恋姫†無双 七天の御使い   作:にゃあたいぷ。

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▼馬元義:起家(ちーちゃ)
 太平道創設メンバーの一人、実質的に太平道を纏めている人物。
▼張遼文遠:(しあ)
 執金吾、洛陽を外敵から守り、治安の維持する役割。
▼李儒文優:博美(ひろみ)
 徐晃の補佐役。


洛陽動乱・上     -漢王朝・太平道

 私、(しあ)は今、気分が最悪だった。

 黄巾党の企てを事前に防ぐことができた達成感も、目の前の少女と同じ空気を吸っているというだけで霧散する。

 彼女の名前は李儒文優。無敵将軍と持て囃される徐晃の副官であり、此度の騒動を発覚から解決に至るまでを手引きした人物でもある。今は用意した茶を物静かに啜っており、ほっと一息、熱のこもった吐息を口から零している。

「結構な点前で」と私を見て微笑みかけてくる姿は、育ちの良い町娘にしか見えない。背中を隠すほどに長い黒髪は確かに美しかったが、その容姿は特別に美しいという程ではない。大通りの人混みに紛れれば、そのまま埋もれてしまいそうだった。なにかしらの才覚に恵まれた者は何処にいても一際目立つ輝きのようなものを持っているのだが、それが彼女にはない。

 徹底して彼女は普通だった。茶を啜る仕草は繊細で丁寧なものであったが、あまりにも隙だらけで拍子抜けするほどだ。毒でも仕込まれていたらどうするつもりなのか、事細かに観察する私の視線にすら気付いていない様子である。世間知らずのお嬢様、と例えるのが妥当な気もするが、それもまた違うような気がする。少なくとも洛陽では長生きできない類の人間であると私の本能が察していた。

 だが私は知っている、彼女は悍ましいなにかを心の内に宿している。

 彼女が行う拷問は発想が常人のものではなかった。通常、素人が行う拷問というのは肉体的な痛みを与えるか、何かしらの弱みを握って脅しをかけるというものだ。それを人間としての尊厳を剥ぎ取り、直接、心を狙い撃つような責め苦なんてのは常人では想像すらできない。

 虫も殺せないような顔で、顔色一つ変えずに人間一人を壊せる彼女は同じ人間だとは思いたくなかった。

 

 そんな彼女が私に用事があるとは何事か。

 顔を見るだけでも嫌なのに、こうして対面に座って話をするなんて御免被りたかった。それができないのは私が洛陽を守る執金吾であり、彼女が私を誘う時に「まだ事件は終わっていません」と告げたのが全てだった。洛陽を守った功労者に、そんな話をされては無視する訳にもいかない。嫌々ながらに私は李儒を屋敷へと上がらせると、最低限のもてなしとして茶を一杯ご馳走してやった。

 彼女は音を立てずに茶を机に置くと、真っ直ぐな瞳で私を見つめてくる。

 

「張文遠様、今夜が勝負です」

 

 穢れを知らないような純粋な瞳で殊勝なことを口にする彼女ことが正直、気持ちが悪い。

 自己保身と私利私欲に走った人間を私は嫌という程に知っている、それこそ吐き気が催すほどにだ。どす黒く染まった性根は目に現れる、無意識下で取られた細かな仕草に現れる。

 しかし彼女は何処からどう見ても、清廉実直な人間にしか見えないのだ。

 悪鬼と罵られても仕方ない所業をしておきながら、彼女には負い目がない。なぜ、どうして、そこまで自分の生き方に自信が持てるのか分からない。

 彼女は底なしに歪すぎた。

 

「黄巾党……いえ、黄巾賊の他に黒山賊も関わっていることが分かりました。恐らく彼らは近い内に洛陽から撤収すると思いますが、そのために何処かで一度、全体意思を統一するための会合が開かれるはずなんです」

 

 とはいえ彼女が有能であることを私は知っている。

 彼女が漢王朝、もしくは洛陽に弓を引くような人物であれば、この場で捕らえていたが――残念ながら彼女の言動は今時、珍しい程に漢王朝の忠臣として働いている。それがまた彼女の胡散臭さを醸し出しているのだが、彼女が漢王朝の忠臣である以上、私は執金吾として話を聞かない訳にはいかない。

 個人的な私情を排して、これも仕事だと割り切って耳を傾ける。

 

「あの商家の主人は――結構、重要な立場にあったようでして会合場所の絞り込みを終えています」

 

