「というか、ヨグ=ソトースの子供って本当に強いんですか?マレウス・モンストロルムの記述を見ましたけどあれインチキですよね?だって最大値STR70ってチャウグナル・ファウグンより上じゃないですか」
イブン・グハジの粉によりついに姿を現したヨグ=ソトースの落とし子と対面し、ユーリヤは思っていた疑問を目の前の存在へとぶつける。
その足元にあるタイル状の床はみしみしと悲鳴を上げ、その物の巨大さが虚仮でなく実体と質量を持つものである事を知らしめている。
ヨグ=ソトースの落とし子。外なる神の一柱であるヨグ=ソトースの血を継いだ、混血の異形。病院の天井にまで触れるのでは無いかという程の巨体は、かの血の兄弟よりも大きく、そこかしこに付いた大樽の如き脚の数々がそれを支えている。
体のいたる所に絡んでよじり合わされた触手の陰には無数の眼が覗いており、緩やかに開閉をしながらユーリヤ達をそれぞれ
『――御前は誤解している。我らかの神の息子にとって最も強い”力”とは、ヒトの知識を知る……即ち”友”となる事と云える』
「喋るのアンタ!?その図体で!?」
落とし子の上部に付いたヒトの顔を歪ませた彫刻の様な頭部から、威圧感を伴う声がその場へと響き渡り、蓮が驚愕する。
ヨグ=ソトースの息子の目的は親、即ちヨグ=ソトースそのものの召喚であり、その為にその方法――即ち魔導書や魔術師の知識を取り込む事が、存在意義である。
自身もまた生贄や生肉を大量に欲するという性質を持つ故に、他の奉仕種族の様に知恵を持たぬ化物と外見から誤解される事もあるが、喋る個体も決して珍しくは無い。
かのミスカトニック大学へ侵入しようとしたウィルバー・ウェイトリーもまた人型の落とし子の一人である事を思えば、喋る知性を持つこと自体はさして驚く事ではないと言えよう。
「まぁどうでもいいですが、それより……時空の起源は我らの崇める”唯一神”である事は知っていますよね?」
『……何?』
恐怖と威圧を齎すその声に一歩も引かず、ユーリヤは一つの話を始める。
時間・空間・次元、それら一纏めとして”時空”とする。それらは旧支配者や外なる神の間ではヨグ=ソトースが司るものである事が常識として語られており、その絶対性故にヨグ=ソトースは畏れられている。
だが、ユーリヤの知る”
「宇宙時空間の始祖はヨグ=ソトースではなく、我らが信仰する神――つまり”唯一神”です。さらに紀元前四世紀頃に完成した文書群”聖書”にも、唯一神によって生み出された天地創造の経緯が書かれています」
『…………』
ユーリヤは自身の知る確かな起源――”聖書”によって歴史的に証明された真実を、落とし子に一つ一つ、まるで小さな子供へ言い聞かせる様に丁寧に語っていく。
ユーリヤの話が進むに連れ、落とし子の体に付いた無数の眼が細まり、胴体に絡むゼリー状の触手は俄かに逆立ち始める。それは、落とし子が見せる確かな”怒り”の発露であった。
「――パクリ神性、みっともありませんよ?」
『……殺してやろう、現代人!!』
落とし子の咆哮がフロア全域へと響き渡り、廃病院全体が僅かに揺れた様な錯覚をユーリヤ達は覚える。
自身の血の元であり、親であり、人など及びも付かぬ存在であるヨグ=ソトースを愚弄した。その愚考と愚行を死によって精算すべく、落とし子は動き始める。
それを受け、ユーリヤも鉄槌を即座に構えて挑む。”唯一神”の使徒であり、世界の真実を伝承すべき者として、目の前の存在はあまりに背教的であり、冒涜的な存在だ。その巨体へ鉄槌と歴史的真実を叩き込むべく、ユーリヤは鉄槌を掲げた。
『無駄だ』
「うっ……!?」
ユーリヤの魔力を込めた一撃必殺の鉄槌が落とし子の胴部に突き刺さるも、弾力的な肉体に阻まれた事でその槌頭は致命打とならず、その胴の表面へめり込んだ所で僅かに押し返された。
槌頭を引き、ユーリヤは再び鉄槌を振り下ろし直す。一度、二度、三度。数々の邪教徒の群れを一振りで薙ぎ払って来たユーリヤの鉄槌が落とし子の体を幾度も穿つも、そのどれもが異形の体に十分な衝撃を通さずにいる。
「あのバケモノの体組織は埒外の域――シスターの攻撃はことごとく受けられ、ビクともしていないか」
