戦姫絶唱シンフォギア レゾナンス   作:重石塚 竜胆

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人の無自覚な悪意が産んだ地獄。
その暴流に櫂を刺し、抗わんとするのなら、必要な物とは何か。


第六話 決別のレクイエム

いっそ夢であって欲しいと、そう願いたくなる悲惨な現実を見せつけられた俺は、失意の中で懐かしい我が家への道を歩んでいた。

 

――――それでも、この件に関して母さんが何も言わなかったのは、俺への配慮なのだろう。

 

事前に突きつけられたとしても、俺の決意は変わらない。だが、母さんに言われて居たのなら?涙ながらに止められれば?

間違いなくその決意は鈍っていただろうと言える。

また、心配をかけてしまうな。と思う。

だが、それでも見て見ぬふりは出来ない。俺もまた生存者であり、当事者であるのだから。

 

「……ただいま。」

 

「おう、帰ったかい共鳴。」

 

「……祖父ちゃん?」

 

ここまで気を使って貰って、母さんにどんな顔をして会えばいいのかなどと悩み始めた俺を待っていたのは、意外にも母さんでは無く、スキンヘッドが光る俺の祖父――――天津道行(あまつみちゆき)だった。

 

「なんでぇ。俺が出迎えじゃ不満かい?」

 

「あ、いや。別邸の方に居るかと思ってさ。」

 

――――天津の家には別邸がある。

元々は天紡を封じていた祠だったのだが、祖父ちゃんがそこに小さな家を建てて天然の道場としたのだ。

そして、普段はそっちで暮らしているものだから、突然の出迎えに驚いてしまったのだった。

 

「……ま、色々あんのさ。で?どうだったい、入院生活は。」

 

「うん、なかなかスリリングだったよ。まさか催眠ガスを空調システムに流し込むなんて押し込み強盗みたいな手を使われるとは思わなかった。」

 

「……特殊部隊とは聞いてたが、奴さん等テロリストか何かだったのか?」

 

祖父ちゃんにも、心配かけてしまったのだな。と改めて思う。

俺は幸福だ。こんなにも多くの人が俺を心配してくれている。

 

――――だから、立ち向かわなければならない。

 

きっと、こんな暖かさに触れられないまま、冷たい世界に放り出されてしまった人が居るのだ。

そんな人が――――竜子さんのような人が、もっと多く居るのだ。

その全てを救う事は出来ずとも、せめて手の届く範囲で寄り添いたい。

 

久しぶりの祖父ちゃんとの会話を楽しみながら、改めてそう思うのだった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

――――ゴトゴトと、轟々と、鳴り響く音に、意識が浮上する。

 

そこは、機械と機構で組み上げられた玉座だった。

大小の歯車で組み上げられた機構達。まるで、世界の総てを記す時計の中に放り込まれたような錯覚する巨大な空間、そこに玉座はあり、彼女はそこに座していた。

 

『……ほぅ?まさかオレの玉座にアクセスしてくるとはな。流石は我が契約者、と言った所か?』

 

その少女は、美しかった。獅子の如き威容を想わせる編み込まれた黄金の長髪、あらゆる知啓を知り尽くしたかのような白銀の瞳、その豊満な肢体に到るまで、すべてが完璧なバランスの基に成り立っていた。

 

『……流石に、そこまで真っ直ぐに褒められればオレとて照れるぞ。契約者よ。

 ――――さて、いきなり取り込まれて混乱しているだろうから簡単に説明してやろう。コレは念話――――いわゆるテレパスだ。』

 

念話……?つまり、俺の意思によってキミとの会話が成立していると?

 

『あぁそうだ。証拠に、俺の唇も、身体も言葉を発するような動きはしていないだろう?』

 

その通りだった。彼女の朱に染まった唇も、整った顔立ちをさらに美しく見せる頬も、彼女の言葉に反してピクリとも動いてはいない。

 

『……お前、それはわざとか?――――あぁ、いや。そうだったな。お前はそういう男だったな……

 さて、この念話というのは本来ならばある術を修めた者同士で使われる物でな。本来であれば修めていないお前が出来る事ではない。恐らくはお前の持つ聖遺物による共振だろう。』

 

彼女は天紡も含めて俺についてよく知っているような口ぶりだった。はて、どこかで会った事があっただろうか?

