太平道創設メンバーの一人、実質的に太平道を纏めている人物。
一見すると細身であるが全身を筋肉を纏っている、所謂、細マッチョと呼ばれる肉体をしている。身長も高めで男性に引けを取らない。300kgの荷物を抱えたまま、ランニングを行えるとかなんとか。
波才とは一回りくらい歳上。
▼ 裴元紹:
太平道黎明期に加入した人物、義侠の出身で裏世界に通じる。
太平道の主要メンバーで最も体格が良く、力比べであれば馬元義に引けを取らない。ある程度、道教の修行を終えた面子は何かしらで超人的な能力を得ている。
寝癖が酷くて稀に馬元義に捕まって整えられたりする、年齢は馬元義と波才の真ん中辺り。
私、
海底が言うには密談をするにはもってこいの場所ということだ。まあ出会い茶屋という程だから布団が一つ敷いてある訳で……目の前には妙に場慣れした女性が一人、いや別に私にはそっちのケはないつもりだ。どちらかと云えば、枯れている方で誰かに恋愛感情を抱いたことがない。
それでも見慣れぬ場所、嗅ぎ慣れぬ空気に心が落ち着かなかった。
「
「……あれは修行なので、それに相手の気に交じり合わせる修行なので、肌を触れ合わせるだけで体を重ねる必要はないですし」
「だから秘術を会得できないんだろうが、まあ私も上手くできてないんだけどな。相手の体に気を送り込もうとすると、どうしても抵抗されてしまって上手くいかない……というよりも性欲の制御とか、どうやってするんだよ」
言いながら――ふと思いついたように海底は口を開いた。
「ならどうして
「ああ、それは……えっと…………私が、その……修行の相手を務めているからですね。修行の、一環……? として……」
「お前……」
彼女の私を見る目に侮蔑の意思が込められるのを感じた。
いや、違うんですよ。他の誰かに可愛い
「いや、もう良い。あまり聞きたくない。そして、お前には道教の秘術を会得できないことはわかった」
「くっ、やはり修行不足……ッ!」
「修行の前に改心が必要なんじゃないか? いっそ死んで生まれ変わるか? いや、馬鹿は死んでも治らないというしな。手遅れか」
眉間に皺を寄せながら深刻そうに考え込む海底の姿に、私は萎縮するばかりで身を縮こませる。
「まあ今回は、お前の趣味嗜好を暴きに来た訳ではない」
海底は胡座を組んだまま背筋を伸ばして佇まいを直した。
義侠の世界から太平道に入った彼は性格や言葉遣いは粗暴であれども、その本質は実に真面目で意外と世の中のことを真剣に考えている。
そんな彼が導き出す答えは、生粋の道教出身では思いつかない異端であるものが多い。
「近頃のお前は太平道が黄巾党に侵食されつつあることを憂いているようだが――起家、お前は頭が固すぎるんだよ」
主要面子の半数以上が黄巾党に所属してしまっている現状、それを絶望的と呼ばなくてなんというのか。最早、太平道の舵取りは黄巾党の意思に委ねられているも同然だ。
「太平道は黄巾党に侵食されている? 逆だ、黄巾党は利用できる。そもそも黄巾党の代表者は誰だ?」
「張角三し……」
言いかけて、止める。そして、再び口にする。
「……立直、か」
「そう、立直だ。ついでに言えば、彼女の両脇を固めるのは
その見方であれば、黄巾党を太平道が掌握していると解釈することもできるのか。
だが、そうだとしても問題はある。
「黄巾党の理念は張角三姉妹の支援だ、私達が提唱する世直しとは程遠いのでは?」
「
「……ふむ? それは彼女達が民草にとって魅力的だからではないのか?」
彼女達は容姿も良ければ、歌も上手だ。大衆向けの娯楽としては最高峰のものだと思っているが……
「ああそうか、お前は根っこの部分が豪族だから分からないんだな。お前が数え役満☆姉妹にハマらない原因がそれだ。納得はできなくてもいい、だが為政者の立場に立つつもりならば民衆の心理を理解はしておくべきだ」
海底にじっと見つめられる。
私は太平道に入る前は豪族の出身だった。それから太平清領書を手に入れて、その教えに感化された私は修行を始めるようになる。その過程で戦災孤児になっていた立直を拾い上げて、共に修行に励むようになり、口減らしで村から追放された
当たり前のように子供が捨てられ、路頭に迷う世の中に憂いていた私が太平道を立ち上げる契機になったのは、立直が道教の秘術を身に付けたことだ。この力で有志を集うことができると考えた私は、太平清領書の教えを根幹にした世直しを始めるようになる。
それが太平道だ、それが私の理念になる。
「民衆は基本的に
つまり、と海底は指を立てる。
「豪族に生まれたお前は民衆にとって生まれながらの豪傑、その立場を先ず理解しろ。そして民衆は
