ラインハルトは改めてヒルダにプロポーズした翌日にはマリーンドルフ伯に二人の結婚の許可を貰いにマリーンドルフ邸を訪れていた。
通常の門閥貴族なら娘が皇妃になれば有頂天になるのだが、マリーンドルフ伯は通常の門閥貴族ではなかった。
父親としてラインハルトに何か皮肉の一つも言いたいが相手が悪すぎる。
更に娘の幸せそうな顔を見ると皮肉を言う気力もなく出た言葉は凡庸な父親以下の言葉であった。
「陛下。私の娘で後悔しませんな?」
(お父様。どういう意味ですか!)
ヒルダもラインハルトの前なので色々と追及したいが我慢をする。
「後悔などしない。逆にフロイラインに後悔されない様にしたい!」
真面目なラインハルトはマリーンドルフ伯の発言に、真面目に応えるのであった。
ラインハルトがマリーンドルフ伯に挨拶をするという試練を乗り越えた後はヒルダがアンネローゼに挨拶をするという試練に挑まないとならない。
アンネローゼには最初のプロポーズの時に既にヒルダは相談という形で報告と挨拶を済ませていたので幾分かは気楽であった。
超光速通信での挨拶となるのは仕方がなかった。
「ヒルダさん。ラインハルトを好きになって下さって有り難う御座います」
「此方こそ、私の様な不束者と結婚して頂き望外ですわ」
「ラインハルトもヒルダさんを困らせない様にね」
「はい。姉上」
「それから、二人に大事な報告があります。ジーク」
アンネローゼがキルヒアイスに呼び掛けるとカメラがズームアウトしてアンネローゼの胸像から全体像へとモニターに写し出されるのだが上半身が写し出された途端にラインハルトとヒルダは絶句した。
「今月で8ヶ月目になります。予定日は2月の終わりか3月の頭になります」
アンネローゼの腹部には新しい生命が宿っていた。
「キルヒアイス。ちょっと、待って!」
「はい。陛下、何でしょうか?」
モニター内にキルヒアイスが笑顔で現れる。
「二人は、今年の五月の結婚で計算が合わんではないか!」
傍らに控えていたシュトライトが素早くラインハルトの耳元で何かを囁く。
「それは事実なのか?」
ラインハルトが何かしらシュトライトに確認する。
「事実です。私も上の子供が出来た時は驚きました」
「帝国の保健体育には問題があるな!」
「私が若い頃から問題にはなっていました」
「分かった。明日にも学芸省に通達を出しておく」
ラインハルトはシュトライトとの会話が終わるとモニターに向き直る。
「取り乱してしまった。失礼した。それなら、早く報告してくれたら良かったのに」
アンネローゼが珍しく悪戯な笑顔を見せていた。
「此方にも事情が色々と有りましたから、事のついでに二人の婚約した時にと思いましたの」
「姉上!」
ラインハルトが珍しく情けない声を出す。世の姉という生き物は弟という存在をからかう者である。アンネローゼも例外ではなかった。
「長年の間、色々と心配を掛けさせられましたから」
アンネローゼに言われたら何も反論が出来なくなるラインハルトであった。
翌日にはアンネローゼの懐妊が発表されハイネセンは新年に向けて祝賀ムードである。
帝国なら不敬罪で逮捕される事だが、生まれてくる赤ん坊の性別を対象に賭けも行われている。大穴で双子が300倍の配当である。
一方でフェザーンではラインハルトとヒルダの婚約は一部の者のみ知る秘密であり、発表は新年休暇が終わり開庁してからである。
年末の忙しい時期に発表すると関係各省庁の負担が過大になる事を懸念しての措置である。
そして、世間ではアンネローゼの懐妊を祝う中で、地球教もアンネローゼの懐妊を祝っていた。
「金髪の孺子の姉が出産すれば産まれた子供にも帝位継承権が発生する。赤毛の孺子が我が子の為に帝位を簒奪しても不思議ではない」
デグスビイの理論は民間レベルでも珍しい事でも無い。
アンネローゼにしても実弟より我が子の方が可愛いのは確かである。
「それに、赤毛の孺子の部下達も栄達も出来ぬまま異郷の星に暮らす事になる。同盟が完全併呑されたらハイネセンなどは帝国の片田舎になる」
デグスビイは信徒を納得させる為に策略の成功要因を挙げなければならない。
デグスビイも自身の説明を本気で信じている訳ではない。
しかし、信徒に信じ込ませて希望を持たせないと糾合した組織も解体してしまう危険を孕んでいた。
「金髪の孺子は独身である。奴が死ねばローエングラム王朝などは泡沫の夢よ」
デグスビイはラインハルトがヒルダという伴侶を得た事を知らないでいる。
「我らが決起する日の為に打てる布石は打つのだ」
デグスビイは勢力拡大の為に地道な作業をしている。帝国政府関係者や軍関係者に一般企業とシンパを増やし決起する為の軍資金を集めるのに必死である。
デグスビイが宗教家らしく清貧に耐え質素な生活を送っている事で信徒の人望を得ている。
デグスビイが壊滅した地球教本部の幹部達の様に自分だけ贅沢な生活をしていたら組織は既に空中分解をしていただろう。