こんなに美しい女性であれば覚えていないはずがないのだが、どうにも思い浮かばない俺を他所に、少女は説明を続ける。

 

『まぁ、お前とオレとの間にはある契約がある。それだけを覚えておけばいい。

 ……それにしても、まさか念話で直接顔を合わせようとする馬鹿者が居るとはな。ハハッ!!』

 

そう言って、少女は頬を綻ばせ、器用にも念話だけで高笑いを始めた。

何がそんなにおかしいのか?

 

『この念話という物はな、掛ける側の意識が反映されるのだ。通常であれば通信手段――――手紙だとか、電話だとか。そういう手段を介するイメージになるのだがな?

 お前はそれを全てすっ飛ばして、顔を合わせて話したいという意識で以てこの玉座まで辿り着いたのだ。オレを除けば人類最初の到達者だぞ?誇るがいいさ。』

 

なるほど。確かに携帯のような通信手段は便利ではある。けれど、表情や眼の動きなど、それだけでは伝えきれない事もある。勿論、それを使って意図を隠す事も出来るので善し悪しではあるのだが……

 

『腹を割って話したいとでも思ったか?』

 

そうなのだ。あのライブの日、絶唱を前にどうすればいいのか分からなかった俺にアドバイスしてくれた声、それは間違いなく彼女だ。

 

――――だからこそ、その感謝を直接伝えたかったのだ。

 

『……ふっ、相変わらずだな。お前は。だが勘違いするな。あのアドバイスはオレの計画にとって有益だからこそ与えただけの……そうだな、きまぐれのような物だと思っておけ。

 今回のコレも含めて、世界を超えての念話などそうそう出来る物では無いのだからな。』

 

――――世界を、超える?

感謝を受け取って貰えてよかったと思ったのだが、なにやら不穏な言葉が混ざった事に(意識だけらしいが)首を傾げる。

 

『……喋り過ぎたか。いいか!!この事も含め念話に関しては誰にも話すんじゃないぞ!!お前がそんな事をするとは思っていないが……いわゆる、念押しという奴だ。』

 

まぁそれに関しては当然である。念話などという概念を話したところで変人と思われてしまうだけだろう。

だが、それはそれとして困った事がある。

 

――――助けてまで貰った恩人であるキミの事を、なんと呼べばいいのだろうか?

 

『……そこに拘るか。あいも変わらずの……そうだな。ヴァールハイトとでも呼べ。』

 

――――じゃあ改めて、ありがとう。ヴァールハイト。キミのお陰で彼女を救う事が出来た。

 

『……ふん。そら、そろそろ切るぞ。いつか、オレとお前の道が交わる事もあるだろう。それまでせいぜい足掻く事だな。手の届く全てを救う為に(・・・・・・・・・・・)

 

そうして、意識が遠のいていく。だが、そんな中で俺の心を惹いたのは、彼女が最後に言った言葉、『手の届く全てを救う』という、その概念だった。

出来る筈がない。何かを護ろうとすれば、どんなに力があろうと取りこぼす物は必ず産まれる。

 

――――だというのに、どうしてもその言葉が、耳を離れなかった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「ガリィちゃん、ただいま帰りました~。アレェ?マスターってば寝ながらにしてニヤケちゃってどうしましたァ?もしかしてェ……王子様でも迎えに来ちゃいましたァ?」

 

「……性根が腐っているぞ、ガリィ。それで?『万象追想曲(バベル・カノン)』の進捗は?」

 

「ま、40%ってとこですかねェ。幾らアルカノイズであのカネモチ共から資金援助してもらえるって言っても、単純に人手が足りないですよォ。このままのペースだとまだ三年は掛かりますよォ?」

 

「……ま、それくらいで十分だろう。むしろ、オレの計画を完遂する為には七つの音色が揃うまで待たねばならんのだからな。……それに関してだが、ハワイのあの娘はどうだ?」

 

「『眠り姫(・・・)』ですねェ?それなら今の所、ズタボロだった身体も治ってきて快調ですよォ?いやァ、日本製ってスゴイですねェ。」

 

「日本製、なぁ……まぁいい。人手が増やせん以上、今後もお前にはキリキリ働いてもらうぞ、ガリィ。」

 

