刀使の幕間   作:くろしお

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どうも、くろしおです。
投稿がかなり遅くなってしまい、申し訳ありません。理由は後書きにて書かせていただいております。気付けばもう四月、早いものです。

今回は姫和編その13 後編です。
二人が舞草の里に入って、少し経過してからの話となります。

それでは、どうぞ。


⑱ 南紀横断任務 後編

 ー舞草の里 宿泊施設ー

 

 紫の中にいたタギツヒメを討つ以前、舞草の人々と合流した際に、可奈美達と寝食を共にしたこの建物。あれから一年ほど経ったが、姫和にはその時の記憶を思い出す度に懐かしく感じてきた。

 

「あの時泊った大広間は、今でもあまり変わっていないようだな。」

「大人数が泊れるような場所も、ここら辺ではそう多くないしな。ここに気兼ねなく泊まれるって意味でも、舞草の人間であったことは良かったところだ。自然溢れる空間だから、色々忘れて休められるし。」

「そういえば、お前が里に滞在していた時はどこに居たんだ?私達と同じ建物では見掛けなかったが。」

「俺と姫和が最初に会った屋敷があっただろ、あそこだ。それ以外で急いで出ないといけない時は、レンタカーの中で車中泊もしたが。」

「ちゃんとしたところでゆっくり休まなければ、任務や業務に差し支えるぞ。分かっているんだろうな?」

「まあ、その点は分かっちゃいるんだがな。急な呼び出しとかあったら、すぐに現地に向かわなきゃならないし。しかも、当時は舞草の人間とバレないように立ち回らなければならなかったから、余計に大変だったんだよ。…今となっては、本当に朱音様には頭が上がらないよ。」

「さて、ここは閉めるか。私達の部屋に向かおう。」

 

 大広間の襖を閉め、二人は各々の荷物を持ち運ぶ。

 

 

 

 

 二人が通された部屋は、八畳分の畳が敷かれた和室であった。内見したところ、それはごく一般的な旅館にあるような、広々とした部屋だった。中央には机が、部屋の隅には二組の布団が畳まれてある。奥には広縁もあり、酒好きの人間ならば夜空を見ながら晩酌をすることもできそうだった。

 最も、こんな雨降るなかでは、景色を楽しむこともできそうにないだろうが。

 

 通された部屋を確認すると、幾ら鈍い二人、特に彼といえども、今日寝泊まりする部屋がここであることを察するまでに、そう時間は掛からなかった。それは姫和もまた、同じであった。

 状況を把握してか、姫和が彼に訊ねた。

 

「お前、部屋は別々に取らなかったのか?」

「ん~、部屋の手配は朱音様を通してここの人に任せたからな。たまたま、空き部屋がここしかなかったってことなんだろ。多分。」

「そうなのか。……いずれにせよ、朱音様の厚意に甘えるとしよう。」

 

 そう言って、姫和は部屋の一角に荷物と《小烏丸》を置く。

 彼も諸々の荷物を置き、背負われていたウェイトから解放されたことで、ようやく身体の自由が利くようになった。

 

「ふぃ~っ、重かったぁ…。」

「だから言っただろう、要らない物が多いと。」

「万一の時の保険だからいいさ。まあ、時々体は痛むがな。」

「……お前、私が居ない時に重い傷は負ってないだろうな?」

「いいや。姫和が居なかった時の心理的ダメージ以外は、別にこれといったケガもなかったぞ。」

「そうか。それなら、いい。」

「……?まあ、それはいいんだが、この後どうする?夕食は出してくれるらしいし。その間、まだ時間がありそうだからさ。」

「……なら、少し里の中を歩いてもいいか。」

「外は……、雨が酷そうだな。安全な道で回れるところだけ、回ってもいいか?」

「ああ。」

「あ、そういや傘あったっけ…。」

「無ければ、ここで借りても問題はないはずだ。…それに。」

「それに?」

「何でもない。さ、下りるぞ。」

「おっ、おう。」

 

 姫和が外に出ようとするので、彼も支度を済ませてエントランスへと向かう。

 

 

 

 

 二人は、宿泊施設側に一度外へ出ることを伝えた。その際、傘が見当たらなかったため借りようと思い、その貸出交渉に移っていた。

 のだが、交渉を終えた後の彼の表情はどうも冴えなかった。その彼の手元にある傘は、一本であった。

 