(さて、私の寿命が尽きるのが先か。決起するのが先か。面白いレースじゃて)
デグスビイが潜伏生活をしながらも爪を研ぎ毒を塗り込んでいる頃、ハンスとラングも地球教の潜伏先を探していた。
「やはり、連中の資金源はサイオキシン麻薬では有りませんね。既に内定されている麻薬組織と市場に出回っているサイオキシン麻薬の量が完全に一致していますね」
ラングが部下の報告書をハンスに渡すとハンスも確認してみる。
「連中がサイオキシン麻薬を諦めたとして何かの資金源がある筈なんだがね」
逆行前の知識でも地球教の資金源はサイオキシン麻薬とされていた。
地球教本部が自爆により詳細な資金源は永遠の謎となってしまった。
最後の地球教幹部をユリアン・ミンツの手で射殺された事はハンスとしては残念な事である。
「不定期に入金された収入の資料は?」
「まだ、検証も途中ですが振り込み人が架空の人物ですがオーディンやフェザーンの銀行から振り込まれています」
「日時も金額も振り込み人の名前もバラバラだな」
「恐喝した相手もバラバラなんでしょうね」
「地球教本部から押収した資料には恐喝の相手やネタは無いのでしょうか?」
「全ての資料を調べていませんが、この手の犯罪は秘密厳守で情報の二度売りをしない事が鉄則ですからね」
「まあ。犯罪組織として律儀な事で」
ハンスも呆れ半分に感心している。
「連中が一般企業から金を巻き上げてるなら司法当局の捜査も難航しますな」
ラングの意見は正鵠を射ていた。被害者が名乗り出れないのなら犯罪も立証が出来る筈がないのである。
「しかし、それも地球教本部が健在で組織力があっての話ですからね」
「恐らくは連中も資金調達に苦労しているでしょう」
「資金に余裕が出来たら、爆弾テロでもやりかねんからな」
ハンスの未来予測は可能性があるだけ質が悪い。
「閣下。恐ろしい事は言わんで下さい」
(爆弾テロは地球教ではなくルビンスキーだったかな?)
捜査は進展が無いまま年を越す事になった。
ヘッダが年末年始の公演の為に劇場に泊まり込んでいるのでハンスは新年休暇を官舎で一人で過ごしていた。
「暇だな」
自分一人では料理をする気にもならない。以前は自分の為の料理も楽しんで出来たのだが、ヘッダとの暮らしで自分が変わった事に新鮮な驚きがあった。
「ふむ。人間が弱くなったのかな?」
自問自答していると玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう?」
モニターを見るとラインハルトが立っていた。
「なんで?」
急なラインハルトの来訪を不思議に思い応対に出るとキスリングもシュトライトも居ないのである。
「もしかして、一人ですか?」
「一人に見えないなら、卿は眼科に行くべきだな」
ラインハルトが時折、警備担当者の迷惑も考えずに一人で外出する事を知っているハンスでさえ内心は呆れている。
「取り敢えず、むさ苦しい所ですが中にどうぞ」
「すまぬな」
部屋に通してインスタントの甘いコーヒーを出しながらラインハルトに来訪の理由を聞く。
「うむ。今日は卿に謝罪に来たのだ」
「謝罪とは何か有りましたか?」
ハンスにしたらラインハルトに謝罪される事は最近は心当たりが無いのである。
「フロイラインの事は、卿に悪かったと思っている」
「えっ?」
「卿の気持ちを知っていて、フロイラインと結婚する事になった」
ハンスが記憶の棚を探し回ると埃まみれの該当する案件が出てきた。
「思い出した。フロイラインが初めて宰相府に来た時に何か勘違いで説教されたけど、あれからも勘違いしたままかよ!」
「勘違い?」
「あの時も言いましたけど、ドルニエ侯の娘とは友人です。フロイラインにも恋愛感情を持っていませんよ。あの時から勘違いしたままですか?」
「そう、なのか。当時から俺はフロイラインに懸想していると思っていた」
「そんな勘違いをしていて、プロポーズの現場に人を連れて行くとか、あんた鬼か!」
流石のラインハルトもハンスの抗議には自分の不利を自覚していた様である。
「フロイラインが受け入れるか振るかは分からんが卿の前で、はっきりとさせておくのが卿のためになると思ったのだ」
「そりゃ、有り難う御座います!」
(こいつは獅子帝と呼ばれるとは言え、人を千尋の谷に落とすとは)
ハンスもラインハルトが人並みの恋愛感情が無いとは知っていたが想定外の恋愛オンチには驚くしか出来なかった。
この時にラインハルトは肝心な事を忘れていた。実はヒルダにもハンスの事を勘違いして話していたのである。
ヒルダもラインハルトよりは幾分かはマシであるが立派な恋愛オンチである。
ハンスがキュンメル男爵の事で医師を探した事が勘違いを加速させていた。
ハンスとラインハルトが官舎で騒いでいた頃、ヒルダが昼の公演が終わったヘッダに楽屋で謝罪してる事をハンスは知らない。