戦姫絶唱シンフォギア レゾナンス   作:重石塚 竜胆

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第二十八話 逢瀬のクアドラプル

━━━━本日天気快晴なれど波高し。

 

はて、コレは何の作品の一節だったか……などと、晴天の空の下で俺は思考を明後日の方向に逸らす。

約束したデートの当日、待ち合わせ場所はリディアン近くの公園。先月とは違う場所。時刻は午前十時ニ十分過ぎ。

 

……待ち合わせの時間は、俺の記憶が正しければ午前十時。

 

「まったく……あの子達は何をやってるのよ……」

 

そして、先ほど連想した高波とは即ち、隣でご立腹な翼ちゃんの事だった。

お忍びである為に大きなキャスケット帽を被り、トレードマークのサイドポニーを解いた海のような蒼のロングストレートの髪型。

いつもの涼やかな立ち風とは装いを変えたその姿は、率直に言って、とても可愛らしかった。

 

「あー……多分……寝坊かなぁ。一応、今朝にも未来に連絡はしておいたんだけれども……女の子は準備に時間がかかるからなぁ。」

 

「……もしかして、いつもこんな感じなの?……だったら先に言って欲しかったわ。遅れないようにと早めに着いていた私がバカみたいじゃない……」

 

「いっつもってワケでは……無いかな?確かに、響は寝坊が多いけれどさ。

 それだけ、翼ちゃんと出掛けるのが楽しみだったんじゃないかな?」

 

「……確かに、私も楽しみではあったけれども……寝坊まではしないわよ。まったく……」

 

口ではそう語る翼ちゃんだが、そこまで怒ってはいないだろう事はその雰囲気からも見て取れた。むしろ、この状況をも楽しんでくれているのだろう。

シンフォギア装者として、同時にトップアーティストとして多くの仕事をこなし、普段から多くの人々の期待を一身に受ける彼女が自らの楽しみを見出してくれている。

━━━━それは、俺にとっても喜ばしい事だ。

 

「はぁ、はぁ……すいませーん!!翼さん、お兄ちゃんも……!!」

 

「すみません……お察しの事とは思いますが、響の寝坊が原因でして……アレ?」

 

響と未来が集合場所へと走って来たのは、そんな折の事だった。そして、荒くなった息を整えていた二人は翼ちゃんの姿を見て驚いた顔を見せる。

確かに、いつものイメージとは違う方向性だから驚くのも無理はない。俺にとっては翼ちゃんは幼馴染だが、二人にとっての翼ちゃんは憧れのトップアイドルという側面が強いだろうから。

 

「ふぅ……時間がもったいないわ。急ぎましょう。」

 

「あぁ、そうだな。二人共走ってきたばかりで悪いけど、立ち止まるより歩いた方が息も整えられるからもうちょっと頑張ってもらえるか?」

 

「あっ、うん……ねぇねぇ、お兄ちゃん。翼さん……何分前から待ってた?」

 

皆が揃った事を確認して、足早に出発しようとする翼ちゃんに並んで歩く未来の後ろに響と二人で並んで歩く形になりながら、響がこっそりと聞いてくる。

 

「そうだな……15分前に俺が来た時には、もう翼ちゃんは着いてたよ。」

 

響に合わせて声を潜めながら、響の問いへの答えを返す。

約束の時間よりも先に着いた俺よりも、早く着いていた翼ちゃん。勿論、ある種の社会人として、アイドルとして、約束に遅れるという発想が元より無かった事もあるだろうが……

先ほど、二人で待っている時に楽しんでくれているのが分かったのは、それも一つの理由だったのだ。

 

「……悪い事しちゃったなぁ。」

 

それを聞いて、落ち込む響。きっと、自分の寝坊が原因で待たせてしまった事を気にしているのだろう。

 

「……そうだな。だから、次のデートの時には遅刻しないようにしような?」

 

━━━━その反省が窺えるから、掛ける言葉は過去を戒める言葉では無く、未来を望む言葉。

 

