こと情報戦において、張勲こと七乃の才覚はとびきりに優秀だった。
そして優秀な人間というのは畑違いの分野であっても、それなりに仕事を熟してしまうものである。凡人の枠に収まる楊弘こと四ツ葉、秀才の枠を超えられない紀霊こと六花では七乃を相手にすることは分が悪いと言わざる得ない。政治だけ、軍事だけ、という話であれば、それぞれの得意分野である四ツ葉、六花の方が有利であるといえるが、七乃は政治や軍事といった分野を情報という面から掌握してしまうのである。
そもそも彼女がなによりも優秀だったのが相手の本質を見抜く能力であり、その者が持つ能力と性格、気質を把握して、その者に合わせた言動で自分の思い通りに動かすことを彼女は得意としていた。
国一つ程度であれば、簡単に掌握することができるほどの能力を持つ彼女には欠けていたものが幾つかあり、その内の一つが向上心、追加で野心。張勲として産まれなければ、きっと彼女は自由気ままに中華を荒らしてまわる大悪党として名を馳せていたに違いなく、良くとも中華有数の商家として物流を掌握して、面白可笑しく天下の情勢を左右する立ち位置を確保していたのではないかと思われる。
幸か不幸か七乃は政治屋の娘として産まれて、そして袁術こと美羽との出会いを果たす。
当時、七乃は生きることに飽きていた。
彼女にとって袁家という箱庭は、遊ぶには狭過ぎたのだ。田豊や沮授という遊び相手はいたが、二人は七乃を満足させるには真面目すぎる。唯一、郭図は七乃の気質に近いといえたが七乃の相手を勤めるには役者不足、それに郭図は七乃のことを好意的に感じているようで遊び相手になってくれなかった。全てが自分の予想した通りに事が運び、人心を逆手にとって自分の望むままに動かすことができる。
だから面白くなかったのだ、生きることが退屈だった。
名門袁家、中華随一の頭脳が集う勢力でこれなのだから、此処を飛び出したところで遊び相手には期待できない。敗北を知りたいと言っている訳ではない、ただ張り合いがないのだ。全てが分かる、全てが掌握できる。勝利も敗北も最初から分かりきっていた。次の一手、そしてまた次の一手、全ての道筋を私の思うがままに導いてやれば、田豊や沮授ですらも私が用意した道筋を踏み誤ることはない。
敗北したければ江東の虎でも相手にすれば良い、張り合いのない分かりきった敗北が待ち受けているだけだ。
負けると分かって足掻き、蹂躙される。そこに情熱はない、悔しさもない。
そんな彼女にとって唯一、予測できないのが現主君である袁術こと美羽だった。
七乃が用意した道筋の悉くを踏み外し、必ず勝てるという戦いを負けるかもしれない窮地に貶める。彼女の発想、言動の全てが七乃の予想を下回る。どれだけ下方に修正しても、更にその下を潜り抜けるのだ。どうすれば、そのような発想が生まれるのか、そのような言動が生まれるのか、まるで理解ができない、予想が立てられない。とてもじゃないが手に負えない!