「ハァイ、了解しましたァ。」

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

それから、更に数日が経った。表面的に見ればいつも通りの日常に戻った高校生活。だが、それが薄氷そのものである事がわかっているが故に、俺の心は沈んでいた。

そんな中でも、良い知らせはあった。響が目を覚ましたと未来から連絡があったのだ。

 

そして今、未来との約束を護る為に俺は病院の近くの待ち合わせ場所まで来ていた。

待ち合わせの時間まではまだ十分程猶予があったが、それでも指定されたモニュメントの下に、未来は居た。

だが、一人では無く周囲を囲まれてしまって居たのは、誤算であった。

 

「いい加減に話した方がいいわよ、小日向さん。貴女は悪くないんだもの。」

 

「そうそう。立花は人殺しなのよ?あんな奴の場所なんて隠し立てする必要無いでしょ?」

 

――――瞬間、言いようのない怒りが鎌首を擡げる。

だが、それを精神で以て抑える。間違いなく、アレは生存者いじめの一つだ。それも、入院している逃げ場のない響を狙った、卑劣な物だ。

流石に未来をストーキングしていたワケでも無し、未来を偶然見つけた事でお見舞いに便乗しようという腹積もりなのだろう。この近くに病院がある事を考えれば有り得ない話ではない。

 

――――もしも、待ち合わせなどしていなければ、未来が絡まれる事など無かったのだろうな。と頭をよぎる戯言を振り払い、自然な笑顔を作って未来に群がる少女達に話しかける。

 

「やぁ、すまないが、その子は俺の待ち合わせ相手なんだ。悪いけど、通してもらえないかな?」

 

この状況、未来を連れ出すだけではむしろ関心を引いてしまうだろう。いかに病院がプライバシーに配慮していようと、特別な患者では無い響を探すだけなら自らの風聞を気にせずに虱潰しにすれば見つかってしまう可能性はある。

 

――――であれば。取るべき手はただ一つ。ただの待ち合わせであったとして別の場所に移動、然る後に病院へ参る――――!!

 

「あっ……お兄ちゃん……!!」

 

「うえッ!?」

 

待ち合わせ相手が来ることを考えていなかったのだろう少女達が狼狽える。

 

「ゴメンな、未来。待ち合わせに遅れちゃって。」

 

「え!?う、ううん。全然。待ってる間も、悪い気分じゃなかったから……」

 

一瞬狼狽えたものの、未来はすぐに話を合わせてくれた。即ち、『カップルっぽい感じの待ち合わせ会話』と誤魔化す事にである。

以前、三人でドラマを見た時にこういう物に未来が憧れていたようなので、せっかくなので引用してみたのだが、意図はちゃんと伝わったらしい。

 

「え……!?ほ、ホント……!?」

 

「で、でも、さっきお兄ちゃんって……」

 

「あぁ、本物の兄じゃないんだけどね。じゃ、行こうか未来。すまないが急用でないんだったら、申し訳ないんだがまた今度にしてくれないか?今日一日未来と遊ぶ予定だったんだ。」

 

「うっ……」

 

急用だ、とは言えないだろう。クラスメイトをいじめる為に脅していた等とは。まぁ仮に猫を被り通そうとするようならそれを追い詰める言葉も用意してあるのだが。

 

「ではお姫様、お手を拝借。」

 

俺のカッコつけた所作に、先ほどまでの狂気はどこへやら、黄色い悲鳴が挙がった。

 

「もう……!!お兄ちゃん!!流石にやり過ぎ!!」

 

頬を膨らませて主張してくる未来の手を到って普通と言わんばかりに取りながら、病院とは別の道……カラオケなどのある街の方面へと歩を進める。

 

(おにいちゃん……)

 

(大丈夫。もう少ししたらまけるから。安心していいよ。)

 

心配そうに聞いてくる未来を安心させながら頭の中で道を検索する。さて、この好奇の視線を掻い潜るのは中々の難題になりそうだ……

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

結局、休日一日響と一緒に居る予定が、半日も未来との逃避行に消えてしまいながらも、なんとか病院へとたどり着いた俺達なのであった。

 

「響?居るかい?」

 

『わっ!?お、お兄ちゃん!?だ、だいじょうぶ!!』

 

「ふふっ、響ったら。絶対ぼーっとしてたでしょ。」

 

「ははは、それじゃ、失礼するね。」

 