「えっ?」

 

「翼ちゃんはこれからまた忙しくなるだろうから毎月ってのは難しいだろうけど……今日だけじゃなく、また今度も皆で遊びに行きたいって、俺は思ってるんだ。

 ……まだ一回目が始まっても居ないのに気が早いかもしれないけど、俺はやっぱり、皆が笑ってくれているのが一番好きだからさ。」

 

「お兄ちゃん……」

 

「二人共ー!!早く来ないと置いて行っちゃうよー?」

 

「……さ、今日のところはまず、目の前のデートを楽しもう?」

 

俺の言葉に響が返答を返すよりも先に、先を行っていた未来が声を掛けて来た。いい加減に翼ちゃんがご立腹なのだろう。

だから、響が今日を楽しめるようにと手を差し出す。

 

「あ……うん!!思いっきり楽しんじゃうから!!」

 

その手を握り返してくれる温もりは、それだけで俺の問いへの返答になっていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

 

デートの始まりにと訪れたのは複合商業施設━━━━いわゆるショッピングモールだった。

映画館も内部に併設されたここには様々なショップが並んでいる事もあり、土日の今日は活気と賑わいに満ちていた。

 

「あっ!!この鳥柄のカップ可愛い!!未来はどれか気に入ったのある?」

 

「私は……うん。このパンダ柄なんかマイカップにどうかなって。翼さんはどうですか?」

 

「私は……マイカップというのに拘った事が無くて……でも、そうね。この武士らしいカップなんか、いいんじゃないかしら?」

 

『ちょ、ちょんまげ……?』

 

雑貨を前にあれやこれやと話し合って吟味する三人。その微笑ましい会話を耳に乗せながら、三人がチェックする商品を覚えておく。

女性陣にとっての楽しみは恐らくそうやって友達と情報を交換しながら話し合うこの時間そのものなのだろうが、此方は残念ながらそういった時間を共有出来ない男一人。

であればこそ、俺が出来る事はその時間を共有した事の証として、三人がチェックしながらも買わなかったカップをこっそりと買って贈るくらいがちょうどいいだろう。

 

「……ん。三人とも。そろそろ予定の映画の時間だ。俺はちょっと用事を済ませてから行くから先に行っててくれないか?」

 

「あっ、もうそんな時間?分かった!!じゃあ先に行ってるね?」

 

「ウインドウショッピングも、話し合いながらだとこんなに時間が経つのが早いのね……」

 

「ふふっ、映画が終わった後は服を見に行きましょう?」

 

「えぇ。楽しみがいっぱい増えていくわね。」

 

そんな風に楽しそうに去って行く三人を見送ってから、俺も俺の用事を済ませる為に動きだす。

 

「あ、すいません店員さん。プレゼント用の包装で、このカップ三つをお願いします。支払いはカードの一括で。包装後は配送で……はい。住所をこっちにですね。分かりました。」

 

━━━━はて?スマートに用事を済ませた俺なのだが、何故か店員さんからは信じられない物を見る目で見られてしまったのだが、それは何故だったのだろうか。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

━━━━その映画は、幸福な愛(ハッピーラブ)を求める一組の男女のお話だった。

生活に苦労しながらも愛し合っていた二人の人生は、不幸な交通事故で一変してしまう。

交通事故のショックで記憶を喪ってしまった男性に、それでも寄り添い続けた彼女の愛。

それが、最後には彼の記憶を呼び覚ます。二人の幸福な愛はこれからも続いていくのだ。

 

「うぅ……感動した……」

 

「純愛、って感じでしたよね……」

 

「そうね。とても、美しい物を見る事が出来たわね……普段だと、どうしても作劇の関係者として見てしまう物だから……こうして、そういう事を考えずに第三者として見るなんて思いもしなかったわ。

 共鳴くんは、どうだった?」

 

「そうだな……人が人を想う心の美しさは、やっぱり胸を突く物があるよな。

 ……そうだ。昼食がまだだったけど、今の時間だとまだ混み合ってるだろうし、とりあえず歩きながらソフトクリームでも食べないか?」

 