気付いた時には美羽から目が離せなくなっていた。その可愛らしい口から次はどんな言葉が飛び出すのか、その可憐な姿から如何な破天荒な言動が飛び出すのか、気づいた時には夢中になっていた。七乃にとって美羽の存在とは乾いた人生に潤いを与えてくれる存在だった、闇夜の中をただ彷徨うだけの人生に太陽の温もりと光を与えてくれる存在だった。
いつしか美羽の存在が七乃の生きる理由そのものになっていた。
今や美羽の存在なくして七乃は成り立たない。
だからこそ彼女は美羽を甘やかして可愛がる。何時しか沸いた情愛の気持ち、それよりも更に奥深くに根付くのは依存、美羽が持つ本質を誰にも変えられないように揺り籠の中で優しく育てられる。蜂蜜のように甘い毒を一滴、また一滴と口の中に滑り込ませるように大切に甘やかした。
七乃は本気を出したことはない、無意識で手加減をして生きている。
それは興味がないことには本気を出せないというよりも、手元にある玩具を壊さないようにするためのものだ。七乃は最初から結果が分かっているから、本気を出せば相手が壊れるという結果も見えてしまっている。彼女は悪党には違いないのかもしれないが、決して異常者ではなかった。
意味もなく誰かを傷付けることに抵抗を感じる程度には彼女は少女だった。
「いやー、これは少し舐めてましたでしょうか? 四ツ葉さん、私達を見捨てることはあっても尽くすことはないと思っていたのだけど……普段から冷めてる人ですからねえ、もしかして
それでもだ、だからこそだ。
彼女は人並みに愛を理解できているからこそ、彼女は愛する者が傷付けられるのを見逃すことはできない。それは人が人として生きている以上、当たり前の基本原理である。
愛する者を守るため、愛する者を穢されないため、そのためなら七乃は無意識の制限を取り払うことができる。
「ぶち殺してやりましょう。それはもう徹底的に、蟇盆? 炮烙? ファラロスの雄牛?」
誰もいない部屋、蜂蜜水を片手に立ち尽くした七乃は据わった目で呟き続ける。
何時ものお忍びならば問題ない、違和感に気付いたのは七乃の息がかかった者が一人も護衛に含まれていないことだ。そして七乃の監視網から逃れていることが四ツ葉の裏切りを確信させる。
何故ならば、袁術軍において自分相手に曲りなりとも情報戦を仕掛けることができる相手は四ツ葉以外にいないのだ。
「精神、肉体、魂魄、余すとこなくぶち殺してあげます」
美羽は連れ去られた、その目的は簡単に予測を立てられる。
◇
ぶるりと、唐突に感じた怖気に身が震える。
それは六花も同じようであり、二人で顔を見合わせた。おそらく気のせいではない、七乃が動き出した。
気を引きしめなければ、と思い改める。
七乃は天才に属する人間ではあるが万能というわけではない。
軍事だけであれば紀霊に劣る、政務だけであれば私、四ツ葉に劣ると思っている。真に彼女が恐ろしいのは人心操作術、自分が望む結果へと導くことができるその手腕だ。それでも圧倒的な武力や智謀があれば、力押しで七乃を蹂躙することも可能だろうが――それはないもの強請りというものである。反乱を起こしたとて、最初こそ善戦できるかもしれないが私と六花では七乃相手に勝つことはできないことはわかっている。
最初から敗北は覚悟していた。稼いだ時間で少しでも美羽に世の中のことを知って貰えれば――知らないことで幸福になれることもあるかもしれない。世の中には知らなくても良いことがたしかに存在している。
それでも私は思うのだ、彼女の無知は不幸でしかないと。
臣下が主君の幸せを望むことはいけないことなのだろうか。
いや、一人の人間として、一人の少女の幸せを望むことが間違っているはずがない。懐に収まる美羽が棒付きの飴を美味しく舐めている姿を見やり、彼女が子供だということを嫌でも思い知らされる。自由気ままで天真爛漫、善悪を超越し得る純真なる心の持ち主。彼女は純白の絹布のような存在で、周囲の存在で何色にも染まることができる。誰の思想にも染まらず、誰の影響も受けず、ここまで穢れなく真っ白に育った彼女は異常だった。
