銀河英雄伝説IF~亡命者~   作:周小荒

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第三次ティアマト会戦 前日談

 

 帝国歴486年1月末

 

 宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥を総司令官として艦艇三万五千四百隻が出征した。

 この中には中将として従軍するラインハルトと副官としてラインハルトに付き従うキルヒアイスの姿もあった。

 そして総司令官ミュッケンベルガーを取り巻く幕僚の集団の中には司令部付き情報武官としてハンスの姿もあった。

 

 一方、フェザーン経由で帝国軍の出征を知った同盟では、アレクサンドル・ビュコック中将、ウランフ中将、ウィレム・ホーランド中将の三個艦隊を先発隊として派遣を決定した。国防委員会の承認を得られ次第、パストーレ中将とムーア中将の二個艦隊も投入される手筈である。

 この時に既に帝国軍はイゼルローン要塞に到達していて最終的な補給を行っていた。

 

「ラインハルト様、元帥閣下の旗艦での会議の時間になりました。ご用意ください」

 

「分かった」

 

 いつもは我儘を言ってキルヒアイスを手古摺らせるラインハルトが珍しく素直に会議の用意を始める。

 

(手が掛からないが覇気が無いなあ。かなりの重症だが無理もないか)

 

 覇気の無いラインハルトというのも稀有なのだが部下の目には不気味に写るらしくキルヒアイスにラインハルトの体調の安否を聞いてくる者もいた。

 ラインハルトを送り出した後に、何度目であろうか。今度は艦長がラインハルトの体調の安否を聞いてきた。

 

「副官殿、提督の体調は大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫ですよ。初めて一個艦隊を指揮する事に緊張しているだけですよ」

 

 同じ事を部下達に言うのは、これで何回目であろうか。

 

「そうですか?」

 

 流石に准将に昇進して以来の付き合いの長い艦長である。ラインハルトの事をキルヒアイスの次に理解しているらしい。

 

「艦長には何か異存でも?」

 

「うちの提督が緊張する様な可愛気のある人ですかね。姉君と喧嘩したとか姉君に怒られたとかなら納得が出来ますけど」

 

(そんな事になったら、この程度では済まないけどなあ)

 

「まあ、提督も若いから失恋したとかなら可愛気もありますけど……」

 

 失恋して落ち込むラインハルトを想像してみたがキルヒアイスの脳裏には映像化不可の文字が写しだされた。

 

「副官殿でも分からないなら自分達には分からないでしょうね」

 

「まあ、閣下の事ですから戦闘が始まれば、いつもの閣下に戻りますよ。安心して大丈夫だと私が保証しますよ」

 

「まあ、あの人も単純な人ですからね。戦闘が始まれば、いつも通りにカリカリするんでしょうけど……」

 

 本来なら艦長の発言は上官侮辱罪に相当する内容だったが事実なだけにキルヒアイスも苦笑するしかなかった。

 

 部下から単純と評された若者は珍しく会議も上の空であった。

 元からラインハルトに意見を求められる事もなく会議に出席しているだけだが、いつもは口に出さないだけで突っ込みを入れたり挙げ足を取ったりと熱心なのだが、それまでは漫然としていた。

 

「次に既に三個艦隊をティアマト星域に布陣している敵将については司令部独自の情報があるので、これから説明させる」

 

 情報武官としてハンスが会議室に入室した途端、ハンスに反応したか敵将の情報に反応したかは不明だがラインハルトの目に覇気が甦る。 

 

「皆さんが御存知の通りに小官は敵軍内部には、些か精通していますので敵将について説明させて頂きます」

 

 スクリーンにホーランドの顔が写しだされる。この後の議事録は五分間分はホーランドに対するハンスの罵詈雑言で埋め尽くされる事になる。

 

「以上の様にホーランドは机上の空論を玩び虚栄心が強いだけの男ですので、戦闘が始まれば必ずスタンドプレーに走りますので相手にせず、此方が後退すれば必ず追撃して来ますので友軍は後退を繰り返してホーランドを味方から引き離し孤立させた上で行動の限界点に達した時に攻撃すれば簡単に壊滅します」

 

 スクリーンに写しだされる顔がホーランドからビュコックに代わる。

 

「次の敵将ビュコックですが、現時点で敵軍内部では随一の能力の持ち主です。あの第二次ティアマト会戦の時から兵卒として戦場を往来していて経験では敵味方を合わせても一番の人物です。敵軍内では老練という言葉はビュコック以外に使うなとも言われる程の指揮官です」

 

 スクリーンに写しだされる。顔が今度はビュコックからウランフに代わる。

 

「次の敵将ですが敵軍内部では次の宇宙艦隊司令長官と評されている人物です。人望、実績、能力ではビュコックに次ぐ司令官です。特に攻撃の精悍さではビュコックを凌ぐと評されています。説明させて頂きました通り今回は敵軍の2トップとアホ一名ですので狙い目はアホになるでしょう。アホの艦隊を潰せば数で不利になる敵軍は敗走する事は自明の理です」

 

(最後は名も言わずにアホ扱いか。どんな恨みがあるんだ?)

