第八十二話 因果のジャッジメント
名残惜しくも、その身を縛る立場故に拘束されねばならぬマリアさんを送り届けたその足で俺が向かったのは、同じ施設内のとある特別房。
━━━━其処には、とある男が隔離されている。
「━━━━こんにちは。差し入れですよ、ウェル博士。」
━━━━その男の名は、ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。
「…………差し入れェ?この期に及んで何を……おや、ボクの好物の麦芽飲料。ココア味で栄養もバッチリ取れる研究のオトモじゃあ無いですか。
なんですゥ?オバハンかマリア辺りに聞きましたか?ボクの好物で懐柔でもしようと?」
差し入れとはつまり、この偏屈の食糧を大量に運び込む事ではあるのだが……
「アンタの好みを聴いたのは事実だけど、残念ながらご機嫌取りの為じゃあ無いよ……
アンタがお菓子以外食べないってマリアさんから聞いたから、施設の人も困り果ててるだろうと思ってね。
……というか、一体いつまでそんな食生活を貫き通すつもりだよ……」
お菓子だけで栄養バランスを考慮した食事が出来るとかどんな暴論だよ……などと思った物だが、調べてみるとなんと麦芽飲料で大半が摂取できるらしい。
「━━━━無論。死ぬまでですよ。しかしまぁ……貴方、とんだお人よしですねぇ?
ボクはお前を殺し掛けた男ですよ?なんでそんな奴に餞別なんて送ってるんですか?バカですか?」
打てば響くというのか、この人相手だとやけにすらすらと会話が繋がるなぁ……なんて思いながら、麦芽飲料の入った段ボール箱を載せた台車をロックする。
「はいはい。バカでいいですよ……それに第一、お人好しだけでこんな事やってるワケじゃないんだぞ?
確かに、フロンティア事変において、世界はアンタを認めなかった。
━━━━けど、いつか世界はアンタを求めるかも知れない。アンタはそう思わせる程の天才だからだ。
……その時にお菓子しか食べないって言い張って栄養失調で死んでました~。なんてなったら……残される奴等の方が悲惨だろ?
━━━━だからだよ。」
「…………フン。天才だなんて言われなれた言葉。今さら幾ら掛けられようと嬉しくはありませんね。」
そう言って、彼は顔を逸らす。フロンティア事変が終わった直後の、総てを認めずに現実を直視する事を止めた彼とは全く違う。
まぁ、ずっとあんな感じで狂われていても困るので此方としてはありがたいのだが……
「はいはい。褒めても何も出ないのは承知の上ですよ……
━━━━あぁでも、それならなんで……」
━━━━瞬間、口に出てしまいそうになった言葉に言いよどむ。コレは、踏み込んでいい問題なのか?と。
「なんで……?なんです?そんな終わり際の歯磨きチューブみたいな歯切れの悪い言い方しないでくださいよ?
どんな疑問だろうとこのボクがパパっと答えられないワケ無いじゃないですか。」
だが、気にした風も無く彼は追求する。
……ならいいか。許可も出たし。
「……いや。アンタは紛れもない天才で、FISでもなんだかんだと実績を積んでただろう人物だろう?
━━━━それなのに、アンタはやけにフィーネに拘ってたらしいじゃないか?
……それは、どうしてなんだ?」
━━━━天才と天才……いや、天災と天災か?
俺からして見ればどちらもメーターを振り切った二人の距離感。俺達が知らなかった、FISでの櫻井了子。
……出刃亀にも程があるからあまり言いたくはなかったのだが、気になる物は気になる。
「……そうですねぇ。逆に問いましょう。キミは
櫻井理論やら、突拍子も無い本人の性格は無視して、過去から浮上する亡霊が最先端の異端技術を振るう様を見て、です。」
「……フィーネという存在、か……上手く言いづらいけど……その技術の矛先が人に向かなければ大きな問題では無いと思う。
━━━━勿論、その矛先が人に向けば、俺は何度だって彼女の前に立ちはだかるつもりだが……」
「ふむふむ……ま、武闘派から見りゃそんなとこでしょうねぇ……
━━━━ボクは、あの女が大っ嫌いでしたよ。」
━━━━そう独白する彼の姿は、何かを思い出すような物で。
「ボク達人間よりも長い時を生き、多くの事象に触れて来た存在……様々な異端技術に精通し、FISという組織そのものを拡張していった……
━━━━それが、どうにも気に入らなかった。確かに、英雄とは歴史に名を刻み、永遠に人々の中で生き続ける存在です。
ですが……だからこそ、そんな存在である筈のフィーネがまたも地上に降り立って、なんでもかんでも自分の思う通りに動かそうってその魂胆が気に入らなかった。」
「それは……」
同族嫌悪?同類相哀れむ?