このままではきっと美羽は不幸になる、それが分かっていて見逃すことを私にはできなかった。
「道に迷ってしまったのは本当なんですよ? 星ちゃんと、稟ちゃんと、逸れてしまった後で出会ったのがお姉さんなんです」
とても迷子とは思えない緩い雰囲気を持つ少女が、未だ馬に乗る私達の隣を歩いて付いてくる。護衛の足に合わせているとはいえ、見た目の幼い彼女が歩き疲れる様子はない。
「ところで私の名前は程立《ていりつ》と言うんですよ、字は仲徳。以後、お見知りおきをー」
あくまでも自分の呼吸を崩さず、少女は聞いてもいないのに自らの名前を述べる。
七乃が動き出したかもしれない現状、余計なことに手を焼いている時間はない。程立と名乗る彼女をさっさとこの場から追い払ってやりたいと思うのだが、彼女に私達から離れようという意思は感じられず――
「うむ、苦しゅうないぞ! 妾は袁術、字は公路、宜しく頼むのじゃ!」
そして我が主君は彼女のことを気に入ってしまっているようだった。
馬上から胸を張って名乗り上げる美羽に「おー」と程立はわざとらしく声を上げる。
「そうですかー、貴方が名門袁家の跡取りですか。いやはや、これは驚きましたねー」
とても驚いているようには思えない、いまいち掴みどころを見い出せない少女に溜息が零れる。
「むう、お前の胸に掴めるところなんてないぜ、みたいな顔をしないで欲しいですねー」
「掴みどころがないのは胸じゃなくて性格だよ」
「つまり胸は掴めると? いやですお姉さん、ちょっと大胆過ぎますねー。そこは掴むのではなくて摘むところですよ?」
酷い切り返しを聞いた気がする。なによりも我が主君である美羽が服の上から胸を掴もうとしているのが酷すぎる。むー、と頬を膨らませた不満顔で私を見つめてくる主君の姿が酷さを加速させる。色即是空と名乗る少女は主君の教育に悪すぎる。
「なあ四ツ葉、何処なら摘めるのじゃ?」
そして私に話を振らないで欲しい。
助けを求めるように六花を見れば、そっとを目を逸らされる。元凶である程立といえば「あらー」と楽しそうに目を細めてみせるのだった
もうどうしたものかと、どうすることもできないと、私は目を閉じて、無我の境地への探求を始める。
オン・マリシ・エイ・ソワカ……
「おー、お姉さんって仏教徒だったのでしょうかー?」
「……気分だけだから」
簡単に雑念の入る私には色即是空を理解するのは難しそうだ。
「ところで、お姉さん」
よっこいしょっと程立は許可も取らずに馬に跨ると私を背中から抱き締める。
「この辺りは街でも治安の悪いところですよねー?」
そして耳元で囁くように、主君には聞こえない声量でひそひそと告げられる。
「袁術の統治は決して評判が良くありません。それは袁術に仕える者の政治手腕――というよりも袁術自身に政治への関心が薄いためと思われます。聞いたところ、そして見たところ、張勲も現状を是と唱えているわけではありませんが否と考えているわけでもない。蔓延る横領、おイタが過ぎると張勲自身が処刑しているようですが――袁術軍の財政が傾かない程度であれば目を瞑る。大人しくしているのであれば多少の飴はくれてやると言ったところでしょうか?」
ゆったりとした声色、真綿に水を澄み込ませるように言葉が心に重くのしかかった。
馬の手綱を握る手に汗が滲む、背中に感じられる程立の温もりが酷く冷たく感じられる。この感覚を知っている、この恐怖を知っている。何度か感じたことがある、深淵の奥底を覗き込んだような――底知れない何か。
時折、七乃が私を牽制する時にみせる気配と同じものを感じてしまった。
「どうしたのじゃ、四ツ葉?」
