ、帝国だけじゃなく同盟も同じ様なもんですけどね」

 

 ハンスの言葉には重い何かがあった。ラインハルトもキルヒアイスもハンスが同盟で何を見て何を経験したのか色々と気になったが、それは他人が迂闊に触れていけない事に思えて二人とも口にしなかった。

 

「そうだ。大事な事を忘れていた。少佐にはお土産が有ります」

 

 ハンスがいきなりキルヒアイスに声を掛けてきた。

 

「お土産とは?」

 

 ハンスが足元に置いてあったバッグの中から白いビニール袋を取り出しラインハルトに渡した。

 

「帰ってから温めずに食べられる物ばかりですから」

 

 横のシートに座っていたラインハルトが受け取った中身を確認して呆れてしまった。

 

「何時の間に卿は!」

 

 ハンスはパーティーで出された料理を使い捨てのフードパックに入れて持ち帰ってきていた。

 

「ダンスが始まる直前ですよ」

 

「まさか、ドルニエ家のフロイラインまで巻き込んではないだろうなあ?」

 

「大丈夫ですよ。巻き込んだりしてませんよ。それに大事な食べ物を廃棄するよりは良いでしょう?」

 

 悪びれずに堂々と宣言するハンスに呆れながらも感心してしまうラインハルトであった。

 

「卿には色々と驚かせられる」

 

 ハンスを送り届けた後の車中でラインハルトはキルヒアイスに問い掛けた。

 

「キルヒアイス、お前は俺より視野が広い部分がある。ハンスの事をどう思う?」

 

「そうですね。表面上の事から言えば色んな意味で恩義が有ります。しかし、准尉がラインハルト様に恩義を売る理由が不明なのが不安です」

 

「キルヒアイスも俺と同じ考えか。俺も最初は皇帝の寵姫の弟の歓心を買うつもりかと思ったが今夜の事を考えると違うらしい」

 

「ラインハルト様、はっきりと自分でも確信も無い推論なら有るのですが……」

 

「俺とお前の仲だ。言ってみろ」

 

「もしかしたら、准尉はラインハルト様に期待を寄せているかもしれません」

 

「……」

 

「准尉も同盟では悲惨な生活を強いられていました。帝国では厚遇されてますが、それでも社会の上層部に対しての恨みや怒りは国が変わっても持っているのかもしれません」

 

「それで、若い俺に期待をして広い視野を持たせる為に門閥貴族の娘達と話をさせたのか?」

 

「あくまでも、推論ですが……」

 

「キルヒアイスは奴をどう評価する?」

 

「年齢に似合わぬ見識と視野を持っていますが、それが実際に役に立つかは疑問です。しかし、対同盟に関して准尉が知る情報は有益です」

 

「俺達に有益かは判別するには情報不足だが、帝国軍としては有益か」

 

「軍部が、その事に気付いているか疑問ですが」

 

「ふん、情報の貴重さを理解してない奴が多すぎるからな」

 

「どちらにしても、今暫くは様子を見た方が賢明でしょう」

 

「そうだな。奴はまだ若い。暫くは様子を見てもいいだろう」

 

(もし、准尉がラインハルト様の障害になるなら自分が排除する。だが、果たして自分に出来るのか?)

 

 グリンメルスハウゼンの時は力量的に不安を感じたがハンスに対しては別の意味で不安を禁じ得ないキルヒアイスであった。

 

 キルヒアイスが葛藤している時に張本人は自室でパーティーから持ち帰ってきた料理を堪能していた。

 テーブルの上にはローストビーフにフォアグラにキャビア。それに薄切りのライ麦パンにチーズ各種。ちゃっかりとサラダとワインまで並んでいる。

 

「ダンスで体を動かした後の食事は格別だね」

 

 ローストビーフと一緒にサラダとチーズを薄切りパンで挟んだ即席のサンドウィッチを食べた後にフォアグラとキャビアを薄切りパンに乗せてワインを楽しむ。

 

「ワインにはキャビアよりフォアグラが合うなあ」

 

 心地よい達成感を感じながらの食事は格別である。今夜のパーティーは思わぬ収穫があった。

 ラインハルトに門閥貴族の労苦の一端を見せる事が出来た。

 ラインハルトは自分やキルヒアイスに同盟のヤンと違い非常の際は非情になれる男である。

 キルヒアイスを亡くした直後にはリヒテンラーデ侯の一族で十歳以上の男子を皆殺しにしている。

 ラインハルトの根幹には姉を奪った門閥貴族に対する復讐心が強く無用な血を流し過ぎる。

 今夜の事でラインハルトの復讐心が無に還る事はなくても僅かでも心理的ブレーキになればと思う。

 急ぐ必要はない。ラインハルトが元帥になるまでに少しずつでよい。苛烈な性格に寛容の芽を育てればよい。

 ラインハルトやキルヒアイスの思惑など気にせずにハンスは逆行前の人生では縁がなかった料理を味わいながら能天気に充実感と料理を満喫していた。

 


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