早いものでもう年の瀬になりました。今年は途中から更新頻度が遅くなるなど、本作をお読みになられておられる読者の皆様にはご迷惑をお掛けいたしましたが、来年もまたよろしくお願いいたします。
本年最後の投稿は、前回投稿分の続きである閑話編です。
年が明けまして、次回投稿分より沙耶香編に移って参ります。
それでは、どうぞ。
ー千葉県市川市 某寺ー
さて、なんやかんやあって鎌倉の本部を後にした二人は、倶晴*1が待っているであろうとある宗派の寺院に足を運んでいた。
「北野さん、本当にここにいらっしゃるんですか?」
「って聞いてはいるんだが、見渡す限りの立っていそうなところには全然姿が見えないな。」
「……もしかして、来るお寺間違えましたか?」
「まさか。実家の住所はここで合っているし、来る前に一通り調べて確認したが、このお寺は厄祓いもしているそうだから、北野の言っていた場所はほぼ間違いはないはずだぞ。それより、厄祓いの準備はできているんだよな?」
「そりゃもう、ばっちりですよ!これで弟にも心配を掛けずに済むなら、神様だろうが仏様だろうがいくらでも頼りますよ。」
「……まあ、無理はするなよ。」
気合い充分な意気込みを語る千里を横目に、彼は彼でこの少し前にあった出来事を思い返していた。
それこそ、千里をここへ連れてきた理由なのだが。
ー刀剣類管理局本部 彼の部署ー
遡ること一週間ほど前。
この日、彼は同僚の誠司や里奈のほか、千里をはじめとした実働部隊の面々と共に仕事を捗らせていた。書類仕事とはいえ、こうもデスクワークの日々では血行も悪くなるうえに、体も硬くなりがちになる。
そんな仕事もほぼ終わりかけ、千里が座りながら上半身だけ伸びをしていた時だった。
不意に誰かから声を掛けられる。
「四条さん。」
「あれ、北野さん?お疲れ様です。」
その声の主こそ、倶晴だった。
普段の業務ではそこまで極端に関わるわけではないのだが、精神面や人間の行動心理において生徒達のケアに携わることがしばしばあることくらい、千里もよく知っていた。
そんな彼が、あまり接点の多くない自分に声を掛けてきたことが意外だったので、思わずキョトンとなり驚いた。
「今少しだけ、お時間を頂いてもよろしいですか?」
「それくらいは構いませんが…、一体どうしてまた私に?何か、また仕事上でミスでもやっちゃいましたっけ?」
「あ、いえ。そうじゃないんです。……つかぬことをお聞きしますが、四条さん。貴女、ここ一年くらいご自身か周囲の家族に何か不幸な、あるいは危険な出来事に遭遇したことはありませんか?」
「?――それなら、ここ数年はずっとそんな感じですよ?先日の件もそうでしたし。」
特に不思議がることもなく、そう答えた彼女。
倶晴は、不幸が連続して襲ってきている身であるにも関わらず、あまりにもあっさりした返事を返した千里に少し驚きつつも、ああ、やっぱりか、と頷いたうえでこう告げた。
「四条さん。悪いことは言いません。どうか、お祓いに行かれてください。命に係わる怪我を負ってからでは遅いです。」
「えーっと、その。……これでも、あちこちの病院のほうで診察は受けてきているんですよ……。骨折とか、内臓の損傷とか、頭も時々負傷することがありましたし。今じゃ、本部の特祭隊病院に通うだけで済んでいますけど、その前は保険証と沢山の医療機関の診察券を持って出かける日々でしたから。」
「……僕自身、こんなことを言うのもどうかとは思っていますが、今までその状態でよく生きていられましたね?」
「私もそこは凄い不思議なんですよね~。○○さんと会って以降はタンスの角に足の指をぶつける程度で済んでいますし、もしかしたら私、○○さんの何かに護られているのかもしれませんね。」
「は、はあ。」
(……メンタルが鋼のような人だなあ。あるいは、あまりにも不幸事に遭遇し過ぎて感覚が麻痺してしまったのか……。)
余りの案件の闇深さから、俱晴はこれ以上の詮索を止め、千里に再度の念押しを仕掛ける。
「ともかく、近いうちにお祓いはしてもらってください。もし知らない人間にされるのが嫌というなら、付きっきりで僕が祓ってみせますから。」
「え、本当ですか!?じゃあ、お願いします!!」
(そ、即答っ!?)
