「なぜだ……なぜ……こんな事に」
マテリアフォンを手に、砂塵の吹き荒れる茫漠の地を歩く、ひとつの青年の影があった。
僅かに傷を負って流血しており、無数の砂粒の上に、ぽつぽつと血痕が滴り落ちて跳ねる。
青年は、天坂 響だった。
「御種 文彦……あの裏切り者め……!」
翔たちには見せた事もない憎しみに満ちた表情をしながら、響は呟く。
受けた仕打ちを考えれば当然の事であるし、ホメオスタシスのエージェントである彼にとって、これは重大な事実。一刻も早く知らせなければならなかった。
しかしマテリアフォンのバックドアは機能停止させられており、自力で帰る事ができない。どうにかして帰還の手段を見つけなくてはならない。
そしてこの砂漠地帯に至るまでの度重なる戦闘による疲労、並びにそれによって受けた負傷で、彼の肉体はボロボロになっていた。
「ダメだ、もう……身体が……」
くらくらと揺れる頭と途切れそうな意識をどうにかして繋ぎ止めていたが、もはや限界だ。
響は、砂塵の中でうつ伏せに倒れ込み、瞳を閉ざしてしまった。
「……」
目前にある巨大な四角錐の建造物、その入口の前に立っていた少女に気付かずに。
※ ※ ※ ※ ※
「……う、ん……?」
額から広がる、冷たい感触。それに気付いて響は目を覚ました。
見慣れない天井。簡素だが柔らかいベッドの上。自身の頭には、熱冷ましに濡れたタオルが乗っている。
体は包帯とガーゼなどで治療を施され、そのためなのか下着を含む衣服は全て脱がされてしまったらしい。マテリアフォンも、手元にはなかった。
ここはどこなのか、一体何者の仕業なのか。響には判断ができずにいた。その上、周囲や部屋の外を調べようにもこの傷では身動きも取れない。
どうしたものだろうか。考えていると、扉がゆっくりと開かれた。
「あっ、起きまし……た?」
僅かに開いた扉の隙間から、おどおどとしたような少女の声が聞こえる。顔は良く見えないが、間違いなく人間だ。
響は身体の痛みも忘れ、跳ねるように飛び起きた。
久し振りに聞いた人間の声。それはサイバー・ラインを飲まず食わずで放浪し続けた彼を、まるで悪夢から目覚めたような気分にしてくれた。
「俺は天坂 響だ、君は?」
「……
「面堂さんか。君が俺を手当てしてくれたのか?」
「は、い。おじいちゃんと一緒に……」
「ありがとう」
家族が一緒にいるのか。ここはサイバー・ラインの中のはずだが、一緒に囚えられてしまったという事なのか。
響の中で様々な疑問が浮かびつつも、もっと話がしたいという思いも募っていた。
そして彼女との会話に心を弾ませていた響は、なぜ相手が部屋の中に入らないのかも考えないまま、ドアに近付いて勢い良く扉を開いた。
「……!!」
扉の向こう側にいたのは、赤茶色の長髪を伸ばした少女。
年齢は響と同じくらいだろうか。化粧っ気がなく頬に僅かにそばかすが浮いているが、目鼻立ちの整った顔で、気弱そうに眉が垂れ下がっている。体型はスレンダー、全体的に細身でスリムだ。
彼女の頬は赤く染まっており、視線が響の顔から段々と下に向かって、ある一点にまじまじと注がれている。
目が覚めたばかりの、彼の剥き出しの下半身に。
直後、響は大慌てて部屋の中に駆け込んだ。
数分後。
「……先程はすまなかった」
「う、ううん。気にしないで……ください」
部屋の中には、簡素な服を着てベッドに腰掛ける響と、彼に向かい合う形で椅子に座っている彩葉の姿があった。
響は今、彼女の持って来たパンやスープといった食事を口にしている。
「食べ物まで用意してくれて本当にありがとう。ところで面堂さん、いくつか聞きたい事があるんだが」
食事中に頭の中で聞きたい事を纏めていた響は、全て食べ終えると改めて彼女に向き直る。
「ここは一体どこなんだ? 君は何者だ?」
「サイバー・ラインの中、です。私は、その……」
質問を聞くと、元々が気弱に見える彼女から、ますます元気が失われたように響には思えた。
そんな彼女の顔を見ていると、響は自分も胸が締め付けられるような、憐憫とも同情とも違うなんとも形容し難い気持ちに苛まれた。
「……Cytuberって、いうんです。デ、デジブレインを、味方につけてる組織で……多分、あ、あなたたちと……敵対、してます」
「……そうか」
たどたどしく話す彩葉の言葉をしっかりと聞いて、響はフッと笑みを浮かべる。
「ありがとう」
「あ、えと……ど、どうして……です、か? 私、敵……なん、ですよ?」
「正直に話してくれた。この傷も、食事も、君が用意してくれた。たとえ立場が違っているとしても、君は俺の命を助けてくれたんだ」
「……」
「だから、ありがとう」
面と向かって礼を言うと、彩葉は顔から火が出るのではないかと思うくらいに赤面し、狼狽する。
響は再び、胸の奥に湧き上がる正体不明の感情に襲われながらも、気付くと口元に笑みができていた。
しかしそれはそれとして、言うべき事は言わねばならない。
「だが君の言う通り、俺たちは敵同士なんだ。今ではなくとも俺は君を倒さなければならない」
「あ、う……」
「俺としては、できれば命の恩人と戦いたくはない。だが……」
今すぐ自分を元の世界に帰して欲しい。
その言葉を口に出すより先に、再び入口のドアが開く。
現れたのは、年老いた白髪の男だった。人の良さそうな笑顔で、口元に白い髭を生やしている。
「おや、目を覚ましたのじゃな」
「あっ……おじいちゃん」
