断章 追想のターンアップ
━━━━ゴトゴトと、轟々と鳴り響く音が、広い空間に反響する。
そこは、機械と機構で組み上げられた玉座だった。
大小の歯車で組み上げられた機構達。まるで、世界の総てを記す時計の中に放り込まれたような錯覚する巨大な空間……そこに玉座はあり、彼女はそこに座していた。
「━━━━説明してください!!
ボクが建造に携わったチフォージュ・シャトーは、
世界をバラバラにするなんて聞いて居ません!!」
「━━━━如何にも。チフォージュ・シャトーは錬金技術の粋を集めた
━━━━その少女の名は、キャロル・マールス・ディーンハイム。
彼女が、
「ボクを騙すつもりで……」
「━━━━廃棄躯体十一号……
お前をシャトー建造の任より解く。
……あとは、どうとでも好きにするがいい。」
「それは……シャトーが、チフォージュ・シャトーが完成したから……ですか?」
「そうだ。元はと言えばオレの新たな器として造り上げたお前だが、完全なる一致に到らなかった不完全品……
それをわざわざシャトーの建築要員にと使っていたのは、オレの技術たる記憶を持つ者が居れば都合が良かったからだ。
だからこそ、シャトーが完成した今、最早お前に用は無い。」
「それは……でも……ッ!!」
……その通りだ。ボクは、キャロルの器として造られた
メラニン色素の沈着によってキャロルとの完全なる一致を果たす事が出来ず、廃棄される筈だった……十一番目の壊れた器。
けれど、だけど……ッ!!
ボクの中には、キャロルから転写された記憶があるッ!!そして、其処に刻まれたパパとの想い出が……ッ!!
「キャロルッ!!本当に、
ボクが想い出の中のパパを大好きなように、貴女もパパの事が大好きな筈です……ッ!!
パパは世界をバラバラにする事なんて望んで居なかったッ!!パパが望んで居なかった事を、ボクは貴方にさせたくないッ!!」
「━━━━くどいッ!!」
瞬間、巻き起こる疾風。腕の一振りで巻き起こされる、キャロルの錬金術の余波……!!
「ひゃッ……!?」
「……
だが、それでもッ!!
オレは退かぬッ!!曲げぬッ!!押し通すッ!!
万象黙示録を成し遂げる事こそ、今のオレがやらねばならぬ
「そんな……!!」
「お前を放任するのは、断じて仏心などからでは無いッ!!
同じ躯体である貴様を縊り殺せば、魂は異なれど自分自身を殺した事による拒絶反応が出るかもしれないが故の実利一辺倒ッ!!
━━━━それでも、お前がそのままオレを止めようとするのなら……オレは、お前を、殺してしまうぞ……ッ!!」
「キャロル……
……分かり、ました……自室に戻りますね……」
━━━━その言葉に込められた本気が、想い出を共有する躯体を持つボクには分かる。
……けれど、どうして……
「フンッ!!勝手にするがいいッ!!」
━━━━パパとの約束を忘れていないのなら、どうして……
『━━━━キャロル。
生きて、もっと世界を識るんだ。それが、キャロルの……』
「……どうして、キャロルは世界を壊そうとするんですか……?」
━━━━その疑問の声に答える者は無く。
シャトーの中に残響し、消えた……
◆◆◆◆◆◆◆
「……全く。
……あぁ、分かっているさ。パパの遺した言葉に従うのなら、万象黙示録なんて物が八つ当たりでしかない事など……」
「━━━━だからこそ、マスタァは万象黙示録を更に一歩進めた《
━━━━エルフナインが去った玉座にて独り言ちる
オレの人格データの一部を入力した
「……そうだ。万象黙示録というのは、コレより獅子身中の虫となってもらうエルフナインを操作しやすくする為のミスリード……
━━━━オレの真なる計画は、更にその二歩先を往く。」
「エルフナインも知った表向きの計画である万象黙示録の為に世界を分解、解剖する
そして、その
「三ヶ月前に月軌道のラグランジュポイントより回収された情報集積体━━━━フォトスフィア。
……皮肉、だな。
「エヒャハハハハァ!!皮肉も皮肉ゥ大爆笑物じゃないですかァマスタァ?
