「提督、聞こえてるクマ? 早くそこを退くクマ」
そう言って、視線はボロボロのこの子に定めたまま、じりっ、と半歩近づいてくる白球磨。
「…………何してるクマ」
知らず、その視線から庇うように動いた俺に、球磨ちゃんが怪訝そうな声を上げる。
そうか、そうだよな、球磨ちゃんが居たんだった。
なんで忘れてたんだ俺、アホか。
今の球磨ちゃんが何を考えているか。
何を考えるだろうかは、バカな俺でも想像がつく。
というか、地元のファッションヤンキーなんかとは比べ物にならない、底冷えするほどのその瞳を見れば、分からざるをえない。
「…………あー……一応聞くけどさ、球磨はこの子――」
「深海棲艦。この、
やだチビりそう。
「――この子を、どうするつもりなのかなーって……」
「始末するクマ」
苛立たしげに、ピシャッと言い切る球磨ちゃん。
一切の躊躇も
「その深海棲艦を沈めるクマ。ここでとどめを刺すクマ」
俺の後ろを油断なく見つめたまま、そう言ってまた、一歩こちらに近づく。
「分かったら提督はそこを退くクマ。……辛いなら妖精さんと戻ってるクマ。球磨が一人でちゃんとケリをつけておくクマ」
「だ、ダメ!」
「…………」
思わずそう叫ぶ。
まずい、と思った時には、球磨ちゃんがその冷たい目を俺に向け、どこか呆れたようで、苛立ちのようで、諦めのようでもあって、そしてかわいそうなモノを見るような表情でため息を吐いた。
「提督」
球磨ちゃんに呼ばれ、また思わずボロボロの深海棲艦の子を庇うように半歩動く。
「……工藤提督。工藤俊一提督。提督の気持ちは分かるクマ。少しは分かってるつもりクマ。その深海棲艦は確かにただの女の子に見えるクマ。傷ついて、ボロボロになって、死にかけの、か弱い……かわいそうな女の子に見えなくもないクマ」
そう、わからず屋の子供に言い含めるように、一言一言噛みしめるように言いながら、また一歩、二歩と近づいてくる。
「――――でも深海棲艦クマ」
更に一歩。
とうとう手を伸ばせば触れられる位の所まで近づいてきた。
「ソイツらはか弱くなんかないクマ。ソイツは女の子なんかじゃないクマ。球磨達と同じ船、兵器クマ。……いや、ソイツらは球磨達とすら違うクマ。自分の存在意義も忘れて、守るべきものも持たずに、世界中を恨む亡霊クマ。提督達人間と敵対する――戦争相手、
そう言って、蒼白い炎の灯った瞳で、真っ直ぐに俺を見下ろす球磨ちゃん。
思わず、ゴクリ、と喉が鳴る。
「もう一度だけ言うクマ。そこを退くクマ」
こここ、コエぇぇぇ……!
建造直後に砲身を突き付けられた時も思ったけど、臨戦態勢の艦娘の迫力ってヤベェ。
チビりそう。
「…………だだ、ダメだ……!」
が。
が、だ。
ここは引くワケにはいかないよな、やっぱり。
「………………クマ?」
俺の情けなく震える声に、心底解せないといった感じで球磨ちゃんが僅かに首を傾げる。
そして、直ぐに仕方がないという風にため息をつき、口を開いた。
「…………もういいクマ。提督はそいつらを良く知らないんだから仕方ないクマね……力ずくでも退いて貰うクマ。恨まないで欲しいクマ」
そう言って、球磨ちゃんは俺の肩に手を置き、駆逐せいきなる傷付いた深海棲艦の前から引き剥がそうとしてくる。
「いや、だ、ダメだって! 球磨! お、落ち着いてくれってば……!」
その細腕からは想像もつかない馬鹿力で俺を押し退けようとする球磨ちゃんに、必死の抵抗を試みる。
青白く冷たい腕に慌てて抱きついて、殆どぶら下がるように食い下がるが、さすがに艦娘、そんな俺ごと事も無げに腕を持ち上げて振り払おうとしてくる。
「……往生際が悪いクマ。出来れば提督には手荒なマネはしたくないクマ……クマっ!?」
俺が無駄な抵抗をしていると、それに味方してくれるつもりなのか、ツインテが球磨ちゃんの顔面に飛び付いた。
「ふははー、なにもみえまいー」
「わぷっ……は、離すクマっ!? 妖精さんまでどうしたクマっ!? ……さては、深海棲艦の味方だったクマっ!? どうりで見た目が似てると……離れるクマーっ!?」