後ろから声をかけられ、彩葉はほのかに明るい笑みを見せる。
彼女の言動から、響はこの老爺こそが彩葉の祖父なのだと確信した。
「儂は
「いえ、こちらこそ。助けて頂いてありがとうございます」
「ははは、いやいや……ところで」
元作の目が僅かに細められ、鋭さを増す。
「まだ怪我は治っておらんようじゃな。どうじゃろう? もうしばらく、ここに残るというのは」
「しかし、俺にも家族が……友人も気がかりで」
「その体で出ていけば、ご友人たちの足を引っ張る事になるのではないかな?」
確かに、と響は思う。治療して間もないこの状態で戻ったとしても、力にはなれない。最悪の場合また囚われる可能性がある。
だがそれと同時に響は、自分の考えを見抜いたこの元作という男に対して、一抹の不安と脅威を感じていた。
すると元作は懸念を見破ったかのように、口を開く。
「安心せい。意地悪で言ったのではない、怪我が治ったら帰す事は約束するとも。その間は他のCytuberやデジブレインに君を攻撃させない事もな」
考えに考えた結果、響はひとつの結論を出した。
「俺の持ち物を全部返して下さい。それが条件です」
「あい、分かった。それから……良ければ彩葉の話し相手になってくれんか。ずっとここに籠もりきりで、儂以外と会う事もなかったでな……」
そう言って、元作はゆったりと部屋を去る。
響と共に残された彩葉は、相変わらず頬を上気させて慌てている。
「え、えと……あの……な、なにか欲しいものとか、食べたいものって、あ、ありますか……?」
「いや、先程食事を貰ったばかりだから大丈夫だ」
「あっ……そ、そうですよね、ごめんなさい」
「謝る事はないよ。だが、そうだな……ゲーム機か何か持ってるかい?」
ゲームと聞いて、彩葉の顔がパァッと明るくなった。
曰く、彩葉もゲームが好きで、よく一人で遊んでいるらしい。それ以外の趣味や普段何をしているのかを尋ねてみれば、主に絵を描いて過ごしているという。
彼女の持って来たそのイラストを目にすると、響は目を見張る。
見事な抽象画だった。濃赤や黒、灰色といった暗い色彩と、波打つような激しい筆遣い。それでいて退廃的で、儚さを思わせる絵。
テーマを話したワケではない。しかし、その絵に込められているであろうどこか物哀しい思いを感じ取り、響は思わず嘆息していた。
「あ、あの……どう、ですか?」
不安そうな彩葉の声を聞いて、響は現実に引き戻される。そして咳払いをしながら、感想を述べた。
「俺はあまり芸術に詳しい方ではないが、この絵はすごいものだと思う。誰かから習っていたのかな?」
「ん……父さんが画家、だったの……えへへ」
彩葉は嬉しそうに話す。先程よりも顔を綻ばせて。
その姿を見て、響はまた自分の胸に締め付けられるような感情が溢れてくるのを感じていた。
こうして、二人は昼夜問わず何度も接していく。そして対話を重ねる内に、響は自らの思いに気付き始めた。
自分は、彼女に惹かれているのだと――。
※ ※ ※ ※ ※
それは、翔たちの手でCytuberの
怪我が完治しつつあった響は、これからの事について思い悩んでいた。
彩葉は彼にとって、もうかけがえのない大切な存在となってしまったのだ。できる事なら戦いたくなどない、その思いは以前よりも強くなっている。
何よりも、彩葉をここに置いて去る事が心苦しい。もっと傍にいたい。彼女を守って、力になりたい。
ある時『父と母に会いたい』という彩葉の願いを知ってからも、ずっと響は苦悩し続けた。彩葉の方も、別れの時が近付いている事を悟ると、段々元気がなくなっていた。その姿を見るのも苦しかった。
「少し、良いかな」
元作から呼び出されたのは、そんな時だった。
意図が分からず訝しみながらも、響はその招集に応じた。いつものベッドのある部屋ではなく、地下室だ。
元作は、響に背を向けた状態で立っている。
振り向く様子がないので、響は自分から声をかける事にした。
「何の用ですか?」
「見たところ、君の怪我は近い内に完全に治るじゃろう。その後はどうするつもりかね?」
「……正直、悩んでいます。ここから離れるには……あまりにも彼女と長く時を共にしすぎたのかも知れない」
自分がもっと早くに行動していれば、こうはならなかっただろう。口に出した後で、響はそう思った。
無論、今になって後悔したところで何にもならないのは響にも分かっている。そして、既に決断の時が目前まで迫っている事も。
元作はそんな響を見て、ニィッと唇を釣り上げた。
「ならいっその事、儂らの仲間に加わると良い」
「なんだって?」
途端に響は警戒心を強め、唇をキュッと引き締める。
それを感じ取ったのか、元作は喉奥でくつくつと笑い出した。
「儂としても君とは争い合うつもりはない、当然あの子もそうだ。君も同じ気持ちのはずじゃろう」
「……」
「何より……儂はもう長くはない。あの子が夢を叶えるまで生きていられるかどうか分からん。だから」
「だから俺に残れと言うのか。彼女の夢のために、家族や友を、仲間を裏切れと」
警戒心は、明確な敵意に変わる。響の目つきが鋭くなり、拳に力が入る。
「元作さん。あなたは俺と約束したはずだ、怪我が完治すれば俺を必ず元の世界に帰すと。その誓いは嘘だったのか」
「先程まで動揺していた男の言葉とは思えんのう」
「確かに俺は今でもどうすべきか悩んでいる。だが……そこで彼らを裏切るという結論に至るような、性根の腐った生き方はしていない!」