ノックに盛大な反応を返す響に苦笑混じりの笑顔を浮かべながら扉を開ける。

 

――――そこに、立花響は、確かに居た。

 

脳裏によぎるのは胸を貫かれたその時の記憶。真っ赤に染まる身体。生きる事を諦めた眼。

それ等を振り払い、響に笑いかける。

 

「おはよう、響。」

 

きっと、色々、聞きたい事も、言いたい事もあるのだろう。だが、それを一時収めて、響は笑って言葉を紡いでくれた。

 

「おはよう!!お兄ちゃん!!」

 

 

 

「それでね?響……」

 

まずなによりも無事を確かめたかっただろう未来に、おしゃべりタイムの先達を譲っていた俺はタイミングを計っていた。

 

「未来、響にそろそろ飲み物を持ってきてもらえないか?俺も響と喋りたいしさ。」

 

「うん!!未来!!私オレンジジュースがいい!!」

 

響もそれに乗ってくれた。いや、彼女の場合ホントにジュースが飲みたいだけでもあろうが。

 

「もう……響ったら、病み上がりなんだから気を付けないといけないでしょ?……買ってくるから、ちょっと待っててね?お兄ちゃんはお茶でいい?」

 

「あぁ、頼むよ。」

 

そうして、未来が退室するのを見届けてから、響に向き直る。

 

「改めて……おはよう、響。ゴメンな。護り切れなくて。」

 

「ううん……!!私が、あんな所に居なかったら良かっただけだもん……」

 

「それで、一応聞いてるとは思うが……」

 

「うん……国家特別機密事項……だっけ?……でも一つだけ。ツヴァイウイングの二人と、お兄ちゃんが戦ってたのは……幻なんかじゃないんだよね?」

 

「……あぁ、それは間違いなく本当だ。」

 

「そっかぁ……あー、すっきりした!!」

 

聡い子だ。と思う。目が覚めてすぐだというのに、ちゃんと状況を把握できている。

 

――――それだけに、伝えなければならない、どうしようもない事実が、重い。

 

「それで……なんだが、響。起きたばかりのキミに伝えるべきではないと分かっては居るんだが……」

 

「なに?」

 

「……今、世間では、ライブ事故での生存者をバッシングする風潮が起きている。」

 

「……え?」

 

「理由は色々ある。けど……それは全部、響には全く関係無い話だ。けれど、個人ではもはや止められないほどに広がってて……ごめん……俺……何も出来なくて……」

 

「……全然わかんないけど、わかった。辛いかも知れないけど……でも、大丈夫。未来も、お兄ちゃんもいるんだもん!!絶対負けないから!!」

 

その言葉に、勝手に救われた気になってしまう自分が、憎い。

響を取り巻く状況は変わらず、相も変わらず俺に出来る事は何も無いと言うのに。

 

「おまたせ。はい、響にはオレンジジュース。お兄ちゃんにはお茶ね。」

 

「わーい!!ありがとう未来ー!!……やっぱり、未来が、未来とお兄ちゃんと知り合えてよかったなぁ……」

 

「……響?」

 

「なーんて、アハハー。ちょっと入院でナイーブになっちゃってたかも。うん!!もう大丈夫!!」

 

そんな風に強がる響の頭を、そっと撫でてやる事くらいしか、俺には出来ないのだった。

 

「わぁ!!くすぐったいってばお兄ちゃん~!!」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

――――ライブ事故から、速いものでもう四ヶ月が経った。

 

学校、響と未来のメンタルケア、二課周りの根回し、目まぐるしく移り変わる日々にそれなりの満足と、いじめを見る度に去来する無力感を感じながら、世間は新年を迎えていた。

 

――――そんな中で、竜子さんとの関係はなかなか上手くいったと自負できる。

 

放課後に他愛もない事を話したり、ツヴァイウイングのファンだというので翼ちゃんのサインを代わりに貰って来たり、カラオケでツヴァイウイングの歌歌いまくりチャレンジに付き合わされたり。

なんてことはない、普通の日常。

 

「あー!!ホント楽しかった!!ありがと!!共鳴くん!!もう二度とこんな事は出来ないと思ってたからさ!!」

 

「竜子さんが楽しかったなら良かった良かった。最近はツヴァイウイングの曲も聴くようになったから、付いていけてよかったよ。前は、カラオケに連れてかれてもあんまり馴染めなかったからさ。」

 

「……ふーん?前に言ってた、妹分ちゃんと?」

 

「……?あぁ、そうだけど……」

 

(この分じゃあ脈無し、か。それなら……それなら神様――――こんな呪われた私でも、はかない幸せを夢見てもいいですか?)