 世間話でもするかのように涼しい顔で淡々と告げる。

 

「これから昼間の内に主要な場所を襲撃します。これはまあ相手も予測していると思いますので目ぼしい成果は得られないでしょう。そもそも、この前に手に入れた機密書類にも書かれている場所ですしね。本命は黒山賊、黄巾党との関わりが遠いとされる施設――あるみたいですよ、幾つか。あっさりと吐いてくれました」

 

 黒山賊、洛陽北部に潜んでいる賊徒であり、その数は数万にも及ぶと言われている。

 ただ彼らの性質は単なる賊徒であって、漢王朝に直接、弓を引くような存在という訳ではなかった。村や町に攻め込んで、思う存分に略奪をする生粋の賊集団なのだ。

 何がどうやって、黄巾党と手を組む流れになったのかまでは分からない。

 

「太平道――黄巾党の前身組織であるみたいです。以前より深く根付いていたようでして、探すのに苦労しました……というよりも私の力では見つけられなかったですね、あの旦那様には感謝してもし足りないくらいです」

 

 そう言って少女は微笑んでみせた。

 

 

 昨日、洛陽の拠点が一つ、襲撃を受けた。

 そこは元々黒山軍が密売するのに使っていた商家であり、今回は黄巾党と黒山軍が連携するために用意された情報交換の場でもあった。此度の私達が実行しようとしていた“大火大乱の計”に関する書類も隠してあったはずで、洛陽で乱を起こす時に使う予定だった装備も纏めて置いてある。襲撃を受けた時に火の手があったという話も聞かないので、おそらく機密書類は処分しきれないまま漢王朝の手に渡ってしまったはずである。

 事実、今日、昼間の内に黄巾党と黒山軍と繋がりの強い施設が片っ端から襲撃を受けた。

 まだ太平道と関わり深い施設の襲撃がないことから、恐らく商家の主人はまだ口を割っていない――いや、しかし、それも時間の問題だろうか。明日にはもう洛陽から出なくてはならない、できることならば今夜中にもだ。既に太平道は洛陽から撤収する準備を始めており、準備ができ次第、各自で洛陽から出るように指示を出してある。

 私が此処に残っているのは、黒山軍との繋がりを保つためだ。

 

「馬元義、やってくれたな?」

 

 待ち人が来た、隔たれた扉を屈んで潜り抜けるほどの大男。

 黒山軍頭領、張牛角。本来、今回の会合は“大火大乱の計”を決行する日時を合わせるためのもので、黒山軍が冀州にある廮陶を攻め込んでいる隙を狙って、黄巾党が洛陽で火を放つという計画があった。お互いがお互いを囮にする提案は張牛角に受け入れられて、昨日まで滞りなく話が進んで、あとは実行するだけの段階まで来ていた。

 次に風が強く吹いた日、それを待つだけだったのに――昨日のことで全ての計略が水泡に帰した。

 

「やってくれたのは、そちらも同じだ。洛陽にある黄巾党の拠点が全部潰れたぞ、此処も同じで長くは持たない」

 

 黄巾党、黒山軍の繋がりからは辿り着けない場所ではあるが、それを告げる必要はない。

 それに太平道は完全に洛陽から撤収するつもりなので、長くないのは嘘ではない。まだ最も血が流れない革命案が使えなくなっただけだ。黒山軍との連携を取ることができれば、喉元に刀の切っ先を突きつけている状況を続けることができる。黒山軍に漢王朝の主力を抑えてもらっている間に各地を民衆の手で腐敗した政治から解放することができれば――洛陽を孤立させることが可能だ。

 そのためにも黒山軍には恩を売っておく必要がある、ここで頭領の張牛角を見捨てる訳にはいかなかった。

 

「大火大乱の計、準備だけは済ませてある。これから半刻後に火を放つように指示を出してある、その騒動に紛れて洛陽を離れる腹積もりだよ。まあ火を放つ為に用意していた道具の大半は奪われてしまったし、計画書も奪われたからいまいち効果も落ちるが、まあ人目を引く程度のことはできるだろう――どうだ、私と共に逃げるか? 道案内くらいはしてやるよ」

 

 本来であれば、洛陽にある重要拠点や象徴的な建造物を燃やす予定だった。

 それが望めない今、燃え広がりそうな場所を選んでいる。

 幾らか民衆にも被害が及ぶだろうが――この際だ、仕方ない。目を瞑る他になかった。

 

