わすれなちんじゅふ、と読んで下さい。
「なにが、まかせなさーい♪ ……だバカタレ!」
曇天の波間に頼りなく揺れる小舟の中で、俺は人生史上最大に軽率だった過去の自分にドロップキックでもかましたい気分だった。
出来ないけど。
あの後、バイト先に律儀に退職の旨を伝えた俺は、シフト調整のために最後の二週間みっちり働き、通販で買った登山用リュックにキャンプ用品や非常食を思い付くまま詰め込んで、日も登る前からチャリンコで二時間もかけて町外れの浜辺まで向かった。
そしてそこから、ツインテリボンの妖精さんが何処からか持ってきた木造の小舟でもって、無謀にも大海原に漕ぎ出したのがおおよそ丸1日前だ。
最初は抜けるような晴天のピーカン日和だったのが、あれよあれよと風向きが変わって、気付けば今にも落ちてきそうな真っ黒い雲で空が覆われている。
昼も夜も無いような真っ暗闇の中、どこへ向かって流されているとも知れずに一晩を明かし、完全に方向を見失った。
おまけに一寸先も見通せない濃い霧まで出てくる始末。
波一つない凪の大海原で独りぼっち……いや、二人ぼっちだ。
まるで俺の人生のようだぜ……チクショウ。
「大体おかしいと思ったんだよ……!」
船尾で呑気に鼻提灯を膨らます青白いグレムリンさんを睨む。
あれだけ沢山いた妖精のうち、ついて来たのは言い出しっぺのコイツだけ。
残りは鎮守府ができたらまとめて引っ越して来るらしく、全員アパートでお留守番だ。
お陰で家賃を向こう半年まとめて払うハメになった。
今思えば、きっとアイツらは俺の家を乗っ取るために邪魔な俺を始末しようとこうして海原に放り込んだのだ。
出発時、横断幕や紙吹雪まで作って、千匹以上の妖精さん全員で盛大に送り出してくれたのもなんかわざとらしかった気がする。
あとあの黄色いハンカチとかサイリウムはなんだ色々混ざってんぞ。
調子のって海軍式の敬礼までしちまった自分を殴りたい。
バカか俺?
……あ、バカだったわ。
クソが。
「……こうなったら何としてでも生還してやる……泳いででも帰って、あの性悪妖精どもに目にモノ見せてやるからな……!」
俺が復讐に燃え、かのジャチボウギャクなるチビ助どもにいかように残虐な仕返し(カラシプリンをお見舞いするとか)をするか考えていると、視界の隅っこで、ツインテさんがパチリと目を開け、ムクリと起き上がるのが目に入った。
「あ、コイツ、コラ、こんの性悪ツインテ、さっさと俺を家に返しやがって下さいよコノヤロー!」
眠そうに口許のヨダレをぬぐう妖精さんに、微妙に下手に出た要求をする俺。
だ、だってちょっと怖いじゃん……ホラ、こんな海のど真ん中で二人っきりな訳だしさ、お家までは仲良しなフリした方が良くない?
「ふわー……まあまああわてなさんなていとくさん。そろそろらしんばんのじかんですぜ」
「はぁ? いや、方位磁針ならずいぶん前に壊れちゃったじゃん……」
あぐらの上に飛び込んで来て、胸元から見上げてくる妖精さんにため息を吐きつつ、ポケットから百均のコンパスを取り出す。
手の中の方位磁針は、まるで池に浮かぶ笹舟のようにフラフラと回っていてまるで役に立たない。
家で荷造りした時には問題なかったのに、この舟で海に出て、妖精さんに言われて最初に取り出した時にはもうこんな有り様だった。
これだから安物は……いや、航海用の二千円位のヤツ買うのをケチったのは俺だけどさ……。
ナニが面白いのか、妖精さんは俺の手の中のコンパスを覗きこんでは、顔を上げてキョロキョロと霧の中を見渡す……といった行動を繰り返す。
「このへんだな」
「いや、ヘンなのはお前だよ」
「はりをまわせー」
「……はぁ?」
ようやく、ツインテが羅針盤の針を回すようせがんでいると気付いた俺は、ウロンな目でシャカシャカとコンパスを振ってみせた。
お望み通りくるくると回りだす針を見て、妖精さんはタイヘンご満悦である。
俺は憂鬱だよ。
なにやってんだろう俺?