迷いなく、食い気味に提案を受け入れた千里の姿勢に戸惑いながらも、どうにか倶晴の説得は成功した。
「――というわけですので、今週末四条さんを私の実家の方で視てもらったうえで、彼女のお祓いをさせてもらいたいのですが。よろしいですか?」
「それは別に構わないが、……何で俺に許可を貰いに来たんだ?」
「休みを言いだしやすい上司が○○さんでしたので。それに、いきなり休んだら休んだで僕らのことを捜されようとするじゃないですか。」
「それはまあ、そうなんだが……。」
千里と別れた俱晴は、彼のもとで週末の休暇許可を貰いにやって来ていた。
本来のシフト上では俱晴はともかく、千里は勤務日にあたったので彼のほうに事前許可を求めたのだ。
「何か問題があるのでしょうか?」
「強いて言うなら、俺は北野の能力がよく分からないってことか。中島とかからは聞いているが、霊的な存在を見分けられて、尚且つ祓うこともできるとかどうとか。」
「凡そその認識で正しいと思います。まあ、霊と言うよりは人のストレス、というか溜め込まれた負のオーラのようなものがよく見えるというだけですかね。ここの部署の方にも色々試してみましたが、四条さんと○○さんに関しては簡易的な対処法が全く役に立ちませんでしたので、四条さんの身を清めるにせよ、本格的に力を試せる場所でないと難しいかな、という話です。」
「ふーん?なるほど……。そういうものなのか。」
彼も直接目にしたわけでもないので、何とも答えにくそうに俱晴へ言葉を返す。
「何でしたら、○○さんも僕の実家の方へいらっしゃいますか?」
「お寺にか?……まあ、いっか。丁度、実験とか計画案の叩き台とか考えていたら頭が煮詰まってきていたところだったし、リフレッシュも兼ねてお祓い風景を見させてもらうとするか。」
「決まりですね。でしたら当日、四条さんを連れて寺の方に直接いらしてください。」
「お、おう分かった。」
「では、僕はこのあたりで失礼させていただきます。お疲れ様でした。」
「お疲れさん、北野。」
背を向けて去り行く部下に、手を振って送り出す彼。
俱晴が退出すると、同じ部屋に残っていた同僚を呼び起こす。
「んで、糸崎。今の話は聞いていたよな?」
「あ?何のことだ一体。」
「週末、彼女と過ごしたいなら、俺の分の仕事も手伝ってな?」
「うわー、よりによってパワハラかよ。自分の仕事くらいとっとと済ませばいいだろうが。」
「別にこっちの権限使って、半年くらい長船や沖縄に行ってもらってもいいんだぞ?勿論、三原はこっちに残ったままだが。あーあ、三原のことだし、お前が遠方に行ったらきっとショックになるだろうなー。」
「……あー、もう分かったっつーの!!手伝えばいいんだろうが手伝えば。」
「話が早くて助かる。――それと、あとで江ノ島近くにある飲食店のペア食事券渡すわ。回した分の仕事が終わったら、それ使って三原を連れて行ってやれや。」
「……たーく、こういうところがあるからお前のことを憎めないんだよなぁ…。」
その後、本来週末に積まれてあった彼の分の仕事を七割方投げられた誠司は、どうにか週末前までにはその処理を終えることができた。残りの三割分も彼がキチンとこなしたことで、誠司は無事にペア食事券を彼から受領することができた。
なお、誠司と早希の分として手渡した食事券は元々カップル用のものだったこともあって、どのみち使う相手のいない彼では持て余し気味であったことから、処分に困っていた彼としても渡りに船であったのだとか。
この二人はその後、江ノ島の見えるレストランで至福の時を過ごした。なお、場の説明はここでは割愛する。
そして、時系列は現在に戻る。
身を清めるためか、白を基調としたコーデでやってきた千里だが、ここに来るまでの間にも飲み物を溢すなどして少し服は汚れてしまっていた。彼が車内で直ぐ拭くなどして、シミが残らなさそうなのは良かったのだが。
お祓いに来たというのに、行きがけから既に暗雲が立ち込めているような気がしてならないと感じていたのは、今のところ当事者ではない彼だけであった。
「ちなみに、これでも不幸事が続くようなら、四条はどうするつもりだ?」
「う~ん、諦めますかね。」
「ええ……、それでいいのか?」