だが、と海底は語調を強めて口を開いた。
「なにもできない絶望した人間が代弁者すらも見つけられない時、せめて、なにかに縋れるものがないかと救いを求める。今回の場合は数え役満☆姉妹だな。彼女達の歌は確かに素晴らしい娯楽性に満ちているが、平時であれば、ここまで爆発的に知れ渡ることはなかったはずだ。つまり民衆は今の世の中に絶望しているんだよ。数え役満☆姉妹は絶望した民衆にとっての救いだ、彼女の歌を聞いている時だけは世の中のことを忘れられる、絶望した世の中から目を逸らすことができる。そして生まれながらの強者が有識者気取りで言うんだよ」
――こんな歌が流行るなんて世も末だ、ってね。
海底の肩を竦めながら苦笑交じりに告げる言葉に、ブルリと鳥肌が立った。
「でもまあ数え役満☆姉妹は遅かれ早かれ名が売れていただろうけどな。今回の場合は売れ方を間違えた、なにかがまかり間違って不自然な売れ方をしてしまったんだ」
もう彼女の話をまともに聞いていなかった。
考える、思考する。ついさっき引っかかりを覚えた、その感覚を逃さないように手繰り寄せる。考えろ、考えろ、それは今の瞬間でしか手に入れることはできない。
普段の私であれば、絶対に思いつかない類のものだ。
「それに太平道の教えは分かり難くて大衆向けではない。太平道を理解するには一定以上の教養が必要であるし、その上で数年の修行をしなくては基礎すらも身に付けられない。しっかりと身につけようと思えば、最低でも十年だ。その実用性が分かる知識人が大陸にどれだけいる? もっとそうだな、分かりやすくするべきなんじゃないのか?」
分かりやすく……思えば、太平道の“蒼天已死、黄天當立”の標語を考えたのも海底だった。
「例えば、そうだな。数え役満☆姉妹の“あいはだってだって最強”とか最高に分かりやすいじゃないか。歌だから耳にも残るしな。太平道はもっと大衆向けに開かれるべきなんだよ。世直しに宇宙の真理だとか、房中術だとか、気の操作とか必要か? 道教の深い部分は私達のような者達が探求すればいい、そして救いを求める奴らには施しを与えるんだ」
民衆には道教は必要ない、私達だけが道教を探求する――そこで、ずいっと海底の顔が迫る。プツンと思考が途切れた。
「本質を間違えるな、起家。私達の理念は世直しであって、道教の布教ではない。道教の思想が、これからの世の中に必要だと思ったから道教を選んだだけに過ぎないんだ」
「……ああ、そうだな。そうなんだな、そうなんだよな……そうだよ!」
そして思考が途切れたことで凝り固まった固定概念による迷宮から解き放たれて、全ての要素が頭の中で噛み合った。
「民衆の掌握は太平道の役割ではない。数え役満☆姉妹が民衆の救いであるならば、私達は粛々と改革を進めれば良い!」
海底は困惑した様子で「お前は、なにを言っているんだ?」と私を見つめ返す。
「黄巾党の大半が単なる民草で救いを求めているというのであれば、この腐りきった世の中に不満を抱いていることは確実だ! そのために私達の教えが難解だと言うのであれば、理解をしやすい歌を以て民衆を統べれば良い! 歌は世界を救う、良いじゃないか! 大半の民衆にとって
「ちょっと待て、待て! 待つんだ! そのようなやり方が上手く行くとは思えない! できるのか!? お前に、幾万人を超える民衆の制御なんてできるのか!?」
「違うぞ海底、私達しか居ないんだ! 民衆に政ができないから私達がするんだ! 民衆が求める政とまでは言わない、だが今より民衆が豊かになるための政ならできるさ! 少なくとも今の漢王朝よりもましなはずだ! これ以上、孤児を増やさせるものか、口減らしに家族を見捨てることなんてさせるものか! 私はな……そのために立ち上がったのだ! その理念と信念さえあれば、一歩だ! 一歩前に進むことができる! 今の腐敗した漢王朝に未来はない! ぶち壊して私達の力を以て漢王朝を新生させてやるッ! 何故ならば、民衆は今の漢王朝を求めていないのだからな!!」
大まかな方針が決まれば、次にすべきことも自ずと見えてくる。
今の漢王朝を打倒するために必要なことはなんだ。太平道の教えを民衆に浸透させるという前提が覆った今、やるべき行動も変わる。取れる行動は大きく広がった。
唖然としている海底には目もくれず、計画を次の段階に移行させる。
「腐りきった漢王朝を打開することは現政権を打倒することと同義だ。つまり何進と現皇帝の抹殺が私達の改革の最優先課題となる」
凝り固まった考えから解き放たれたように案が次から次へと出てくる、湯水の如く湧いてくる。