「一本だけ貸して貰えたか…。いや、雨を凌ぐには一本あれば十分なんだがなぁ…。」

「なんだ、何か問題でもあるのか?」

「……姫和、俺と相合い傘って嫌じゃないか?あれだったら、姫和が一人で使ってくれよ。」

「……それもいいかもな。」

 

 だが、と言って彼女はその提案を断る。

 

「お前が風邪をひいて、私に感染(うつ)されたら困る。……それに、お前は私が隣にいるのは嫌なのか。」

「そんなわけないだろ!…あっ、すまない。」

「…ふふっ。そんなに慌てなくとも、私は逃げないぞ。――だから、もっと私の傍に寄ってくれ。」

 

 彼は、彼女の向けた穏やかな笑みに、今まで抑えてきた感情を爆発させそうになった。もちろん、それは彼女を傷つけるものの類いではない。

 気付いた時には、姫和の身体を抱きしめていた。嫌がられるのでは、と思った彼だが、彼女はそれを特に抗うことなく、我が身を委ねているようにも見えた。

 

 自分から起こした行動とはいえ、予想していなかった姫和の態度に、正直彼も引き時を見極められずにいた。

 それからしばらく、二人は出入り口の前で固まったままだった。

 

 

 

 

 

 

 そんなことがあった後だが、結局二人は里の散策に移った。

 

 姫和との相合い傘となったわけだが、不思議と落ち着いた雰囲気が流れる。

 季節雨が周囲の雑音をかき消し、鼓膜には二人の足音と、サーという雨音だけが強く聞き取れた。お互い言葉を交わさず無言ではあったが、傘の内側でくっつくようにして並び歩く。

 

 ノロを祀る祭りをやった大社までは、思ったよりもまだ少し距離があった。雨が降っている関係で普段よりもその道のりが長く感じられる。ふと横を見やると、隣の彼女の吐息が白く目で追えるものになっていたことに気付く。

 

「寒くないか、姫和。」

「平気だ。…まあ、この雨だ。少し羽織るものでも持ってくれば良かったかもな。」

「羽織れるものはないが、このタオルを使ってくれ。体に障ると悪いだろ?」

「助かる。……少し和らいだみたいだ。」

「それはよかった。―お、鳥居が見えてきた。そろそろ御社だな。」

「思えば、ここで初めて、私とお前はまともに話したんだな。」

「そうだな。あの頃はまだ、姫和が警戒を解いてくれなくて困った時期だったなぁ。……原因の一端は確かに俺の行動なんだが。」

「そんなこともあったな。…だが、縁とは不思議なものだ。そうしているうちに、いつの間にかお前とこうした仲になっていた。月日が流れることが悪いことばかりでないことも、お前には教えてもらったからな。」

「それはきっと、姫和自身が決めて歩んだ道だろうよ。俺は、可奈美や他の刀使達に比べて何もしてないさ。結局、姫和が危険な状況に置かれても、それを完全に防ぐ方法を俺は見つけられてないし。」

「……聞いていたのか、私のことを。」

「イチキシマヒメと融合した影響、それはいずれ姫和の前に何かしらの形で現れてくるはずだ。……それでも、俺は姫和が笑って過ごしていける未来を選びたい。たとえ、何人と差し違えてでも俺は君を守りたい。姫和が戻ってきてから、この想いは強まり続けている。篝さんが残した未来を、潰えさせるわけにはいかない。」

「……お前、私を遺して死ぬ気か?」

「そんなことはまっぴら御免被るがね。……でも、起こり得る最悪を想定しないことは、俺のポリシーに反するんでな。守りたい人を守れず悔やむのは、もうあの日で止めにしたい。黄泉がえったような奇跡的な出来事は、二度は起こらないだろうから。」

 

 少しだけどこか遠くを見やった彼。姫和が覗き込んだその顔は、どことなく寂しげなものだった。

 その表情もすぐに立ち消え、目線は祭殿の方に向いていた。

 

「さて、参るとするか。」

「……ああ。」

 