「ぶっちゃけ何度も死にかけましたし、大抵のことはどうにでもなると思えてきちゃいましたから。まあ、簡単に死んでやるつもりもありませんけれど。裕介が悲しみますし。」
「……まあ、お祓いが上手くいくことを祈っておくさ。」
「そう、ですね。……あれ、あの方は…、北野さん?」
袈裟と草履に身を包んだ恰好で現れた倶晴。
どうやら、彼らが訪れた場所はここで正しかったようだ。
倶晴の方も二人に気が付いたらしく、挨拶をしにやってきた。
「お待たせしました。四条さん、〇〇さん。」
「北野さん、本当にお坊さんの息子さんなんですね。似合っていると思います。」
「あっ、ありがとうございます。ただ背が高いのもあってか、この姿だと怖がられることもあるんですよね。」
「そういうものなのか。俺個人はお前さんのその姿を見て、積極的なアプローチを掛けてくる女子や女性が多そうに思えたんだが。高身長でイケメンな僧侶とか、ネットやSNS上で話題になりそうだし。」
「いや、それは〇〇さん程ではないですよ。刀使の討伐活動に混じって、迫り来る荒魂から鬼神の如く民間人の救助活動に介入するなんて、それこそ都市伝説になりそうなくらいの神出鬼没ぶりじゃないですか。」
「個人的には噂なんてどうでもいいんだけどな。とにかく荒魂による人的被害が抑えられるなら、それでいいし。……流石に仕事にも支障が出るなら、それなりの対処法を考えなきゃならないだろうが。」
「それにしても、北野さん。ご実家のお寺、参拝される方の数が思っていた以上に多いですね。」
平日の昼下がり、しかも雨の降るなかでも十数人が本堂の方に向かって並び、拝礼をしている光景が三人の目に映る。
「厄祓いを行っている寺院自体は多くはないので、宗教上の理由で神社を訪れられない方などは、こうしてウチのようなところへやって来られる方も一定数おられるんですよ。」
「それにしても、よく北野の親父さんは、自分の息子が刀剣類管理局へ行くことを許してくれたな。神社、というか神道という別の宗教に属する組織に対しての反感くらい、宗教家なら多少は湧いてもおかしくないだろうに。」
「どっちかと言えば、他の宗派の様子を見てこい、っていう敵情視察という感じな気もしますけどね。残念ながら、お寺は神社ほど人々の生活に密着しているとは、言えない側面がありますから。」
「確かになぁ……。思いつく限りでも、年末年始や法要とかでしか関わることがないだろうし。普通のお寺なら頻繁にお祭りをやっているわけでもないしなぁ…。四国とかは例外だが。」
「北野さんは、将来お父様のような住職さんになりたいとお考えですか?」
「数十年も先の話ですけどね。父が限界を迎えそうになったら跡を継ごうかと。それまでは自分が生きたいように生きていきますよ。」
「……一応聞きたいんだが、北野の親父さんは、管理局がノロの分祀先としてお寺にも協力を仰ごうとしていることに対しては、どう考えておられるんだ?」
「今のところは何とも、ですかね。ただ、少なくともこの地域で起きた荒魂被害、その時に祓われたノロの保管に関しては協力したいとは言っていましたね。仏様も、それくらいのことなら許してくれるだろうと。」
「そうか。……今後も、お寺のほうには迷惑をかけるな。」
「きっと、今は時代の変わり目なのかもしれません。仏教は、人々が苦難に直面した時にその心の支えとなれるように活動してきた歴史がありますから。『年の瀬の大災厄』を経て、大きな社会不安を抱える人達がこうした場所で心穏やかにすることができるなら、ノロの受け入れだって、この混迷の時代における一つの答えだと思います。勿論、四条さんのように本当に困っていらっしゃる方達の手助けになれるなら、この寺の存続意義はちゃんとあるようなものですから。」
「だそうだが、四条はその準備ができているのか?」
「そりゃ、勿論です。祓っていただけるのなら、尚のことですよ。」
「ふむ。……愚問だったな。悪いな北野、話が長くなって。」
「いえいえ。――さて。お二人とも、これから待合室へご案内させていただきますね。」
倶晴の誘導のもと、二人は本堂近くの事務所へと招かれていった。
御堂近くに建てられている事務所の内部では、何名か寺の関係者らしき人の姿があった。
そのうちの一人である倶晴の父が、三人を待ち構えていた。
出会うや否や、この寺の住職は紅一点の千里に対して声を掛けた。
