後世の歴史家も呆れさせる地球教討伐であったが、実は当時の人々も呆れたものである。
当事者であるメックリンガーとケンプも呆れていたのだから当然である。
メックリンガーとケンプの間で詐欺の実行犯役を押し付け合い、戦いに敗れたメックリンガーが地球教本部上空に旗艦で現れたのは早朝であった。
「私は帝国軍上級大将のエルネスト・メックリンガーである。緊急事態発生の為、地球教信徒の諸君に避難勧告する。代表者は至急、出頭せよ」
地球教首脳部も突然の事に困惑しながも緊急事態と避難勧告の単語に動かされてド・ヴィリエの後任の大主教を代表者として出頭させた。
「緊急事態とは何事ですか?」
初老の大主教は顔には不安の色が隠せないでいた。
「大主教殿。今から告げる事にパニックにならずに落ち着いて聞かれよ」
大主教は深呼吸をして覚悟を決めると目でメックリンガーに先を促した。
「五日後に直径六十キロメートル、質量70兆トンの巨大彗星が地球に衝突するのだ」
「な、何ですと!」
「人類史上で類の無い事に、衝突した時の被害は軍の戦術コンピューターでも予測不能。衝突時の影響を考えて今日より三日以内に地球を離れるべきであろう」
気の毒に大主教の顔は既に青から白へと変わっていた。
「既に麓の湖には巡航艦を着水させて受け入れ体制に入っている。人手が足りないなら軍からも人を出す。一刻も早く地球を離れるのだ」
「わ、分かりました」
大主教は慌てながらも地球教の本部に戻ると事の一部始終を総大主教に報告した。
報告を受けた本部では想定外の事に右往左往していたが、メックリンガーが大主教と一緒に派遣した対策チームが陣頭指揮を取り信徒達を誘導する。
「取り敢えず、男女別に艦に乗艦する。病人は先に衛星軌道上に待機中の病院船に避難させる」
「落ち着いて行動する様に。地上に上がれば輸送ヘリが待機しているので一時間もせずに麓まで移動が出来る。慌てずに係員の誘導に従う様に!」
「教団職員は食料の運び出しをする様に」
「何故に食料まで?」
「それが、我々も本来は宇宙海賊討伐の為に派遣された軍なのだ。想定外の大人数なので燃料は問題が無いが食料が心細い。オーディンにも連絡をしているが急に五百万人分の食料を用意が出来ん!」
教団職員も説明されて慌てながらも食料の運び出しの手筈に取り掛かる。
「取り敢えず食料庫から食料を地上に上げよ」
教団職員も士官達に指示をされて色々と動き回る事になる。
大人数を移動させる事の専門家である艦隊士官達と教団職員の働きで一般人教徒達の移動が二日後には終了した。
メックリンガーの旗艦では最終的な打ち合わせの為にケンプが来訪していた。
「一般教徒三百万人を全員収容した。残りは教団職員だけだ」
「では、ケンプ艦隊は一足先にオーディンに出立しても問題は無いだろう」
「了解した。しかし、残りの二百万人の教団職員と本部の調査を卿の艦隊だけに任せるのは気が引けるのだが」
「そこなんだが、教団職員の逮捕はオーディンで卿に任せたい。私は本部の調査に専念するつもりだ」
「地球教が隠匿した美術品の発掘か?」
どうやら図星だったらしくメックリンガーも笑って誤魔化すしかない。
「まあ、良い。帝国軍内で卿ほどに美術品の取り扱いに詳しい者は居ないからな」
メックリンガー宅を訪問した際に応接室に飾られた小さい壺の値段を聞いて驚いた経験のあるケンプには出来れば遠慮したい仕事である。
「そう言えば、卿が自宅に飾ってある壺の破片も価値が有りそうだな」
ケンプは完全な冗談のつもりで口にしたがメックリンガーは予想の斜め上の返事をした。
「完品より価値は下がるが、それなりに価値はある。特に地球時代の陶器は高額だな」
「なんと!」
「地球時代の陶器は数が少ないからな。贋作との区別をつける為の見本として滅多にないが市場に出れば高額で取引されている」
ケンプは思わず相場を聞こうと思ったが止めた。口にするのは俗物の様な気がしたし、相場の値段次第では働く意欲も無くす気がしたのだ。
「そうか。なら、やはり卿が適任者だな」
翌日にはケンプとメックリンガーの打ち合わせ通りに地球教職員を収容したメックリンガー艦隊は艦隊参謀長のシュトラウス大将が司令官代行としてオーディンに出立した。
メックリンガーは地球に残り地球教本部の捜索する事になる。
「ふむ。軍人となり最大の幸福かもしれんな」
出立する艦隊を見送りながらメックリンガーは部下にも美術品の扱いに慣れた者を選び捜索を開始した。
「よいか。第一班は美術品の捜索を行え。第二班はサイオキシン麻薬の製造から販売までの流通ルートの証拠の捜索。第三班は地球教の暗部の歴史の捜索である」