 姫和はつい、彼に自分のことで命を懸けようとするのは止めろ、と、そう言いたくなった。

 しかし、姫和も内心では彼の言葉を理解できていた。恐らく彼の懸念は、遅かれ早かれ的中するのだろうと。だから、彼は先んじて姫和にああ言ったのだろう。取り込んだ時の影響が、最大限にまで拡大した時に備えたいと。姫和だけでなく、他の刀使達を守るためにも。

 姫和は胸の奥底で、もやもやした複雑な感情が湧き上がってくるのを実感した。

 

 その後二人は、御社の階段の最上段を抜け、最後の鳥居を潜り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 参拝を終えた二人は、設置されているおみくじを引いて、それを境内の指定の場所で括り付けた。

 

「さ、帰るか。」

「そうだな。」

「姫和は、何か願い事でもしたのか?」

「どうだろうな。そう言うお前はどうなんだ?」

「俺は……、好きな人とその友人達が無事に過ごせますように、と。普段の願掛けとあまり変わらない内容だけどな。」

「何というか、お前らしいな。」

「えー、姫和は教えてくれないのかよ。」

「断る。」

 

 にこやかに即答する姫和。これでは聞き出すことが難しそうだ。

 

「それに、こんな近くで願い事でも話してみろ。叶うものも叶わなくなってしまうではないか。」

「意外とロマンチストなのか。」

「単純に縁起の関わる問題だ。ま、今のお前の運気は低そうだがな。」

「それは酷くないか!?」

「ふっ、まあお前の願いが成就すれば幸いなんじゃないか?」

「うぐっ、それは確かになあ…。姫和が嫌がっているなら、その願い事を深く聞こうとは思わないけど。」

「懸命な判断だな。」

「……でも、この雨には感謝しないとな。こうして姫和との距離を縮めて歩くことができるし。」

「…私は、別に…。」

 

 とは言ったものの、傘を持つ彼の腕をぎゅっと握りしめる。その仕草を見て、彼は少しはにかんだ。

 

「ま、気にしたら負けだな。姫和が凍えないうちに帰ろう。屋敷とかは明日、出る前に挨拶していけばいいさ。」

「……そうか。分かった。」

 

 自然と二人の距離はゼロになった。だが、それはあくまで物理的なものでの話だ。

 彼と姫和は、本当の意味で距離感が無くなったわけではない。まだ彼のなかで、姫和と微妙に心理的な距離を開けている部分があるのだ。心のどこかで、自分の存在が姫和と可奈美達との関係性に亀裂を入れてしまうのではないか、そんな悪い予感がしてならなかったのである。

 告白をしてもなお関係がさして進展していないのは、そうした事情もあったからだ。彼は結局、心身を明け渡してもいいと思える彼女に対してさえ、心理的抑圧が未だに高い状態のまま接している。

 

(はぁ…。姫和が多少は甘えてくれるようになったとはいえ、その代わりに俺は姫和に甘えられない。…迷惑をかけた負い目もあるし、姫和と話すことで意識的なものはだいぶ和らいでいる。けどなぁ……。)

 

 

 時々ではあるのだが、女子と接することで生じた高ぶる感情を、意識的に押し殺すようにしている。異性愛者であり、年頃の男子である以上はそうしたものから逃れられないとはいえ、性的欲求をへし折るか他のことに昇華させようとしてきた。

 だが、それも限界に近づいてきていた。姫和との交際が、皮肉にもこの感情や欲求への歯止めを緩める方向に働きつつあったのが、その理由であった。

 

 感情や欲求は抑えつけたり、あまりにも長い期間我慢し続けたりすることは、精神衛生上では大変好ましくない状態だ。その状態を放置した結果がどのような事態を引き起こすのか、それを知らない彼ではない。

 それでも、彼は姫和にそのことを話そうと思わなかった。個人的な問題を、彼女にぶつけるのは何かこう、違うのだろうと。

 

(拗らせたらダメなのは分かっているんだが、どうしても姫和の負担になるような行動は避けたいというジレンマがな…。…糸崎と三原のような関係性って、案外難しいもんなんだな。)

 

 あの二人(バカップル)を比較対象に挙げるのは少し違う気もするが、出来ることなら彼も姫和と二人の時くらいはあんな風にベタベタしたいと思っている。思うだけなら誰にも迷惑は掛からない。