……いや、そういう風に名前の付いた感情では無いだろう。憧憬、嫉妬、羨望、愛情……どれもが違って、どれもが当てはまらなくもない。
「……フィーネが永遠の刹那に存在し続け、常にアップグレードを繰り返して先端を往く事を認めるのなら……人が先達である英雄から受け継ぐべき知恵など無いと、そう言い切ってしまうのと同じ事です。
━━━━だから、ボクはフィーネを越えようとした。ボクが英雄となってフィーネすら成し得ない偉業を達成した時……その時こそ、人は先史文明を超えると信じて。」
━━━━握り込んだ拳を見て呟くその姿は、常の飄々とした姿とは異なる真摯な物。
「━━━━なんだ……アンタも藻掻いてたんだな。」
それを見て、抱いていた疑問が、ストンと腑に落ちる。
━━━━届かない理想を、それでもと叫び続けるその姿。
きっと、それは俺も同じ事で。
「……な~に勝手に同類認定してるんですかッ!!
ボクが上ッ!!お前は下でしょうッ!!どう考えてもッ!!」
「はぁ~?上だってんならなんで負けてるんですか~?」
「お前自身はボクに完璧に負けてたでしょうがッ!!ボクが負けたのは貴様にじゃないッ!!
━━━━世界に、負けただけだ。
……ふん。業腹だが其処だけは認めてやる。あの時のボクは世界に求められていなかった事だけはなァッ!!」
「なんでそんなに上から目線なんだ……」
━━━━何はともあれ。
全く分からないと思って居た彼の考えが少しだけ……理解を示せるような気がした。
◆◆◆◆◆◆◆
「━━━━それで、クリスの誕生日プレゼント。響とお兄ちゃんはどうするの?」
━━━━早い物で、フロンティア事変からもう一月近くが経とうとしていた。
11月も末になれば、冬支度も必要になる。今年のコートをどうしようかと相談しながらのデートの中。
ふと気づいた
「えっ!?クリスちゃんの誕生日ってそろそろなの!?」
「あれ?響は聞いてないの?12月28日なんだって。
この前聴いたら教えてくれたけど……」
「……多分、単純に響が聞きに行ってないから教えられてないパターンだろうなぁ……普通に話してる流れの中だと、そこに行き着く前にクリスちゃんの
けれど、返って来た意外な返事も、お兄ちゃんの推測を聞けば有り得そうな話で……
「クリス、多分自分から言えてない事気にしてると思うけど……」
「とは言ってもなぁ……響にコレからド直球で誕生日の話させても、既に聞いちゃった以上はどっかでボロを出しそうだし……二人の連名って事でプレゼントを送ったらどうだ?」
━━━━何故だろう。お兄ちゃんが言うような構図の想像が容易についてしまうのは。
「おぉ、ナイスアイディアだよお兄ちゃん!!
━━━━連名でってなったら何にしようか……」
「うーん……あ、そうだ!!御揃いのキーホルダーとかどうかな?