予定していた映画を観終わり、次の予定である服屋に向かう道中、私達四人、並びながら映画の感想を交わし合う。

そんな中で共鳴くんが提案してきたのは、ソフトクリームの食べ歩きだった。

 

「食べ歩き……そういえば、話には聞いていたのだけれど、殆どやった事が無かったわね。」

 

「じゃあ決まりですね!!お兄ちゃん!!私メロン!!」

 

「奢られる気満々ですか……まぁいいけどさ。未来と翼ちゃんはどうする?折角だし奢るよ。」

 

「私はストロベリーにしようかな?」

 

「ええと……こういう時ってどういう選び方をすればいいのかしら……味が色々あるというのは分かるのだけれども……」

 

━━━━情けない話、私にはこういった経験が全く無いのだ。幼き頃より風鳴の(すえ)として自らを鍛え上げ、奏と出逢ってからはツヴァイウイングとしてもまた鍛え続ける日々。

露店で買い食いというシチュエーションそのものは知っていても、実感や体験が付いて回らない以上、不安が頭を(もた)げるのも致し方ない事なのだ。

 

「そうだな……じゃあまずはバニラ、かな?」

 

「うんうん。やっぱりバニラもいいよねー。」

 

「響?流石に翼さんにねだるのはダメだからね?」

 

「ひゃ、はい!!分かってます!!」

 

立花さんと小日向さんの掛け合いに苦笑しながらソフトクリームを買いに行く共鳴くん。

 

「そういえば……翼さんって、お兄ちゃんの事呼び分けてますよね?なんでですか?」

 

そうして共鳴くんが離れて、女子三人だけになったからか、それともふと気になったからか、立花さんがそんな事を訊いて来た。

 

「そうなの?」

 

「そうね……確かに、私の中ではある程度呼び分けを行って居るわ。シンフォギア装者として、防人として立つ時には『共鳴』と……けれど、そうでない時、歌女としての私である時には『共鳴くん』と、そう呼び分けているわ。

 私自身の中ではその二つは同じ物の言い表し方の違いだと思っているのだけれど……やっぱり、外から見ると違うのかしら?」

 

「そうですね……普段の翼さんのイメージだとさん付けが多いですから、お兄ちゃんの事だけくん付けで呼ぶのもちょっと意外でした……」

 

「それに、私にとっては口調ごとガラっと変わってるのもあってもっと印象的だったんですよ!!」

 

「そういう物なのかしら……?」

 

「お待たせ。響はメロンで、未来はストロベリー、翼ちゃんはバニラでよかったよね?」

 

片手に三つもソフトクリームを持って戻ってきた共鳴くんが、ソフトクリームを私たちに渡しながら訊いて来る。

 

「ありがとう。それじゃあ行きましょうか。」

 

「次は服を選びに行く予定なんだけど……お兄ちゃんはどうする?気まずいなら別行動でもいいけど……」

 

「いや?まぁ……確かに男が居るには気まずい場所なのは確かだけどさ。響達が可愛らしくなるのは俺としても嬉しい事だから。良かったら見せて欲しい……かな?」

 

━━━━共鳴くんの気負いのない発言には、毎度驚かされてしまう。

昔から、彼は変わらない。飾らない発言で、真っ直ぐに私を見てくる。『風鳴翼』でも『ツヴァイウイング』でも無い、ただの女の子である私を。

 

「お兄ちゃんはまたそういう事を平然と言う……そんな事言って、居心地悪くなったからって逃げ出さないでね?」

 

実のところ、着飾る為に自分で服を選ぶ。というのは少し苦手なのだけれども……今日は、少し頑張ってみてもいいかもしれない。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「━━━━で、その結果がコレとはね……共鳴くんには、ちょっと悪い事しちゃったかしら?」

 

ソフトクリームを食べながらウインドウショッピングを続け、私たちはお目当ての洋服店に辿り着いて、お互いに似合いそうな服を着せ合っていたのだが……

 