「らしんばん、まわれー♪」
「…………なぁ、そろそろ俺帰りたいんだけど、お前どっち行ったらいいか分かんない?」
「ここっ!」
ぴしっ! とコンパスを指差す妖精さん。
その瞬間、くるくるとアホらしく回っていた針がピタッと止まった。
「…………えー、ナニその一発芸……」
妖精さんは時々ヘンなコトをする。
ドアの
いつの間にか増設された地下室や、折れたスポークがナゼかキレイに直っている自転車を見て、俺は深く考えるのを止めた。
なんか時々フワフワ浮いてたりするし、妖精さんはそういうもんなんだろう。
あとどうせ直すならスーパーカブ直せや。
なんにせよ、羅針盤の針を止めるという超絶パゥワーに一体どれ程の意味があるというのか、お兄さんには見当もつきません帰りたい。
「あっち」
そんな俺の気持ちがこの色白ツインテにも伝わったのだろうか。
俺の膝の上から飛び降りた妖精さんは、舟の舳先に立って右前方辺りをドヤ顔で真っ直ぐに指差した。
コンパスの針と同じ方向だ。
「……? そっちに行ったら良いのか?」
こくこくと二頭身の頭を振るフシギ生物。
どうやらやっとイタズラを止めて、俺を家に帰してくれる気になったようだ。
いや、方向が分かった所で、櫂もないのにどうやって進んだらいいのさ。
「かいりゅうにのれー、まにあわなくなってもしらんぞー」
「分かった分かった」
急かされるままに、舟のヘリから恐々身を乗り出して、凪いだ黒い海面をぱちゃぱちゃと掻く。
小さな小舟はゆらゆらと波紋を立てながらゆっくりと回頭し、羅針盤の指し示す方向へ舳先を向けた。
「いけー」
「おおっ!? なんだぁ!?」
その瞬間、鏡のようだった海面にさざ波が立ち、俺達の乗った小舟をゆっくりと押し流し始めた。
コレも妖精さんパワーなのか?
スゲェ。
「おっ、おおお……おお……こ、こっちで良いんだな?」
「しんぱいはいらねーぜ、わたしにまかせなさーい♪」
「その台詞すっごい不安なんだけど……」
任せた結果こんなコトになってるんじゃねーか。
そんなコトを考えている内に、波は高さを増し、小舟は更に勢い良く流されて行く。
真っ暗な霧の中、ゴロゴロという雷鳴を聞きながら疾走する木造舟。
控えめに言ってめちゃくちゃ怖い。
舟の両舷にしがみついて、身体中に生ぬるい水しぶを浴びながら、「よーーそろーーっ♪」と楽しそうな妖精さんに叫ぶ。
「速ぁぁーーーーいっ!! スピード! スピード落として! マジで後生だからお願いしますぅーーっ!!」
@@@@@@@@@@
そうやって、どれだけの時間が経っただろうか。
最高にグロッキーな俺が、塩辛い水しぶきを上げる舟の上で一睡もできずに何時間も揺られ、何周目かのうろ覚え般若心経を唱え終わった頃、鬼畜ツインテが嬉しそうな声を上げた。
「おー、みえてきたぜ」
「うおぇぇぇ…………くぅーそくぅぜぇーしきぃぃ……え、ナニ? 着いたの? 浄土着いちゃった?」