「ほほ、そうか。じゃがお主に選択の余地はない」
笑いながら元作は、壁面の一部をガコンッと押し込んだ。
すると部屋全体を覆うようにガスか霧に思えるものが噴出し、それを吸い込んで響は膝をついてしまう。
「なんだ……これは……何を、した……!?」
「ほう、これでもまだ正気を保っていられるか。じゃが、もう手遅れよ」
振り向いた元作は、ガスマスクを装着していた。最初から罠にかけるつもりで誘き出したのだ。
「全てはあの子のため。お主には、永久にあの子の傍にいられる傀儡となって貰う」
その言葉を聞いて、響は意識を失う。
こうして、彼は記憶を奪われ、エイリアスという名の死神に姿を変えるのであった――。
「……う、ん……」
気がつくと、エイリアスはベッドの上に横たわっていた。
確か、自分は仮面ライダーたちと戦っていたはず。最後にどのような結末を迎えたのだったか、どうやってここまで戻って来たのか。それを思い出す事ができない。
頭を押さえながら身を起こすと、扉が開いて一人の少女が姿を現す。
気怠げな眼差しが特徴的な、青いドレスを纏う褐色肌の女。デカダンスだ。
「デカダンス様、俺は一体」
「……大丈夫。あなたは、ちょっと疲れたから~……休んでただけ……」
立ち上がろうとしたエイリアスの身体を、デカダンスが抱き止める。
理由も分からず、彼女の行動に困惑するエイリアス。するとデカダンスは顔を上げ、か細い声でこう言った。
「もう、すぐそこまで仮面ライダーが来てる……でも……あなたには戦って欲しくない」
「何故!? 俺の役目はヤツらを倒す事だ!! そのために力を与えられた!!」
「……分かってる……フェイクマンの望みも、あなたの本当の気持ちも……。……でも……私、全部失敗して……あなたがいなくなったら……きっと、耐えられないから……もうあんな思い……したく、ない、から……」
エイリアスに背を向け、身を微かに震わせながらデカダンスは部屋を去る。
そんなデカダンスの姿に、エイリアスは胸を打たれていた。
内から沸き起こるような感情。記憶がないにも関わらず、以前にもこんな事があったような気がする、とエイリアスは思っていた。
※ ※ ※ ※ ※
「……ここが、デカダンスの根城か」
休憩の後。地下道を抜け、翔・アシュリィ・翠月・浅黄の四人は巨大な四角錐の建造物の前に辿り着いていた。
その建造物の名は、見ただけで分かる。ピラミッドだ。古代エジプトの王墓とされている、不明な建築法によって作られた石造りのもの。
なぜそんなものが拠点となっているのかは、まだ誰にも分からないが、今までのケースから中に入れば嫌でも彼女のトラウマに触れる事になる。結局、翔たちは進むしかないのである。
「ところでさ、あの銀仮面の解析結果が出たんだけど」
地下道でも作業を続けていた浅黄が声を上げる。
「これ、デジブレインの能力で作られたみたい。例の粉とはまた違った感じで、身に着けると記憶を改変されちゃうみたいだね」
「仮面が記憶を!? じゃあ、あの後兄さんは」
「少しずつ記憶が戻ったんだと思う。でも、また仮面を着けさせられたら振り出しに戻っちゃうよ」
「そうですか……」
僅かに翔は肩を落とす。
しかし、銀仮面あるいは変身後のゴーグルを狙えば兄が元に戻る事は分かったのだ、落ち込む事ばかりではない。
「それにしても、記憶か……」
チラリ、と翔の視線がアシュリィに移る。
思えばアシュリィは記憶喪失、今の響も一時的に記憶を失っているようだ。ならば、アシュリィの記憶が失われているのは……。
そこまで考えた翔に、まるで現実に引き戻すように翠月が話しかける。
「事実がどうかは分からない。彼女の場合は仮面がないからな……それに、アシュリィくんとデカダンスの接点も見えない」
「どちらにせよ、向こうに行って問い質すしかなさそうですね」
「そういう事だ」
話しながら、翔たちはピラミッドの周辺を調査する。
見張りのデジブレインの姿は一切見当たらない。他のCytuberの領域では盛大な出迎えがあったのだが、ここはやはり何かが違う。
出入り口はひとつしかないが、侵入を知らせるような装置――例えば、監視カメラや警報機などは全く設置されていない。窓なども当然ない。
「……素直にここから入るしかなさそうだね」
アシュリィの言葉に、一同は頷く。
石造りの扉は見た目よりも簡単に開き、四人は警戒しながら中を覗き見る。
加工された石の廊下に果てしなく暗闇が広がっており、ひやりとした空気と共に、なんとも言えない不気味さを醸し出している。
通れる道はひとつだけ、廊下はただ真っ直ぐに伸びている。
緊張した面持ちで四人がしばらく足を進めると、今度は広い場所に出た。上階・下階に続く石の階段がある他、天井の中央部からは砂が振り、下階の地面に空いた穴に向かって真っ直ぐ落ちている。
そして、どの階にも他の場所へ続くであろう通路がいくつも見える。分かれ道だ。どうやら、ここからは迷路のようになっているらしい。
「うーん、どうしようか」
腕を組み、頭を悩ませる翔。
適当に進んで行っても迷うだけなので、何かヒントのようなものを探さなければならないと判断したのだ。例えば、地図のような。
「……そだ、ドルフィンタイマーの音波で迷路のルートを割り出すってどう?」
浅黄の提案を聞き、翔は「それだ!」と指を弾いて声に出す。
そして、アシュリィにドルフィンタイマーを取り出させた。