「まさか、三人に意見を求められてる男性に注目が集まってバレちゃうだなんて……」

 

『響の赤系統ってのは新鮮だなぁ。でも、明るい色調だから響の活発なイメージにも合ってていいと思うよ。』とか、

『うーん……確かに未来によく似合ってるけど、今日は折角なんだから、もうちょっとアクティブな物に挑戦してもいいんじゃないか?』とか、

『翼ちゃんのシュッとした立ち姿だとワンピースも似合うね。ギアのペンダントもアクセントになってるし、コレならそのまま外出するのもアリなんじゃないかな?』とか、

 

なんと、私たちのファッションショーに律儀に答えていたお兄ちゃんが注目されてしまい、翼さんの事がバレてしまったのだ。

そうして、今は通路の影でファンの皆さんから隠れている所。

どうしたものか、と悩む私たちの前で、唐突に状況が動き出す。

 

「どうしたの?」

 

「さっき翼ちゃんと一緒に居た男が西のフードコートに向かってるらしい。恐らく俺達を撒いて西側で合流するつもりなんだ!!そっちに向かおう!!」

 

「分かったわ!!」

 

……そう言いあって、私たちを探していたファンの皆さんが去って行く。それと同時に、私たちの端末に飛んで来るメッセージが一つ。

 

『後で合流しよう。コッチで撒いておくから三人は楽しんで来て』

 

「……まったくもう。お兄ちゃんってばまた一人でカッコつけて……」

 

「だが、これでは合流は難しそうだな……私たちが行っても共鳴を困らせるだけ、か……」

 

「そうですね……じゃあ、フードコートから離れて……ゲームセンターにでも行きましょっか!!」

 

 

 

「━━━━そうしてやってきたこのゲームセンター!!翼さん御所望のぬいぐるみは、この立花響が必ずや手に入れてみせます!!」

 

「いや、期待はしているが、絶対までは求めないぞ?」

 

やってきたゲームセンターで翼さんが心惹かれたというぬいぐるみ。それを狙って気合いを入れる響に苦笑が零れる。

 

「きえええええ!!」

 

「きゃ!?いきなり変な声出さないでってば響!!」

 

気合いを入れ過ぎてか奇声まで挙げ始めた響に思わず注意の声を挙げてしまう。

 

「おぉ……おぉ……?」

 

「きぇ!?こ、このUFOキャッチャー壊れてるッ!!」

 

結果はまぁ、見ての通りの有様。悲しいかな、アームで掴まれたぬいぐるみは一度持ち上がりながらも落下してしまう。

 

「私、呪われてるかも……!!

 ……待てよ?どうせ壊れているのならこれ以上壊しても問題無いですよね!?かくなる上はギアを纏って……!!あだっ!?」

 

「……響?」

 

よほど悔しかったのか、一人でヒートアップし始めた響の後頭部にチョップが直撃する。

そのチョップの主は、ニコニコと笑っているお兄ちゃんだった。……いや、正しく言えば、笑っているのに笑っていない、思いっきり怒っているお兄ちゃんだった。

 

「は、はわわわわ……ご、ごめんなさーい!!」

 

「……ま、気持ちはわかるさ。こういうのって、狙ったのが取れないってのが何より悔しいもんな。だから……後は俺に任せな。」

 

「ほう……では、共鳴の技前。見せてもらおうでは無いか。」

 

そう言って響の頭を撫でた後に、UFOキャッチャーに向き合うお兄ちゃん。その真剣な視線に、私は少しの間見惚れてしまったのだった。

 

「ふむ……本体を取るタイプで、この形式なら……」

 

━━━━そこからは、魔法のような手際だった。

山のようなぬいぐるみの上に乗っかった目標を一度目でズラし、二度目で傾け、そして━━━━

 

「ほら、翼ちゃん。」

 

「うむ……ありがとう。……しかし、どこでそんな技前を鍛えたのだ?共鳴のイメージでは、あまりゲームセンターとは縁がないと思っていたのだが……」

 