 二人の関係が進展しないのは、やはり彼がヘタレなだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 御社での参拝を終えて、降りしきる雨からそそくさと逃げるように宿泊施設へと戻った二人。雨に浸った傘の水滴をなるべく払落したうえで、彼は借りていたものを返却した。

 

 部屋に戻ると、姫和が、穿いていたストッキングを雨に濡れたので脱ぎたいと言い出したので、彼は一度部屋を離れて、建物内を回ることにした。

 姫和の方に向かなければ部屋に居てもいいのでは、と彼女に聞いてみたものの、

 

『お前がそうだとは思わないが、私が脱いでいる音で興奮する奴も世の中にはいるからな。私の身の安全のためにも、少し離れていてくれ。』

 

 と言われる始末だったため、不承不承ながら姫和のそばを離れることにした。

 

 

 そのタイミングでちょうど夕食、もう時間的には夜食の部類に入るのだが、彼は女将さんが部屋に向かって料理を載せた御盆を運んでいる姿を目にした。

 

「あ、女将さん。夕食の準備が出来ていらしたんですね。」

「ええ。お二人がお戻りになったら、これをお出ししようと思いまして。」

「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって。」

「いいんですよ。今日はお二人ぐらいしか泊まりに来ていらっしゃらないですから。それにこの雨ですし、これ以上来られるお客様はもう居られないでしょう。」

「そうなんですか。」

「ええまあ。あ、お二人には元気になってもらうように朱音様からお言葉を授かっておりますので、お出しする料理にも腕を振るわせていただきました。」

「ありがとうございます。」

「滋養強壮と健康に優れたものをお出ししますので、疲れた体を回復するにはいいものだと思いますよ。」

「あ、そ、そうなんですね。楽しみにしておきますね。」

「はい。あ、もうすぐお出しできますので、一度部屋に戻られていらしてください。」

「分かりました。」

 

 女将が厨房の方に向かって姿が見えなくなると、彼は急いで泊まる部屋に戻った。流石にもう、姫和は着替え終わっているだろうと。

 

 

 

 

 ドアノックの後、姫和から入室許可を貰い部屋に入った彼は、制服姿から一転して室内用の浴衣に着替えていた彼女の姿を目撃する。

 

「あれ?姫和、制服は?」

「少し濡れていたからな、今は広縁に干している。」

 

 彼女の指す方向を見ると、平城の夏服が見事に吊るされていた。その隣には、彼女が穿いていたであろうストッキングも視界に入る。

 

「女将さんに頼んで乾かしてもらえば良かったのに。」

「そこまで酷くはないからな。それにお前なら、別にこうして干しても問題はないと思ったまでだ。」

「……俺がとんでもない変態だったらどうするんだよ。」

「その時は、――斬る。」

 

 口元は少しだけ笑っていたが、目は全く笑っていなかった。

 その表情を見て、彼は殺気を回避するべく当たり障りのない答えを返す。

 

「何もする気はないから大丈夫だ。」

「…本当に何もしないのか?」

「えあっ、ま、まあな。」

「……そうか。」

 

 彼女の発する殺気は無くなったが、今度はなぜかシュンとしてしまったので、彼は何か余計なことを言ったのではないかと思ってしまった。しかし、何が間違いだったのかなど、鈍い彼には分かりもしなかった。

 そんな折、廊下の方から声が届く。

 

『お待たせしました~。お夕食のご準備ができましたので、失礼させていただきます。』

「あ、どうぞどうぞ。」

「…すっかり冷えたからな。ここの料理は美味しいし、気分も落ち着くだろう。」

 

 そうして、二人は夕食に移っていく。

 ちなみにこの日のメニューは、牡蠣入りのすっぽん鍋や山芋をすりおろしたとろろご飯という、文字通り精も体力もつく料理であった。

 彼は、あの女将の言っていたことは本当だったのかと、自分の現状認識の甘さに少し呆れてしまった。確かに、同じ部屋で男女一組で寝るとなれば、女将たちのささやかなアシストは多分に素晴らしいものだとは思う。

 ただそれが、彼にとっては自身の欲求と理性との耐久力勝負に変わってしまうのが、非常に残念な話ではあったのだが。

 

 

 

 