 

竜子さんとの会話では、最近こういった間が増えるようになった。どうやら一人で考え込むクセがあるようで、それくらい地を見せて貰えているのだな。と嬉しくなる。

 

「……それじゃ、私はコッチだから。またね、共鳴くん」

 

「あぁ、また明日。」

 

雪のちらつく中、帰り道の違う竜子さんと別れる。送って行こうとした時、家を見られるのはイヤだという彼女に何も言う事が出来なかった俺は、いつも帰り道の途中で分かれるのが恒例となっていた。

 

――――きっと明日も続く筈だと思っていた、儚い雪のような日常。それが脆くも崩れ去る幻だったと思い知ったのは、その明日だった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

――――親子心中ですって……巻き込まれた娘さんも可哀想に……

 

――――でも、娘さん、あのライブの生存者だったらしいですよ……?

 

――――この家も、そのせいでこうなったって……

 

――――だからってこんなのは流石にひどいじゃないの……

 

 

無責任な、それこそ無責任な言葉が耳をすり抜ける。

たとえ嫌がられようと、家まで送れば良かったと、胸に去来するのは無力感。

 

――――また、護れなかった。

 

ほほをつたう涙を止める術は俺には無く、ただただいじめの惨状を物語る、ゴミ屋敷と化した蒼月家を見つめる事しか出来なかった。

 

『ひとごろし』

『ゆるさない』

『税金ドロボー』

 

父が栄転の記念にローンで買ったと、そう言っていた家は散々に荒らされ、窓は割られ、ゴミが散乱していた。

そんな家を、さらに覆いつくす、立入禁止(キープアウト)の黄色いテープ。

 

――――昨日、俺と別れて家に帰った竜子さんは、夢破れて酒に溺れていた父親と口論になり、殺された。

そして、娘を殺した絶望から父親は首を吊って自殺。

 

最後に彼女に逢っていたという事で警察に事情を話しながら推察した状況ではそんな所だろう。

凶器は恐らく、ビール瓶による殴打と、その破片による出血多量による衰弱死。

救急車を呼べば助かったかも知れない。

 

……冷静にそこまで判断する自分が憎かった。

 

何を考えればいいのかわからない。どうすればいいのかもわからない。

 

――――ただ、この世の総てが憎かった。

 

彼女の家族を追い詰めた生存者へのバッシングも、

それを止められなかった自分自身の無力も、

そもそもこんな状況を巻き起こしたノイズ共も、

 

 

その日のそれ以降の事は、よく覚えていない。

ただ、叫んでいた事だけは覚えている。

 

 

――――そんな俺を再起動させたのは、祖父ちゃんの拳だった。

 

「がっ……!?」

 

「……起きろ。共鳴。お前に客だ。大事な客だ。まず顔を洗ってこい」

 

頬をぶん殴られて、強制的に涙も止められた俺は、のろのろと顔を洗いに行った。

鏡に写った顔はひどい有様で、殴られた跡でも隠し切れない程に顔色が悪くなっていた。

 

そこでようやく思い至り時計を見ると、既に時は深夜であった。

こんな時間に来る大事な客とは、いったい誰だろうか?

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

夫が娘と親子心中をしたと、警察から電話があったのは、昼にもなろうかという頃だった。

 

ツヴァイウイングのライブに行って、悲惨な地獄を生き抜いた娘。

私達夫婦はそれを泣いて喜んだ。

 

――――けれど、世間はそうは思わなかった。

 

ノイズ被害者に支払われる補償金がどうだ、死者の大半は人に殺されたのだなどと、魔女を追い立てるかのように、娘を迫害した。

娘が生き残った事を喜んでいた夫も、職を喪った。ノイズ被害者へのバッシングを恐れたのだ。と夫は酒を飲んでがなり立て、私と竜子に暴力を振るうようになった。

 

――――そして、私はそこから逃げ出した。

 

町内会で迫害され、夫の実家から勘当され、家では夫が暴力を振るう。

限界だったのだ。と言い訳する自分が心の中に居る。

 

――――けれど、ならば何故。娘を連れて逃げなかったのか?

