世の中が荒れている。
天災が重なったことで土地が痩せ、飢饉に陥ったかと思えば、賊徒が大陸中を荒らし回っていた。
蒼天已死、黄天當立。と彼らは言うが、蒼天を黄色の虫が蟻のように群がり貪っているようにしか思えない。事実、黄巾賊が台頭し始めてから私達の暮らしは、より一層に貧しくなった。最早、食べる物にすら困っていると言うのに、賊徒は骨まで貪るように更なる苦難を私達に強いるのだ。
許せなかった。暴力で不条理がまかり通ると思っている賊徒の腐った考えが許せなかったし、村の存続のために食料と女を差し出す皆も許せなかった。私が守る、と言い張っても、手を出すな、と彼らは怒鳴り返すのだ。村を守りたいと言うのであれば体を差し出す程度のことはして来い、と彼らは真顔で叫ぶのだ。
理解ができない。自分だけが助かれば良いという考えも、それで村が助かるならばと真っ青な顔で村を離れた女も理解ができなかった。挙げ句の果てには私の寝込みを襲って、縛り上げてから賊徒に差し出そうとした者もいる程だ。
村に住んでいる全員が狂っているとしか思えなかった。
もし仮に彼らの暴力に屈して理不尽を許し続ければ、以後ずっと搾取され続けるということがどうしてわからない。
そもそもだ。誰かが助けてくれると願ったところで戦いもせず、自ら進んで屈した者を誰が助けると言うのか。この御時世で生き残るためには戦うしかないのだ。
私には我慢できない、理不尽な暴力に屈することなんてできない。
村に標的を定めている賊徒は五十人も居れば多い方だ。
その程度であれば私でも上手くいけば倒し切れる。せめて背中を守ってくれる誰かがいれば、正面からでも押し切れる自信はあるが――残念ながら私と一緒に賊徒と戦おうとする意思を持つ者はいなかった。ならばまあ独りでもやれるだけやってみるだけだと賊徒の通り道に身を伏せて待ち続ける。
此処は週に一度、三十人程度を引き連れた賊徒が何処ぞの村へと食料を略奪しに行くのに使う道だ。
草叢に身を隠して、息を潜めて、その時を待ち続ける。
「ぐぬぬ、まさか一人も釣れないとは……この徐庶元直の見通しに不備があったとでも言うのか……っ!」
「そりゃまあ、あれだけ上から目線で相手を小馬鹿にした態度を取り続けたらね。こんな有様でよくもまあ自分なら絶対だって大見得を張れたものだね?」
「真摯に話せばきっと分かってくれると思っていた時期が私にもありました……」
「
「簡雍、さっきから文句ばっかりだな! そんなに言うならば次は君がやってみると良い、文句を言うだけならば誰でもできるからね。交渉の難しさを肌で感じると良いのだよ!」
えー、と心底嫌そうな声が聞こえてくる。
顔を上げてみると三人組の旅人らしき女性が何かを言い争いながら村へと歩いてくるところだった。これから何処に向かうつもりなのだろうか、この近くには賊徒が居るから危ない、と忠告して上げたほうが良いかもしれない。
そう思ったところで彼女達の内一人がじっと私の方を見つめていることに気付いた。
「そこに丁度いい奴がいるな。行け、簡憲和殿」
「……何処に居るのよ。癪に障ったからって適当なことを言わないで欲しいんだけど? ただでさえ性格が捻じ曲がってるのに、頭まで可笑しくなったら誰が君の相手をするのよ」
「言ったな、簡雍。そこに誰かが居たら君には土下座をして貰うことに決めたよ」
簡雍と呼ばれた女は黙り込むと暫し私の居る方を注意深く見つめる。視線はあっていないので私のことに気付いたわけではなさそうだ。
「……いや、訂正するよ。君がそう言う時は大抵、何かの根拠があってのことだからね」
「そうだろう、私程の人格者の性格が捻じ曲がっているはずがない」
「そこを訂正したつもりはないんだけど?」
徐庶と簡雍の間に挟まれる少女。
左右二人の剣呑な言い争いを困ったような、少し楽しんでいるようにも見える笑みで耳を傾けている。
確か桃花と呼ばれていたか、ふと彼女は私の方を見つめると柔らかく目を細めて口を開いた。