心配そうな顔で見上げてくる主君、私は笑顔を作って彼女の頭を撫でる。
「繰り返し名乗ります。私の名は程立、字は仲徳。真名は風《ふう》と言います」
背中から囁き声で、唐突に真名を預けられたことの驚きで後ろを振り返った。そこには先程から変わらぬ掴みどころのない風のような少女が私の体を抱き締めている。
「お姉さん、風は貴方に興味を持ちました。ずっと一緒にいる訳でもないと思いますが、今少し貴方に行く末を見てみたいと思いましたー。真名を預けるのはその礼儀、損はさせませんよー?」
理解はできなかった、今もまだ戸惑っている。
ただ彼女には私では理解できない何かを持っているということは直感的に分かり、だからといって出会ったばかりの少女を頼る気にもなれない。これから為すことを考えれば、程立は私達の側から離れさせるのが得策だ。
無関係な者を危険に巻き込むのは、人として間違っている。
「やはり、お姉さんは優しいのですねー。誰かのためならば自分が危険な目に晒されることも甘受する精神性、なによりも素晴らしいのは危険だと正しく理解しているにも関わらず窮地に足を踏み入れる勇敢さ」
「……私はそんな殊勝な性格をしてないよ」
「いえいえー、お姉さんはきっと素晴らしい人格者ですよ。窮地に踏み込む時に躊躇する素朴さを私は評価したいですねー」
くすくす、と背中越しに程立が笑っている。
「そうじゃ、四ツ葉は素晴らしいのじゃ! なんたって妾の臣下なのじゃからな!」
そう言って胸を張るのは我が主君の美羽で、ですねー、と程立が緩い声で同意してみせる。
「名乗れ、四ツ葉! 真名を預けられて、真名を返さないのは礼儀に反するのじゃ!」
「いや、しかし……流石に先程出会ったばかりの者と真名を交換するのは……」
「其方は何時も言っているではないか、人として間違えている、と。真名まで預ける相手に礼儀を尽くさないのは誠意が足りていないのではないか?」
正直なことを云えば、こんな面倒そうな子を傍に置きたくなかった。
常日頃から精神が削られるような気がして仕方ない。
だが主君にこう言われては逃れることはできず、観念して私は自らの真名を名乗る。
「私の名は楊弘、字を大将。真名は四ツ葉。私を呼ぶ時は――」
「よっ! タイショー! なのじゃ!」
割り込まれた、名乗れと言われたのに割り込まれた。
「主君に太鼓持ちをさせるなんて可愛い顔して度胸ありますねー、流石に私もびっくりなのですよ」
背中越しで聞こえる声に、絶対に後で揶揄われるやつだ、と無念に歯を食い縛って空を見上げる。
「お姉さん、そろそろのようですねー」
視線を落とす、周囲が騒がしくなっている。
懐に収まる我が主君は相変わらず、何も分かっていない様子であった。此処が何処なのかも理解できていないに違いない、それほどまでに周囲への関心のない御方なのだ。
呆れるほどに、可哀想なほどに、我が主君は何も知らない。彼女には世の中を少し理解して貰う必要がある。
此処は街の中心部から外れた貧民街、
袁術の統治で仕事を失った者達の成れの果て、明日の食事も摂れるかどうか分からない――つまり袁術に恨みを持つ者達が集まる場所である。
ヒュッと風を切る音がして――それを防ぐことはできたにも関わらず、私は美羽を庇うように抱き締める。強い衝撃を頭に受ける、投げられた石は私の額を割って、ドロリと血が流れた。拭うことはしない、ポタリと落ちる血が主君の綺麗な金髪を汚した。
美羽は信じられないものを見るように呆然としている。
「袁術! お前のせいで俺たち家族は路頭に迷った! 離れ離れになった!」
その声に狼狽え、そして美羽が感情のままに叫ぼうとするのを邪魔するために抱き寄せる。