 

東京から特急で半日。

そんな遠い実家に逃げて来て、それでも娘を、夫を見捨てた事で、私は抜け殻のようになっていた。

全てを捨てて逃げ出した事で、かつての私はもう居ない。かといって、もはや子どもの頃の私に戻れるはずもない。

 

疲れていたのだ。

幸いにも、実家の両親は突然逃げて来た私を受け入れてくれた。なにも言わず、触れず、腫物を触るようにではあるが真摯に接してくれた。

それが、悔しくて、嬉しくて、何度も泣いた。

 

――――そんな日々の中、以前の家から届いたそれ(・・)に、私は最初恐怖した。

 

帰ってこいという強迫?

怨んでいるという呪詛?

 

……仮にそんな事が書いてあるとしても、それよりもなによりも、宛名になっている娘が『助けてくれ』と言ってくる方が、私には怖かったのだ。

 

 

だが、事実はそうでは無かった。

入っていたのは、ICレコーダーと、手紙。娘から、私に託された、最後の希望。

 

――――手紙には、希望が書かれていた。同じ生存者で、ライブ会場で助けてくれた人を、好きになったと。父さんの面倒は私が見るから、母さんは安心して幸せになって。という希望と。

 

――――けれど、もしかしたらがあるかも知れない。あのライブ会場での事故みたいに、ノイズに襲われるかもしれない。そんな時は、彼の家であるこの住所にこのICレコーダーを送って欲しい。という希望。

 

 

それが、一ヶ月前。

そして、今日。

私は電話を受け、最低限の準備すらせずに財布が入ったバッグを持って飛び出した。

 

――――何も出来なかった無力感と、全て喪ってしまった喪失感と、娘の最後の希望を喪わせたくないという焦燥感と、そのすべてをないまぜにしながら。

 

 

 

 

それから、半日が経った。移動と、遺族としての夫と娘との対面を終え、時刻は既に深夜。

今からでは郵送しても時間が掛かる。

 

――――だが、あの子の好きになった人は、今も苦しんでいる筈だ。と、そう直観した。

 

だって、夫と娘を喪って、こんなにも辛い。捨てたと思ったのに、捨てきれなかった想いが心を蝕むのだ。

だというなら、希望を届けなければならない。と思う。

最早取り戻す事の出来ない私とは違う。

まだ、喪い切っていない彼の――――天津の家へと、自然と脚は向かっていた。

 

 

 

その家は、広大だった。お屋敷、という表現がぴったり来る。あまりの威容にしり込みする心を抑えて、呼び鈴を鳴らす。

 

『……はい、天津ですが。』

 

「あ、あの……私、蒼月竜子の……母、です。あ、天津……共鳴くんに、届けて欲しいと、竜子から……娘から頼まれていたんです……!!」

 

声が震える。今更母親面をする事が、とても怖かった。

けれど、コレは彼女の最後の希望なのだ。と心を強く持つ……

 

『……!!』

 

「どうぞ、おあがりください。私は共鳴の祖父の道行と申します。

 ……外は寒いでしょう。こたつもありますので、まずは客間にあがって暖を取ってください。」

 

息を呑んだような気配がした直後に出て来たのは、なんとも恐ろしい外見の人だった。

スキンヘッドに伸ばした髭、そして夜中だと言うのに掛けたいかついサングラス。

 

━━━━けれど、そこから出て来た言葉は、とても暖かい物だった。

 

「あ、いえ。こんな深夜に押し掛けて置いてそこまでお世話になるワケには……」

 

けれど、それは今の私にはあまりにも暖か過ぎた。

 

「……蒼月家の話、聞き及んでおります。そんな方をこの寒空の下放り出したとあっては天津家末代までの恥。どうかこの老骨を助けると思ってください。」

 

その言葉にびくりと反応してしまう。

やはり、わかっていたのだ。

 

「今、不肖のアホ孫を呼んできますので、温まってお待ちくださいな。」

 

結局、押し切られて客間に押し込まれてしまい、待つ事暫し。

 

……途中聴こえた打撃音はひとまず聞かなかった事にしよう。と決めた。

 