「怖くないよ、出てきてくれないかな?」
それはまるで小動物に向けるような声色だった。
他の誰かであれば癪に障る物言いも今一時、不思議と苛立ったりすることはなかった。居場所が割れているのであれば、このまま隠れていても仕方ないと思って、ゆっくりと草叢から腰を上げる。「あ、本当に居たんだね」と零したのは簡雍、「私が言っているのだから当然だろう」とドヤ顔で告げるのは徐庶。そして桃香と呼ばれていた女性は「可愛い子だねぇ」と呑気なことを呟いている。
実際、彼女達三人の身長は私よりも遥かに高かった。まだ膨らみかけの胸を持つ私を見て、彼女達が侮るのも仕方ないのかもしれない。
「可愛い? いやいや、冗談だろう?」
徐庶が苦笑する、そんな彼女のことを訝しげに見つめるのは簡雍。桃香はじっと私のことを見つめながら笑みを崩さない。
「私達よりもよっぽど強いよ、こいつ」
さりげなく徐庶が剣に手を添える。隣に立つ桃香が徐庶の手に自らの手を添えて、首を横に振った。
「怖がらせちゃ駄目だよ」
観念したように徐庶は小さく息を吐いて、剣から手を離す。
そんな不服そうな彼女に桃香は嬉しそうに微笑むと一歩、私の方に歩み寄る。
おそらく彼女達三人の中では桃香が最も強い。徐庶は武芸の心得を持っているようだが私の相手ではない、簡雍は素人で警戒するに値しない。そんな二人の前に立つ桃香は、二人を庇っているようにも思えるが、その姿は無防備だった。事すれば片手に握りしめている槍で彼女の首を簡単に刎ねることができそうな程だ。
そうであるにも関わらず、彼女相手に斬りかかれる気がしない。
それは桃香が実力を隠しているというよりも、あまりにも隙だらけで、彼女から敵意を欠片も感じ取れなかったためだ。殺意を向けられてでもいれば、咄嗟に人殺しの決意を固めることができる。しかし、こうも無警戒に接せられては敵意が削がれるというものだ。そして彼女の今立っている位置は、私の間合いから一歩遠かったりする。
桃香のことを推し量っていると、不意に彼女は両手を広げて懐を晒した。
「私の名は劉備、字は玄徳。真名は桃香」
簡雍が驚きに身を強張らせて桃香のことを見つめて、徐庶は感心するように溜息を零した。そんな後ろの二人のことなんて、どこ吹く風よと彼女は私だけを見つめている。
「安心して私は貴方の敵じゃないよ」
優しく微笑みかけられて、私は握り締めていた槍の穂先を地面に向ける。ここまでされてしまっては、もう私に打てる術がない。
「高順、字はない。真名は
「ほう! では、ほむほ……」
間合いを一瞬で詰めて、ヒュッと彼女の頰の皮一枚を掠めるように槍を突き出す。
その瞬間、桃香は視線だけで私のことを捉えており、徐庶は私が威嚇の攻撃を仕掛けた瞬間、身動き一つ取れずに視線だけが遅れて動いた。簡雍は影すらも追いきれなかったようであり、風が吹き抜ける数秒後に「ひゃん!」と小さな悲鳴をあげた。
徐庶は引き攣った笑みを浮かべたまま、へたりと地面に腰を落とす。
「貴方に真名を許した覚えはないよ?」
「わ、わかった! ああ、わかったとも、訂正しよう! 愛称だったら良いじゃないかと思ったんだよ、だって真名の読みと似ても似つかないじゃないか!」
「ん、私も不備を認める。ごめんね?」
ヒュンと槍を回しながら持ち直して、桃香の方を見つめると彼女は苦笑しながら「あんまり怖がらせてあげないでね」と少し前に誰かに向けられていたものと同じことを口にした。
「なるほどなるほど、徐元直殿。貴殿にも苦手な相手はいるようだね?」
「……私も人間だからね。神は人間を不完全に作った、何故ならば人間に成長の機会を与えるためだ。神は人間に寿命を与えた、何故ならば人間に勉学や鍛錬に励むよう促すためだ。神は完全であるがために怠惰で嫉妬深く、高慢で傲慢だ。それ故に色欲が強く、なんでも自分の物のように思い込んでいる。完璧であるが故に完璧以外の結果を認められずに神は簡単に癇癪を起こして怒り狂うのだよ。そんな身内に呆れ果てたからこそ、神は不完全でも完璧以外の結果を受け入れることで成長できる人間をお作りになられたのだ」