 その後、彼と姫和はそれぞれで入浴を済ませ、遅くならないうちに眠りに就いた。この際、お互いの布団は隣同士にくっつけたのだが、姫和は姫和で以前からの疲労がもとで早々に寝に入り、彼は彼で高ぶる下半身と理性との根競べ勝負に挑戦しながら、いつの間にやら深い眠りに就いていた。

 結局、そんな状況では一夜の過ちなど起こる筈もなく、そのまま清々しいほどに空気の澄んだ朝を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が目を覚ますと、隣で寝ていたはずの姫和の姿は無かった。あるのは、掛け布団が半分ほど折り返された光景と、ほぼそのまま残されていた身の回り品の数々であった。

 

「…なんだ、寝ぼけてんのか俺…。」

 

 二度寝しようとも思ったのだが、つい姫和の布団のほうに寝返りを打つと、少し前まで居たであろう彼女の身体の温かみを感じ取った。言い換えれば、彼女はここには居ないということでもある。

 

「……姫和を、探してくるかねぇ…。」

 

 そう思って布団から出ると、彼の荷物の上にメモが置いてあった。それを拾い上げて読む。

 その字は、紛れもなく姫和のものであった。

 

『露天風呂で先に朝風呂を浴びてくる。PS:お前が起きてこなければ、私はとっとと上がる。来たければ来い。』

 

 それを読んだ彼は、一度冷静になるためトイレに籠った。

 理由は簡単、あのメモをどう読み解くか、である。幸か不幸か、今朝の彼は冴えわたるほどにシラフだ。そして、頭を抱えた。

 

「……姫和なりの誘い受けなのか、アレ?いやまあ、確かに昨晩はそのまま寝たけどさ。…行っていいのやら…。」

 

 欲求に忠実な男なら、あんな文章を読んだら最後、即座に露天風呂へ向かうだろう。しかしながら、彼にはそんな行動を取れるほどの甲斐性は無かった。他者を重んじるが故に、一度立ち止まって考える必要性に駆られたからだ。

 とはいえ、起きてあのメモを読んだ以上は、心象的にどうにもスッキリしない。そのモヤモヤを抱えつつもこのまま気付かなかったフリをして、ここでそのまま寝たふりをするのも一つの選択だ。それで姫和がショックを受ける可能性があることを考慮しなければの話だが。

 その前に、普段の彼の慎重さを彼女は想定しなかったのか、という疑問も湧く。

 

(……俺の中での一線を超える時って、今なのか?)

 

 今ならまだ引き返せる。彼女をより悲しませるような選択を採らないことだってできる。

 それでも、彼は冷静に考えた。踏み出して後悔することと、そうせずに後悔すること。どちらが彼だけでなく、彼女にとってもいいのか、と。

 

 

 

 

 幾度もの逡巡と葛藤の末、彼は動き出した。入浴に必要なものを携えて。

 男は足取りを重くしながらも、彼女が待っているであろう露天風呂に向けて歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー舞草の里 露天風呂ー

 

 この日の朝は、夜通し降った雨の影響で少し霞がかったような天気であった。しかしそれも、陽が昇るにつれて晴れていった。朝霧が、日の射すところどころで金色に光輝いて見えた。

 風呂の入り口には、宿泊施設の女将から借りた『貸切中』の看板を下げておいた。少なくとも誰かが間違って入ってくることは無いだろう。そう、間違っては(・・・・・)

 

 艶のある長い黒髪を纏めた彼女は、先に寝汗と少しばかり跳ねていた寝癖を洗い落としてから、水色の湯船に浸かっていた。去年は可奈美達五人と一緒に入ることのあったこの風呂だが、一人だけではどうも広々としているように感じる。事実、その通りなのだが。

 

 

 

 

「…アイツは、私のメモに気付いたんだろうか。いや、私が起きた時は寝ていたから、まさか寝っぱなしという線もあるのか。」

 

 彼が起きてくる三十分ほど前、彼女は先に部屋を出ていた。

 女将に露天風呂を借りたいと言ったところ、彼女はそれを快諾してくれた。しかも、貸切風呂という形でだ。

 女将から昨晩何かあったのかを訊かれたものの、彼女は目を閉じて首を横に振った。女将はそれに少し驚きながらも、こう声を掛けてきた。

 