空いてる方の手でツインテを捕まえようとする白球磨ちゃんだったが、ツインテは球磨ちゃんの頭をちょこまかと這いずり回って容易には捕まらない。
まるでゴキブリだなツインテ……。
そんなコントの様な事をしている内に、残りの五匹の妖精さん達も追い付いてきた。
「なにごとなにごとー?」
「たのしそー♪」
「あれはしんかいせいかんでは?」
「てき? てきです?」
「ていとくー?」
妖精さん達は深海モードの球磨ちゃんにしがみつく俺と、死にかけで倒れる深海棲艦を交互に見比べて、どうして良いか分からないといった風にしている。
「よ、妖精さんクマ!? 深海棲艦がいたクマ! 提督をひっぺがすクマ!」
「妖精さん! 球磨を止めてくれっ!」
俺と球磨ちゃんの正反対の指示。
それに対して、
「! あいあいさー!」
「くまにのりこめー」
「のりこめー♪」
「おー♪」
「クマぁっ!? なな、ナニするクマー!?」
迷いの晴れた様な顔を輝かせて、妖精さん達が一斉に球磨ちゃんに取り付き、何処から取り出したのか、草の蔓の様なモノで球磨ちゃんをぐるぐる巻きにして行く。
「何でクマ!? いくら提督の命令だからって、深海棲艦クマよっ!?」
あっという間に簀巻き状態にされて、コロンと転がされる球磨ちゃん。
犯罪的な絵面だ……あの状態の球磨ちゃんを物ともしないとは、妖精さんってスゴい。
「にんむかんりょう」
「ちょろいぜ」
「ほめてー♪」
妖精さんもドヤ顔だ。
「むむむ……こうなったら一人でもヤってやるクマ……! こんなツタ位一瞬で…………? ……クマ……?」
しかし球磨ちゃんも九万馬力を誇る艦娘だ。
たかが植物の蔓でぐるぐる巻きにされた位じゃ一瞬で引きちぎってしまうだろう……と、思ったのだが、様子がおかしいぞ?
もぞもぞと動いて、両腕に力を込めて真っ赤に成っている様なのに、一向にツタを引きちぎる様子が無い。
さっきはいとも簡単に生木をへし折ってたのに、こりゃどうした事だ……?
と思っていると、ポツリ、と球磨ちゃんが言った。
「…………ね、燃料切れクマ……」
「………………艦娘敗れたり」
……何か知らんが燃料切れらしい。
さっき少ない燃料の殆どを零水禎につぎ込んじゃったもんね、仕方ないね。
艦娘って燃料が無いと力が出せないのか、知らんかった。
「……はっ!? そ、そうだ、妖精さん達、褒めるのは後だ! そこの深海棲艦を庁舎に運び込むぞ! 死にそうなんだ!」
俺の周囲にまとわりついてほめてほめて♪ と騒ぐ妖精さん達に慌てて指示を飛ばす。
こんなコトしてる間に死んじゃったら寝覚めが悪過ぎる。
「あいあいさー」
「まったくていとくはせわがやけるぜ」
「ちゃんとほめてよー?」
「きゅうじょだー」
「ま、待つクマ!」
ぐったりと死んだように倒れて荒い息をする深海棲艦の少女に駆け寄る俺に、球磨ちゃんが再度声を上げた。
少女を仰向けにして、冷たく冷えた腕を傷だらけの身体の前で組ませる俺に、なおも食い下がる。
「…………て、提督……ソイツは……ソイツは球磨達の
………………。
「あの戦いで……たくさんの仲間が沈んだクマ。球磨達が突破しようとした敵陣の中には、ソイツと同じ、駆逐棲姫もいたクマ。もしかしたら、ソイツがその本人かも知れないクマ」
ごそごそと這いながら、必死に苦しそうな声を上げるのを背中で聞きながら、息も絶え絶えといった様子の駆逐せいきを抱き上げる。
軽い。
冷たい。
……まだ息をしている。
「お願いだクマ……民間人の提督には辛いかも知れないって分かってるクマ……でも、でもクマは、クマはソイツを沈めなきゃ……仲間の仇を討たなきゃいけないんだクマ……!」
球磨ちゃんの方を振り向く。
球磨ちゃんは、憎き
「提督……工藤提督……ソイツに……そんなヤツに情けなんかいらないクマ……! そんなヤツに提督の優しさを分けてやった所で、辛い思いをするのは提督クマ。深海棲艦に情なんか無いクマ。球磨達とは、提督達とは違うんだクマ……!」
「…………そうかもな」
ヒドい顔だ。
可愛い顔を、そんなに歪めちゃって……やっぱり戦争ってのはクソだな。
知ってた。
いや、こんなにクソだとは、予想以上だ。