「その癪に障る物言いも今は愉快で仕方ないよ」
簡雍が楽しそうな笑みを浮かべながら手を差し伸べたが、その手を徐庶は受け取らずに地面に座り込んだままだった。それでも強気の笑みを崩さずに彼女は言い放った。
「腰が抜けて立てない」
「……愉快で痛快すぎると笑うよりも呆れが先に来るものなんだって今知ったよ」
くつくつと楽しそうに肩を揺らしながら、どうして欲しいの? と簡雍は勝ち誇った顔で問いかける。
「私を背負って欲しい」
「図々しいな、私に背負えると思ってるの? 肩を貸してあげるから自分でも立ちなさい」
よっこいしょ、と簡雍が徐庶の体を持ち上げる。その様子を桃香はどこか嬉しそうに見つめており、そして徐庶は不服そうな顔で簡雍に支えられながら私を見据える。
「高順……で良いんだね? 良さそうだね、よし」
何を恐れているのだろうか、彼女は自らに言い聞かせるように何度も頷いてから言葉を続ける。
「君は何を待ち伏せていたのかな?」
その問いに私は、賊、と短く答える。
桃香が目線だけで簡雍を見やり、簡雍は呆れたように肩を竦める。その彼女に肩を借りている徐庶は浮かべた笑みを手で隠して、いかにも相手を気遣っているように私のことを見つめた。
そして徐庶は合図を送るように桃香に目配せし、桃香は応えるように小さく頷き返す。
「良かったら私達に話してくれないかな? もしかしたら力になれるかもしれない」
言いながら手を差し出す桃香の目を見て、なんとなしに彼女が嘘を言っているわけではないと思った。
だからといって簡単に手を取るほど、私は純粋でもない。彼女が差し伸べてくれた手を無視して、「さっさと離れた方が良い」と端的に告げる。信じることはできないが、決して悪とも呼べない彼女達を戦いに巻き込みたいとも思わない。まあ尤も離れるというよりも逃げた方が良いのだが。
徐庶が一人、ふと思いついたように顔を上げて問いかける。
「……高順、答えて欲しい。待ち伏せていたということは、
首肯する。
「ならば、
その追求には首を横に振る。
「……っ、劉備、簡雍、もう手遅れのようだね。軍師が十全に力を発揮するためには充分な情報が必要であると嫌でも思い知らされるなあ……やっぱり情報だよ、情報を制するものは天下を制する。如何に私が優れた頭脳を持っていたとしても、与えられるべきものを与えられなければ宝の持ち腐れというものだよ」
やれやれと徐庶は溜息を零した。
強がっているが、まだ腰は抜けたままのようだ――震える足に活を入れながら腰に差していた剣を鞘から引き抜いた。
戦うつもりなのだろうか。つい先程、彼女を威嚇した時は私の動きを目で追いかけることはできても体の方が追いついていなかった。鍛錬不足なのは明白、戦力として数えるには心許ない。精々、自分の身を守るので精一杯だろう。
それから数秒遅れた桃香が二振りの剣の内、一方だけを鞘から抜き取った。彼女の方は幾らか武芸の心得を感じられる、氣の気配も感じられる。少しは戦力になりそうか。
最後の一人、簡雍は急に臨戦態勢に入った二人を見ても身動きが取れずに狼狽えており、「桜花ちゃん、後ろに下がってて」という言葉で漸く状況が読めたようで、「そこの草叢にでも隠れていると良い」という徐庶に言われて慌てて、先程まで私が隠れていた場所に身を隠した。彼女は足手纏いだが身の程を弁えているようだ、もうずっとそこで隠れていて欲しい。
私が先頭、桃香と徐庶が左右に控える陣形を取る。この時に桃香が左を陣取ったのは、私の利き腕が見越してのことなのだと思う。
「……お人好しだね」
あはは、と劉備がだらしなく笑ってみせると「それが生き甲斐みたいなものですので」と返してから表情を引き締めた。徐庶は漸く足腰に力が戻ってきたのか片手に剣を持ったまま、腕を組んで不敵に笑みで前を見据えている。