「きっと、いいことがあると思いますよ。」

 

 それが何を意味するのかは分からなかったが、女将のアドバイスのもと、あのメモを書き置きしていった。そして、入り口にあの看板を掛けたのだ。

 

 彼女も彼女で、彼に思うところがあった。今までずっと、それこそタギツヒメ諸とも死んでやるとまで思っていた時でさえ、異性としては珍しく彼女のことを気に掛け、自分の未来への道を残そうとし続けていた。

 久し振りに再会した時には、自分達二人が失踪していたことで死にかけていた目に、光が戻っていることを実感したのだ。彼は明らかに以前よりも痩せこけていたが、それ以降は元の姿に復調していったことを思い出せる。

 

「私に散々生きる道を説いて来た割には、自分が壊れそうになっていたことを気に留めすらしていなかったな。……まったく、人の気持ちは考えろと言いたくなるがな。」

 

 それでも、彼女は嬉しかった。舞衣や沙耶香、エレンや薫達に再会できたこともそうだが、何度となく心も身体も潰れそうになっていたなかで、ずっと待ち続けていたことが分かるほどに自分を優しく抱き留め、そして泣いてくれたことに。

 男が泣くのはみっともない、そう言われることもあるだろう。それでも、姫和を大切に想ってくれているということを、彼はこの上なくその感情で示したのだ。あの安堵した表情は、きっと忘れられないだろうと。

 

「……アイツは、もう少し私のことを考えられないのか。気を遣うのは分かるが、段々私も女としての自信を無くすぞ。」

 

 最近の忙しさもあるのだろうが、約束は守る反面、前向きな関係の進展はそこまでない。

 口では厳しめな態度を取るが、実のところ姫和もまた彼と一緒に行動できることを喜んでいたのだ。これに荒魂討伐による心身の疲労がなければ、もっと良かったのだろうが。結果的にそれが、彼に姫和のことを気遣わせている一因になってしまっているのだ。疲れているのは彼も一緒だというのに。

 

「……こういうことが、交際する仲で正しいのかは分からないが、何もしないわけにもいかない。『一般隊員』と『刀使』という立場ではなく、『彼氏』と『彼女』という対等な関係で話くらいできればいいのだがな。……アイツもまた、生真面目な人間だからな。」

 

 生憎それは、彼次第といったところなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 姫和が部屋を出て、約三十分。

 冷え冷えする里の空気を吸いながらも、身体の芯からよく温まった彼女は、浴場からそろそろ出ようとしていた。

 

(…結局、アイツは来なかったな。)

 

 一緒に入浴したいのならば、体を揺すってでも来てもらう方が良かったのだろうか。そんなことを思いつつ、お湯を押しのけて出口へと向かう。

 

 そんな時だった。

 

 

 

 

 脱衣所の方から慌てた様子の人影を捉えたのだ。

 そのシルエットは、彼女がずっと待ち焦がれていた人物だった。

 

「姫和!まだ居るか!!」

「んなっ!?」

 

 彼女が進もうとしていた方向から、聞き慣れた男の声が響く。

 思いがけないタイミングで突っ込んできた彼の姿に、姫和は一瞬呼吸を忘れた。

 肩から下はタオルで覆っているため、見られても特に困るものではなかったとはいえ、完全な不意打ちであったため彼の行動によって余裕も何も吹き飛んでしまった。

 彼の方はといえば、姫和の姿を視認すると彼女のすぐ側まで寄ってきた。それでも、少しだけ距離を置いて彼女の目前で止まる。

 

「ごめん、あのメモを読んだ。……遅くなったが、一緒に風呂に入ってもいいか?」

「……ならその前に、一通り体を洗ってこい。話はそれからだ。」

 

 思考停止する一歩手前のところで我を取り戻した彼女は、彼にそう促すと、再び露天風呂へと戻っていった。

 それにしても、まさか本当に来たのか、という彼への期待とも呆れとも取れるような感情が、ふと姫和のなかで湧き上がった。そうであっても、彼が視界から外れた時に、無意識的ながらも彼女の唇は少し下向きに緩んでいた。

 

 

 

 

 少し前まで山間から差し込んでいた朝日は、あっという間に浴場内を明るく照らしていた。それでもまだ霧が少し残っており、幻想的な光景が広がっていた。

 