「あぁ、友人がそういうのに詳しくてね。それに、三次元的な空間把握はアメノツムギを使う上で自動的に鍛え上げられてね。」

 

「全く、それにしても響ってば……そんなに大声出したかったの?なら、それにちょうどいい場所があるからそっちに行きましょ?」

 

『ちょうどいい場所?』

 

私の提案にシンクロして返答するお兄ちゃんと響に、私と翼さんは思わず顔を見合わせて笑みを零すのだった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「おぉーー!!スゴイ!!私たちってばスゴイ!!トップアーティストと一緒にカラオケに来れるなんて!!」

 

大声を出すのにちょうどいい場所として未来が連れて来てくれたのはカラオケだった。

翼ちゃんとのカラオケ体験に目に見えてテンションが上がる響。だが、その姿に俺には少し疑問が湧いて来る。

 

「……って言っても、響は出撃や訓練の時に翼ちゃんと一緒に歌ってないか?」

 

「甘いよお兄ちゃん!!駅前のレストランの限定パフェより甘ーい!!シンフォギアを纏う時の歌じゃ、私の歌も混ざっちゃうし、第一戦闘に精一杯で耳を傾けてる時間がないんだもん!!」

 

……なるほど。言われてみればそうである。

シンフォギアは装者の心象を歌と変える。であれば、『全く同じ心象を抱いて同調する』なんて離れ業でも起こさない限りは響と翼ちゃんの歌は重ならない。

二つの歌が混ざる、というのは確かに言われてみれば聴き手としてはよろしくない状態だ。

 

なんて、そんな事を響と話している間に誰かが入力したのか、流れ出す音楽。

━━━━それは、演歌だった。

 

「━━━━こういうの、一度はやってみたいのよね。」

 

歌い手としての習慣からか、お辞儀をしてから語り始めた翼ちゃん。

━━━━あぁ、そういえば。と、ふと思い出すのはかつての話。

風鳴のお屋敷に遊びに行った時、俺は父親に叱られたのだという少女と出逢ったのだった。

涙を流す彼女に、俺は何と言ったのだったか……

 

『━━━━この歌が、私は好きなの。』

 

「━━━━共鳴くん?」

 

「うぉあ!?」

 

━━━━どうやら物思いにふけってしまっていたようで、気づけば翼ちゃんが俺の顔を覗き込んでいた。

記憶の中の少女と、目の前の翼ちゃんが重なる。

 

「……もしかして、私の曲は気に入らなかった?」

 

「あ、いや……逆だよ。思い出してたんだ。昔の事を。今の曲、風鳴のお屋敷で歌ってくれた曲だよね?」

 

「ッ!!覚えててくれたのね!!えぇ!!昔も今も、『恋の桶狭間』は私の一番のお気に入りの曲よ!!」

 

━━━━恋の桶狭間?

はて、それは聴いた事がある曲名だ。だが、それと同時に脳裏に浮かぶ映像がある。

 

「……えーっと、もしかしてだけど、さ。翼ちゃんの戦闘スタイルって……恋の桶狭間のPVから?」

 

━━━━恋の桶狭間。それは、かつてエンペラーレコード社が排出した世紀の名曲の名だ。

恋をする女性のいじらしい想いを、桶狭間に挑む信長の如き不退転の決意と、何故か日本刀の如き切れ味で鍛え上げたその演歌は、

『マイクでは無く剣を握る』という斬新が過ぎるPVでノイズに怯える多くの若者たちに力を与え、当時斜陽を迎えていたCD業界を建て直し、挙句の果てにはハリウッド映画にまで影響を与えるというグローバルな社会現象を巻き起こしたのだ。

 

そして、その恋の桶狭間の歌詞には、なんだか既視感を感じるフレーズが随所にあるのだ。

落涙に、羅刹と逆鱗。だからもしかして、と思ったのだ。

 