━━━━助けてやりたい相手が死ぬことが、計画の始まりの号砲だなんてェ!!」
━━━━人形の放つその言葉に、怒りのボルテージが跳ね上がる。
……だが、それは事実なのだ。数百年の時を数え、様々な策を巡らせてまで、オレが成し遂げなければならぬと自らに課した
それこそが、あの大馬鹿者に未来をくれてやるという事。言ってしまえば単純な、それだけの事……
「……それでも、だ。借りっぱなしでは断じてオレの気が済まん。
どんなに遠く去ろうとも、オレは借りた貸を熨斗を付けて叩き返す。そう決めたのだから。」
「……それがマスタァの望みでしたら、なんなりとォ。
━━━━それでェ、万象黙示録に隠した、万象追想曲のハナシでしたよねェ?」
「そうだな……一応の確認という奴をしておくか。
エルフナインも、まだ脱走するには早かろうしな……」
「可哀想なエルフナインちゃァん!!まさか、自分自身の意思でしたいと思ったシャトーからの脱走が、実はマスタァの掌の上だっただなんて……エヒヒヒヒ!!
この事実ゥ……叩きつけたらどうなっちゃうのかしらァアハハハハ!!」
━━━━確認だと言ったばかりだというのに、他者を……それも、曲がりなりにも自分の主の同位体をおちょくる話にすり替えるガリィの姿に、オレは思わず頭を抱えてしまう。
「……言っておくが、絶対にするんじゃないぞガリィ。貴様の腐った性根だと本ッ当に言いかねんからな!?」
「アヒャハハハ!!まさかまさかァ!!しませんよォそんな事ォ……やるとしたら、ちゃーんとエルフナインが
「……まぁ、良かろう。その段階ならば最早計画は誰にも止められん。
お前達《
それ故、表向きである万象黙示録を止める為にエルフナインが自らの錬金知識に基づいて考えれば……」
━━━━その時にはお前達は計画の糧と砕けているだろうが。
思いながらも告げぬ言葉を呑み込み、計画の輪郭を告げる。
「━━━━錬金術を用いたシンフォギアの強化改造ォ……予想するだにィ?触媒としてダインスレイフの機能を用いたァ
アヒャハハハ!!アタシ達
「フッ……そうだな。だが、そうしてダインスレイフの呪われた旋律を奴等が振るえば……刻まれた呪いが《終わらぬ旋律》となり、総ての記録を
そして、世界の総てを記したその記録から必要部分を抽出、再生、転写すれば……」
━━━━言葉と共に手元に映すのは、シャトー内部の工房、その奥底に仕舞いこんだ秘匿領域。
エルフナインどころか、今までの廃棄躯体の総てに一度も知らせる事の無かったその領域に隠した物、それは……
「━━━━隻腕の遺骸のDNAデータから復元された器ァ……其処に、
━━━━培養槽に浮かぶ、ホムンクルスの躯体。眠るその姿は、ホムンクルスでありながらにして、男性体。
……我が契約者、天津共鳴の新たな肉体が、其処に浮かんでいた。
「……そうだ。オレは、世界を壊す歌を以てして、たった一人の大馬鹿者をこの世界に叩き返す。
━━━━その為に、何億の屍を積んだとしてもだ。」
━━━━言葉にすれば、たったそれだけの計画なのだ。万象を追想し、追走するこの歌は。
◆◆◆◆◆◆◆
「━━━━立つ鳥跡を濁さぬ、と言いますからね!!
まずは自分の部屋のお片付けをキチンとしないと、残った方々に迷惑が掛かります!!」
━━━━結局、
色々考えたし、色々悩んだ。
だけど……やっぱり、アルカノイズまで使うだろうこの計画が、ボクにはどうにも正しい事のようには思えなかったのだ。
「━━━━戸締りヨシ!!《ドヴェルグ=ダインの遺産》ヨシ!!
……指さし確認問題無し!!」
念には念を入れよ、とも言うので、確認は念入りに。
一度出奔すれば、もう此処に戻ってくる事は出来ないのだから、隅々まで気を配っておくのが大事だろう。
「今日は、脱走デビューとなる特別な日なので、相応しい一張羅にしないと……」
「ひぅ!?
……い、今……誰かに怒鳴られた気が……?」
……気のせい、かな?
…………気のせい、だよね?
「……ううん!!ボクは決めたんです!!キャロルの計画を止めるって!!行くぞー!!!!」
意気軒昂、萎えかけた心に喝を入れ、ボクは部屋の外へと歩を踏み出す━━━━!!