「隣、失礼するぞ。」

「ああ。」

 

 体を洗い流した彼が、先に風呂に浸かっていた姫和の隣へと肩を並べる。

 

「「…………。」」

 

 お互いが相手にどう切り出していいものやら、取っ掛かりのキッカケが見つからず沈黙してしまう。

 だが、その静寂を打ち破ったのは、彼であった。

 

「しかしまあ、驚いたよ。姫和から、混浴しようと持ち掛けられるなんて。可奈美達は女子同士だからまだ分かるが、異性の俺と入ろうとするとはね。」

「……なんだ、その…、たまにはこういうのも悪くないかと思って、な。」

「それなら、わざわざ貸切の札を掛けなくても良かったんじゃ…」

「それは女将さんからの厚意だ。折角なら、それに甘えさせてもらっただけのことだしな。お前もよく、あちこちでやっていることだろう?」

「……男女関係の絡むことでは、なるべくそういうのは避けていたんだがなぁ。姫和も、本当はこういう状況になるのは、嫌なんじゃないのかって。」

「――お前になら、全部見せたっていい。可奈美達とは違う、女としての私の姿をな。」

「姫和?」

 

 日頃鈍い彼でも分かる、彼女の本気度。

 姫和がそんな発言をしたものだから、彼は彼女の顔を覗き見る。その瞳には、優しげながらも凛とした意思が込められていることを感じる。

 

「お前に改めて訊くが、私に女としての魅力はあるか?」

「ああ。なんだったら、今この場で抱きついてもいいくらいだ。」

「そうか。……やっぱり、お前のことを受け入れて良かった。」

 

 姫和は、相手を見定めた自分の目に間違いはなかったことや、今までの彼との思い出を振り返り、前に進む活力の一つになった彼の存在の大切さを、しみじみ感じた。

 そして、そんな姫和に対し、彼は静かに顔を近づけた。

 

「姫和。」

「ん?――んっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、二人の距離は消え失せる。

 姫和の口は、愛しき男子によって塞がれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短くない時間、彼の強引な行動に身を任せた姫和。

 彼女は、異性とのファーストキスを意図せず堪能していた。そして、その夢現のような時がスッと終わる。

 

「……ふう…。…お前のそういうところ、良くないと思うぞ。」

「悪い。なんかもう、抑えてたのが場の雰囲気で限界を迎えちまって…。流されちまった。」

「まったく…。…でも、嬉しかった。お前とはその、こういうことをしたことが無かったからな。」

「花火大会の時くらいか。それでも手を繋ぐとか、電車内で姫和の体を支えたとか、それくらいだったが。」

「……お前は奥手だが、いざ行動を起こすとなればあんな大胆な手も使ってくる。その変わりぶりが時に恐ろしく思うぞ。」

「それを言ったら、今日の姫和の行動だってそうだろうに。…まあ、それに乗っかった俺も俺か。姫和、後ろ失礼するぞ。」

「ん?何をする気だ?」

「そう変なことはせんさ。……こういうのも、悪くないだろ?」

 

 姫和を後ろから抱きかかえるような向き、俗に言うあすなろ抱きだが、それを彼はタオル越しではあるがギュッと彼女の華奢な身体を抱き締める。彼のすぐ脇には、姫和の長い黒髪が触れる。

 

 本来湯船、しかも温泉でタオルを纏うのはマナー的にNGではあるのだが、現状が貸切であるためそれを咎める相手はいない。それでも、タオル越しとはいえ、ここまではっきり彼女の温もりを感じることができたのは、本当に久しぶりのことだった。

 

「……何と言うか、落ち着くな。後ろに回られるのはあまり得意ではないが、こういうのは悪くない。」

「ずっと気を張って生きてるようなもんだったしな。……俺が嫌なら、可奈美達にだけでも姫和が気分安らぐ時間を過ごしてほしいし。」

「バカ。今はお前だけだろうが。……なあ、いつかお前の家族、特にご両親に会ってもいいか?」

「え?何で今更了解を求めるんだよ?少なくとも麻美*1にはもう会ったことがあるだろうに。」

「そ、それはっ!改めて挨拶に伺うとしたら、逆に私が緊張してしまうからだ!……それに、私にはもう肉親と呼べる家族がいない。だから、距離感を測りかねているんだ。」

「ウチの親なら、大丈夫だと思うんだがなあ…。まあ、姫和がそう言うんなら、どっかで帰るタイミングを設定するか。幸いウチの実家は、鎌倉からは遠くもないし。」

「その時は頼むぞ。」

 