《エディターツール!》
「これを接続して、反響音から地図を記録して……と」
カチカチと音を立ててキーを操作し、ドルフィンタイマーを起動。
その瞬間、道が表示される。
ただしその道はどんどん広がり、明らかにピラミッドの外観を無視した、巨大迷宮となっているが。
「えっ、なにこれ!?」
「バカな! あり得ない、広すぎるぞ!」
設定を間違えたのか、バグなのか。あるいは、この迷宮そのものに探知妨害の機能でもあるのか。
ともかく、これで正解の道を辿る方法は取れなくなってしまった。
「どーする!? イチかバチか、どっか適当に入る!?」
「いや、リスクが高すぎる。出て来られなくなったら終わりだ」
「んでもゲッちゃん、悠長な事してたら絶対辿り着けないよ!?」
悩む翠月と浅黄。事実、マッピングという手段が取れない以上、このまま進むのが一番手っ取り早いように思える。
しかし、翔の考えは違った。
「落ち着いて下さい二人共、闇雲に進むのは最後の手段です。この中にそもそも正解の道がない可能性もありますからね」
「あっ……でも、じゃあどうすんの?」
「思い出して下さい。前にも同じ事があったはずです、ロックの時に」
言われて、浅黄は納得した様子で頷いた。
Cytuberの領域では、主にとってトラウマとなるものが玉座への鍵になっている。つまり、ここにも同じように鍵がある可能性が高いのだ。
よって四人は、まず周囲の探索から行う事になった。広間の上階を翠月、入口のある中段の階層を翔とアシュリィ、下階を浅黄といった具合に分かれている。
しかし、会ってすらいないデカダンスのトラウマなど分かるものだろうか。全員が同じ懸念を感じつつも、調査を進めた。
「……む?」
するとすぐに、翠月があるものを発見した。
額縁。美術館で絵を飾る時に使われるような、大型のもので、黄金色に輝いている。また、上部には太陽の装飾がされている。
「なぜこんなものが」
言いながら、翠月はそれを拾い上げる。
中に絵は入っていない。こんな場所にあるという事は何か関係があるのかも知れないが、今のところ用途は不明だった。
「お? これは……」
続いて、浅黄が声を上げた。
彼女が発見したのは翠月と同じく額縁。しかし、こちらは銀色で、下部に月の装飾が施されているものだ。
大きさは同じだ。だがやはり、今は用途が分からない。
「うーん……」
続いて唸り声を上げたのは、翔だ。
無数に存在する通路。この先には本当に道が広がっているのだろうか。
試しに、翔は小石を拾って通路に向かって放り投げてみる。
何も聞こえない。普通なら床なり壁なりにぶつかって反響音が聞こえるはずだが、それさえない。小石の行方も、光で照らしてみても全く見当たらない。
どうやら、この通路に入った時点で別の場所に移動させられるようだ。
「やっぱり全部罠か」
これでは最後の手段も使えない。最悪、一生閉じ込められる事になるだろう。
となれば、間違いなくどこかに先へ進むための鍵がある。そんな希望を胸に調査を進めていると、アシュリィから声がかかった。
「ショウ、これ」
彼女が見せたのは、キャンバスだ。
人物画で三人いるようだが、顔や体型もぼかされていて、誰を描いたものなのか全く分からない。
「なんでこんなところに絵が……うん?」
翔がキャンバスを引っ繰り返すと、裏側に
早速手に取り、内容を黙読する。
そこには、以下のような記述がされていた。
『ある真夜中、二人の若い夫婦が老いた騎士の駆る獣の激突を受けて命を奪われた。獣は頑丈な巨体を持ち、毛は生えておらず、脚は四本で素速く動く。暗所にて目が煌々となり、高い声で鳴く。これは何か?』
内容を読んでアシュリィは首を傾げて、翔の顔を見上げる。
「……クイズ?」
「みたいだね」
これだけでは何が何やら分からない。そもそも、どうやって回答すればいいのかも。
翔は一旦全員を中央の階に集め、調査の結果を話し合う事にした。
「どうでした? こちらは絵と羊皮紙が見つかりました」
「偶然だな。俺と浅黄は額縁だ」
そう言って、二人は翔とアシュリィにそれぞれ額縁を手渡し、翔は絵と羊皮紙を預けた。
「この額縁に絵をはめ込めばいいのかな……?」
アシュリィが言うが、翔は唸ったまま頷かない。太陽の額縁を裏返したり触ったり、調べ続けている。
「どっちに? 不正解の方を選ぶのはマズいと思うよ、もうちょっと調べてみないと……」
そう言われると、アシュリィも首肯して月の額縁を調べ始める。
すると、彼女の持つ額縁の月の装飾がされた部分が、ガコンッと音を立てて外れた。
「えっ?」
「こ、これは……!?」
外れた部分、装飾の裏には言葉が書かれていた。恐らく、それが問題の回答という事だろう。月の方には『トカゲ』と書かれている。
翔も、同じように太陽の方を外す。そちらは『ライオン』であった。
「ライオンかトカゲか……という事なのか?」
翠月が顎に手を添え、考え込む。
「『頑丈な巨体』で『四本脚』だったっけ……じゃあライオン?」
「いやいやアシュリィちゃん、その後『毛がない』し『高い声で鳴く』ってあるのよ」
「でも、じゃあライオンもトカゲも当てはまらなくない?」
「うーん……どうなんだろねぇ……」
アシュリィと浅黄も悩みに悩んで、ついには黙ってしまう。
翔の方も、明らかにこの中に答えが存在しないという事を察していた。では、一体どうすれば道は開くのか?