「チッ、いけすかねぇな。貸しとは思わねぇぜ」

「恩を着せるつもりはない、これでお互いの禍根はないものとしてくれれば十分だ」

 

 よし、これで良い。後は火の手が上がるのを――

 

「執金吾、張文遠ッ! 御用改めるでぇッ!!」

 

 階下から聞こえてくる威勢の良い声、次いで悲鳴に上がり、刃を交える甲高い金属音が鳴り響いた。

 張牛角が凄まじい形相で私のことを睨みつけていたが、今はそんなことを気にしてはいられなかった。

 なぜ、どうして、漢軍が此処に来るのだ。

 

 床が抜けて、奈落の底にまで落ちていくような感覚に襲われた。

 

 いや、まだだ、まだ底は抜けていない。

 此処はまだ奈落の底にしか辿り着いていないではないか、まだ希望の光は残されている。空を見上げれば星が見える、私自身が助からずとも希望はあった。常に最悪を想定してきた、そして最悪を回避する手段は講じてある。何のために私は行動を早めたのだ、こういう時のためではないか。

 革命は成し遂げる、立直(波才)達を守りきる。両方成し遂げるための準備が私にはある。

 

 

 李儒が当たりを付けたのは三箇所だ。

 枡屋と池田屋、そして四国屋。確率が高いと見られていたのは枡屋であったが、この三択を聞いた時に彼女は「あー、洛陽動乱。そう来ます?」と呆れたように呟いて、私には池田屋へと向かうように言い付ける。

 理由を問えば、「験担ぎ、ですかね?」と彼女は自信なさげに答えるのだった。

 

 本来であれば捨て置くべき戯言、しかし頼りない彼女の表情とは裏腹に何かしらの根拠が感じ取れた。

 それは彼女自身、信頼しきれないものだったに違いない。だが今までの彼女の功績を考慮すると、無下にしても良いとは思えなかった。今夜、用意できた警邏は五十名だけだ。逃走する時に火を放つかもしれない、という李儒の助言に従って洛陽各地に警邏を配置してあるので、会合を襲撃するのに使える人員は極端に少ない。それでも三拠点を制圧するには充分か、精鋭を揃えたが万全とは言い難い。

 そもそも今回、会合が開かれるという話も謂わば、李儒の勘によるものであって根拠らしい根拠はなかった。

 

 ――いや、だからこそ李儒に全てを委ねてみるのも悪くないんや。

 

 此度の動乱、発覚してから解決に至るまで、その全てを指揮したのは李儒だ。

 それで此処まで上手くいっている。最後の三択まで絞り込んだのも李儒であり、それならば最後の選択、後始末まで李儒に任せてしまうのが道理ではないか。最後の最後で私が選択を決めてしまうのは、今まで上手くいっていた流れを歪めてしまうような気がした。それに事件の全容が掴めていない私よりも李儒の方が適切な判断を下せる気がする。

 こうなってくるともう理屈なんかなかった。

 

「二部隊二十名で枡屋と四国屋に行きい、残りはうちと池田屋にカチ込みやーッ!」

 

 私が声を上げると総勢五十名が気勢を上げた。

 拠点一つを包囲制圧するのに二十名も居れば充分、そして私がいれば残り半分でも充分に事足りる。

 これから先の選択は李儒に委ねよう、その上で私が補佐をすれば良い。

 

「李儒、おまんはうちと一緒に()いや」

「えっいや、私はその……戦えませんよ?」

「守ったるから気にせんでええ」

 

 うちの背中は洛陽で最も安全な場所なんやで、と私が胸を張ってみせると李儒がクスリと楽しそうに笑ってみせた。

 

「それは間違いです。だって最も安全なのは春風(徐晃)の背中ですから」

 

 そう告げる李儒の顔は優しくて、その声色はとても柔らかい。

 冗談じみた口調でありながら、その眼は信じて疑わないといった様子で私のことを見つめてくる。

 どうしてだろうか。その時、徐晃のことが少し、本当に少しだけ羨ましく感じてしまった。

 

「……しゃーないな、ここは無敗将軍の顔を立てておこうやないか」

 