「えぇ。私の心には、恋の桶狭間が強く焼き付いているわ。だから私は、織田光子さんのように、いつか世界に届けたい。私の歌を。私の知った希望を。」

 

響と未来が盛り上がる横で、俺は翼ちゃんの語る夢に聞き入っていた。

 

「……出来るさ。翼ちゃんなら、必ず。」

 

「ふふっ、ありがとうね。共鳴くん。歌女になりたいと願った小さなころの私の夢を覚えていてくれて。」

 

 

━━━━あぁ、そうだった。

 

『うため?』

 

『お歌を歌う人の事……私はそれになりたいのだけれど、お父様はお前にはまだ早すぎるって……だから、私は此処で一人で歌うだけでいいの。』

 

『……だったらさ、俺が聴いてやるよ。キミの歌を。そしたら、キミはもう歌女じゃないか。』

 

━━━━そんな事が、あったのだった。

 

 

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん!!折角だからデュエットしようよデュエット!!」

 

「いや、俺の腕前は知ってるでしょうが響……」

 

テンションの上がったらしい響が乱入してきた事で、俺の意識は現実へと戻る。

いや、思い出していたというのもあるのだが、実は現実逃避してでも極力避けていたのだ。俺が歌う事になる事態を。

 

━━━━恥ずかしながら、俺は歌が上手くない。

音痴というワケでは無く、さりとてリディアンに通う彼女達程上手くはない。

痛し痒しにも程がある。カラオケ採点で70点に届かないというのはかなり恥ずかしいのだ。

 

「共鳴くんの歌には、私も興味があるな……」

 

「私はお兄ちゃんの歌、結構好きだなぁ。」

 

しかも、敵は響だけでは無かった。

いつの間にか、翼ちゃんと未来にまで囲まれてしまっていたのだ。

 

「や、やめろォォォォ!!」

 

 

 

━━━━結局、フリータイムのカラオケで俺は三人と一回ずつデュエットさせられる事となったのだった。とほほ……

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

陽も傾く黄昏時、私達は今日のデートの締めくくりとして街を見下ろせる高台へと来ていた。

 

「翼さーん!!コッチですよー!!」

 

「立花達は……本当に元気だな……」

 

高台へと続く階段で荒くなった息を整える翼さんを待って、話を続ける。

 

「翼さんがへばり過ぎなんですよー」

 

「ある程度は仕方ないさ。誰だってやった事のない事に挑戦すれば疲れるものだからな。」

 

「そうそう。今日は慣れない事ばかりだったでしょうから……」

 

高台にある公園には、海からの風がサワサワと吹いていて。

今日一日歩き回った身体を撫でるその風がとても心地いい。

 

「そう……だな。今日は……慣れない事ばかりだ。防人としてのこの身は常に戦場(いくさば)にあったのだからな……

 だから、今日は知らない世界を垣間見れて、楽しめて……本当に楽しかった。」

 

「……今日だけじゃないですよ。」

 

「お、おい。立花……?」

 

そう言いながら、私は翼さんを高台の方へと連れて行く。

お兄ちゃんと相談していた今日のデートの最後。見てもらいたい物は、そこにあるのだ。

 

「あ……」

 

━━━━高台からは、この街が見渡せた。

 

「あそこが待ち合わせの公園で……あっちが買い物をしたショッピングモール。それで……多分、アレかな?あのビルがさっきまで居たカラオケですね。

 それで、お兄ちゃんの屋敷もあっちにあります。今日行けた場所も、今日行けなかった場所も、全部同じ世界にあるんですよ。

 昨日にお兄ちゃんと翼さんが戦って、護った世界なんです。だから━━━━知らないなんて言わないでください。」

 

「……そうか。そうなのね……」

 

「それに!!垣間見るだけなんてもったいないですよ、翼さん!!」

 

「え?」

 

私の言葉に、呆けた顔で此方を見る翼さん。

 

「お兄ちゃんと相談したんです。今回だけじゃなく、翼さんの都合が着く時にはまた今日と同じようにデートしようって!!」

 

「え……?でも、その……立花さんと小日向さんに悪くないかしら……?」

 

そう言って頭を下げて真剣に、しかしもじもじと悩む翼さんははっきり言って可愛らしかった。なので、私は自分の全力をぶつけに行く。最短で、最速で、真っ直ぐに、一直線に。

 

「悪くなんて無いです!!むしろ、翼さんが居て今日がもーっと楽しくなりました!!