クリス、キーホルダー集めてたでしょう?」
「いいねそれ!!折角だし、翼さんや奏さんも含めて皆の分を買っちゃわない?」
「なら……模様は同じで、色のバリエーションが多いのがいいかな……?」
方向性が決まれば話は早い。私は手元のスマホでちょうどいいキーホルダーを検索する……と、その前に。
「……あ、そうだ。結局お兄ちゃんは何にするの?」
━━━━結局聞いて居なかったな、と気づいて、コーヒーを傾ける
「んー?あぁ、俺のプレゼントはもう決めてあって、話を進めてる最中だから大丈夫だよ。
……っと、そうだった。それに関して何だけど……クリスちゃんのお誕生日会、ウチを貸すから昼の内にしてもらっても大丈夫かな?」
「昼の内に?まぁ、私はいいけど……何か夜にあるの?」
「あぁ。ちょっとディナーにご招待しようかなって……未来?」
━━━━ちょっと待って欲しい。
ディナーッ!?誕生日にッ!?
「そ、それってもしかして……コク、告白ッ!?」
「ふーん……って━━━━えぇッ!?」
「ちがッ!?
━━━━違うからッ!!ステイッ!!落ち着いてッ!!」
━━━━乙女回路の暴走に歯止めなんて効くわけもなく。気づけば早合点が口を衝いてしまって。
……だけど、落ち着かせる声音に一段落して気づくのは、周りから集まった視線の数々……
「あはは……すいません。」
着席。
深呼吸。
「━━━━それでお兄ちゃん。どういう経緯でそんな誕生日プレゼントを贈ろうと思うのか。説明を要求します。」
「うんうん。流石に寝耳に水にも程があるよッ!?」
「はいはい……って言ってもなぁ……
━━━━クリスちゃん一家を父さんがバルベルデまで護衛していった話は知ってるだろ?」
「うん……前に聴いたね……」
━━━━なんでクリスとお兄ちゃんは仲がいいの?って聞いた時に二人が教えてくれた事。
そして、あの日私に教えてくれたクリスの両親の事……合わせれば、二人の距離感が近いのにも納得がいったのだけれど……
「それが誕生日プレゼントとどう繋がるの?」
響の問いかけは、私にとっても聴きたい事。あまり繋がりが見えなくて、私達は揃って首を傾げる。
「あー、それでだな。
━━━━父さんが、その時に雪音夫妻の馴れ初めを聞いてたんだよ。隠れ家的な有名レストランに招待したって。
それで……ちょっと探して見たら、その店がまだ営業してるのが分かったからさ。折角だし、誕生日プレゼントにどうかなと思って━━━━貸切にさせてもらおうかと。」
……途中まで良い話だったのになぁ……どうして其処でお金で解決するのが真っ先に浮かぶのだろうか?
「貸切って……年末でしょ?ホントに大丈夫なの?お店の迷惑になってない?」
「大丈夫。その分の迷惑料も込みで契約させてもらったし……ホラ、クリスちゃんにディナーを楽しんでもらう以上、貸切は必要不可欠だろう?」
「それは、そうだけど……」
「クリスちゃん、食べるの不器用だもんねぇ……」
響の言い方は直截過ぎるけれど、それは確かな事実。有名レストランでクリスが食事という事になれば、上へ下への大騒ぎになるのは目に見えているからだ。
「……はぁ。まぁ、今更止めても聴かないだろうし其処に関してはいっか……
ただし!!完全にサプライズにするんじゃなくて事前に食事をプレゼントにする事は伝えておく事!!
女の子にだって色々準備があるんだから……」
「あ、そうだ!!ならさ、お昼の内にクリスちゃんの準備も手伝っちゃおうよ!!」
「いいかもね!!じゃあ、お誕生日会とアクセサリー合わせを……お兄ちゃん、予約の時間って何時頃?」
「確か……十九時だね。《
東京ナイトタウンといえば、昔からある複合商業施設だ。確か六本木ビルズと並んで有名なんだとか……?
「それなら大丈夫そうだね……じゃあ……」
━━━━なんでもないデートの一幕。救われた響と、そしてお兄ちゃんと一緒に過ごせるあたたかな時間。
こんな時間が、私には何よりも嬉しくて……
◆◆◆◆◆◆◆
「━━━━頼む、共鳴ッ!!数学教えてくれッ!!」
━━━━久々の学校に少々浮かれながら受けた授業も終わった平日の夕暮れ。教室の中で
「んー……まぁいいけど……どうしたんだよシン。自分から勉強したいって言い出すなんて、お前にしては珍しくないか?」
その内容自体に問題はないのだが、頼んで来た相手が相手なだけに俺は戸惑ってしまう。
━━━━なにせ、目の前の愛乃・K・シンという大男は、学生でありながらも全く以て勉強しない事で有名だったからだ。
「だって母さんがさぁ!!卒業できなかったら宿題三倍だし、オヤジのとこに遊びに行くのも残念ながら禁止ですッ!!って言うんだぜ!?