 後頭部を掻きながら笑って誤魔化した。

 李儒が素朴な少女に感じたのは気のせいだったのか、その時だけ綺麗に見えてしまったのはどうしてか。彼女の薄皮一枚に隠された本性を思えば、気の迷いにしか思えない。ただなんとなしにやる気が漲ってきた。今この時に限り、彼女の力になりたいと思うのは悪いことではない。

 今は彼女が言う、黄巾党の会合を潰すのが目的だ。

 

「それじゃあ急いで行くでぇ! 振り落とされんなや!!」

「あっ、ちょっと……あわわっ! ひゃあっ!」

「よっしゃあ、うちに続きやーッ!!」

 

 李儒の手を引いて、背中に担ぎ上げる。

 想像以上に軽い体に弱すぎる力、小さくない胸が背中に密着するのを確認してから私は駆け出した。キャッと可愛い悲鳴が上がり、ギュッと体を抱き締められる。

 その感触に私は更に速度を上げた。

 

「張文遠様!? ちょ、張ぶ、ぶん……文遠さんッ! 文遠様ってば! 速い、速いッ! 後ろ追いついてませんってばーっ!!」

 

 今は張り切りたくて仕方ない。

 徐晃よりも、という思いがなかったとは言い切れなかった。

 

 凡そ四半刻(三十分)後、私の部隊は池田屋の付近に集合する。

 その中でも比較的速やかに移動した私達は十分も経たない内に辿り着いており、私の背中に担がれていた李儒の顔色は悪い。つい先程まで適当な家屋の裏で吐いていたところで、今も足取りが覚束ない様子であった。そんな彼女は服の袖で口元を拭いながら「春風の方が絶対に安全でした」と私のことを上目遣いで睨みつけながら吐き捨てる。

 いやまあ少しは反省している、それ以上に弱った彼女を見るのが楽しかった。

 

 頰が緩むのを隠しきれずにいると、ふんだ、と李儒は頰を膨らませて拗ねてしまった。

 なんだか頭がおかしなことになっている。目の前の悪鬼が可愛い生命体のように感じるだなんて、気の迷いとしか思えない。そして虐めるのが楽しいだなんてイかれているとしか思えない。なんとなしに膨らんだ頰を突いてやると特に彼女は抵抗せずに恨めしげに私のことを見つめ返すだけだ。この可愛い生命体はなんだ、誰だ。徐晃の屋敷で見た時とは、まるで別人ではないか。

 妙に柔らかくて弾力のある頰の感触が癖になって、ツンツンと何度も指先で突いてやった。

 

「張文遠様のことが嫌いになりました」

 

 歯を食い縛りながら負け惜しみのように告げる李儒が、なんとも愛くるしくて仕方ない。

 最後に頭をくしゃくしゃっと掻き乱して、池田屋の方に意識を向ける。ここが当たりか外れか、まだ分からない。どうやって攻め入るべきか考えあぐねていると、「裏を固めてから正面突破で構いません」と李儒が不機嫌そうに髪を整えながら告げる。

 

「どうせ黄巾党の前身組織です。他と同様に潰すんですから遠慮なんていりません、張文遠様の武を期待していますよ」

 

 それもそうか、と私は部下の半分に裏手を固めるように指示を出した。

 そして愛用の偃月刀を片手に握り締めて、池田屋の玄関戸を思いっきり蹴飛ばしてやる。木板の砕ける音、少し遅れて中から悲鳴が上がった。

 こんな時に一度で良いから、言ってみたかった台詞がある。

 

「執金吾、張文遠ッ! 御用改めるでぇッ!!」

 

 格好良く決めた私はドヤ顔で後ろを振り返ると「遼来来! 遼来来!」と跳んではしゃぐ李儒の姿が目に入って「よっしゃあ!」と気合を入れ直した。

 今この瞬間は李儒の本性がどうだったかなんて考えない、今一時だけは屋敷で見た出来事を忘れてやる。

 こんな可愛い声援を受けて、応えない方が嘘というものだ。

 

 

 張遼、執金吾として漢王朝に仕える武術の達人だ。

 その腕前は無敗将軍と謳われる徐晃にも負けず劣らず、洛陽を守る二枚看板の内一人。真正面から相手にするのは分が悪い、逃げるか。逃げないとしても策を弄する必要がある。そもそも相手は何人で来ている、二十人は見積もっておくべきか。

 今この場に居るのは彼の部下、四人を合わせて計六人。逃げるにも戦力が足りていない。

 

「しゃらくせぇッ! 行くぞ、馬元義ィッ!」

 