「貴女が今日、この寺で厄祓いを承りたいとおっしゃっていた方ですか?」
「は、はいっ!!し、四条と申します!」
「四条さん、そんなに畏まらなくとも大丈夫ですよ。うちの父はそんなおっかない人ではありませんから。」
「おい倶晴、第一印象でそんなことを言ったら、私が普段は怖い人間のように振る舞っているみたいに聞こえるじゃないか。」
「まさか。ただ、あまり怖がられてほしくはないと思っただけだよ。それに、今からの厄祓いに関しては、父さんは付き添うだけなんだし。」
「因みに北野のお父様、お一つ伺いたいのですが。彼の能力は本物であると捉えてよいのでしょうか?」
「本物かどうかまでは実際に目にしてから判断していただきたい、としか言えないね。倶晴が、人の気を感じ取ることができるのは本当だろうがね。」
「北野さん、今の私って北野さんから見るとどんな風に映ってますか?」
「ちょっと待ってくださいね。…………以前よりもドス黒いものが、四条さんの後ろから湧き出て見えますね。」
漆黒。
そう表現するしかないほど、千里の背後からは、まるで怨念でも滾らせているかのように、黒々とした何かが取り憑いていた。
(…………これ、今の僕の力で取り除けるのか?)
ヒヤリと背中を滑り落ちる、一筋の汗。
今まで祓ってきたものとは明らかに次元の違う、生存本能が無意識に警告を発してくるほどの禍々しさが、彼女の背中から溢れ出ていた。
どうして彼女はこれでいて平気でいられるのか、倶晴はにわかには信じられず、理解できなかった。
「あの、四条さん?なんで、平気なんですか?」
「何がですか?」
「い、いえ。こちらの話です……。」
あまりの衝撃に、倶晴は自身の父にありのまま彼女の状態を耳打ちする。
(……父さん、もしかしたら四条さん、僕のできる厄祓いの能力の範疇には無いかもしれない。)
(――!?……お前にも対処できないほどのものを彼女は抱えているというのか!?なら、私にはもっと無理だぞ!!)
自身よりも霊感などの能力が上回っていたことを理解していたために、最近の厄祓いは倶晴に任せっぱなしだったこともあってか、倶晴の父はただただ唖然とするしかなかった。
そうであるが故に、息子に全て託すしかないと。
「倶晴、無理だと思ったら進行を止めていいからな。」
「分かったよ、父さん。四条さん、ではあちらの方へ。」
「あ、はい。分かりました。○○さんは私の隣か、後ろに居ていただければ助かります。」
「何か不測の事態が起きた時に備えてだな。了解した。」
「……倶晴、今更だが彼女の隣にいる男性は一体誰なんだい?」
「ああ、僕が今お世話になっている部署の責任者の方だよ。年齢が近いから上司って言い方は止めてくれって言われている関係で、そんな言い回しになっているけれど。」
「そう、なのか。」
(……彼女に隠れて気が付かなかったが、彼の方はむしろ晴れ晴れしたように背後が明るい。何か憑いているにしても、多分守護霊や、悪霊の類いではないものが後ろにいるのだろうな。)
住職は、離れつつあった彼の方も視ていたが、こちらはここで祓う必要はないだろうとあっさり結論付けていた。
そんな分析がなされていることなど知らない彼は、倶晴と千里に連れられるように、本堂の方へと足を運んでいった。
本堂では、仏像が鎮座する前に椅子が幾つか置かれてあった。
二人は俱晴に促されながら、千里は仏像と正対するように、彼は彼女の右隣に座る。二人の見えない位置では、俱晴の父が息子の儀式を慎重に見守っていた。
「それでは今から、四条さんの厄祓いを執り行います。できる限りリラックスしてくださいね。退屈でしたら、目を瞑っていただいて構いません。」
「あっ、はい。」
(……さて、もう一度四条さんを視てみましょうか。)
俱晴は厄祓いの儀式を進めつつ、千里の背後に憑りついているであろう何モノかを見極めようとしていた。彼が依頼人から取り除くことができるのは、弱めの悪霊であったり、心理的に溜め込まれている負の感情、言ってしまえば可視化されたストレスの塊くらいなものである。
このため、千里のような担当例は初めてであり、同時に高難易度の対応が要求されるであろうことも判っていた。
俱晴はまず、千里の背後に憑りついているであろう霊的存在にアプローチを試みた。
(……四条さんに憑りついている者よ、僕の声が聞こえますか?)