「どこかに別の額縁がある……?」
「でも、調べられるところは全部調べたと思うよ」
「そうなんだけど……。……いや、待てよ」
顔を上げ、翔が下階に飛び降りた。そして、砂が落ちていく穴へとじぃっと目を凝らす。
すると何かが微かに光るのが見て取れた。
「ショウ、どうしたの?」
「……ここ、まだ下に行けるみたいだ」
言いながら、翔は穴の中へと飛び込む。
不思議な事に、砂は一切身体に付かない。それどころか、触れた感触さえもない。
どうやらこの砂そのものが幻覚であったらしく、穴の中の小部屋にも砂は全く溜まっていなかった。
そのまま翔は小部屋の中に見えた光を頼りに探索し、上階に戻るためのハシゴと、もうひとつの額縁を手に入れた。
黒い金属製の額縁で、装飾はない。が、裏側に英語で文字が刻まれていた。
「これは……」
目を丸くしつつ、どこか納得もした様子で翔が頷く。
それを持って、翔は上へと戻り、全員に額縁を見せた。
「三つ目の額縁か。なんと書いてあるんだ?」
「……『Car』です」
「なんだって?」
「要するに車ですよ」
三人とも、愕然としていた。しかし車であれば、確かに羊皮紙に書かれた全ての条件に合致する。
出題では『獣』となっているが、実際には生き物ですらなかったという事だ。
「とにかく、これを額縁にはめ込めば……」
翠月から絵を受け取り、二つを組み合わせる。
すると、突然絵が輝きを放った。
「うっ!?」
眩い光で目を閉ざし、直後に四人の瞼に映像が浮かび上がる。
今までの領域でもあったものと、同じ現象だ。次第に声も響いて来た。
『おとーさん、おかーさん! 絵、描いてみたの! どうかな!?』
画用紙を持った幼い女の子が、父親と母親らしい男女に絵を見せている。
クレヨンを使っているが、それが彼女の目の前にいる両親を描いたものである事がしっかり分かる程、整った絵だった。
父親は彼女の頭を撫で、筆の使い方などを教え始める。彼も画家なのだ。
画用紙には『めんどう あやは』という名前が書かれていた。
「これが、デカダンスの記憶……?」
翔が目を開く。
気付くと手元から絵が消失しており、周囲にあった数多の通路もなくなって、代わりに黒く縁取られた鉄の扉が出現している。
四人は顔を見合わせ、扉を開いて中へ入った。
最初と同じく長い通路が広がっているが、今度は壁の両側に絵が並んでいる。左側に太陽の額縁、右側に月の額縁といった具合だ。
絵は、最初は幼い子供が描いたもののようだったが、進むにつれてどんどん上達して行く。描き手の年齢も上がっているらしく、最初はひらがなで読み辛い字だった名前も、今や漢字で『面堂 彩葉』となっていた。
「……む」
しばらく歩いていると、目の前に壁が現れた。ただ行き止まりになっているワケではなく、黒い額縁の絵が飾られている。
絵には、車とそれに轢かれる二人の男女の姿が描かれている。嘆きと哀しみを感じさせるような、激しい筆使いだ。
翔は黙ってその絵に触れた。再び、デカダンス――面堂 彩葉のトラウマを体験する事になる。
『父さん……母さん……どうして、ど、うして……』
彼女の両親は、老人の運転する車に轢かれて死んだ。交通事故、それも轢き逃げだ。
だが、その老人は罪には問われなかった。彼はとある政治家と繋がりのある、発言権や立ち場の強い人間だったのだ。
大勢からバッシングを受けるもマスコミなどからかばわれ、老人はまるで罪を償う事なく、不起訴で逃げ延びた。
彩葉は、ただただ絶望した。殺した相手は野放し。両親は還って来ない。彼女がまだ中学生の頃の話だった事もあり、精神的なショックは計り知れないものだった。