ギュッと彼女の顔を自らの胸に押し付けて「ここは危険です」と馬を走らせた。石が投げられる、主君には傷一つ付けさせない、そして私の背中を抱き締める少女も傷付けさせるわけにはいかない。想定していたよりも速く馬を駆けさせる、本当であればもうちょっと美羽を悪意の中に放り込むつもりであったが、程立を危険のただ中に置いておくわけにはいかなかった。一人なら守れる、二人は守れない。だから想定よりもずっと早くに馬を駆けさせる、罵声を浴びせられるが。
「やはりお姉さんは優しいですね」と背中越しに聞こえる笑い交じりの言葉は皮肉と受け取った。
馬を駆けさせている時の美羽は思っていたよりも大人しかった。
もっと喚き散らすと思っていたのだが、何処か呆然とした様子で俯いている。七乃の庇護下にいた彼女に人の悪意は刺激が強すぎたのかもしれない。
ここまで彼女が落ち込んでくれるのであれば、もっと他にもやりようがあった気がする。
そして比較的治安が安定している大通りまで馬を走らせると――
「あらー、探しましたよー。四ツ葉さん?」
満面の笑顔を作る七乃が待ち構えていた。
◇
ポタリと赤い液体が落ちてきた。
見上げると四ツ葉が額から血を流しており、それが妾の髪に落ちる。
最初に込み上がったのは怒りだ。よくも妾の四ツ葉に酷いことをしてのけたな、という怒りであった。全員を皆殺しにしろ、と号令を出す前に四ツ葉の胸に抱き寄せられて、そのまま馬を走りだした。上下に揺れる体、背中に感じる風、耳に入る罵声、そして血の臭いがする。
責められている、妾が民に責められている。それよりも心を抉ったのは四ツ葉が傷付いたということだった、もしかすると妾のせいで四ツ葉が傷付いたのだろうか。
そう考えると、やはり怒りが込み上がってきて、でも拳を振り下ろす場所が見つからなくて、そのことにまた怒りが込み上がってくる。暴れたい、怒鳴り散らしたい、そんな想いは四ツ葉の血の臭いで冷める。そして、やっぱり四ツ葉が傷付けられたことが許せないと思って、耳に入る罵声が妾に原因があるのではないかという思いにさせる。だがやはり四ツ葉を傷付けることは許せない、だから殺せと命じたいのだが血の臭いがその思いを邪魔する。四ツ葉を傷付けたくない、傷付いて欲しくない。命令すれば四ツ葉が切り込んでくれる、だが四ツ葉は弱い。鍛錬では何時も六花に負けている、七乃も弱いと言っていた。頼りがいのない奴だと言っていた。
だから、でも、違っていて、そうでもなくて、妾が悪い? いや、悪いのは、でも、だけど、それでも、いや、だから、悪いのは、妾ではなくて――――ッ!
「あらー、探しましたよー。四ツ葉さん?」
頭の中がごちゃごちゃになっていると聞き慣れた声がした。
その声に安心する。七乃ならどうにかしてくれる、七乃になら任せられる。どんな我儘だって七乃なら叶えてくれる。
しかし、七乃の顔を見た時、ゾッと背筋に怖気が走った。
「分かっていますね?」
その問いに四ツ葉は大人しく馬を降りようとする。
駄目だ、あの七乃の顔は駄目だ。あの笑顔でざっくりと、あっさりと反逆者の首を刎ねる命令を出してきたのを妾は知っている。
ギュッと四ツ葉の服を握り締めて、「駄目じゃ!」と声を張り上げた。
「四ツ葉は何も悪くないぞ!? 妾のことを守ってくれたのじゃ! 四ツ葉は悪いことをしておらぬのじゃ!」
「いやだなー、お嬢さま。私は何も企んでいませんよ。ちょっとさっくり、四ツ葉さんの大事なところを斬り落とそうかなって思っているだけですってば」
「ま、待て! やめるのじゃ! 腕か!? 足か!? これ以上、四ツ葉を傷付けるのはやめるのじゃ!」
七乃は望んだことをなんでもしてくれる、そして言ったことは必ずやってのける。
「いやー、これは思っていた以上に拗らせてますねー?」
そんな呑気な声を口にするのは先程、知り合った程立だった。
「そうじゃ、程立! お主も何か言ってたも! ほら、お主も四ツ葉が大事であろう!?」
「んー、たぶん大丈夫だと思いますよー?」
相変わらずの気が抜けた声で根拠のないことを云う、しかし七乃は急に白けた様子で息を吐いた。