「して高順、敵の手勢は如何程かね? 遠目から見るに五十は超えないと思うが――目の前の賊だけが全てではないだろう?」
「正確には分からない。村の皆は何万人って言うけども、私が確認したのは多くて三十人前後。……生贄にされた子は何十人だって言ってた。皆、頭に黄巾を付けてるよ」
「成程、同じ黄巾でも賊の方だな。本拠には多くとも五十人程度であることを願っているよ」
神頼みとは我ながら極まってるな、と徐庶が舌打ちする。
「ああもう間諜の一人や二人、欲しいなあ! こうね、パンパンと手を叩いたら何処からともなく現れる感じのやつをさ! ところで簡憲和殿、ちょっと敵本拠まで斥候を頼めないかね?」
ふざけんな! という怒声が草叢から発せられた。
「そもそも敵本拠って何処よ! 天才軍師なら、なんかこう地形とかから割り出すことはできないの!?」
「できるさ、私を誰だと思っている。徐元直様だよ!? 候補地を絞ることなんざ朝飯前、しかしどの候補地に潜んでいるかまでは分からんね。それを探るためにも、“行け、簡憲和殿!”という訳だ、分かったかね?」
「分からないね! 森羅万象を読み解く智謀の持ち主と自負するならば候補地を一つまで絞りやがれってもんよ!」
「私の頭にあるのは問題を解決するための公式だよ。公式で答えを求めるには変数に数字を代入しなくてはならない、代入するための数字――即ち情報がなければ答えを導くことなんて不可能だということがどうして分からない。こんな様で君は劉備の知恵袋の気取っているのかい? それとも今の説明で理解できたかね? これでも私は君のことを少し頭の回転が遅いだけで馬鹿ではないと認めているつもりなんだよ。理解できたなら、“行け、簡憲和殿”だ! 骨は拾ってやる、身元が分かるものを身につけておきたまえ」
「ちょっと元直ちゃん、桜花ちゃんを使い捨てにしないで欲しいな」
むうっと頰を膨らませる桃花を前にした徐庶が流し目で草叢を見つめて「庇われて悔しくないのかね」と挑発的に告げる。
「むしろ幸せですがなにか!?」
開き直ったような叫び声に徐庶が心底呆れたように深く溜息を零した。
いよいよもって混沌としてきた様相に、大丈夫、と私は指先を使って槍を軽く振り回してみせる。
「私一人だと難しい……でも二人が背中を守ってくれるなら百人は殺せる。本拠にいるのが百を超えないなら大丈夫」
「頼もしい限りだよ、いや、まったくその通り、いよっ高順殿! それでも万が一を考えるのが軍師の性でね。幾つもの可能性に備えて、それらにそなえた策を幾つも用意しておくことが常道ではあるけども……正直、可能性を並べたところで立てられる策がない。いやはや資源管理も軍師の腕の見せ所ではあるのだけどね。たった一つの策も実行できない状態では敏腕を振るうことも叶わないなあ、あっはっはっ!」
「元直ちゃん、なんだか自棄になってない?」
桃香が心配そうに徐庶を見つめる。
「いや、冷静さは欠いていないよ。心配御無用、ただ最善策が脳筋万歳でしかないことに世の無情を噛み締めていただけだよ」
言いながら徐庶が正眼に剣を構えた、その基本に忠実な素直な構えに少しの驚きを覚える。
「武も一種の理の追求みたいなものだろう?」
そう言いながら彼女は長く細い呼吸を取る。
視線は鋭く、全神経を敵に向ける。その集中力は周囲の空間を丸ごと巻き込み、適度な緊張感を私達に齎した。
唾を飲み込む、そして私自身も意識を集中させる。
「……大丈夫、私が倒す」
もう敵はすぐそこまで近づいていた。
遠くに見える黄巾を被った賊徒、悠々と近づいてくる彼らを視界に捉えて、自然と槍を握る手に力が篭る。
心が殺意に満たされる。抑えきれない衝動、高まる鼓動、絶対に許せないと魂が叫んでいる。脳裏に過ぎる、彼らが行ってきた悪行を。部屋の中で天井に吊るされていた縄の意味を思い返す、思考が真っ黒に染まるのを感じる。