流石のオレだって焦るぜそりゃ!!」
「あぁ……ディズィーさんの釘刺しかぁ……まぁ、それなら納得だな……
それじゃそうだな……シン、お前数学どれくらいまで分かる?」
「全然!!」
彼の母親であるディズィーさん。彼女は喫茶愛乃を経営するその温和な見た目に反した結構なスパルタ教育でも知られており……
そんなディズィーさんでもコレなのだから、シンの抱える問題の根深さも察せようという物だ。
「うーん……じゃあ、基本のキにもなる因数分解からやっていくか……
あ、その前に確認なんだけど、xやyが分からない数の所にひとまず置いておく代理数だって事は分かってるよな?」
━━━━いつぞやのように眼鏡を装備して、俺は黒板に向かう。
「はい、先生!!なんで眼鏡装備なんですか?」
「━━━━その方がカッコいいだろう?」
「━━━━なるほどな!!」
「いや、その理屈はおかしい。」
「ん?なんだ、まだ居たのか良哉。彼女さん待たせていいのか?」
「居たよ!!最初から!!お前等だけだとツッコミが足りなそうだから残ってやってんの!!トミも了承済み!!」
「ならいいか……んじゃ、因数分解についてだな。
━━━━とはいっても、テキストも用意出来るワケじゃないし、授業でやり方自体は習ってる筈だから、因数分解って言葉の意味辺りをやっていこうか。」
「はーい!!」
「さて、因数分解というとこういう……好きな数を入れられる数字xを置いて計算する物を想像するだろうけど……」
黒板に書くのは、簡単な一次方程式。そして、その隣には15=3×5という単純な乗算式。
「━━━━実は、コッチの方も因数分解なんだ。」
「……うぇ!?マジで!?」
「うん。因数分解って言うのは、漢字の意味で言うと《因子となる数に分けて解く》って事なんだよ。
それで、その因子って言うのがつまり……コッチの式で言うと3と5の事だね。」
「へぇー……完ッ全にxとかyが入ってるのしか考えてなかったぜ……」
「まぁそうだね……基本的に、因数分解を使うのは『大きい数字同士で分かりにくい計算式を小さい数字同士の計算で分かりやすくしたい』って時だから、俺達みたいな学生が使う場合はxを使う式が多いから。」
「ほーん……ところで、因子ってなに?」
━━━━ズルッ、と音を立てて良哉が頬杖を机から落とす。リアクションが堂に入ってるなぁ……と、俺は思わず感心してしまう。
「そこから分かって無かったのかよ……っつってもまぁ、因子なんて聴くのはアニメやマンガが多いだろうし、ああいうのって大抵細かい説明しねぇしなぁ……」
「そうだね。じゃあ因子の説明からしちゃおうか。
━━━━因子って言うのは色々意味があるんだけど……そうだね。大雑把に言う時は《結果を起こす原因となる物》……って言うのが近いかな?
こういう物があるから、こういう事が起きる。酸素があるから火は燃焼する……そういった物、概念の事を《因子》って言うんだ。」
「んー……つまり……母さんが居るから俺が居る、みたいな話か?」
「そうそう。だから因数分解って言うのは、突き詰めると『難しい話を分かりやすいように考えて解く』って事なんだ。
━━━━今、シンがやってくれたみたいにね?」
「……おぉ!!なるほど!!オレってば、因数分解出来ちゃったのか!!」
「いや、因子の事は説明出来ても因数分解は出来てないが……まぁいいか……」
「━━━━ん?でもよ……それってつまり、因子?ってのが《何を起こすのか》ってのが分かってるって事だろ?