 

 ラインハルトの内心の声は会議室に居る全員の声でもあった。

 

「オノ准尉の情報によると帝国軍の勝利は疑いないものである!」

 

 ハンスのアホ発言で場の雰囲気が変になり掛けたがミュッケンベルガーが強引に場の雰囲気を元に戻す。

 

「戦勝の前祝いとして酒を空け、皇帝陛下の栄光と帝国の隆盛を卿ら共に祈るとしょう!」

 

 ミュッケンベルガーが元帥らしく場を引き締める。

 全員が乾杯して散会となった時にラインハルトはミュッケンベルガーに呼び止められた。

 

「ミューゼル中将は私の執務室に出頭せよ。部下は先に帰す様に」

 

「了解しました」

 

 ラインハルトは参謀長のノルデン少将に入れ替りにキルヒアイスを迎えに来させる様に命じてからミュッケンベルガーの執務室に行く。

 執務室に入るとミュッケンベルガーがデスクではなくソファーで待っていてラインハルトにもソファーに座る事を指示する。

 

「卿は何歳になる?」

 

「今年で十九歳になります」

 

「そうか。食事は摂れているのか?」

 

「はい」

 

「そうか。体調は大丈夫か?」

 

「はい」

 

(ミュッケンベルガーの奴は何がしたいのだ)

 

「何か悩み事はないのか?」

 

「いえ何もありませんが?」

 

「そうか」

 

「……」

 

「まあ、若い時は色々あるからなあ。卿とて失敗はある」

 

「はい」

 

「失敗も、その時は辛いが歳を取ると懐かしい思い出になるもんだ。私も例外ではない」

 

「失礼ですが私は何か失敗したのでしょうか?」

 

「確かに失敗ではない。人を好きになる事は。失恋も人を成長させる糧になる」

 

「あの閣下、まるで私が失恋したみたいに聞こえますが?」

 

 ミュッケンベルガーがラインハルトの言葉を聞いた瞬間に顔色を変える。

 

「何、いかんぞ。卿だけの問題では無くなる。姉君の立場も悪くするし各方面の関係も悪化するぞ!」

 

「閣下、私は現時点で特定の女性と交際もしていませんが、閣下は私が駆け落ちでも考えてると勘違いをしていませんか?」 

 

「違うのか?」

 

「そんな相手はいません!」

 

「なんだ、紛らわしい!」

 

(それは、こっちの台詞だ!)

 

「卿が珍しくパーティーでフロイラインとダンスをしているから勘違いしてしまったわ!」

 

 ミュッケンベルガーの言葉にラインハルトも我慢しきれずに溜め息をつく。

 

「では、単刀直入に言うが卿が新年の休暇明けから元気が無いと卿の知り合い数人から報告があったのだ!」

 

「確かに休暇明けから頭の痛い問題を抱えていましたが、こんな事になるとは」

 

「その問題はなんなのだ?」

 

 ミュッケンベルガーに問われてラインハルトは数瞬の間に考えてミュッケンベルガーも問題に巻き込む事に決めた。

 

「上官たる閣下も知っていたほうが宜しい問題ですが他言無用でお願いします」

 

 ミュッケンベルガーもラインハルトの言葉に身構える。

 

「最初から、そのつもりだ」

 

「では、事の起こりは例のパーティーなのですが、あの夜に自分はファカ伯の令嬢とオノ准尉はドルニエ侯の令嬢とパートナーを組んでダンスをしました」

 

「うむ、私も覚えている。卿が珍しくパーティーを楽しんでいたからな」

 

「それでは話が早い。その時にドルニエ侯の令嬢がオノ准尉を見初めてしまったのです」

 

「……」

 

「……」

 

「私の聞き間違えか。見初める方と見初められる方が逆だと思うが……」

 

「閣下、お気持ちは分かりますが間違いありません。後日、私はドルニエ侯に呼ばれて令嬢の前でオノ准尉の気持ちと好みの女性のタイプを探る様に依頼されました」

 

(ドルニエ侯の人選ミスも甚だしいわ。よりにも寄って朴念仁のミューゼルを指名するとは)

 

 内心では事実とは言え失礼な事を考えているミュッケンベルガーだったが口に出したのは違う話である。

 

「卿が依頼されたのなら卿が責任を持つ様に」

 

ミュッケンベルガーの言葉にラインハルトも慌て気味に反論する。

 

「ちょっと待って下さい。オノ准尉は閣下の直属の部下であり、上官かつ年長者である経験豊富な閣下が私より確実ではありませんか!」

 

 ラインハルトに言われミュッケンベルガーも慌て気味に反論する。

 

「卿も分かっている筈だ。二人の仲を取り持っても早晩に破局する事は!」

 

「そうとは限らんでしょう!」

 

「ええい、惚けるな。どうせ令嬢も直ぐに目が覚める。オノが棄てられるのは時間の問題だろう!」

 

「閣下は先程、失恋は人間として成長する糧となる言っていたではありませんか!」

 

「卿とオノでは話が違う。奴の場合は下手したら自殺か無理心中でも起こしかねん!」

 

「……」

 

 ハンスの行動力は亡命という実績が既にあり、ミュッケンベルガーの危惧も現実味がある。

 ラインハルトもミュッケンベルガーと同じ危惧があり仲を取り持った負い目を持ちたくないのが本音である。

 

「オノが私の直属の部下と言うならば本日付けで卿の麾下に配属させよう」

 

「……了解しました」

 

 この二人、失礼な事にハンスがマリーから棄てられる事を前提条件として話を進めている。意外と似た者同士かもしれない。

 そして、失礼極まりない理由と責任の押し付け合いの結果、ハンスはラインハルトの麾下に配属された。

 この事により銀河の歴史は大きく変わってゆくのだが、この顛末をラインハルトはキルヒアイス以外の人間には生涯の秘密とした。


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