戦姫絶唱シンフォギア レゾナンス   作:重石塚 竜胆

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第八話 安息のインタルード

「……何をやってるんだろうな。俺……」

 

ここは何処だろうか。海が見える辺り、多分太平洋側だとは思うのだが……乗り換えすら見る事無く、気づけば終点まで電車に乗って、辿り着いた見知らぬ土地の無人駅、その待合室のベンチで一人、俺は途方に暮れていた。

 

━━━━どうしてこうなったのだろう。

 

自分の人生を振り返って、何か落ち度があっただろうか?と自問する。

だが、返ってくるのは落ち度など無いという自答ばかり━━━━それも、自分のプライドを護る為なのか客観的な判断なのかがわからない答えばかりだ。

 

控え目に言って、俺の人生は順風満帆だったと思っている。

一流企業に入社して、綺麗な妻の家に婿養子に入って、可愛い娘にも恵まれて……

 

━━━━それが全て覆ったのは、たったの数ヶ月前の話。

 

友達と一緒に娘が行ったライブ会場でのノイズ災害。

瀕死の重傷、リハビリが必要な程の状態だったが、それでも娘は帰って来てくれた。

それが嬉しくて、職場ですら積極的に語っていた俺を待っていたのは、

取引先の重役の娘が犠牲になっていたという理由でプロジェクトから外され、資料保管室への異動━━━━実質的な左遷そのもの。

さらには、生存者が生きていたのは誰かを蹴落としたからだ。などというバカげた理屈で始まったバッシングだった。

 

……生存者が人殺し?冗談じゃない!!俺の娘は、吹っ飛んできた瓦礫が胸に刺さって生きるか死ぬかの瀬戸際に居たんだぞ!!

そんな状況で、誰かを押しのけて生き延びる事が出来るものか!!

あの子が生き延びられたのは、偏にノイズ災害が早くに収束し、救助隊の人達が全力を尽くしてくれたからだ!!

 

……だが、そんな俺の叫びとは裏腹に、会社は俺を腫物のように扱い、家庭でも心が休まる日など無い。張り紙程度ならまだマシだ。酷い時には手紙を装ってカミソリが入れられていた事まである。

 

もう、限界だったのだ。

酒に浸るようになった俺は、妻に手を挙げるようにまでなっていた。

あんなに……愛していた妻を、殴るような男になってしまったのだ。

 

そんなクズに墜ちた俺が、それでも一番怖かったのは、響を嫌いになってしまう事。

あんなに誇らしかった、可愛かった娘を、この地獄の原因だと断じて……俺達に嫌がらせをする連中と同じように彼女を責めてしまう事が、何よりも恐い。

 

 

そんな中の、月間スケジュール通りの日曜の休日出勤。エリート街道を歩いていた以前までだって気乗りのしなかったそれは、もはや俺を吊るし上げる為の口実にしか見えず。

気が付けば俺は、こんな所まで電車に乗り続けていたのだ。

 

「……不味い。」

 

年が明けたとはいえ、末だ冬の気配が強い時期だ。寒さに耐えかねて自販機で買った缶コーヒーは、やけに不味かった。

 

━━━━これからどうしようか。と考える。

幸い、現金の手持ちにはいくばくかの余裕がある。

もはや立花の家に帰る事は出来ない。自分の実家に帰る事も考えたが、それも難しいだろう。

そこまで動ける程の大金では無いし、なによりも半ば飛び出すように出て来た田舎に、子どもを放って戻って来た……などと堂々と言える程俺は強くはない。

 

そんな風に、これからの展望をどうにか考えようとしていた所で後ろから声が聴こえた。

 

「あっ!!居た!!お兄ちゃん!!ホントにお父さんいたよ!?」

 

━━━━その声に、ひどく聞き覚えがあった。

 

「……響?」

 

「よかったぁ……」

 

そこにはまさしく俺の娘━━━━立花響が居た。

その後ろにはもう一人の姿。見覚えがある少年━━━━確か名前は、天津共鳴。

 

「ど、どうして此処に……?」

 