後世、「メックリンガーの宝探し」と呼ばれた捜索である。千年前の地球時代の名画や陶器等、市場に出せない貴重な美術品が発見される事になる。
この再発見により、メックリンガーは人類の美術史の歴史を塗り替える事になる。
メックリンガーが地球教本部で宝探しに興じていた頃に先発したケンプ艦隊は戦場にいた。
艦隊内で体調を崩して医務室に運ばれた一般信徒からサイオキシン麻薬の反応が出た為である。
「全ての一般信徒の健康診断を行え。そして、オーディンに緊急事態が発生したと報告しろ」
ケンプは艦隊の医務室での対応は困難と判断して本格的な対応は設備の整ったオーディンの病院に任せる事にした。
「恐らく、サイオキシン麻薬の禁断症状に苦しむ者が続発する。病院船の医者の指示を仰げ!」
ケンプの判断は正しく禁断症状を出す一般信徒は少数であったが続発した。専門的治療を必要とする患者も続発する事になる。
病院船の医師がシャトルで艦隊内を文字通り飛び回り応急措置する。
ケンプは優秀な用兵家であるが相手がサイオキシン麻薬となると話が違う。
「兎に角、医師の指示に従え。それと状況をオーディンに逐一報告しろ」
ケンプ艦隊がオーディンに到着すると報告を受けていたロイエンタールが自身で既に作成していた疫病対策マニュアルを使い患者達を混乱も無く全て病院に搬送した。
搬送する側は搬送が終了すれば仕事から解放されたが搬送された側の病院は野戦病院さながらの騒ぎであった。
三百万人を収容するのに軍病院だけでは対応が追い付かずに警察病院から民間の病院までもが動員された。
「陛下に慎んで御報告します。サイオキシン麻薬患者を収容した各病院が人員と機材と薬品の不足を訴えています」
ヒルダがラインハルトに病院からの悲鳴とも言える訴えを報告する。
「然もあらん。三百万人もの患者など戦争でも出る事は無いからな」
「機材と薬品は各メーカーに既に発注しておりますが。人員に関しては陛下の御裁下が必要となります」
「フロイラインには何か良案があるのでは?」
「駆逐艦以上の艦艇には必ず医務室があり医師が居る筈です。その医師達を投入するしか方法は無いと存じます」
ラインハルトはヒルダの助言に満足をしながら彼女の案を採用した。
「相変わらずフロイラインの助言は的確だな。直ぐに通達を出そう」
ラインハルトが全艦隊に通達を出した翌日に教団職員を護送してきたシュトラウス大将が率いるメックリンガー艦隊がオーディンに到着した。
オーディンに到着すると同時に教団職員はケスラーが率いる憲兵隊と警察の混成部隊に逮捕されたのである。
人々が驚いたのは治安維持局のラングが逮捕劇に参加しなかった事である。
実はラングはメックリンガー艦隊が地球を出立するのと同時に地球に向かっていたのである。
ラインハルトはメックリンガーを信用していたが地球教が犯罪の証拠を簡単に発見される場所に隠さぬと判断して犯罪捜索の専門家であるラングに地球教本部捜索の協力を命じていたのである。
「卿達が来てくれた事に感謝する。所詮、我々は軍人。犯罪捜査は素人だと思い知った」
メックリンガーがラング達に感謝の言葉を口にしても、彼らには感銘の感情は無かった。
ちゃっかりと美術品は発見して搬送を始めていた。
「局長。もしかして、我々は単に仕事を押し付けられたのでは?」
ラングに部下が小声で囁くが、実はラングも同感なのだが立場上、口にしないだけである。
メックリンガーが嬉々として美術品の発見と搬送を行っているのを横目に、ラング達は隠し戸棚から麻薬の製造工場の製造予定表と搬送計画書を発見した。
更に地下の水槽タンクのゴミ箱からはサイオキシン麻薬を入れていたと思われる袋を発見した。
ラング達は到着してから一日で逮捕に十分な証拠を発見していく。
「局長。プロテクト、解除が出来ました」
「取り敢えず、全データをコピーしろ。中身の検証はオーディンですればよい。他にも裏帳簿や二重帳簿がある筈だ」
地球教の手足となり、非合法活動をしていた組織を摘発するには金銭の流れを追うのが最短である。ラングが地球教本部の捜索に来たのも金銭の流れを把握する為である。
二重帳簿や裏帳簿と呼ばれる存在は紙に記した物が大半である。電子機器の場合は消却するのも簡単だが復元する事も容易なのである。
「取り敢えず紙に記された物は全て押収しろ。帰りの道中でも検証は出来る!」
ラングが全ての証拠品を押収してメックリンガーと共に帰路についた頃、帝国軍の予測通りに新しい陰謀の芽がフェザーンで発芽していた。