俺が現世での行いを悔いながらゆっくりとずぶ濡れの頭を上げると、いくらか薄くなった霧の中に、ボンヤリと緑色の陸地のようなモノが浮かび上がってくるのが見えた。
「あ……ああっ! 陸、陸だっ! 良かった……! 帰ってこれたんだ…………!」
俺は歓喜の涙を流した。
今なら何だって許せる気分だ。
帰ったら妖精さん達全員にハグしてやってもいい。
感極まってツインテを抱き上げて頬擦りすると、きゃーきゃーと嬉しそうにはしゃいで頭をグリグリと押し付けて来た。
そのまましばらくして、フシギ海流に流される小舟はどんどん島影に近づいて行き、次第に白い砂浜が視界に広がってくる。
波音の中に、寄せては返す浜辺の潮騒が混じる。
「せつげんするよー」
俺の股の間にすっぽり座り込んだ妖精さんがそう言った瞬間、軽い衝撃と共に、ザザザッ、と船底が浜辺の砂に乗り上げた。
俺が思わずつんのめると、コロコロと転がった妖精さんが舳先から、ぽーんっ、と投げ出されて、ぱちゃっ、と波打ち際に着地した。
びしっ、と両手を上げて静止する。
顔は見えないが多分ドヤ顔だ。
お前はいっつも楽しそうだな……。
「とうちゃーく」
「ありがとう……ありがとう……帰ってこれた……!」
俺は地に足がついている感動にむせび泣きながら、妖精さんの先導に従って小舟を浜に引き上げた。
なんか海に出たのもコイツのせいだった気がするが、もうそんなのどうでもイイや。
コレからは艦娘ハーレムのコトなんか忘れて、身の丈に合った生活をしよう……!
俺は自分の軽率な行いを恥じながら、小舟からリュックサックを持ち上げてキョロキョロと堤防を探した。
「…………あれ?」
しかし、見回せども、見渡せども、どこにも堤防が見当たらない。
霧に覆われているせいで良くは見えないが、周囲には流木や海草の打ち上げられた砂浜と、見慣れない熱帯雨林のような景色が広がるばかりだ。
暗い林の奥から、ケーーッ! ケーーッ! っという、けたたましい鳥の鳴き声が聞こえる。
……。
…………。
「……ここ、どこだ?」
ひょっとして……ここ、自分の出発した浜辺じゃないカンジっすか? と、考えたくもない予想がむくむくと頭をもたげる。
と、足元でびしょびしょのズボンの裾が引っ張られるのを感じた。
下に目をやると、ツインテ妖精さんが俺のズボンをクイクイと引いて俺を見上げている。
「こっちこっち」
そう言って、トテトテと浜辺を走って行く妖精さん。
……突っ立っていても仕方がないな。
なんだかそこはかとなく不安を覚えながら、自信満々の妖精さんに着いて行く。
「…………ちょっとマジで勘弁してくれよー……帰ってこれたと思ったら無人島でしたとか、そういうのマジでやめてくれよー……頼むぞー…………おお?」
妖精さんと一緒に、まっさらな砂浜に足跡を刻みつけ続けることしばし。
岬状になった浜を曲がると、不意に開けた視界に、待ちわびた文明の色が映る。
「あそこだー」
「お…………おお……や、やった…………!」
灰色。
コンクリートの灰色。
懐かしきかな、文明の灰色!