『…………其方は何者であるか。』
(僕は、お寺の見習い住職です。あなた方で言う、祈祷師のようなものでしょうか。)
『そのような者が、一体我に何の用か。』
(今あなたが憑りついているであろう少女とあなたを引き剝がし、あなたを浄化しようと試みているのです。その前に、あなたが彼女に憑りついている理由をお聞きしたく、あなたに接触させていただきました。)
『何故、そのような面倒事を我に話す?』
(外から見ると明らかに黒々とした御姿なのですが、話してみないことには判断がつけようにありませんので。少なくとも会話はできそうなので安心しました。)
割と平静そうに装ってはいるものの、現代科学においてなお未知な存在である霊のような類いのモノと会話ができている時点で、彼の心臓はバクバクと鼓動を打ち続けている。
分からないというのがここまで血の気を引かせてくるのか、俱晴の頭の中では、そんな得体の知れないものへの勝算が見出せない恐怖がちらつき始めていた。
それでも、死の恐怖が常日頃から迫っている目の前の少女のためにも、逃げ出すという選択をするわけにはいかなかった。
『祓う対象に対してそんな戯言を持ちだすとは、面白い人間だな。』
(お褒めに預かり光栄です。)
『して、其方の望みは我を滅したいと申すのか?』
(いえ、別にあなたに恨み辛みもありませんし、何か理由があって現世に留まっているんじゃないかと思いまして。封じたいとか滅したいとかは正直手段でしかありませんので。)
『ふむ。我は、この
(立ち上がる姿?)
『そうだ。元々、小さな
(……それで、ずっと彼女に不幸事が降りかかり続けたわけですか。)
『ん?確かに我はこの女子に憑いてはいるが、我が手を差し出したのは精々この女子が直接近寄った時に手傷を負うような程度のものぞ。物は扱えようが、人間を動かすことなど我には出来ぬ。』
(……つまり、他の人間を動かすような真似はしていない、と。)
『我は単に己の責任で苦しむ様を望んでいるのであって、他者の悪意には無関係であるぞ。特に、その女子の隣に座っている者がいる間は、我もあまり行動したくないのだ。』
(なるほど。)
つまり、彼が千里の隣あるいは近くにいる間この悪霊は弱体化しているということだ。
その理由はよく分からないようだが。
『それに、我が手出しせずとも、この女子は不幸事を呼び込む素質があるようでな。その莫大な負の力が我の中に吸収され続けているのだ。それでも、この女子は決して折れぬ。常人では即座に折れているであろう状況であるはずだが、常に前向きに考えておる。いつからか、我はこの女子の成長を見てみたくなったのだ。』
(…………悪霊だと分っていても、こんなことを話されると、なんだかすぐに祓おうという気にはなれないですね……。)
『まあ、我もそろそろ祓われるやもしれぬ頃合いとは思っていたがな。まさか、我に言葉を交わそうとする者が現れるとは、誠不思議なこの現世よ。』
(ちなみに、あなたは所謂土地神のかたなのですか?)
『我は名も無き放浪霊よ。悠久の時を経て、我も意図せぬうちに負の感情を好む悪霊と化したが。』
(幾つかお聞きしたいのですが、あなたはこの現世から消えたいのですか?それとも、何かしらまだ行動を起こしたいなどの希望があると?)