「お客人にお茶も出さずにお待たせしまして申し訳ない。まずはあったかいもの、どうぞ」

 

「はぁ……あったかいもの、どうも……」

 

「共鳴はもうすぐ来ますので、もう暫くおまちくだせぇ。」

 

「はい……あ、あったかい……」

 

ココアだろうか。甘くてあったかいそれを飲むと、人心地が戻ってくる。

 

「……腹が減ってては、良い考えも浮かばん。と姪から言われておりましてな。流石に腹に保つ物は用意出来ませんが、甘い物で頭を回してくだせぇな。」

 

……あったかい人なのだな。と思う。それに、とても強い人だ。とも思う。

 

 

「……失礼します。」

 

彼が入ってきたのは、ココアを飲み干した頃だった。

酷い顔色、泣きはらしたのか眼は真っ赤だし、頬には思いっきりげんこつの跡が残っている。

けれど、強い眼をしているな。と思った。

 

「貴女は……」

 

「……初めまして。私は、蒼月竜子の母です。」

 

その言葉に、彼が息を呑むのが伝わる。

 

「さて、私は下がらせてもらいましょうか。」

 

そう言って、道行さんは飲み干したカップを持って下がって行った。

 

「……今回、私がこの家を訪れたのは他でもありません。竜子が生前遺していた物をお渡しする為です。」

 

「……生前、遺していたもの……?」

 

「えぇ……私が逃げ出した事は、竜子から聞いたでしょう?その逃げた先の実家に、私宛の手紙と一緒に届いた、あの子の最後の希望です。」

 

「最後の……希望……」

 

彼の眼に宿る光が強くなるのを感じる。

あぁ、本当に、強い子だ。あの子が惹かれたのも分かる。

 

「コレを。私は中身について何も知りません。機密にあたるからと、竜子が強く念押ししていましたから。」

 

ICレコーダーを彼に渡す。

 

「……わかりました。聞かせてもらいます。」

 

そう言って彼は一度部屋を出て行った。

 

「……コレで、よかったのよね?竜子……」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

確かに、大事な客だった。

竜子さんの母親だという女性から渡されたICレコーダー。機密にあたるというその中身、間違いなくシンフォギアに関わるなにかであると断定して、一度部屋を辞させてもらう。

 

自室に戻り、念のためにイヤホンでICレコーダーを再生する。

 

『……えー、この音声を聴いている、という事は、ノイズに襲われたのか、事故に遭ったのかは知りませんが、私は死んでしまった。という事でしょう。』

 

その声に、その言葉に、零れる涙が止まらない。

 

『本当は、コレが黒歴史になる事を願っています。あなたのその在り方は美しくて、カッコよくて、私にとって掛替えの無いモノだけれど、同時に、とても危うい物なのだから。』

 

『だから、こんな荒療治みたいなテープじゃなくて、私が一緒に居続ける事で、少しずつ治して行こうと思っていたというワケです。』

 

『……けれど、そうならなかったというのなら、私はあなたに呪いを遺します。あなたが私を忘れられないように、私が、あなたを止められるように。』

 

その言葉に、嫌な予感が止まらなくなる。この言葉を本当に聴いていいのか?だが、コレは彼女の遺言だ。であれば、護れなかった俺は聴かなければならない責任がある。

……そんな、俺の言い訳を見透かすかのように、言葉は続く。

 

『きっと、私を護れなかった事をあなたは悔いるのでしょう。きっと、私以外に手から零れ落ちた誰かをも、あなたは自らの責任だと背負い込むのでしょう。』

 

『だから、コレは呪い。間違いなく私の本心でありながら、決してあなたに見せたくないと思っていた、怨みです。』

 

『……どうして、私を助けるだけで、あなたは私を助けてくれなかったんですか?』

 

その言葉に、身構えていた思考すら止まりかける。

 

『あの日、あのアリーナで、あなたは私を救ってくれた。不特定多数の中の誰かでしかないとしても、あなたは力を振るって私を助けてくれた。』

 

『けれど、あなたが力を振るったのは、あの時だけだった!!私がいじめを受けている時も!!自分がいじめを受けている時も!!妹分もいじめられていると悲しんだ顔をした時も!!』

 

その言葉を聴くんじゃない、と心の弱さが叫ぶ。俺が目を逸らしていた物。

使える筈なのに、勘案すらせずに捨てた選択肢(ほうほう)

 

『あなたの家は、あんなに大きくて!!世界の裏側とも繋がるような家だというのに!!あなたは助けてくれなかった!!その力を使えば私を助けるくらいワケは無い筈なのに!!』

 

耳を塞ぎたくなる。だがそれは出来ない。彼女の言い分は正しい。

 

――――天津の力は防人であるが故に不特定多数には振るえない?

