銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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夢の中へ

 

 広い病室にはハンスだけしか居なかった。

 再びテロの標的になった場合に周囲の人間を巻き込まない為の対策であった。

 病室の外では入院患者の朝食の準備に戦場さながらの喧騒である。

 その喧騒と無縁にハンスは眠り続けていた。

 

 

 ハンスは空豆のスープを堪能していた。店の従業員達の賄いである。

 

「本当に美味しいなあ。店で出せばいいのに」

 

 ハンスの感想にコック長が応える。

 

「気持ちは分かるが、うちの店に出すには格が不足しているからな」

 

「格?」

 

 少年のハンスには格という代物が理解が出来ない。

 

「ハンスには、まだ早いが料理の世界にも格が有るんだよ」

 

「格のせいで、お客さんが美味しい物を食べれないのは可哀想だよね」

 

「ハンスは優しいな」

 

 コック長は大きく厚い掌でハンスの頭を撫でるのであった。

 

 

「全員整列!」

 

 教官の号令に全員が慌てて整列をする。

 

「これから、お前達は研修を受ける事になる。甘えた事を言う奴は戦場に置き去りするからな!」

 

「イエッサー!」

 

「何か質問は?」

 

 ハンスは教官の剣幕に怯えながらも勇気を出して質問する。

 

「あのう、いつが外出日になるんでしょうか?」

 

「何だ、入隊して一日目から外出日を気にするのか!」

 

「すいません。母が転院してから一度も病院に行ってませんから、何が必要な物とか分からないので一度は先生と看護師さんと話をしたいので……」

 

 教官もハンスの事情を聞き、幾分か声の勢いをなくして応える。

 

「そうか。今月は二十日になる」

 

「了解しました」

 

「他には無いか?無いなら解散!」

 

 教官の宣言の後に少年達が自分達の部屋に戻って行く。

 

「国も何を考えているんだ。こんなガキどもを僅かな研修だけで戦場に出せとは!」

 

「スパルタニアンのパイロットには金が掛かるからなあ」

 

「今の子も母親がいるだけマシだろう。孤児も随分といるからな」

 

「親を戦死させて子まで戦死させるつもりか!」

 

 教官達の会話が聞こえて来たが病人の母親を持つ自分がマシな部類になるのかハンスには疑問であった。

 

 

「駄目だ。逃げろ!」

 

 何処からか声だけが聞こえる。目の前は炎の海である。ハンスは手にした消火器を捨て迫り来る炎から逃げ出す。

 

「何処に逃げればいいんですか?」

 

 ハンスが怒鳴る様に煙と炎で見えない上官に質問する。返事は無く代わりに床が爆発して炎の柱が現れた。

 

「うわっ!」

 

 ハンスは床に叩きつけられる。慌てて立ち上がるが立ち上がれない。

 不思議に思い上半身をだけを起こして足元を見ると左脚が膝の上から無くなっていた。

 

 

「主任が伝えて下さいよ」

 

「ちょっと、貴女。上司の命令に逆らうの!」

 

 病室の外から女性の声が聞こえてくる。ハンスの視界には白い病院の天井が見える。

 体を動かしたくとも体が動かないので、そのままベッドに横になる事にする。

 

「母親の為に戦場に行って左脚を無くした子供に母親が死んだ事を伝えるとか私は嫌ですよ!」

 

 どうやら、自分に母親の死を伝える役目を押し付け合っている様である。

 

 

「第四艦隊との通信が途絶したらしいぞ」

 

「まだ、第二艦隊と挟撃が出来る!」

 

「しかし、敵は此方の二倍の戦力だぞ」

 

「ラップ少佐が諫言してくれてるらしいが……」

 

「部下の意見を聞き入れる程の器が無いだろう」

 

 下士官達の会話が聞こえて来る。

 少年兵の間ではムーアは人望の無い提督と言われていたが事実の様である。

 

「空気圧の点検は終了しました。全て異常無しです!」

 

 ハンスが上官である下士官に報告して持ち場に戻ろうとした瞬間に警報が鳴り響く。

 

「何だ?」

 

「馬鹿、敵襲だ!」

 

 下士官達が部下達に命令を出す前に天井が爆発して瓦礫の雨が降り注いで来た。

 

 

「この臆病者の非国民め!」

 

 同僚や上官達が腕に黄色の腕章をする中でハンスは後ろ手に縛られて営倉に放り込まれていた。

 水も無く、日に一度だけの食事を犬の様に口だけで食べる。

 

「帝国を倒す為にルドルフと同じ事をする連中と一緒に居られるか!」

 

 ハンスが解放されたのはヤン艦隊が到着した後である。

 

 

「看護婦さん」

 

「傷口が痛むの?」

 

 看護婦の目には沈痛な光が零れていた。臨時の病院船になった駆逐艦には鎮痛剤も既に不足している事はハンスも知っていた。

 

「手を握って。最期の時は誰かに側に居て欲しい」

 

 看護婦は無言でハンスの片腕になった手を握ってくれた。

 ランテマリオ会戦に参加した駆逐艦で最古の老朽艦である。船体には病院船を示す赤十字も無い。

 帝国軍も病院船を標的にする事は無いだろうが船体に赤十字も無い駆逐艦が臨時の病院船になっているとは思わないだろう。

 既に戦況は最終段階である。黒槍騎兵艦隊の突撃で同盟軍は瀕死の状態である。

 この駆逐艦の周囲の艦艇も火球と化している。

 