ここは立花家からも天津家からも遠く離れた、俺も見知らぬ土地だ。ましてや未成年同士の二人が来るような場所では無い。

 

「……奥さんから、会社に出勤しなかったと聞いて推測したんです。会社に行くのが嫌になったなら、出勤の電車に乗ったまま……というのはよくフィクションで見る話でしたので、ノーヒントなら乗っかってみるのもアリかと思いまして。」

 

「はは……うん、そっか。俺もそういうの、ドラマなんかでよく見てたなぁ……」

 

言われてみればその通りだ。出勤電車に乗ったままどこかに……なんてのはよく見たシチュエーションだ。

なるほど、テレビの前で見た時は『そんな事あるわけがない』と笑っていたが……まさか自分がその通りになるとは。

 

「お父さん、家に帰ろ?」

 

そう言って、響は手を伸ばしてくれる。

━━━━本当に、優しい子に育ったものだ。と思う。

だが、今の俺には、その言葉は荷が勝ちすぎていた。

 

「……ゴメンな。響。お父さん、家に帰れそうに無い。……いや、家に帰ったらダメなんだ。」

 

「そんな!?どうして!?」

 

「…………つらいんだ。家に居るのが。これ以上居たら、俺はもっとひどい事をしてしまいそうで、それが怖いんだ。」

 

あぁ、言ってしまった。こんな事、響に言っても仕方ないというのに。

 

「……そんな……」

 

その言葉だけで、おおよそを理解してくれたのだろう。

 

「……共鳴くんも、ゴメンな。心配かけて。こんな遠い所まで……俺は大丈夫。へいき、へっちゃらだから。なんとか頑張って行くよ。だから……」

 

「……ダメです。それは許容できません。」

 

「……なんだって?」

 

こんな遠くまで俺を追って来てくれた少年を気遣ってかけた言葉は、何故ゆえか当の本人から否定されてしまった。

 

「……今日、俺は響と一緒に貴方に逢いに行く気でした。こういった悲しいすれ違いを起こさない為に。」

 

何を、言っているのだろうか。

 

「俺に逢いに……?何故?俺の……響はともかく、ウチの事は共鳴くんには関係の無い事だろう?」

 

言葉に棘が混じるのが自分でもわかる。だが、どうしても抑えられない。

━━━━まるで、この地獄から救ってくれるかのようなその言い草が、どうしても受け入れられない。

そんな、駄々っ子のような我儘は、覚悟を決めた少年の強いまなざしと、放たれる言葉に粉砕される。

 

「いいえ。関係あります。俺は━━━━天津家は、ツヴァイウイングのライブ中に起きたノイズ災害の被害者達や、その家族に対する保障を行う支援団体を立ち上げる予定です。

 だから、手の届かない遠くでは無く……俺の手の届く範囲で起きた事を『関係無い』と諦めないと、おせっかいを貫くと決めたんです。」

 

その言葉に、開いた口が塞がらない。

━━━━彼もまた、あの事故で入院とリハビリが必要になったと聴いている。

天津家は大きく、そして古い家だ。そんな所に盾突く度胸があるものは少なかろうが、それでも生存者としてのバッシングも受けた筈だ。

そんな少年が、自分だけでなく、被害者全員に手を伸ばそうというのか。

 

「そんな……出来るのか……?そんな事が……」

 

「まだ内々での話ですが、協賛してくれる学校が見つかったので━━━━響はその学校に入れるはずです。学生寮も備えた学校ですので、おじさんも安心できると思います。」

 

「えぇ!?聴いてないんだけどお兄ちゃん!!」

 

「すまん。家に着いたら伝えようと思ってたんだが……」

 

「そうか……だが、一つだけ、教えてくれないか?どうしてキミは……そこまで手を伸ばそうと、そう思ったんだい?」

 