「分かってるなら……!」
「球磨。戦いは終わってるんだ」
「クマ……?」
俺は、球磨の目を見ながら、自分の考えを整理するように言葉を選ぶ。
「球磨達が……お前らが世界の為に命懸けで頑張ってくれてるのは知ってるよ。球磨が沈んだ戦いで、仲間も一杯死んじゃって……でも、もうその戦いは何日も前に終わってる。コイツは敗残兵だ。詳しい法律とかは知らねぇけど……救助を求める敵兵って、捕虜として保護しなきゃいけないんじゃ無かったか?」
「……!」
返答に詰まる球磨ちゃん。
「……そっ、それは通常の戦争、人間同士の戦争のルールクマ! 深海棲艦が救助を求めるとか、捕虜にするとか……そんなの聞いたコト――――」
「この子は確かに助けを求めてた。……球磨にも聞こえてたよな?」
「――~~っ! ……聞いて無いクマ」
「俺達は、人道に従って、この救助を求める敵兵を捕虜として丁重に扱う義務がある……ハズだ。そうだよな?」
「………………前例が無いクマ。ソイツが捕虜の扱いに応じるとも思えないクマ」
そう言って、いくらか勢いの失せた声でボソボソと言い返す球磨ちゃん。
多分……というか、球磨ちゃんの言ってるコトの方が正しい。
正しいんだろうけど……。
「球磨。感情の赴くままに、ルールもなく行われる戦闘は、ただの殺戮だ。戦争がそんなキレイ事じゃない……ってのは、何となく知ってはいるけどさ。球磨には……俺達の平和の為に、必死んなって戦ってくれてる艦娘達には、そんな戦争の狂気には飲まれないで欲しいんだよ、俺は」
戦争は、個人の感情で行われるモノじゃない。
ここで恨みや憎しみに任せてこの子を殺せば、俺達は浅ましいケモノに成り下がってしまう。
……と言うのは、ただの建前だ。
結局俺は、助けを求める人を、助けられる立場にいるのに見殺しにする。
そんな事が出来ない位、弱いだけだ。
助けを求めてきたのが女の子で、それの止めを刺そうとするのがこれまた辛そうな顔をした女の子だと言うのなら、なおさらだ。
要は俺は最低な馬鹿で、軍人の苦労も覚悟も知らない能天気な一般人なのだ。
……本土に戻ったら投獄だなきっと。
「いいはなしだなー」
「かいぐんとしてはていとくのいけんにさんせいです」
「よくいった」
「キミらはちょっと黙っててね、今ちょっと自分に浸ってるトコロだから」
「…………やっぱり工藤提督は大馬鹿クマ」
ふと見ると、球磨ちゃんはすっかり何時もの通常カラーに戻って、大人しくなっている。
「ああ馬鹿だ。なんだ今頃気付いたのか、スマンな」
「……球磨にも馬鹿がうつったみたいクマ。提督」
「なんだ? いよいよ早く運ばないと、手遅れになりそうなんだけど……」
先程から、腕の中の深海棲艦の女の子の息が徐々に小さくなっているのだ。
冷や冷やモノである。
「武装……なんて無いようなものクマが、武装解除と、残ってる様なら燃料の抜き取り。妖精さんに頼んで厳重な見張りと拘束……此れが最低条件クマ。捕虜だって言うならそれくらいはして貰うクマ」
……うん。
さっきまでの怖い顔と比べれば、今の呆れた様な表情の方が断然いいな。
「もちろんだ! 俺だって寝起き様に砲塔突き付けられんのは一度で十分だからな! よし、球磨ちゃんの許しも得たコトだし、妖精共! 球磨を担いで付いてこい!」
「おー♪」
「はこべー♪」
「え、ちょ、くく、クマっ!? 何言って……球磨、そんなコトしたクマ!? それ、詳しく……妖精さん、何するクマっ!? ほ、ほどいて……自分で走るクマっ! や、止めるクマー!」
そういや、もう拘束する必要も無いんだから、自分で歩いてもらえば良かったか……まあいいか、妖精さんも楽しそうだし。
それより早くこの子を運ばないとな。
「おいツインテ、頼んだからな? あんなグズグズな演説で球磨ちゃんに納得して貰ったからには、助けられませんでしたなんて無しだぞ?」
「もーまんたい」
「クマ~~~っ!?」
こうして、死にかけの深海棲艦を救助した俺達は、庁舎までの道をかけ戻ったのだった。
「いいからさっさとほどっ…………! ……うぷっ……」
「……妖精さん、そろそろほどいて差し上げろ」