◆◆◆◆◆◆
━━━━その、数分後である。
『ふぬぬ……コレが、侵入者を拒み、脱走者に立ちはだかるという……チフォージュ・シャトーの防衛システム……あっ!?』
べちゃり、という擬音が似合う感じに倒れ込むエルフナインを、
「……いや、それは唯の自動ドアだぞ……」
『いけない……早くも大ダメージ……!!』
勿論、エルフナインが怪しまずに脱走出来るようにする為もあってエルフナインの外出を承認せず、しかし無理矢理開かれたとて防衛システムが反応しないようにしてはあるのだが……
「この調子では、何も無い所で転ぶただのおっちょこちょいのまま保護されてしまうか……」
━━━━それではいけない。エルフナインが持ち込むモノは、確実にシンフォギアに組み込まれねばならないのだ。
唯のおっちょこちょいと、敵の追跡を辛くも逃れる存在……どちらが語る言葉に説得力があるかといえば、断然後者であろう。
「━━━━レイア。此方が誘導していると悟られぬよう、エルフナインを追い立ててやれ。」
ファラは既に
即座に弾いた
「はぁ……マスターからの命令とはいえ、エルフナインのあの姿を見ると……地味に、良心が痛みます。」
「良心回路なんてお前達に取りつけた覚えは無いぞッ!!」
「おっと……とはいえ、マスター。私達はマスターの
━━━━特に、私は名も無き妹分を持つという点でマスターの立ち位置に近しい……それ故、エルフナインという疑似同一体を想うマスターの感傷も、多少は理解しているつもりです。」
「……ッ!!
……いいや、必要ない。エルフナインをこのままゆったり脱走させた所で、此方にとっての益は無い。
━━━━いいかッ!!オレは、何億を犠牲としてもこの計画を完遂するッ!!
同情心などという感情は封じておけッ!!」
「━━━━それが、マスターの決断であれば。
……では、地味にエルフナインの追走を開始します。」
━━━━言葉と共に、影は去る。玉座に残るのは、オレ一人……
「……そうだ。エルフナインも、シンフォギアも……総ては、喪われた物を取り戻す為の……」
━━━━だが、それを奴は望むだろうか?
心の中で鎌首を
《パパは世界をバラバラにする事なんて望んで居なかったッ!!パパが望んで居なかった事を、ボクは貴方にさせたくないッ!!》
「……きっと、誰も望んで居ないのだろうな。そんな結末は……」
━━━━けれど、だったらどうすればいい?
手の届く総てを救わんと手を伸ばし続け、挙句の果てに時計の砂の一粒として逆巻いた
……如何なる手段に拠ってか、自らを示す情報の総ての繋がりを喪失せしめ、悲しみに形すら与えぬまま去ってしまった大馬鹿者が生きた証を……!!
「━━━━どうやって、示してやればよかったのだろうな……」
◆◆◆◆◆◆
━━━━山梨県武甲山周辺地震の際の災害対策出動について。
━━━━チリ、サン・ホセ鉱山における落盤事故の際の災害対策出動について。
━━━━そして……
「━━━━はい。あったかいもの、どうぞ。」
モニターを睨む
「おっと……あったかいもの、どうも。
装者の皆ならともかく、僕にもくれるってのは珍しいね?」
「一言余計よ。夜遅くまで働く同僚を偶に労うくらいいいでしょう?
……シャトルの救出任務から、もう三ヶ月になるのね……」
「あの事件の後、二課は国連直轄の
とはいえ、直轄の理由も安保理の規約に則っての日本保有の異端技術の中立化という裏があるだろうし……
「そうね……それに……」
━━━━視線を再び、シャトル救出任務の報告書へと戻す。
其処に記載された犠牲者の数は、幸いにもほぼ0人。シャトルが村を飛び越えた際に腰を抜かしたり、転んで怪我をしてしまったとか、その程度の物で済んだのだ。
━━━━だが。
「……
……いや、コレはクラッキングや秘匿では無く、僕達の脳の方がこのデータを認識・参照する事が出来なくなっている……と、見た方が正しいのか……」
SONGとして再編されるドタバタの中ではあったが、その隙を縫う形で、僕等は各方面に当たってこの事象を調査した。
━━━━だが、返って来た答えは原因不明の一語のみ。二課本部内の独立データベースのみならず、記憶の遺跡に保持された国民データベースすら《彼》一人のデータを認識できないコードへと変成させられていたのだ。
「……思い出せなくなった記憶……きっと、響ちゃん達にも近しい人だった筈よね?