彼が本気である事は、その決意の籠った眼と、このように確約を得てから話を持ち込もうとしている時点で分かる。

だが、その理由がわからない。コレでもちょっと前までは営業のエースとしてやっていたのだ。

こういった契約がある程度の損得勘定の上で動く事くらいは分かっている。

━━━━だというのに、彼へのメリットが分からない。

慈善事業をする事自体のメリットの話では無い。そこは感情的な問題であり、そこに理屈と利益を載せて行くのが慈善事業だからだ。

……だが、各企業や学校などへ根回しをしての支援と、明確に『どこまでを狙うか』を決めて、ここまで明確に護ろうとする。

そこに資産を投入するというのに、『彼自身』へのメリットが感情的な部分しか見えないのだ。

 

「……一昨日の夜遅く、ある親子が心中しました。」

 

━━━━返ってきた言葉は、俺が浅はかに測っていたメリットやデメリットの話では無かった。

 

「その家の娘は、あのライブ会場に居た生存者で……でも、生き残る為に許されない事をしてなどいませんでした。

 けれど周囲はそれを排除せんとして、彼女の父は職を喪いました。そして母親はバッシングに耐えかねて家を出て行き……」

 

「……わかった。そこまででいい。キミが本気になった理由、理解出来たとは言わないが……想像は出来た。」

 

━━━━まるで、我が家の状況を聴いているようだった。

生存者の少女と、職を喪った親、そして、バラバラになった家族。

一歩違えば、それは我が家の事だったのかも知れない。

共鳴くんが気づいているかはわからないが、たとえそれが護れなかった分を埋めようとする代償行為だったとしても、たかだか16其処等の子どもを責めるべきでは無い事柄だ。

 

「……すいません。面白くもない話を……」

 

「その理由を聴いたのは俺だ。キミが気にする事じゃない……じゃあ響……響?」

 

帰ろうか。という言葉は、口には出せなかった。

響が泣いていたからだ。

 

「お兄ちゃん……そんな……そんなのって、無いよ……」

 

あぁ、やはり響は優しい子だ。恐らくは共鳴くんを通してしか知らぬだろう誰かを、それでも想って、こんなにも直球に涙を流せるのだから。

 

「……泣いてくれて、想ってくれて、ありがとな、響。けど大丈夫。彼女は━━━━確かに、無念だったと思う。けど、俺に戦う決意を遺してくれた……強い、少女だったんだ。

 だから、俺が諦めない事が、彼女への弔いになると……想ってるんだ。」

 

そう言って、泣きじゃくる響を抱きしめる共鳴くんに、なんと声を掛ければいいのかは分からない。

……こんな子ども達に、こんなにも多くの物を背負わせなければならない自分の無力が恨めしくなった。

だからこそ、戦わなければいけないな。と思う。

 

「……まずは、資料室の整理から、かなぁ……」

 

そうして、泣きじゃくる響をあやしながら、俺と共鳴くんは帰る手段を相談し始めるのだった。

 

 

…………そして、コレは全くの余談だが、帰りの足としてタクシーを使った際、払うという俺を止めて支払った共鳴くんがセンチュリオンカードを使って支払っていたのを見て世の中の理不尽を軽く感じてしまった事は、誰にも零さぬようしっかりと心の内に閉まっておこうと思う。

ホントに名家の息子さんなのだなぁ……

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

長かった週末が明け、登校した学校の雰囲気は最悪と言えた。

当然だろう。生徒が学校内外でのいじめを苦にした父親と親子心中したのだ。

むしろ、彼女をイジメた事実を無かったことにしようとしないだけ誠実だ。と思う。

 

「……お前が一番沈んでると思ったよ。」

 

そう声を掛けて来たのは良哉だった。

 

「……うん、正直言って、護り切れなかった事を今も後悔してる。けど、竜子さんから託された物があってさ。

 それに没頭する事で誤魔化してるのかも知れない。」

 

「……そっか。んじゃ、積極的に振る事はねぇが、いつも通り馬鹿話に付き合って貰うぜ?」

 

「勿論さ……あ、そうだ。それと関係ある事なんだが……ヒントをくれてありがとう。俺一人だったら絶対に思いつけなかったからさ。」

 

「はぁ?なんの話……って、アイツ……」

 