『うーむ。我はまだ幽世に送られるつもりもないが、かと言ってここしばらくはこの女子の成長に満足しておったからのう。正直、何年かは人間に憑りつかずに済むのならそうしたいのだが。』
(……器が要りますね……。)
俱晴も俱晴で、できることならこの悪霊を祓うのは避けたかった。未だ自身の実力が及ばぬ存在であるうえ、意思疎通が行える以上はこの存在との落としどころを見出したかったのだ。
(あ、なら一度ウチの寺への奉納品であなたの依り代になるモノに移ってもらい、そこから先は今度併設されるであろう祠に入っていただくのはどうでしょうか。)
『祠?』
(ええ。その祠には近くで祓われるノロを受け入れる予定です。負の神性を帯びているノロから、あなたが吸収している負の感情を取り込むことができれば、あなたにとってもいいこと尽くめでしょうし。何より、人に危害を加えることなくノロ達と戯れることもできるでしょうから。)
『……この居心地よい女子から離れるのは名残惜しいが、これも何かの導きやもしれぬな。いいだろう、其方の計略に我も乗るとしよう。』
(感謝します。)
『して、最後に聞いておきたい。其方の名は何ぞ?』
(北野俱晴、と申します。)
『俱晴よ、其方の力は己や周囲の人間を幸にも不幸にもする強大なものだ。適切に使わねば、身を滅ぼす代物であることは理解して扱うがよい。』
(……ご忠告感謝いたします。)
ともあれ、千里に憑りついていた悪霊は、彼女の身体から離れることを決めた。
彼女の長年の悩みであった、怪我の発生要因の一つを取り除くことは叶いそうである。
厄祓いが終わったのは、開始してからおよそ一時間後。
冷や汗をダラダラ流しながらも、無事に儀式を終えることができた。
今にも倒れそうになっていた俱晴に、住職が駆け寄った。
「俱晴、大丈夫か?」
「父さん、まだ魂入れを行っていない仏像があったよね?それを一つ、こっちに持ってきてもらえないかい?」
「それは構わないが、一体何をするつもりなんだ?」
「四条さんの後ろにいる霊を、魂入れを兼ねてその仏像を依り代にして移ってもらう。その霊と話はつけてあるから大丈夫だよ。」
「……分かった。すぐに持ってくる。」
住職は俱晴を近くの椅子に座らせると、倉庫の方へ向けて駆け出した。
だいぶ消耗している様子だった倶晴に、彼と千里も寄ってきた。
「北野、大丈夫か。」
「○○さん。……正直、貴方がいてくれて助かりました。四条さんの方は恐らくどうにかなります。」
「本当か!?」
「ええ。――結論から申し上げます。四条さんの背後には、一般で言う悪霊が居られました。」
「うえっ!?そうなんですか!?」
「はい。ですが、他のモノに移ってもいいという風に話をつけましたので、これから先それを原因とした災難には遭わずに済むと思います。」
「そうなんですね。良かった~。」
安堵の溜め息を漏らす千里。それを見た彼も、少し安心している様子だった。
(……それにしても、○○さんの背後には一体何があるんだろうか?あれ程の禍々しさのあった悪霊すら、その動きを制限されるようなモノがあの人にはあるということなんだろうけれども……。)
俱晴はこの厄祓いを経て、自身にしか分からない彼への謎が深まったように思えた。
彼自身が気付いていない何かが、彼だけでなくその周囲を守っているというその事実に。
(……取り敢えず、今度春日井さん*2あたりに話してみるとしよう。気になって調べてくれるかもしれないし。)
今はともかく、次の難題に備えて息を整えることを優先した。
その後、千里にもう一度協力してもらい、彼女に憑りついていた悪霊を仏像の方へ移すことに成功した。ノロの貯蔵庫兼祠が出来上がるまでの間は、俱晴が自身の部屋に仏像を安置し、時には精神世界で悪霊と話す機会を持つこともあった。
ノロの祠ができて以降は、俱晴と離れることを寂しがりながらも、悪霊は彼の狙い通りにノロ達の負の感情を吸収し、地域の人々の参拝風景を望みながら、その負の感情さえも吸収する吸着剤と化していった。
以後、俱晴がこの世を去るまで悪霊は彼の一生を見守り続けた。
後日談として、互いの存在が永遠にも等しいノロと霊の不思議な共存性研究は、俱晴の実家の協力のもとで進められ、地域の人々からは『仏様がノロと幽霊を見守る不思議なお寺』という印象を持たれることになった。
オカルトを科学的に証明する場としても、このお寺の存在は欠かせないものへと化していく。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
本年も残りわずかとなりましたが、皆様方が健やかに新年を迎えられることを祈念しております。
それでは、また。