砂浜が岩場に変わり、緩やかに上って行く低い崖の上。
湾になった海岸を見下ろすように、コンクリートの建物がそびえ立っているのが見える。
「よかった……! 取り敢えず無人島じゃなくて良かった…………!」
最悪の予想が外れて、安心と喜びに膝を突きそうになったところで、向こう脛に軽い衝撃が走る。
「ぼさっとしない。さっさとちゃくにんしろー」
「わわ、分かった分かったって……ちょっとくらい浸らせてよ……」
テンションの高い妖精さんに体当たりされながら、あわてて脚を前に出す。
早くあの建物まで行って保護してもらわないと。
とにかく今は人間に会いたい。
二頭身じゃない生き物と言葉を交わしたい。
こんなに人恋しいのは初めてだぜ。
今ならコミュ障だって克服できそうだ。
そんな事を考えながら、ほとんど気合いだけで鬱蒼としげる密林に突っ込み、名前もよく分からん草木を掻き分けながらぬかるんだ斜面をえっちらおっちら上って行く。
……しかし無茶苦茶あっついなぁ今日は……こんなに曇ってるのに……。
「まーまえーんぱーぱわーれーでーんべー♪」
「ヒュー……ハアァァ……お前……ハァ……自分で……ゼェ……歩けよ……」
妖精さんのクセにヒワイな歌歌いやがって……しかも米軍のだろそれ……。
無駄にご機嫌なツインテを肩車したまま、実に三十分位かけて小高い傾斜を登りきる。
湿気と熱気で汗が吹き出て、全身ベトベトだ。
「カヒュー…………つ、着いた……登りきった……!」
暗い林の木々の間に、曇り空から薄く光が射す。
べきべきと固い生木をへし折って、やっとの思いで密林から首を出した。
「これで……助かっ…………………………たす………………」
ゴロゴロゴロ……と、雷鳴が空気を読んだ音を響かせる。
崖の上にそびえ立っていたのは、鉄筋コンクリート製の巨大な建物――――
の形をした、廃墟だった。
@@@@@@@@@@
「…………そんな気はしてたよ……チクショウめ…………」
明らかに大昔に打ち捨てられたような巨大な廃墟を見上げて、今度こそ俺は膝を突いてしまった。
なんだよコレ……まるっきり奇界遺産じゃん……クソゲーかよ……。
必死の思いでたどり着いた建物は、それはもうヒドい有り様だった。
外壁は全て剥がれ落ち、窓ガラスは一欠片も残っておらず、レンガが一枚残らず滑り落ちた屋根は半分ほど崩れて傾いている。
壁の一部も倒壊して、潮風で腐って抜けたのであろう板張りの天井が覗く。
何処へ出しても恥ずかしくない廃墟だ。
「こいつぁーひでえや。たるんでやがるぜ」
「うるせえやい……ん、妖精さん、どこ見て……!?」
先程から一転して、どこか不機嫌そうな妖精さんの呟きに力なく顔を向けると、色白妖精さんは俺ではなく廃墟の方を見て険しい目をしている。
一丁前にため息とか吐いてやがる。
怪訝に思い、妖精さんの目線を辿ると――――
「――ありゃ、妖精さんか?」
なんと。
倒壊したコンクリの上に寝そべった、怪しい二頭身が目に入った。
ボロボロのセーラー服を胸元(多分あそこは胸だろ、きっと)まではだけさせ、ボリボリとお腹を掻きながら大あくびをしている。
……凄まじいだらけっぷりだ。
ふと、ボロセーラーが、パチッ、と目を開ける。
ふわぁぁぁぁ……という音が聞こえそうな伸びをして――――
「……あ、目が合った」
自分をじっと見つめる色男(当社比)に気付いたようだ。
眠そうだった目が、みるみる内に真ん丸になって行く。
「かけあーし!」
不意に、隣のツインテが大声で叫んだ。
その瞬間、ぴょーんっ、と数十センチ跳び上がった妖精さんが、慌てた様子でてちてちと駆け寄ってくる。
そして、地面に膝を突いたまま呆然としていた俺の前に辿り着くと、砂や泥で汚れきった全身に生気をみなぎらせて、ピシッ! っと敬礼をする。
「え……ナニ? どういう……」
俺がそのキラキラした瞳に戸惑っていると、隣で偉そうにふんぞり返っていたツインテが短い腕で、びしっ、と返礼して言った。
「ひとはちさんはち! てーとくがわすれなちんじゅふにちゃくにんしました!」
はぁ?