 なお姫和は、刀使達を含めた伍箇伝の生徒・元生徒らが、たまに彼の実家へとお邪魔しに来ることを知らない。

 

 

 

 

 彼が入ってきて以降も長風呂になってきたため、出立の時間を考えればそろそろ出なければならない。

 のぼせる前に、先に姫和が上がるよう彼が促す。

 

「では、先に上がっておくぞ。」

「ああ。」

「……覗くなよ。」

「そんなことしねえよ。本人が嫌がっているならなおのこと。」

「そうか。」

「風呂から上がる前に一つ、これだけは改めて言っておきたい。」

「何だ?」

「―生きることを諦めないでくれ。どんなに絶望的な状況でも、姫和が『一の太刀』を使う選択が表れてきた時でも、自分だけを犠牲にはしないでくれ。苦難があろうとも、生きている限り俺達の時間は続いていくんだ。――だから、死のうとはするな。こっちも死ぬ気で道を探す。…以上だ。」

「……安心しろ。私も、徒に自分の命を燃やし尽くしてまで死ぬつもりはない。簡単には死ねなくなったからな。」

「……なら、結構。姫和が着替え終わったら、俺も上がろう。」

「外で待ってるぞ。」

 

 姫和がそう言うと、彼はタオルを巻いた彼女の後姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

(…姫和、よくアレを受け入れてくれたな。それだけ彼女も、あまりの進展の無さに困っていたんだろうが。)

 

 一人身になってから、賢者モードに切り替わる彼。姫和との初めての瞬間を経て、ようやく彼の中で、はっきりした彼女の立ち位置と守るべき人としての自覚に至ったわけだ。彼も述べているとおり、時間は掛り過ぎたが。

 

「……羽目は、外しすぎないようになぁ…。」

 

 とはいえ、一歩前進したことでタガ、というか心理的な抑制は外れた。

 ガチガチになった理性が少しずつ緩むことを祈りつつ、彼女との時間をより延ばしたいと思う彼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、舞草の里で回らなければならないところを回り終え、哨戒活動の後に二人は平城へ帰還した。

 それからまたしばらくは会えない時期もあったが、季節は夏真っ盛りに突入しつつあった。様々なイベントが、二人を待ち構えている。これ以上親密になれるかは、彼ら次第ではあるのだが。

 

 

 

 

 

 

 それでも、彼と彼女が歩みだす道は、まだ始まったばかりだ。

 じりじりとした夏が、今年もやってくる。

*1
主人公の妹のこと。人物詳細は『設定集・時系列まとめ』参照。




ご拝読いただき、ありがとうございました。
任務とサブタイトルに書いておきながら、ほぼガッツリ二人きりな回となりました。(それと本話、一話あたりでは過去最長の文章量になっています。)

次回からは再び舞衣編に移って参ります。

遅まきながらご報告させていただきますが、四月以降は筆者個人の都合により、本作の投稿間隔が更に開くことが予想されます。
(最近の投稿遅延はその影響によるものです。)

筆者にとっても人生の一つの節目を迎えますが、執筆そのものは継続していく方針ですので、長く温かい目で見ていただければ幸いです。
(まさかの亀更新タグ回収とは…。)
可能ならば少し前までの投稿間隔を維持したいのですが…、そこはなかなか難しいところです。

とじとものメインストーリーに進展がありましたが、ねねの安心感が凄まじかったですね。
カナヤマヒメが実体を持ったうえで対話できれば御の字でしょうが、どう転ぶのやら…。今後が気になるところです。投稿翌日(投稿当時)には更新予定となっていますが、美炎は打ち勝てるのでしょうか?

企画進行中のとじよみの方も、一体どんな内容となるのでしょうか。楽しみです。
(舞衣が江麻に頼まれた内容も気になりますが。)

投稿間隔が開きますこと、改めてお詫び申し上げます。
それでは、また。
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