xとかyとかで《何が起きるのか》が分からなくなっちまったら、因子がなんなのか分からなくなっちまわねぇか?」
「……ん?どういう事だ?」
━━━━シンのそのふとした気づきは、何かとても重要な事のように思えて。
「そう……だね。xで因子を表現する時は大抵問題文に『xは自然数である』とか、『x≧3』とか……つまり、『xはどういう物か』って説明があるけれど……
━━━━もしも、そういう説明が一切無くなって、因子と結果の間の関係が分からなくなってしまったら、その式を解き明かすのはとても難しくなっちゃうね?」
「ん?出来ないワケじゃねぇの?」
「あぁ。一応はね……と言っても、要するにそれは『全部のパターンを試す』か、『式を組み替えて一つの因子しか当てはまらないようにする』かって言う荒業なんだけど……難しい話になるけど聞く?」
「ノー!!オレには普通の解ける問題だけでも手一杯なのッ!!」
「だよなぁ……」
━━━━ありふれた、こんな日常。片腕を喪っても変わる事のない、何でもない日々。
……そんな日常が、永遠に続くと思って居たのに。
◆◆◆◆◆◆
━━━━少年は、夢に落ちる。落ちていく。上も下も分からぬのに、落ちていく事だけを感じながら。
━━━━落ち行き着くは、淡い昏い水の底。
ヒトの深奥。繋がりの大海。
『━━━━ここ……は……?』
疑問が意識を呼び覚ます。自分はいつも通り床に着いた筈だ、と。
『━━━━此処は
答えなど期待していなかった筈の疑問に、答える声、一つ。
━━━━その声は、どこか聞き覚えがある物だった。
『お、前は……誰……だ……?』
『俺か?
『なん……だと……ッ!?』
その言葉に、少年は総身に力を入れて跳ね起きる。
━━━━瞬間、移り変わる景色。その背景は変わる。無人の荒野へと。
『かつて、
━━━━マルドゥークに恭順せし裏切り者。ムシュフシュたるその身に刻まれた
忌々しきバラルの呪詛を解かれた事で、俺はようやくお前に真実を伝えられるのだ……』
流暢に言葉を語る
それは、少年があの日に喪った筈の……
『━━━━左腕……ッ!!』
『そう。最早取り返す事も出来ぬ深淵へと沈んだ……お前の因子を保持した器。
だが、俺だけでは不完全だ。完全体へとなるには時間が足りな過ぎる。
━━━━だから、お前も神の器となれ。母上の無限にして無上なる愛の中で、永劫に生きろ。』
━━━━瞬間、荒野を覆い尽くす……銀の光。五芒の形、取った物……
『ガッ……!?』
その光が、少年の自我を食い潰すように目覚めさせるのは、その身に刻まれた因子。怪物たる由縁。
『━━━━知っているぞ。識っているぞ。
お前はあの時、自らの命などというちっぽけなリソースを焚べた。
……故に、お前はもう長くはないという事を。保って半年、短くはなれど長くはならぬ。
━━━━だから、神の器となって永遠の幸せを手に入れてしまえ……』
━━━━告げられる言葉は、残酷な真実の発露。
あの日、騎士が放った致死の弾丸は、紛れもなく少年の命を貫いていたのだ。
それでも、と少年は叫んだ。だからこそ、
━━━━けれど、あぁだけれども。
誰もが胸に宿す
『……く、そッ……やっぱり、そうなのか……ッ!!』
あの日、玉座に導かれる直前に少年が感じた、熱が流れ出ていく感触。それこそが限界の証。
命の鼓動の刹那の煌めき、その終わり。
『そうだ。だが、母上の力があれば話は変わる……ッ!!
お前とッ!!俺がッ!!今こそ……一つにッ!!
━━━━そうすれば、俺達は
あらゆる不条理をねじ伏せる埒外なる力があれば、お前の命を再び燃え上がらせる事など造作も━━━━』
『━━━━その為に……』
高らかに、自らに酔うように矢継ぎ早に理想論を語り告ぐ神の腕に、少年は静かに問い返す。
『……なに?』
『その為に……何を犠牲にするつもりだ……ッ!!