しかし、その衝動に決して身を委ねようとは思わなかった。
「私もいるよ」
桃香の囁くような声に一瞬、少しだけ気持ちが緩んで、その直後に強く心が引き締め直された。
深呼吸をする――目を閉じて、大きく息を吸い込んで、ぐつぐつと煮え滾り、今にも吹き出しそうな想いと共に息を吐き出した。高揚している、緊張もしているのだと思われる。どうしようだとか、憎いとか、そういった想いは今は汲み取らない。ただ殺す、ひたすら殺す。殺意とは言葉ではなく、行動だ。
吐き出したくなる気持ちを押し殺して、意識を鋭利に研ぎ澄ました。周囲から雑音が消え失せる、なのに風や枝葉の掠れる自然音が耳に入る。ギュッと時間を濃縮する、触れる全てを感じ取ることができる気がする。もう一度、大きく息を吸い込んで、酸素で肺を満たした。空間一つを丸ごと取り込むように――もう何も恐れることはない、と目を開いた。
すぐ近くまで迫っていた黄巾の賊徒、そのにやけ面を認めた瞬間、伸ばされていた手を切断する。
相手の理解が追いつく前に首を刎ね飛ばした。
ただ殺す、
意識を深く深く深淵の奥底まで深く沈みこませる。
ひたすら殺す、
殺意の海に全身を満たして、魂までもを殺意の純一色に染め上げる。
宙を飛んだ血潮の一滴に至るまでを掌握し、その先に漸く意識が追いついた者の額、その黄巾ごと穂先で突いた。瞳がグルンと上を向き、ヌルリと抜き取った穂先をそのまま横に薙ぎ、また別の誰かの頸動脈を綺麗に斬り裂いた。ピュッと血を噴き出しながら横に崩れる男――その動きが遅すぎたから槍の逆側を使って、その脇腹を横に打ちつけてどかした。前に出る、一歩、二歩、漸く敵が動きを見せ始めた。いち早く腰に下げた剣に手を添えた男の手首を切り落とし、後ろに退いた女を追いかけるように腕を伸ばして、その豊満な胸の間に穂先を食い込ませる。穂先を引き抜いた動きに逆らわず、すぐ横でなくなった手首を抱えながら蹲る男の額を穂先で切り裂いてやった。
この時点で何人殺したか、人数なんて関係ない。全員殺す、ただ殺す。何の感慨もなく、気概すら必要とせず、ひたすら殺す。
漸く切りかかっていた男、思いっきり振り被られた剣を無視して、がら空きの腹を横一線に斬り裂いた。それでも男は止まらずに私の体に抱きつこうとしてきたが、その横っ面に思いっきり蹴りを入れて吹っ飛ばした。隙ができた、目を動かして周囲を見やる。横へ横へと流れるような視界の中で目に映った全ての動きと、その一秒後の予測を頭に入れる。怯えて竦んでいる者は放っておいても良い、倒すべきは今の隙を逃さずに切りかかってきた者達だ。横に草を薙ぐように地面を削った。舞い上がった砂煙と砂利で数人の視界を削ぎ、その目潰しから逃れた男が横から私に切りかかる。
その胸を突いた。男は血を吐きながら私の槍を掴んで更に一歩、前に踏み込んだところで絶命する。
瞬間、してやられた、という思いが脳裏に過ぎる――視界の端で砂煙を意にも介さずに突っ込んできた者を捉えたが、肉に深く食い込んだ槍を咄嗟に引き抜くことができなかった。素手で対応すべきか、いや、この人数を相手に槍なしで対処することはできない。どうすればいい、と迷った時には手遅れでもう避けるのも――――
「たあぁっ!!」
――桃色の髪が翻る、桃香が横から男の脇腹に剣を突き刺した。
しかし彼女も咄嗟の行動だったのか周囲の警戒を怠っており、僅か数歩であるが突出してしまった。標的が変わる、数人から同時に狙われる桃香から敵を振り払うために、穂先に敵を突き刺したまま槍を思いっきり縦に振り被る。
「はぁぁっ!」
気合いを吐き出した。
ただ敵を振り払うための一撃は誰にも当たらず、地面に叩きつけられた。穂先に引っかかる肉体は、その衝撃に耐えきれず、ひしゃげて潰れた。ぐしゃり、とも、びちゃり、とも呼べる惨状、血肉は弾けて、骨すらも砕けて、原型すらも残らない。叩きつけた地面を中心に真っ赤な華が咲き誇る。飛んだ肉片は黄巾を汚し、血は雨のように降り注いで私の体を汚した。鉄の臭いが充満する、その湿気を帯びた空気は質量を帯びているようにすら感じられる。