だったら、
「……それだけじゃない。僕達の推論が正しければ、居なくなった《彼》は天津家の息子さんの筈だ。
……自分の子どもが、ある日突然居なくなって、その記憶すら思い出せなくなってしまうだなんて……」
━━━━SONG所属の異端技術研究者、天津鳴弥。
彼女は最近、家に帰らなくなった。今も研究室に泊まり込んでシンフォギアを構成する櫻井理論の解明の為に掛かり切りになっている。
「……鳴弥さん、大丈夫かしら……」
「……分からない。だけど、だからこそ……僕はこの件を解明するまでのんびり楽隠居を決め込むつもりは無いよ。
━━━━だって、放っておけないじゃないか。」
「……フフッ、そうね……」
━━━━瞬間、自動モードで待機していた本部のシステムが起動する。
「━━━━ッ!!横浜港付近で、未確認の反応を検知ッ!!」
「予算も増えて、更に大規模にやれるようになった途端コレかッ!!波形パターンの解析を……」
だが、そんな僕の意気込みを嘲笑うかのように、反応は消失する。
「消失……ッ!?急ぎ、司令に連絡をッ!!」
「了解ッ!!」
━━━━本部の記録に無い未確認の反応の突然の出現、そして即座の消失……間違いなく、尋常な法則を無視した事象が起こっている。
……コレが、思い出せなくなった《彼》に繋がる事なのかは分からない。
いいや、関係無いのだとしても……SONGとして在る僕達に出来る事があるのなら、それに全力で取り組むだけだ……ッ!!
◆◆◆◆◆◆
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
━━━━走る。走る。走る。
瞬間、聴こえる着弾音、一つ?二つ?
目の前に見える物陰……確か、公衆電話と言っただろうか?その陰に飛び込む。
……どうやら、追手は物品的被害を出して尻尾を掴まれる事を恐れているらしい。
先ほどから、物陰に隠れる事で追撃の手を緩める事が出来ている。
「ドヴェルグ=ダインの遺産……総てが手遅れになる前に、この遺産を届ける事が
━━━━腕の中の希望をしっかりと握りしめ、ボクは走りだす。
目指すべき場所であるSONG本部が今どこに居るかは分からない。だが、潜水艦であるというからには、こうして首都近辺の港を探って居れば近づける筈……ッ!!
◆◆◆◆◆◆
━━━━その、頭上。逆三角形の突き刺さったような構造で知られる、横浜大さん橋ふ頭ビル、その屋上……
其処に、ヒトガタが立っていた。
━━━━その名は、レイア・ダラーヒム。地のアルカナを示し、地より産まれる貴金属より錬成されるコインを使いこなす
「━━━━私に地味は似合わない。
だから次は……派手に行く。
……よろしいですね?マスター。」
『……良いだろう。今の一撃でSONGは警戒態勢に入る筈だ。
あとは明日のライブに合わせた同時攻撃を行えば……』
「釣り出し、そして破壊。派手な花火こそ計画の旗揚げに最適かと。」
『フッ……そうだな。好きにしろ……』
━━━━リングを纏う月が、傾いた
◆◆◆◆◆◆
━━━━意識が、浮上、する。
真っ先に眼に入ったのは、知らない天井。石造りの家だろうか……?
「……おや?目が覚めたようだね。
気分はどうかな?」
「……なんか、ボーっとしますね……」
「なるほど……となれば、やはり……」
━━━━はて?そういえば、この人は誰なのだろうか?
気付けば俺は当たり前のように返事をしていたし、この人も俺が居る事を当たり前のように受け入れてくれているが……見覚えが、無い。
起き上がりながら見回す室内もそう。
「あの……」
「ん?おぉ!!ごめんごめん、まずは座ってゆったりするといい。
眠気覚ましにお茶も用意してある……意味があるかは、まぁよく分からないのだけれどもね……」
━━━━その人は、どこか古めかしい雰囲気を漂わせる人だった。
「ありがとうございます……?
……って、苦ッ!?」
眠気覚ましにと貰ったお茶。匂いからして緑茶では無い、だろうなくらいは思ったのだが……
なんだコレ!?滅茶苦茶苦い!!そして旨味が全然無いッ!?
「アハハ……やっぱり薬草茶は口に合わなかったかな?」
「はい……すいません。折角のお茶なんですが……」
「いやいや、ボクの方こそ気付くべきだったよ。ボクにとってはこの薬草茶が当たり前の認識だったけれど、キミにとってはそうでは無いのだからね。
さて、じゃあ話を本題に戻すとしよう。キミも、いい加減に気になっているだろうしね?
━━━━単刀直入に言おう。キミは、自分の名前を思い出せるかい?」
━━━━その、言葉に、思考が完全に停止する。
名前。
俺の……名前。
個人を識別する物。
自分を表す為の……
「━━━━思い、出せない……」
背中に氷柱が入ったように、寒気が這い上ってくる。
━━━━俺は……誰だ?