良哉に、支援団体のアイデアについて礼を述べてはおいたが、詳細を伝えるのはまだ企画段階の今は控えて置く。立花のおじさんと違って説得材料にするワケでも無いのだし。

そんな風にいつも通りの話をしていると、良哉が教室の入り口を見て露骨に顔色を変えた。

 

……そこに居たのは、あの時いじめていた少女。確か、サキという名前だっただろうか。

 

俺とも、竜子さんとも別のクラスだった為に、俺が矢面に立った後は彼女には目立った動きすら無かった。

あれほど執着していたのだし何かする気なのでは……?と注目していたのが肩透かしに終わった事を思い出す。

 

そんなサキさんは、竜子さんの件でざわついていた事すら忘れてすっかり静まった教室の中に入ってくると、俺の前に立ってこう言った。

 

「許してくれ。なんて言わないから。……それだけ。」

 

「……そっか。うん、多分。俺は一生キミを許さない。」

 

「……そ。」

 

会話は短く、かつ、当事者にしか理解できない物に終わり。彼女は去って行った。

 

「……お前、あんな態度されてよかったのか?」

 

「許してくれ、って態度が様変わりして泣きついてくるよりは百倍マシかなぁって。それに、許さないって聴いてむしろ安心してたみたいだったし……親に怒鳴られてびくついてる子どもみたいで、あんま責めるのも憚られたし……」

 

「……甘いよなぁ、お前。だからこそ共鳴って感じだけど、よ。」

 

そう言って、親友はデコピンでこの話を流してくれた。

 

━━━━本当に、よい友達を持ったものだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

━━━━次のニュースです。資産家の天津道行氏は今日、民間団体『ツヴァイウイングライブ会場のノイズ災害被災者へのバッシング対策となる再就職・再就学を支援する会』の立ち上げを宣言しました。

この民間団体には協賛団体としてツヴァイウイングの風鳴翼が通う私立リディアン音楽院を運営する『共栄社中』や、同じく風鳴翼が所属するプロダクション『小滝産業』などの大手企業が参加しており、その動向が注目されています。

 

また、会見において天津道行氏は『今回の事故において犠牲者が増えた理由は、11年前の国連総会で世界災害と認定されたノイズの発生を殆ど考慮しなかった事による避難路の少なさも一つの理由であると考えている。今後も緊急の避難所となりえるスタジアムなどではノイズ災害を考慮した建築が必要になると考えており、これについても対ノイズ災害建築という形で研究機関へ依頼する予定である』と明かされました。

 

天津道行氏はここまで大規模な支援団体の設立理由に関して、自らの孫もまた被災した事を大きな理由の一つと語り、次のように述べました。

 

『生き残った事が、それだけで悪である!!と叫ばれるような社会!!それは、たとえ少しずつの努力となろうとも、変えようと動かなければならないのです!!』

 

 

 

 

━━━━天津道行氏の理念は立派ですがねぇ?被災したというお孫さん。彼も誰かを蹴落として生き残ったんじゃないですかぁ?

 

えー、それに関してなのですが、匿名の情報が複数寄せられています。その情報を基にシミュレーションしてみますとですね。彼の動きはこういう感じになります。

 

……?コレ、避難どころか、会場の中心に突っ込んでませんか?

 

はい。情報によると、彼は会場中心のモニュメントが爆発で崩壊した現場に駆け付け、瓦礫に挟まれた人々の救助を行っていた。という話です。

 

えぇ?流石に出来過ぎじゃないですかぁ?サクラだとかさぁ

 

えー、他にもツヴァイウイングが所属する小滝産業さんのトップである那須英嗣(なすえいじ)氏も公式声明において『ライブ会場のモニュメント崩壊に巻き込まれ、意識不明となった当プロダクション所属のアイドル、天羽奏を救ってもらった恩に報いる為最大の支援を行いたい』と発表しており、信じがたい事ですが、彼が災害に直面した危機的状況の中で人命救助に尽力していたのは事実では無いかという見方が強まっています。

 

 

 

 

「……サクラってのは大正解なんだよなぁ……」

 