それ以来、彩葉は吃音症を患い、さらに自分の部屋に引き籠もるようになったのだ。彼女の事を心配する祖父の言葉さえ聞かず。
『もう、何もかも面倒……生きてる事さえ……私、なんのために……生きてるんだろう……。……このまま、ずっとこうしてるくらいなら……私が、死ねば良かったのかな……』
ベッドの上で天井を仰ぎ、涙を流しながら彼女はひとりごちる。
その時だった。突然、部屋のパソコンから声が聞こえたのは。
『欲しくはありませんか? あなたが両親と共に、怠惰という永遠の中で揺蕩い続ける事のできる世界が。決して誰にも邪魔される事なく、微睡みの中で生きられる世界が』
『え?』
彩葉がのそのそと力なく起き上がってパソコンを見ると、そこにはノイズ混じりに孔雀の仮面を被った男が映っていた。
これは夢の中なのかと思い、目を擦る。しかし、これは紛れもなく現実であった。
『あなた様にその機会を、私めが差し上げる事ができます。それを活かせるかどうかはあなた様次第となりますがね』
『……本当?』
『ええ、もちろん。さぁ、あなた様は何を犠牲になさいますか?』
『私、が……犠牲に、できるもの……』
そんなものはない。彼女にとって一番大切なものは両親だった。そして、それは既に失われている。
だが、諦める事はできない。彩葉は捧げる事のできる代償について、必死に頭の中で思考を張り巡らせる。
そして、ついに思い至った。
――自分自身だ。
『あ、う……』
直後、彼女の意識は失われた。それと同時に、翔たちの意識も再度覚醒する。
目の前からは額縁と壁が消失し、先へ進むための通路が開いていた。
「面堂 彩葉は自分を代償に捧げていたのか!?」
真っ先に驚きの声を発したのは、翠月だ。動揺の声はアシュリィからも挙がっている。
「で、でもちょっと待って。じゃあ今ここを仕切ってるCytuberのデカダンスは何者なの!?」
「分からない。でも、今回は……やっぱり何かが今までとは違う気がする」
翔はそう言って、廊下を進んで行く。彼女の事情がどうあれ、進み続けなければ何も始まらないからだ。
今度は上りの螺旋階段が一行の視界に飛び込み、そこからどんどん駆けて行く。
そうして登り切った結果、四人はまた別の大広間へと辿り着いた。
広間には誰もいない。なので翠月も浅黄も先へ進もうとするが、翔は違った。立ち止まって、マテリアフォンを取り出している。
「翔くん?」
「浅黄さん、英さん。先へ行って下さい」
ハッと眼を見張る翠月。広間の最奥、次の階へと繋がる螺旋階段が見える通路から、一人の男が歩いて来るのだ。
銀仮面の男、エイリアス。フェイクガンナーを手に、腕を組んで待機している。
翔たちは既に彼の正体を知っている。天坂 響、彼の兄だ。
「懲りもせず、また現れたな。仮面ライダー」
「兄さん……いや、エイリアス」
《ドライバーコール!》
「お前は僕が止める!!」
《ブルースカイ・アドベンチャーV2!》
翔の胴にアプリドライバーが巻かれ、その手にクリアブルーのマテリアプレートが握られる。
「たとえデカダンス様からの命令がなくとも……俺はお前たちを倒す! それが使命だ!」
《
言いながら、エイリアスもグリップエンドを手で叩き、トリガーに指をかける。
ゆっくりと歩き、近付く二人の距離。翔はプレートを装填し、マテリアフォンを握る手に力を込めた。
《ユー・ガット・スーパーメイル! ユー・ガット・スーパーメイル!》
「変身!」
《
「偽装!」
翔がマテリアフォンを振り下ろして姿を変え、引き金を引いたエイリアスの方も黒煙と共に変わっていく。
《蒼天の大英雄、インストール!》
「ウオオオオオッ!!」
《オペレーション・ザ・ペイルライダー!