知識はある。眼鏡の名称、名前という概念への理解。薬草茶だって分かっている。
━━━━だというのに、自分に関する事だけが一切思い出せない。
「……キミは、とある事情によって自らを構成する情報の繋がりを断たねばならなくなったんだ。
そうなれば、人は誰もキミに関する事を思い出す事は出来ず……世界から、消え失せる。
━━━━けれど、そうはならなかった。キミが知らないキミを、それでも忘れずに居てくれた女の子が居たんだ。」
ゆっくりと、落ち着かせるように、目の前の男性は説明をしてくれる。
自分を構成する情報の繋がりを断ち切る……それはつまり、
ニューロンの繋がりが断たれて、自身に関するエピソード記憶だけを思い出せなくなってしまった……という事だろうか?
確か、記憶喪失の症例の一つとして実際に起きていた事例の筈だ。
「俺が、知らない……俺を……?」
「そう……だからこそ、キミは此処に居る。最早
━━━━けれど、それだけではダメなんだ。」
「俺が此処に居るだけでは……ダメなんですか……?」
━━━━断たねばならなくなった、と彼は言った。それはつまり、俺が自ら情報の繋がりを断った事を意味するのではないだろうか?
……であれば、もしかしたら。
俺が忘れる前の俺は……世界に絶望したのではないか?
「━━━━そう、だね。此処に居るだけ、という選択肢もキミにはあるだろう。
……だけど、ボクとしてはその選択をして欲しくは無い。ボクは、ただの過去の
繋がりが断たれ、肉体を一度喪い……だけど、キミは此処に居る。
━━━━そして、そんなキミの未来を取り戻す為に、あらゆる総てを犠牲にしても走り切ろうとしている女の子が居る。」
━━━━ズキリと、胸が痛んだ気がした。知っている筈の、知らない誰かを思い出したのだろうか?
「……此処に居れば、キミは永遠の揺籃の中に居られる。けれどそれは、キミを助けたいと手を伸ばしている総ての人の手を払い続ける事と同義だ。
それに対して……此処から出ようとするのなら、キミは煉獄山に登らなければならない……かつて、名高きダンテ・アリギエーリがそうしたように。」
━━━━ダンテ・アリギエーリ。神曲という作品の中で彼は、人生の半ばにして暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国の彼岸の三界を遍歴したという。
「煉獄山に、登る……」
「あぁ。知っているようだけれど、それは苦難の旅路だ。キミは地獄を巡るワケではないが……世界から喪われたキミの繋がりを取り戻す為には、キミの苦難と後悔に向き合う必要がある。
━━━━それでも、キミは進むかい?」
━━━━苦難と、後悔。
あぁ、その言葉も知っている。いいや、
自分に関する記憶なんて、一つたりとも覚えていない筈なのに。それでも、と叫ぶ声が聴こえるのだ。自分の中から。この胸の鼓動から。
「━━━━進みます。どんな苦難が待とうとも、どんな未来があろうとも……
まだ、歩けるというのなら。俺は……立ち止まりたくないって。俺の魂が叫んでいるんです。」
「……フフッ。ありがとう。
では、キミの事はひとまずダンテと呼ぶ事にしよう……いやぁ、不謹慎とは思うが嬉しいなぁ!!
まさか、かの名高き詩聖ウェルギリウスの名を代わりに名乗れる日が来るだなんてね!!」
……ここまで嬉しそうなウェルギリウスさんに、こんな声かけをするのは気が引けるのだが……
何故だろう。一つだけ、譲れない気がして声をかける。
「……あー、すいません。呼び方なんですけど……
━━━━ウェルギリウスじゃなくてヴァージルの方でもいいですか……?」
「ん?あぁ、すまない。
ギリシャ語じゃなくて英語の方がまだ呼びやすかったかな?」
「いえ、それもあるんですけど……なんか、
「……?まぁ、いいんじゃないかな。キミが呼びたい名前で呼ぶといいさ。
━━━━さぁ、では行こうか。ダンテ!!キミの記憶を巡る煉獄山の旅路へ!!」
━━━━その言葉と同時、いつの間にかヴァージルさんの姿が変わって居た。
口元まで覆うような襟の立った
「━━━━はいッ!!」
その後ろを、俺は付いていく。
━━━━この煉獄の底にさえ、手を伸ばしてくれる人が居るというのなら。俺は、その手を掴まなければならないから。
━━━━シャトル事故より、約三ヶ月。
2044年6月の或る日。
認定特異災害ノイズを始めとする超常の脅威の犠牲者の鎮魂と、遺族救済の為に行われるチャリティーコンサート《LIVE GenesiX》。
救世の英雄と担がれたマリア・カデンツァヴナ・イヴや、日本を飛び出したアイドル風鳴翼も参加するこのライブは、多くの人々の希望を背負って準備が進められていた。
……その陰で蠢く、超常なる陰謀と、新たなる脅威の産声に気付く事も無く。