あれから更に二ヶ月。すっかり世間から注目されてしまったので逃げ込んだ二課本部の廊下にある休憩所で支援団体の発足を特集するニュース番組を見ながら、俺はポツリと呟いていた。

真実が語れない以上、ライブ会場での俺の動向は情報操作の結果になっている。ある意味ではコメンテーターの意見は正しいのだ。

 

「ふふっ、それについては、ちょっと違いますよ?」

 

「うぉっ!?お、緒川さん!?」

 

そんな風に独り言を言っていたら、いつの間にか緒川さんが後ろに立っていた。

数瞬前までは全く気配がしなかったのだが、流石は本物の忍者である。

 

「おっと、すいません。それで、あの番組にあった匿名の情報ですが、アレは確かに二課で手回しした人達なんですが……志願してくれた人達なんです。」

 

「志願?」

 

情報操作に志願するとは、いったいどういう事なのだろうか。

 

「えぇ。『情報操作の為では無く、私達をノイズから助けてくれた彼に恩返しをしたい』と……そう言って快く協力してくれた人達……アリーナ席に居た生存者の方達です。」

 

思いがけないその言葉に。救われた気がして、気が付けば涙が零れていた。

 

「……そう、だったんですか……」

 

「はい。皆さん、お元気でしたよ。」

 

「よかった……よかった……!!」

 

零れる涙を拭きながら、心の底から想う。

 

「『ありがとう。』と伝えて欲しいと。そうも頼まれました。」

 

「……はい、確かに伝えられました。」

 

「それと、私個人からも『ありがとう。』を。」

 

「……?」

 

「翼さんの事です。共鳴くん、キミが居てくれた事。そして、キミのお陰で奏さんが末だ目覚めずとも命を繋いだ事。コレは間違いなく翼さんの救いになりました。

 ……ボクも支えになりたいと思っては居ますが、やはり、誰かの代わりにはなれませんので。だから、キミが居てくれて、ありがとう。と。」

 

「……はい。」

 

「……もしも、キミが居てくれなかったなら、翼さんはその身を剣として打ち込む事に専心していたでしょう。それは確かに強力な力にはなりますが……」

 

その先は言われずともわかる。堅く締め過ぎた剣は、横合いから撃たれればポッキリと折れてしまいかねない。

 

「……俺はこれからも、翼ちゃんと一緒に居たいと思います。傍に居て、護ってあげたいと思っています。」

 

「……ふふっ。それだとボクが翼さんのお父さんみたいな感じになりませんか?」

 

「ふぇっ!?あ、いや。決してそういう意味では無くてですねというか……お、緒川さん的にはどうなんですか!?」

 

━━━━やらかした。

混乱したアタマが反射的に口に出した言葉は明らかに聴いてはならない領域に踏み込んでしまっていた。

公私ともに支えるマネージャーである。と聴いているだけに、緒川さんにそういった想いがあるのではないか?というのは少し思ってしまって居たのだ。

しかし、これは他人がくちばしを突っ込んでいい問題では無い。

 

「ボクですか?そうですね……ボクは、翼さんが心から幸せであれば、それで。それを成せるのがボクであれば確かに嬉しいですが……今の翼さんは学生という身分ですし、何よりも今の翼さんは歌を歌う事を楽しんでいます。その邪魔はできませんよ。」

 

しかし、帰ってきた答えは大人な物であった。

 

「……すいません。不躾な質問をしてしまって。」

 

「ははっ。今回、先にそういう話題を振ったのはボクの方ですから。共鳴くんが気にする事はありませんよ。それでは、ボクはコレで。」

 

そう言って颯爽と去って行く緒川さんの背を見ながら、俺は『心から幸せにする』という事の難しさを考えていた。

言葉にするのは簡単だ。真実の愛で以て愛する人を幸せにする。

 

━━━━けれど、どうしてもそのイメージが自分の中に結ばれないのだ。

 

「……誰かを幸せにする、かぁ……難しいなぁ……」

 

色恋に興味はあるのだが、イマイチよく分からない。そんな高校二年の春であった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