「んーもう、仕方ないですねー」そう告げる時は何時もの笑顔で「次はないと思ってくださいよ、四ツ葉さん」と忠告する。
どうやら助かったのだろうか。四ツ葉は青褪めた顔で七乃の横を通り過ぎようとして、その時、すれ違いざまに七乃が「六花さんのお仕置きは四ツ葉さんにお任せしますね」と囁いた。それを聞いた時、四ツ葉が息を飲み込んだのがわかった。
「お仕置きとは穏やかではないですねー?」
そう呟いたのは程立で「おやおや、どなたでしょうか? お嬢さまの悪い虫ですかねー?」と七乃が笑みを浮かべたまま告げる。
「私は程立、字は仲徳。お嬢さまではなくって御主人様に身も心も捧げちゃいましたー、なので御主人様の嫌がることはあまりして欲しくないのですがー?」
のんびりとした声で懇願する程立に「いえいえ、ご安心ください」と晴れやかに七乃は指を立てる。
「むしろ安全で気持ちいいお仕置きなんですよ。四ツ葉さんは勿論、六花さんも喜んでくれること間違いなし! それに彼女、可愛いもの好きですし?」
「喜んで? んー?」
未だ青褪めた顔をしている四ツ葉、それを見た程立が訝しげに眉を顰める。
そんな彼女に七乃は何かを耳打ちすると「おー」と感心するように、何処か楽しげに声を上げた。
「それでしたらー、後学のために私も同行してもよろしいでしょうかー? きちんとお仕置きするのか心配なのでー、それにお姉さんの可愛い顔に付いているブツも気になりますしー?」
「ええ、まさしく名門袁家の懐刀。名刀ではありませんが? 粗末なものでよろしければ、ぜひぜひー」
つい先ほどまで四ツ葉を庇っていたはずの程立が耳打ちされてから心変わりしてしまった。
分かり合ったように笑い合う二人、
「程立さん、お仲間と逸れたのではありませんでしたか?」
妙に口調が丁寧な四ツ葉に「あの二人なら問題ありませんよー、あとで私の方から連絡を入れておきますー」と何処か楽しげに言葉を返した。
これからなにが起きるのか七乃に問うても教えてもらえなかった。
後日、妾は程立と一緒に部屋で御茶を飲んでいる。
常日頃から業務に追われている四ツ葉と六花と遊べる時間は少なく、七乃も仕事のために妾の側から離れることは少なくない。なので誰もいない暇な時間を程立と一緒に過ごすことが増えた。程立と一緒に居るのは嫌いではない。七乃のように我儘を云える相手ではないが、話をしていても不快にはならないのだ。
誰も居なくて暇なときは程立を呼ぶことが多くなった、少し前までに比べると心を許すようになったと思う。
「……妾は悪いのかの?」
ふと零してしまった脈絡のない言葉。
今でも想起される血の臭い、四ツ葉とお忍びをした時のことが頭から離れなかった。
「今更ですかー?」と呆れたように程立は口を開いた。
「それでも自覚できたなら四ツ葉さんも絞られた甲斐があったというものでしょうかー?」
「絞られた? そういえば、あのあとのお仕置きで何があったのじゃ?」
「いえいえ、それは四ツ葉さんの尊厳に関わることなのでー、四ツ葉さんから話を聞いてください」
程立は茶を啜り、そして妾を見据える。
もう結構な日が経つが、彼女は妾に真名を許していない。
何故かその理由を聞くのは躊躇われる。
「私は貴方の教育係ではないのでー、あまり口出ししたくはないのですがー。あの人に目を付けられちゃいますしー」
そう言いながらも程立は妾をじっと見つめて、そして何処ぞを眺めて、大きく息を吐いた。
「そうですねー、強いて助言をするのでしたらー、こんなところで茶を飲む暇があったら、もっと城を歩き回るのは如何でしょうかー? 街中はあの人が居るから自由に行き来するのは難しいですけどー、城内であれば自由に歩き回れると思いますよー?」
程立は退屈そうに溜息を吐いて、「これからの貴方次第ですかねー」と呟いた。
その言葉の意味が妾にはよくわからなかった。