 黒山軍の頭領、張牛角が大剣を片手に立ち上がる。おい、まさか真正面から抜けるつもりじゃあるまいな。

 

「馬鹿言うんじゃねえ! 此処が見つかったってことは数十人の規模で包囲されているはずだ、俺とお前で包囲を突破するんだよッ!」

 

 彼の言う通り、それが最も勝算の高い道であった。

 無論、互いが互いに裏切らないという前提の話、お互いを囮に使った方が遥かに勝算がある。

 逡巡する、裏切るべきか否か。

 ここまで進退窮まっては形振り構わずに生き残るのが最善というものではないのか。

 思考する、その数秒が致命的な遅れとなった。

 

「うらあっ!!」

 

 豪快な衝撃音と共に部屋の扉が消し飛んだ。

 否、粉々に砕け散った。

 蹴破るというのであれば、まだ理解できる。

 しかし、どれだけの力で蹴れば、扉が砕けるというのか。

 

 飛散する木片の奥には、外套を羽織り、胸に晒しを巻いただけという肌の露出の高い変態女が立っていた。

 鋭い眼光、余裕のある笑み。自らの武に絶対の自負を持った佇まい。その片手に持った偃月刀が血に濡れているのを見て、目の前の露出狂の女が張遼であると理解した――同時にこいつはやばい、と直感する。体内に充実させた彼女の気が、まるで質量を帯びたかのように私の体を圧してくる。気の密度が桁違いだ、ここまでの化け物だとは聞いていない。

 咄嗟に私は片手剣を抜いて身構える。

 

 思考しろ、思考を止めるな。

 身体能力の違いが勝敗の決定的な要因ではないように、気の総量がそのまま勝敗に繋がるわけではない。

 恐れるのは良い、だが臆するな。

 

「舐めるなぁッ!!」

 

 横にいた張牛角が気勢を高める。

 彼とて英傑の一人、幾万人を抱える黒山軍を己が武によって纏め上げた逸材だ。

 高めた気の総量は張遼に勝るとも劣らず、これならばいけるか?

 

「消し飛――――!」

 

 瞬間、剣筋が閃いた。

 叫びながら一歩、踏み込んだ彼の頭だけが吹き飛んだ。

 気付くべきだった、張遼の体があまりにも綺麗すぎることに疑問を抱くべきだった。偃月刀が血で濡れているにも関わらず、彼女が返り血一つ浴びていない事実に気付くべきだった。

 首から上が失われた彼の胴体から血が吹き出して、そのまま前のめりに彼の体が床に倒れ落ちる。

 その洗練された武技を見切ることは敵わない。

 

「次はあんたやで?」

 

 そんな彼の姿に一瞥すらせずに、張遼は真っ赤に染め上げた刃の切っ先を私に向ける。

 戦慄した、ぶるりと体が震えた。全身の肌が粟立った。

 世の中には不可能と言われたことを不可能なまま、可能にする嘘のような人間が存在している。

 

「偃月刀の錆になりぃや」

 

 正しく彼女は、そういった類の人間だった。

 

「……やってやるよ」

 

 だからといって、ここで諦めるわけにはいかないのだ。

 必敗の予感がある、勝てる相手じゃないと全身が訴える。経験が奴に勝つことを諦めている。

 外は包囲されているはずだ、万に一つの勝機もない。

 ならば億が一つの勝機を見出すまでだ。

 

「大賢良師……」

 

 この絶体絶命の窮地において、私の心を支えるのは革命に対する強い意志ではない。

 私の脳裏に思い浮かんだのは立直(波才)の笑顔、次いで家事手伝いをしてくれる(程遠志)平和(張曼成)の可愛らしい姿だった。

 こんなことをしておいて身勝手だと分かっているが、それでも三人を守りたい。

 その成長を今後も見守り続けたいと思っていた。

 

 何時からだ、何時から私は変わってしまったのだろうか。

 いや、何も変わっていない。私は立直(りーち)(ちー)平和(ぴんふ)が幸せに暮らせる未来を願うようになっただけだ。そのために私は命を燃やし尽くすと決めたのだ。革命を願う気持ちに変化はない、あの三人のような子供が生まれない世の中を作ると決めたのだ!

 思い浮かべるのは三人と過ごした日常――――

 

「……大賢良師、張角様! 万歳ッ!!」

 

 ――口から出したのは身代わりの名前だ。

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