━━━━俺は見たッ!!七十億の人々が、この深淵を介して繋がる中でッ!!貴様の言う
『それは当然の事だ。
━━━━被造物が創造主の役に立つのは本望では無いのか?』
断絶。擦過。相容れぬ物。神の腕は、世界を滅ぼして世界を救うモノ。
であれば、相容れぬその信念は。
━━━━輝きとは。
『━━━━断じて違うッ!!
人は、人の為に争い、傷つけ……その果てに今、此処に居るッ!!
━━━━生きて居たいから、生きるんだッ!!』
━━━━知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった。
『またも忘却にて難を逃れようと言うのかッ!?だが甘いッ!!
━━━━待っているのは、誰もがお前の事を忘却する絶望の未来ッ!!紛れも無い貴様自身の消滅だッ!!往けば死に、往かねば消えるッ!!
貴様には最早、神の器となる以外に生きる道は無いッ!!だからこそ、神の器となれッ!!
━━━━生きて居たいから生きると、そう叫ぶのならばッ!!』
神の腕の言葉は、理論だったもの。生きて居たいと叫ぶのならば、この言葉に頷く以外に道など無い。
━━━━なるほど、確かに。
……けれど、どうやら。鋼の心は
鋼のキミ。防人たる少年よ。キミは……
『……確かにそうだ。人は、誰だって生きて居たい。
━━━━だけど、それだけじゃないッ!!
絶望を吹き込む悪なる者共に毅然と立ち向かう者もまたッ!!』
━━━━掲げる、右手。刻まれた
『━━━━ば、バカかッ!?言った筈だッ!!お前に道など無いとッ!!
此処で俺を食い止めた所で、お前が死ぬまで俺は蘇り続けるだけッ!!一時的な抑制の為に……お前は命を投げ捨てるのかッ!?
お前は……一体なんだッ!?なんなのだ……ッ!?』
『そんなの決まってるさ。
━━━━天津の防人は、国のみならずひいては世界を防人る者ッ!!即ちッ!!』
掲げた輝き、深淵を、貫いて……
◆◆◆◆◆◆
━━━━そして、意識が浮上する。
「……ん。夢……か?」
ベッドの上で上体を起こし、軽く身体を動かしながら
「……夢にしては、なんか迫真だった気がするけど……」
寝汗も激しかったから、特に感じていないが喉も乾いているだろう。早めの水分補給が大事だというし、夜明け前だがこのまま起きてしまおう……
「ふぁ……昨日は結局、シンの奴に連れられて
大体あの人もシンを福の神扱いするのはいいんだがどういう繋がりなんだか……」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、テーブルに置きつつ足で操作したアメノツムギで冷蔵庫のドアを閉める。
……段々と、片腕しか無い生活にも慣れて来た物である。
「なになに……?『大手運送会社バーンスタイン・カンパニーが、来年六月に徒手空拳による格闘大会を開催する事を宣言した』……運送会社が格闘大会ねぇ……」
カップに入れた牛乳を電子レンジで温めながら読むのは、派遣メイドのイェシアーダさんが取り込んでくれた新聞の朝刊。
「あちっ……はぁ……やっぱ冬はホットミルクだよなぁ……」
温めたカップの熱さに驚きながら、俺は、ホットミルクを口に含み━━━━
「━━━━え?」
━━━━瞬間、感じたのはどうしようもないほどの違和感。
まるで、自分の肉体が自分の感覚では無くなったような、致命的な
「まさ、か……」
脳裏を過るのは、夢の中で突きつけられた言葉。
「━━━━味が……わからない……」
━━━━気づけば俺は、自らの感じたはずの味覚の情報を、理解出来なくなっていた。
━━━━忘却が、キミの魂を蝕んでいく。人類が明日に歌う為の
それでも。少しずつ、少しずつ進んでいく日常の美しさを、キミは知っているから。
故に、鬼は試すだろう。キミの想い、キミの握る決意の硬さを。
━━━━だからこそ、大時計は鳴り響く。キミに告げる為に。
キミ自身の、喪失のカウントダウンを。