間が空いた、私は小さく呼吸を整えなおして構えを取る。
敵は臆している――よし殺そう、なら殺す。一歩、思い切り踏み込んで、先頭にあった黄巾の額を目掛けて、穂先で貫いた。首は千切れる、頭蓋が砕けた感触を得る。そのまま敵衆に乗り込み、首級を上げられるだけ上げ連ねる。臆して竦んだ者は後回しで殺す、逃げる者から優先的に殺す、切りかかる者は事のついでに殺す。殺して、殺して、殺し尽くして、何時の間にか視界には黄巾を付けた者が居なくなって……いや、一人残っていた。
徐庶が捕らえていた男を目掛けて突っ走る。
「待てッ!」
と大声で叫ばれて、寸前、彼の額から矛先を逸らした。
側頭部を斬り裂いたが、まあ骨までは至っていない。男は大粒の涙を流しており、股間部に大きな染みができてしまっている。
鼻先を掠める尿臭に顔を顰めながら、徐庶に問いかける。
「どうして止めたの?」
「一人くらい残しておかんと敵の本拠地が分からないだろうが、馬鹿め。頭は筋肉の鍛える場所ではない、頭は使うためにあることをよく覚えておけ」
そう言うと彼女は男と何かを話し始める。
息を吐いた、まだ熱が残っている。まだ終わっていない、まだ殺す。
意識はまだ敵対時のものを維持し続ける。
「大丈夫?」
不安げに問いかけられる、振り返ると桃香がいた。
何処か切られてもしたのだろうか、試しに体を見回すも切り傷一つ見当たらない。
だから「大丈夫、返り血だから」と告げると彼女は複雑そうに眉を顰めた。
「よし敵の本拠地がわかった、もう敵は十人と居ないようだね。この機に殲滅するよ」
徐元直が告げると私は頷き返した。
不安そうに私のことを見つめてくる桃香に「大丈夫」ともう一度、告げる。
草叢に隠れていた簡雍は腰を抜かしていた。
そのままの勢いで本拠地を潰し終えた。案外、あっさりと。特筆すべきことが見当たらない程にあっけない。徐庶が賊徒の溜め込んでいた財宝を見つけて、「ご苦労、ご苦労、こいつは私達が有効に使わせてもらうよ」と悪どい笑みを浮かべていたのが印象的だった。
それでまあ賊退治を手伝ってくれた彼女達のために村まで案内をすることになった。
せめて一泊だけでも休んでもらおうと思ってのことだが――村はずれで私達の姿を見た村人の一人が慌てた様子で村へと走り、そして村に足を踏みいれようとした頃には村人全員が私達を待ち受けていた。どうにも歓待ではなくて迫害の方であった。
村に入れてなるものか、と村人全員が総出で私達の前に立ち塞がり、石を投げつけられた。
「よくも手を出してくれたな、この疫病神めっ!」
投げつけられた石の一つが頭に当たって、血が流れる。
褒めてくれるとは思っていなかったが――やはり彼らの考えは理解ができない。
「これはまあ随分と嫌われているようだね」
徐庶が小馬鹿にするように笑みを浮かべてみせる。
「こんな奴らのために命を張るとは君の物好きにも……」
「徐庶、今は黙るべきだよ。君の気遣いは気遣いになっていない」
簡雍が口を挟んだ。徐庶は何も言わずに肩を竦めると、引き下がって桃香の肩をポンと叩いた。
桃香は悲しそうに顔を俯けた後、私に向けて笑顔を作ってみせる。
「行こう?」
差し出された手に、血塗れの手を重ねる。
これから先のことを考えられない、手を取った理由もよくわからない。
今となっては彼らを助けた理由もわからない。
でも放っておくこともできなかった。
今はもう心残りはない。
心残りがなくなったから彼女の手をあっさりと取れたのかもしれない。
いや、でも、ただ一つだけ心残りがあった。
「最後に、墓参りを」
心を壊して自殺した友人を埋めた場所が村はずれにある。
誰の手も借りたくなくて私一人で土に埋めた、墓標はない。でも場所は覚えている。
最後に祈りたい。それでもう、さようならだ。