春の風が、敷地内を駆ける。

さわやかなその風に心躍らせながら、リディアン音楽院中等部の敷地を歩く。

小等部と併設されたこの学校は別の敷地にある高等部と合わせて小中高一貫校となっており、上の学校に上がる際の編入制度があるのだが、今年からはそれに加えて学年が上がる際の転入枠も新設された。

私と親友は、その制度を使ってこの学園に転入する事となった。

 

━━━━親友。そう、私の、一番大事な親友の一人。

 

その彼女の姿が放課後にも関わらず見当たらないので探しに来たのだが……

やはりそうだ。彼女━━━━立花響は、校庭の隅、山の裾野になっている大木の根本に寝転がっていた。

 

「響?幾ら暖かくなったからって、こんな所で寝てたら風邪ひくよ?」

 

「むにゃむにゃ……ごはん&ごはん……まさに炭水化物のビックリ箱……」

 

「……ひーびーきー?」

 

「ふにゃっ!?アレ!?ごはんのパンドラの箱は!?」

 

「何言ってるのよ、もう……ホラ、寮監さんからマークされてるんだから、早く帰るよ?」

 

「あ、アレはちょーっと人助けが長引いてしまったのが原因というか、まさか荷物が持ち切れないお婆ちゃんを送ってたら迷子の子どもが風船を放しちゃって泣いてるとは思わなくて……」

 

「……その割に、木に登って風船取った安心感で滑らせて落ちてきたからってお兄ちゃんにキャッチされてたみたいだけど?」

 

「そ、その後ちゃんと未来も呼んだからノーカウントということで!!」

 

「……ふふっ。別に怒ってないから安心していいよ。ただ……人助けで遅れる時も、暇があったら連絡の一つも寄越してよね?」

 

「はーい。」

 

そうして、響に手を伸ばす。あったかくて安心できる。私のお日様に。

 

━━━━そういえば。響がお日様なら、お兄ちゃんは何が似合うだろうか?

 

「ん?未来、どうしたの?」

 

「ん。響があったかい太陽みたいだから、それならお兄ちゃんは何かなぁ?って。」

 

「んー……ちょっと迷うよねー。お兄ちゃん、あったかい人なんだけど、私みたくべたべた引っ付きに行くタイプってワケじゃないし……」

 

「……それがわかってるなら少しは落ち着きを身に着けたら?」

 

「あはは……お兄ちゃん、くっつくとあったかいから……あっ!!そうだ!!」

 

そういって響は、後ろにそびえたつ大木へと走って行く。

 

「コレだー!!」

 

「木……?それがお兄ちゃんみたいだってこと?」

 

「そうそう!!ねぇ知ってる未来?大樹ってね、触れるととってもあったかいんだよ!!」

 

「……なるほど。それで響はついくっ付いちゃうと?じゃあ響が蝉になっちゃうね?」

 

「蝉!?蝉扱いは流石に酷くない!?せめて……せめて……」

 

そんな時、頭の上から聴こえる鳴き声。

 

「そう!!鳥!!小鳥と言って!!」

 

「小鳥は小鳥でも凄く元気な小鳥だね。」

 

「うぅ……バッサリ……でも、ありがとう。未来。」

 

「なんのこと?」

 

「私と一緒にリディアンに来てくれた事。それと……ずっと一緒に居てくれる事も。未来は、私にとっての陽だまりだから……」

 

「……うん。じゃあ響、これからもずっと一緒って事で……まずは寮まで一緒に行こ?」

 

「うん!!」

 

……あぁ、私達は幸せだ。

けれど、出来る事なら、ふたりだけでは無く、お兄ちゃんも一緒に笑って居たいなぁと思ってしまう我儘な私が居るのでした。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

こうして、様々な思惑と、様々な決意とが入り乱れ、嵐のように大きな爪痕を遺したライブ事故は一応の収束を見せた。

 

束の間訪れた安息の幕間(インタルード)。この穏やかな沈黙が破れ、新たな物語が始まるまでは、まだ遠い。

 




ようやく、物語は始まりを迎えます。

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