「暗殺でもするつもりか? 流石の漢王朝だって洛陽には軍がいるだろ、腐っても漢王朝だ。荒唐無稽な計画なら私は抜けるからな」
「乱を起こすのであれば内と外だ。先ずは大陸全土で乱を起こして、漢王朝が抱える主力を洛陽から引き離す」
「それでも洛陽周辺には徐晃って奴が守っている、優秀らしいぞ、宮中でも優秀な奴が控えているはずだ」
「それも内と外だ。私達が乱を起こす時に洛陽を攻める別働隊があれば徐晃とかいう奴の問題は消える。ついでに言えば、洛陽でも乱をおこしてやるんだ。そうして洛陽市中に宮中の戦力が割かれて手薄になったところを攻め込んで何進と現皇帝を仕留めてやる」
「そんなやり方で誰が付いてくる……兵はどうするんだよ」
「兵力は大陸全土にいる民衆だ、足りないということはない。でもまあ洛陽で乱を起こすのは少数精鋭、つまり太平道の面子で固める必要があるだろうな」
「国家転覆は武力があってこそだ。各地に散った主力軍が直ぐ様に踵を返して、俺達を逆賊として討伐にしくるぞ。民衆と漢軍じゃ練度が違いすぎる」
私は首を横に振る、これは武力がどうこうという話ではない。
逆賊になるのは何故か、誰が逆賊と決めるのか。そもそも漢王朝とは何を以て漢王朝と言うのか。
それは皇帝だ、皇帝こそが漢王朝なのだ。
「現皇帝には二人の妹がいる、そいつを手中に収めるんだ。そうすれば……奴らの方が逆賊になる。それにこちらの主力は民衆だぞ? 戦を続けられるはずがないさ、なんせ奴らの兵も大半が民衆だ。正規兵だって何人いる? 三万もあれば多い方だ。逆賊と認定されて、更に民衆を相手に戦うなんてことができるか? できるはずがない。仮にできたとしても、それはもう民衆の敵だ。民衆の敵対者として世間に強く意識付けられる」
海底は腕を組んで考え込み始めた。
まだ煮詰める必要はある、しかし大まかな方針はこれで良いはずだ。やるべきことは多い。だが停滞していた今までよりも大幅な前進だ。明確な到着点が見えた、ならば後はきちんとした道筋を立てるだけだ。そうなれば突っ走るだけで良い。
できる、そうだ。できるのだ。私達は今の腐った世の中を変えることができる。
「……
ポツリと零した一言に、私は熱した心が少し冷めるのを感じた。しかし、それもまた考えている。
「
宝牌とは管亥のことだ。太平道の主要面子、最後の一人。彼は元が商家であり、太平道の活動資金の調達などで大きな功績を残している。
「革命を、始めよう。中黄太乙だ」
海底は相変わらず渋い顔をしている。しかし小さく零すように、中黄太乙、と呟いた。
「勝てない戦はしない。やる時は勝つべき状況を整えてからだ、そう孫子にも書いてある」
慎重な海底に私は苦笑する。
そんな彼女だからこそ頼りになるのだ。
◇
出会い茶屋の一室に独り残される。
目の前にあるのは酒の入った瓶に盃、私、
だが根本から間違ってはいないか?
起家の提案は
それでは今の儒教と変わらないのではないか? 儒教が道教に成り代わるだけで終わるのではないか?
いや、儒教による外戚贔屓が政治腐敗の根幹にあり、売官制度で官僚の質は大きく下がっている。そこを改善できるのであれば、少なくとも現状よりも良くなるのだろうか。宦官はどうする、私利私欲の塊のような連中が蔓延っている魔窟だ。いや、奴らは武力で抑えつけることが可能だ、それに宦官には世襲がない。つまり儒教による親類の統治とは正反対の位置にあると云える。
むしろ宦官を味方に引き込む道もあるのだろうか。
行けるか? 行けそうな……気はする。
だが、なんだろうか。
この漠然とした不安は、決起による不安を感じているのだろうか。
それは、当たり前の感情だと思われる。現政権に反逆するという大事、不安を抱かない方がおかしい。
しかし本当に何か見落としをしていないだろうか。
思考を止めるな、考えろ、今の御時世、思考を止めた者から死んでいくのだ。
そういえば何故、
二人も補佐を付けるのは過保護すぎないか、それだけ
立直を甘やかす理由が過保護であるだけなら良いのだが――立直の名前を出した時の
「起家……お前は黄巾党を動かす時、立直をどうするつもりなんだ? なんて言うつもりなんだ?」
分からない、結論は出ない。そうである以上は彼女に従うのが最善か。
この不安が杞憂で済めば良いのだが――そう思いながら出会い茶屋の店主を呼びに立ち上がる。
私は慎重だと起家はいうが、私は単に臆病なだけだ。臆病だから余計なことに頭が回る。漠然とした不安を拭うために男娼を買う。可愛らしい子を仕入れることができた、と此処に来た時に店主が言っていた。
こういう時は誰かを抱くに限る、こんな時は人肌の温もりを感じないと眠れなかった。