「ハアアアアアッ!!」
アズールの剣と、ペイルライダーのフェイクガンナーが火花を立ててぶつかり合う。
続いてアズールはもう片方の剣をペイルライダーに突きつけようとするものの、腹に蹴りを食らって距離を取らされる。さらに、銃撃が放たれた。
データの弾丸を剣で割りつつ、風の刃で牽制しながらアズールは進む。ペイルライダーも、攻撃を回避しながらバックステップで間合いを保ち、銃弾で応戦する。
どちらも一歩も譲らない攻防の間に、アシュリィは残る二人に声をかけた。
「私はここに残る。二人は行って!」
「……分かった。だが無理はするな」
そう言って翠月は浅黄を連れて激戦の横を通り過ぎ、階段へと走っていく。
当然ペイルライダーは銃口を向けて進行を妨げようとするが、その隙を見逃すアズールではない。射線上に剣を振り下ろし、二人への攻撃を防いだ。
「む!」
「相手は僕だ。勝手な事はさせない」
「……いいだろう、ならばまずお前から叩きのめしてやる!」
ペイルライダーはそう言って、マテリアプレートを取り出す。
アズールから奪い取ったものだ。すぐに装填してトリガーを操作し、攻撃を行う。
《
「ハァッ!」
「くっ!」
レーザービームが照射され、アズールは天井スレスレを飛びながらそれを避ける。
「いつまでも逃げ切れると思うな!」
《オーバードライブ!》
「ハァァァッ!!」
《
極大の熱光線が銃口から放たれ、アズールを断ち切らんとペイルライダーが振り被る。
アズールは必殺の一撃を、螺旋を描くように回転飛行し、辛くも回避。そのままペイルライダーの顔面に蹴りを浴びせた。
「がっ!?」
「こっちだって、そう簡単にやられはしない!」
「おのれ……!」
蹴りを受けても、修繕されたゴーグルには傷一つ付いていない。
ペイルライダーを倒す必要はない。翔の狙いはこのゴーグルの再破壊。それさえできれば、響は取り戻せるのだ。
「絶対に兄さんを元に戻すんだ……!」
「お前を倒す! 仮面ライダァァァーッ!!」
二つの咆哮が重なり合い、再び火花を散らして剣と銃がぶつかり合った。
※ ※ ※ ※ ※
一方。
翠月と浅黄は、階段をひたすら走って上り続け、最奥に当たる地点に到達していた。
やはり大広間であるが、今までとは段違いに広い。左右の壁には扉も見える。
「……ここが最上階か?」
「みたいだねー」
二人が辿り着いた場所には、玉座は存在しない。代わりに、奥まった位置に巨大な黒い箱のようなものが鎮座している。
正体が分からず、翠月と浅黄は歩いて近付く。そして、ある程度距離を縮めた時、正体を理解して目を見張る。
あれは、棺だ。三人分の棺桶だ。
「そこにいるのは誰!?」
左側の扉から、そんな声と二人分の足音が響く。
見ると、薄い生地のエジプト風のドレスを纏った褐色肌の美少女と、仮面を着けた老人が立っている。
少女の方は左腕にトランサイバーを装着しており、彼女こそがデカダンスだと翠月・浅黄はすぐに理解した。
また、仮面の老人の姿にも見覚えがある。映ったのはほとんど一瞬だったが、面堂 彩葉の記憶の中にいた、彼女の祖父だ。
「ホメオスタシスと電特課だ。貴様らを捕らえに来た」
「も、もう……ここまで……!!」
「……投降しろ。怪我をしない内にな」
翠月が、憐れむようにそう言った。それが癪に障ったのか、デカダンスの目つきが鋭くなる。
「そんな事、するワケない……私、は……父さんと母さんに……会うの……!!」
「だが、君のご両親は既に」
「うるさい!!」
デカダンスは完全に敵意を剥き出しにして、取り出したマテリアプレートを起動、装填する。
《スムースペイント!》
「認めない……あんな面倒で、大嫌いな現実……私は、私が……この世界で、父さんと母さんを蘇らせるんだ……家族で、ずっと、ずっっっと生きるんだ……!! それが……私の、本当の現実になるんだ……!!」
《アイ・ハヴ・コントロール! アイ・ハヴ・コントロール!》
「ううう……うわあああああっ!!
《
トランサイバーに向かって叫ぶ事で、全身に拘束具を装着した翼の生えているデジブレインが出現し、瞬間改造手術が始まる。
デカダンスとデジブレインの体が融合し始め、全身が泡立つようにモザイクで埋め尽くされ、姿が変わる。
頭部からは二つの角を生やし、顔にはエジプト風のアンティークな仮面。目の周りを覆うバイザーは青色で、ウシを思わせる形状をしている。
胸が大きく膨らんでおり、防具らしいものはほとんど無く、スカート状の腰巻き程度。長く伸びた尾先は筆状となっている他、両腕と両脚には青いエジプト十字、すなわちアンクの紋様が刻み込まれている。
《ペイント・アプリ! 極上の色彩、トランスミッション!》
「今の私は……サイバーノーツ、ラチェスアーティスト……あなたたちを纏めて、塗り潰す……!!」
そう言って、ラチェスアーティストはゆらりと歩き始める。それに続くように、フェイクマンもガンブライザーとマテリアプレートで肉体を変異させる。
《
「まさかここまで辿り着くとはな、仮面ライダー」
《
「もはや生かしては帰さんぞ……」
仮面の老人の姿が、ナマケモノ型のデジブレインに変わる。
翠月は至極残念そうに、深く溜め息を吐く。浅黄も眉を寄せて、マテリアプレートを取り出した。
《パワフル・チューン!》
《テクニカル・チューン!》
「どうやら戦うしかないようだ」
「うん……あんなの見せられた後じゃ、やりづらいけど」
《
《フォレスト・バーグラー!》
ほぼ同時に起動した後、二人はプレートをドライバーへと手速くセットする。
《ノー・ワン・エスケイプ! ノー・ワン・エスケイプ!》
「変身」