「ごめんね。看護婦なのに最期に何もしてあげられなくて」

 

「ううん。最期に美人のお姉さんに手を握って貰えたから本望だよ」

 

 看護婦もハンスの言葉に思わず笑顔になった。次の瞬間に艦内放送が掛かる。

 

「ヤン艦隊だ!ヤン提督が来てくれたぞ!」

 

 艦内に歓声が沸き上がる。

 

 

 ハンスが退院して官舎に戻ると知らない若夫婦が住んでいた。驚いて事情を聞くとイゼルローン要塞からの脱出者で軍に一時的な仮宿舎として紹介されたと言う。

 驚いて統合戦本部に行くと、民間人が優先と言われて自身の寝床として本部の仮眠室を提供された。

 その日の深夜にミッターマイヤーが統合作戦本部にミサイルを撃ち込む。

 

 

「そっちに行くな!」

 

 ハンスは濁流の如く迫る炎から逃げる帝国軍兵士と市民をビルの上から誘導する。

 

「ハイネセン像の方へ行け!」

 

 既にビルの出入り口は炎に包まれている。誘導に夢中になり自分が脱出するタイミングを逃してしまった。

 どうせ、助からないなら一人でも多く逃がすつもりである。

 

 

 ルビンスキーの火祭りで全身火傷してから長い入院生活から解放されたが、既に帝国軍も無くバーラト共和自治政府に変わっていた。

 

「今夜は雨が降らなければいいけど」

 

 野宿する覚悟をしていても、雨が降れば野宿が出来る場所も限られて来るのである。

 ボランティア団体の炊き出しの列に並びながら天気を気にするハンスであった。

 

 

「ちょっと待って下さいよ。申し込みした時は三割負担だったじゃないですか。順番が来た途端に五割負担になるとか悪辣じゃないですか!」

 

 役所の窓口で怒鳴るハンスであった。予想外の出費である。

 

「今、新しい義手義足にしないと次は負担額が更に上がりますよ」

 

 窓口の役人は他人事と言わんばかりの態度である。実際に他人事なのだろう。

 

 

「警察に行ったら労基署に行けと言われて来たんですよ。なのに労基署は警察に行けとか典型的な、たらい回しじゃないですか!」

 

「これは民事じゃないですから、刑事事件として警察に相談して下さい」

 

 社長が会社の全ての現金と本来なら会社が負担する筈の社員寮の光熱費を社員名義に勝手に変更していた為に社員に電気会社から請求が来ている。ましては社長が給料日の前日に会社の現金を全て持って夜逃げをしていた。

 

「ふざけるな!」

 

 一緒に来ていた同僚が役人に殴り掛かるのをハンスと他の同僚が必死に止めにはいる。

 

 

「ちょっと待てくれ!」

 

 ハンス達が河川敷に作ったバラックをブルドーザーが破壊していく。

 

「待ってくれ!中には娘との写真があるんだ!」

 

 仲間の一人の叫びに応えてブルドーザーが止まる。

 

「構いません。今日中に撤去して下さい」

 

 役人が無慈悲な指示を作業員に出し再びブルドーザーが動き出す。

 

 

「嘘じゃないのか?」

 

「本当らしい。帝国の大公妃殿下が人道支援として義手義足を無償でくれるらしい。オノさんも義足が壊れて何年もなるだろう」

 

「もう三年になる。何処が受付場所かを教えてくれ」

 

「ハイネセン広場で帝国軍が受付をしていたぜ」

 

「ありがとう。すぐに行くわ!」

 

 

「そんな!」

 

 ハンスは退院する時に看護師からグリューネワルト記念病院がアンネローゼの死去に伴い閉鎖する事を告げられた。

 アンネローゼの人望により帝国の篤志家とアンネローゼの私財に寄って運営されていたがアンネローゼの死後には財政難であった。

 

「これからは病気になったら死ぬぞ」

 

 看護師もハイネセンの状況を知るだけにハンスの顔を見る事が出来ない。 

 

 

「多分、その量だと足りん。もう二人分を用意せよ」

 

 ラインハルトの声がする。随分と失礼な事だと思いつつも事実なので反論も出来ない。

 

(しかし、長い悪夢から解放されたのだから感謝の言葉でも述べるか)

 

 ハンスは自分の提案を直ぐに却下した。

 

(下らん事に感謝して見せる等、小役人の媚売りだな。何と文句を言ってやろうか)

 

 銀河帝国の皇帝相手に不遜な事を考えながら目を開くと姉の顔が見えた。

 

「よく、眠っていたわね」

 

 ハンスは無言で姉の首に手を回して姉を引き寄せる。

 

「えっ!」

 

 驚く姉を無視してハンスは至近距離から帰宅の挨拶をする。

 

「ただいま!」

 

 ハンスから肩すかしを喰わされた形になったヘッダはハンスの腕を振りほどき出迎えの挨拶を拳骨つきでする。

 

「おかえりなさい!」

 

 ハンスは頬を朱に染めた姉に痛む頭を撫でながら呟いた。

 

「シビアー!」

 

 口にした言葉と別にハンスは悪夢から覚めて現実を見ると逆行前の人生とは違い、姉であるヘッダが居る事に、高級士官としての今の境遇に、そして、弱者を守る事が出来る立場に居る事に感謝をした。

 

 姉を前に軍人として決意を改めたハンスが完全に存在を忘れられたラインハルトに気付くまで幾分かの時間が必要だった。

 


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