「化物の強みは生態にあるからな。通常の生物には無い体の造りをしてる以上、弱点を突かない限り勝ち目は無ぇだろ」
「なるほど……ならやはりシスターには勝ち目が無い、か……?」
「フッ……そいつはどうかと思うがな」
「あの政次郎くん、悠長に後ろで解説してる場合なの?」
バックメンバーで待機している三人――政次郎、十三、蓮はユーリヤと落とし子の戦いの行方を見ながら、その鉄槌が思うような効果を見せないでいる理由を分析・実況していく。
雰囲気と流れで自分も後ろに下がる事にしたものの、仲間を一人で戦わせているという現状はよく考えれば危ういものであり、というか自分も一緒に戦った方がいいのではないか、そんな思いが蓮の胸に去来する。
しかし政次郎は何時も通りの仏頂面を浮かべて落とし子とユーリヤを眺め続け、十三も腕組みをしたままよくわからない余裕の笑みを浮かべて観戦ムードを醸し出している。一切手を貸そうとしない二人を見て、間違っているのが自分なのかこの二人なのか、蓮はわからなくなっておろおろとし始めた。
「喰らいなさいッ!!」
『そんな大振りにした所で無意味だ!まずはその細腕から壊してやろう!』
ユーリヤは体を限界まで捻って脇構えの体勢から、自身に出来る最大のスイングで落とし子の胴部上方を狙って鉄槌を振り回す。
が、どれだけ大きく振った所で人の常識を超える耐久力と弾力性を持つ落とし子の体の前では無意味だ。落とし子は先程同様、体にまとわりつく触手で受けた上でその巨体でユーリヤの腕を潰すべく、体を前方へと傾けていく。
が、その鉄槌の軌道は落とし子の想像する場所へと振り抜かれる事はなかった。
『!?』
ユーリヤの鉄槌が振り抜かれる半ば程で急激に軌道を変え、胴の上部より脚部の先端へ向けて振り下ろされる。
かの世界最高格闘技テコンドーの足技の如く変幻自在に操られるユーリヤの鉄槌は、ただの大振りと侮った落とし子の油断を突き、たわんだ肉塊の如きその脚へと突き刺さった。
『くっ、しまっ……!』
ユーリヤへ反撃すべく重心を前方へと寄せていた事が仇となり、一撃を受けて脚部の力を失いバランスを崩した落とし子の体は前へと倒れ込む。
落とし子程の重量を持つ巨体が倒れ込めば、それだけで相当な衝撃が地面より返ってきてしまう。頭部を庇った落とし子は倒れるよりも先に体を捻り、胴側面から床へと落ちて不完全に受身を取る。
しかしそれによって仰向けの体勢で地面に臥せる事になった落とし子の隙を、ユーリヤは見逃さない。すかさず鉄槌を手放して身軽となったユーリヤは、落とし子の人型の頭部へ目掛け跳躍し、馬乗りの体勢を取った。
「奥義――
その状態で落とし子の顔面へ目掛け、慈悲の拳が雷雨の様に連続して降り注ぐ。
一つ一つが的確に急所を穿つ拳には全てユーリヤの破邪の魔力が込められ、拳を通して直接落とし子の冒涜的な顔面を焼き照らしていく。
これとは無関係だがかつて唐館市の神父はユーリヤの所持金を接収し、”教会”の兵站に打撃を与えた。これが世に名高い唐館支部事業失敗事件である。
神父は事業失敗で遠洋漁業行きとなるが、抗魔運動史に燦然と輝く事業の失敗は奥義”報復者”をスキルツリーに表示させ、ユーリヤの魂に刻み込まれている。
「勝負あったな。勝者は――シスターだ」
「オオオ!」
「あの、ユーリヤ凄い顔してぶん殴ってたんだけど。めっちゃ個人的なストレスが垣間見えたんだけど」
何かの憤怒が込められたかの如き拳の乱打の末、落とし子は活動を停止する。
種としての能力の差を超えて落とし子を打ち破る、恐るべき大番狂わせを見せたユーリヤに政次郎と十三は瞠目する。嵐の様な猛々しさを見せて蓮をビビらせたユーリヤは、それまでの戦いぶりが嘘のように凪いだ表情へと戻り、立ち上がって落とし子を見下ろす。
「発狂眷属
戦う前から分かり切っていた事実を再確認し、ユーリヤは笑みを浮かべる。
これにより、時空の神を嘯く邪神の眷属、その脅威は唐館市より去ったのであった。
「……野曽木、今回の報酬は四分の一だな」
「どうしろってのよぉぉぉ!!」
静かとなった旧病院跡に、蓮の悲痛な叫びのみが響き渡った。
この物語はフィクションです。
実在の神性、文書群、ユーリヤさんの財布事情とは関係ありません。