「変ー身っ!」
《
翠月が走り出し、浅黄は別方向に歩く。そして姿は徐々に変わり、雅龍とザギークへの変身が完了した。
《ウォーゾーン・アプリ! 闘龍之技、アクセス!》
《フォレスト・アプリ! 義賊の一矢、アクセス!》
雅龍はスタイランサー・スピアーモードを手に、素速く駆ける。狙うは、ラチェスだ。
しかしスロースはそれを許さない。緩慢な動きだが、雅龍の前に出ようとしている。
「させないよー!」
そこへ援護射撃を行うのが、ザギークだ。スタイランサー・ボウガンモードで、白いインクを飛ばしてスロースに攻撃している。
スロースは長い腕を盾にして矢弾を防ぎつつ、両眼を光らせてザギークを睨みつけ、ラチェスへと走って行く雅龍を追うために動く。
当然、そこにザギークの妨害が入った。
「他所見しちゃダーメだってぇ! お・じ・い・さぁん!?」
走りながらザギークがボウガンで矢を放つ。だが命中の瞬間、攻撃はスロースをすり抜け、その向こう側の雅龍の尻に命中する。
「がっ!!」
「えっ!?」
「この……浅黄! お前、何をしている!」
「い、いやウチはあのおじいさんを狙って……」
「次は誤射するな! 分かったか!」
振り返った雅龍が怒りの声を発し、再びラチェスに攻撃しに行く。
訳も分からないまま、ザギークは続いてスロースに接近して攻撃に掛かった。
「おりゃあああ!」
立ち止まっているスロースの顔面に向かって放たれた、渾身の一撃。
それは先程と同様にすり抜け、ザギークを見事に転倒させた。
「あっれぇぇぇ!?」
すっ転んだザギークはすぐに立ち上がるが、突然背中に衝撃を受けて、再び転んだ。
一体今、何が起きたのか。それを理解できないまま、仰向けになったザギークの胸に、目に見えない何かがのしかかる。
見えないが、恐らく足だとザギークは確信した。だが、スロースは相変わらず最初の位置で佇んでいる。
「ま、まさか透明化……いや、まさか!」
ザギークがここで思い出したのは、銀仮面の破片。あれには、記憶を操作する力があった。
もしも、自分がスロースの術中に陥っているのだとしたら。いつアクションを起こしたのかは分からないし、なぜ雅龍は平気なのかは分からないが、そうだとすれば説明がつく。
あの場所で立ち止まっているスロースは、記憶操作によって視界に残り続けているだけの存在。つまり、実際には存在しないもの。
そして本物のスロースは、今ザギークを踏みつけている。ザギークの目に見えないのも、能力によって記憶できない状態にしているからだ。
「だったら……!」
ザギークがスタイランサーを操作し、胸の前で素速く槍に変える。その形状変化の瞬間、石突が目に見えない何かに命中した。
「ウゴアァァァッ!?」
苦しみの声が頭上から聞こえ、姿が鮮明になっていく。
見れば、スタイランサーのグリップエンドが股間に命中し、苦悶の声を上げてぴょんぴょんと跳ねているスロース・デジブレインの姿がそこに現れた。
「あーらら、見えないからやっちゃった。ごめんごめーん」
「な、中々……やんちゃなお嬢さんじゃな」
両手で股間を押さえつつ、俯いていたスロース。
しかし顔を上げると、再び彼の両眼が妖しく光った。
「もう油断はせん……彩葉のために、儂は己の命を捧げると決めたのじゃからな」
「うぐっ……!?」
光が眼に入った瞬間、ザギークの視界が歪む。
そして気がつけば、何十という数のスロース・デジブレインに取り囲まれていた。
「なっ!?」
「これが儂の本領じゃよ……さぁ、耐えきれるかのう?」
スロースたちはこれまでとは異なる異様な速さで動き回り、無数の爪がザギークに襲いかかった。
「ホァタッ!」
ザギークがスロースと戦っている一方、雅龍はラチェスと攻防を繰り広げていた。
真っ直ぐに突き出された槍を、彼女は長い尻尾を巻きつけて引っ張り、逸らしている。
「チィッ……」
「あなたたちじゃ、私に勝てない」
スタイランサーに巻きつけた尻尾を振ってそう言い、ラチェスはトランサイバーのボタンを押し込んだ。
《
「幻に堕ちて……眠れ」
ラチェスの両手と蹄から、街中で見た粉と同じ色彩の液体が染み出して来る。
嫌な予感がして雅龍はその場を離れようとするものの、遅かった。尻尾がスタイランサーを離し、先端が地面の液体を掬い取って、雅龍へと飛ばした。
「ぐっ!?」
液体は、雅龍の顔面に付着する。
その直後、激しい頭痛と共に、雅龍の眼の前に三つの人影が現れた。
壮年の男性が一人、その妻と思われる人物が一人。そして残るは、翠月と似た顔立ちの美しい女性だ。
「く、あ……あ、ああああっ!? こ、これは、なんだ……!! なにを、した……!!」
「あなたが最も望むものを見せているの。私には見えていないけどね……」
「まさ、か……あの粉と、同じ……」
スタイランサーを杖のようにしながら立ち上がろうとするが、頭を襲う痛みがそれを許諾しない。
そんな雅龍へと、ラチェスは囁くように声をかけた。
「幻覚を拒絶しなければ、痛みはなくなる」
「ぐ、う……」
「これはあなた自身の願望。本当に欲しい物。それがなければ、あなたは一生満たされないはず」
体から力が抜けていき、さらにラチェスの体から溢れてくる液体が侵食していく。
その度に、雅龍は激痛に身を捩らせ、悶え苦しむ。
「懈怠の中で生きれば、苦しみはなくなる。さぁ微睡みに身を委ねて……」
「私は……わ、たしは……」
ついにスタイランサーからも手を離し、雅龍は地に膝をついてしまう。
さらにはうつ伏せに倒れ、両手からも力が抜け始めていく。
ラチェスは止めどなく泥土のような液体を流し続け、雅龍が沈む姿をただただ眺め続けるのであった。