 

――――笑わせるな!!国では無く、世界を護ると咆えたのが俺の父、共行であるというのに!!俺は俺の世界を護る力を振るう事をしなかった!!

 

……護りたい物を護るのだ、と。そうキャンキャンと咆えておきながら、その実、俺は、この強力な力を振るうのが怖かったのだ。

 

『……どうか、力を振るう事を恐れないで。あなたの力は、確かに強大で、他人を傷つけてしまう事もあるかも知れない。けれど、あなたの信念は、護りたいという誓いは、決して過ちなどでは無いと、私が保証します。』

 

『護りたい物を、決して諦めないで。強力な力も、あなたなら使いこなせると、私は信じています。だから、』

 

ふと思い出す。あの夜、念話の中で最後に聴いた言葉、あまりにも理想論な、その言葉

 

『「手の届く全てを救う為に』」

 

同調(シンクロ)か、あるいは共振(レゾナンス)か。

レコーダーと同じその言葉は寸分たがわず俺の胸を貫き、すっと染み渡る

 

『力を振るわず諦める選択を、どうかしないと誓ってください。あなたの優しい心は、すり抜けて行く物に耐えきれないのだから……』

 

そうして、レコーダーは止まる。俺の胸に、新たな誓いを遺しながら。

 

「……あぁ、竜子さん。最後の希望を、誓うよ。俺は……もう、諦めない。諦めない事を、決して諦めない。」

 

俺一人の力では、手の届く全てすら救えない。けれど、俺は一人では無いのだ。

頼る事、巻き込む事、そしてなにより『たすけて』を言う事。

 

――――自分に足りなかった物を、自覚した瞬間だった

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

そうして、俺は祖父ちゃんの部屋に入った。

 

「……客人を置いてこっちに来るたぁ、どういう了見だ?」

 

「……お願いがあって参りました。」

 

「……いいだろう。言え。」

 

「天津家当主代行の地位、返上させていただきたい。」

 

「……あ?」

 

「当主の座を、譲っていただきたい。」

 

土下座である。

元より、父が持っていた当主としての権限を祖父ちゃん……祖父が緊急的に借り受けていたのだ。本来であれば、祖父もまた当主としての権力から脱して好きに生きているべきなのだ。

だが、まだ当主は祖父である。だから、俺に出来る事は、ただこうして真摯に願うしか無い。

 

「…………一つだけ、聴かせろ。それは、罪滅ぼしか?」

 

祖父の言い分は分かる。竜子さんを護れなかった事で自棄になったのでは無いか?という念押し。

だから、答えなど一つしか無い

 

「いいえ、コレは、決意です。」

 

「…………いいだろう。ただし、どんな地獄が口を開けていようと、後悔するなよ?」

 

「後悔なんて、幾らしたかもわかりません。けれど、自ら選ぶと決めたんです。」

 

「ハッ……抜かすようになったな。共鳴……いや、当主殿?」

 

「……ただ、祖父ちゃんの名前は、もうちょっと借りたいんだけど……」

 

「あぁ?なんじゃそりゃ。」

 

「……竜子さんみたいな人を、少しでも減らしたい。その為に、祖父ちゃんの名が必要なんだ。例え当主になろうと、俺の名前だけでは出来ない事だ。」

 

「…………共鳴おめぇ、まさか……!?」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

あの後、客間に戻ってきた共鳴くんからそのまま泊って行く事を勧められてしまい、終電も終わってしまっているという事で、結局お世話になってしまった。

せめてものお礼に、あの子が最後まで抱え込んでいた物を渡そうと思った。実況見分が終われば警察から届くだろうそれ。

 

『天津共鳴と蒼月竜子へ』とサインされた、ツヴァイウイングのシングルCDを。

 




それは決意、それは覚悟。
無力だと誤魔化していた弱い自分と、教えてくれた彼女との、決別の葬送曲(レクイエム)

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