 ……私もお兄ちゃんも、強欲なんです。だから、皆と一緒に楽しい時間をずーっと過ごしていたいんです!!」

 

それは、嘘偽りのない私の本音だ。誰かが泣いているのも、独りぼっちで寂しいのも、そんなのは見過ごせない。

私は、手を取りたいのだ。お兄ちゃんが私の手を引いて連れて行ってくれたように。

 

「……そう。なら、此方からもお願いしようかしら。」

 

━━━━そう言ってふわりと笑う翼さんの顔は、今日一番の笑顔だった。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「……お兄ちゃん、ちょっといい?」

 

未来から声を掛けられたのは、響が翼ちゃんを連れて高台の縁に向かった時だった。

 

「ん?あぁ。どうしたんだ未来?」

 

「……あの時の御礼、言えてなかったなって思って。」

 

「あの時……?」

 

あの時とは、どの時だろうか。

もしや、この前のノイズ騒ぎの時か?だとしたらそれは……

 

「むっ。お兄ちゃんてば勘違いしてるでしょ?響と一緒に飛んで来てノイズを倒してくれた事でも、その後助けてくれた事でも無いのよ?」

 

顔から読み取られてしまったのだろう。真っ先に思いついたその可能性は未来本人から否定されてしまった。

 

「私が言ってるのはその前。こけちゃった私に、叫びを届けてくれた事。」

 

━━━━叫び?そんな事はしただろうか。

あの時は未来を助けたいという想いでいっぱいで、自分の行動についてはイマイチ曖昧にしか覚えていないのだ。

 

「未来!!って、私の名前を呼んでくれた。その叫びで、思い出したの。『まだ流れ星を一緒に見てない』って。だから、あの時の私は立ち上がれたの。」

 

あぁ、思い出せば、ミリアボダノイズ━━━━あのタコ型ノイズに覆い被さられそうな未来を見て思わず叫んだような気がする。

 

「流れ星……そうだな。夏休みになったら見に行くか。ちょうど、ウチの別邸の近くで夏祭りもあるっていうし……夏だと、八月のペルセウス座流星群だったかな?」

 

「うん。楽しみにしておく。それでね?御礼のついでに、もう一つだけ、約束して欲しいなって思うの。」

 

「……分かった。約束しよう。」

 

俺の即答に、未来が驚く。約束の内容を聴く前に頷いたのが予想外だったのだろう。

 

「……せめてちゃんと内容は聴いてもらえない?」

 

「未来が無理難題を約束させる事は無い……って知ってるからね。俺はもう未来を裏切らない。だから、頷くなんて最初から決まってる。」

 

「むぅ……カッコいいから許す。けど、ちゃんと聴いて欲しいの。

 『もう二度と、私に対して誤魔化す為の嘘は吐かない』って。」

 

━━━━その約束は、願ってもない物だった。

 

「あぁ、むしろコッチから約束したいくらいだ。俺は『もう二度と、未来を誤魔化す為の嘘は吐かない』。

 ━━━━約束するよ。」

 

「……そっか、よかった。」

 

そう言って、未来は花のような微笑みを見せてくれたのだった。

 




夢を叶え、歌女となった少女は、さらなる夢へと続く輝きを歌う。
━━━━だが、それを阻まんとするモノが居る。
堅固なる城塞に身を包み、否定の意思で拳を握るモノが居る。

その否定と拒絶の理不尽を砕き、輝ける想いを握る少年と少女もまた、此処に居る。

明日をも知れぬ少女をも救う為、少年は走り続ける。知れぬ明日を、輝きの曙光とともに迎える為に。

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