今回は舞衣編その2 後編です。
それでは、どうぞ。
ー新潟県南魚沼市・十日町市 上越国際スキー場ー
時間は翌日に飛び、ゲレンデに雪国の朝日が照りつける。
舞衣のスキー技術を呼び起こし、現在は絶賛滑走中の彼。
既に彼の周囲には、ガイドの指導のもとで経験を積んだ、多くの美濃関の生徒が取り囲んでいた。
全体的に、スキー技術を上手く取り込めたようだ。
「他の生徒と、接触しないようにしないとな…。おっと、進行方向右。警戒。」
「すみませ~ん!避けてくださ~い!」
彼の滑走方向に突っ込んでくる、一人の美濃関の生徒。
瞬時に、スキー板の向きを平行から、大股に開いたハの字へと切り替える。
「まずい!」(…間に合うよな…?)
後方、左右を囲まれた状況であるため、自身が転ぶ以外では、一回転もしくは半回転して交差するタイミングをずらすか、減速して相手の通過を待つかという、いずれかの選択をとることになる。
彼は、そのうち後者を選択した訳であるが。
「わわ~っ!」
そのまま、彼の前を通過する生徒。制御が上手くいかなかったのか、真っ直ぐゲレンデの両サイドに固められた雪山に突っ込んでいった。
「気をつけてな~。」
減速姿勢から、再度加速体勢をとっていた彼。
だが、彼が再加速することは無かった。
なぜなら…、彼は先ほどの生徒同様、雪山にダイレクトアタックしていたからだ。
一旦視界が暗くなった後、ズササーッ、という音を立てて体が横滑りする。
「痛ててっ…。一体何が……!?」
体を起こしてみると、自身が雪山に突っ込んでいることに気がついたが、驚いたのはそこではない。
なんと、彼の体の上に、誰かが仰向けで倒れ込んでいたからだ。
「大丈夫ですか…、って舞衣!大丈夫か!」
彼の上で仰向けになっていた人物は、舞衣だった。
「う…、う~ん。…あっ、すみません!」
少し伸びかけていたが、すぐに正気になったので大丈夫そうだった。
「良かった…。ケガはないか?」
「はい…。私が、よく前を見ていなかったみたいですから…。」
「こっちも、他の方に気を取られていたからな。お互い様だ。」
「ともかく、舞衣が無事で良かった。…立てるか?」
「はっ、はい。すみません、上に乗ってしまって。」
「気にするな。」
彼の体から起き上がり、体を捻りながら立ち上がろうとする舞衣。
しかし、今度は足場となるはずの雪が思いの外柔らかく、バランスを崩してしまう。
「うわっ、ひゃっ!」
再び、舞衣は彼の方へと倒れてしまう。しかも、先ほどとは異なり、前倒れになっていた。
「俺の方に倒れて来い!」
咄嗟に、彼が舞衣に倒れる方向を誘導する。
埋もれている樹木等で、彼女がケガするのを防ぐため、敢えて動けない捨て身の状態で、彼女の動きを待つ。
ドスン
「いたたっ…。!?大丈夫ですか!」
「ああ…。ケガはしてないな?」
「はい…。」
舞衣は少しして気がついたが、彼の顔がもう眼前にあった。
(顔が近い…。)
舞衣は、ちょっと恥ずかしくなっていたが、これは舞衣を守った側の彼も同じであった。
(舞衣…当たっているんだが…。いや、言うと余計なことを招き兼ねないから、止めとこう。)
彼の目線からでは、実際の年齢以上の色香がある舞衣。
まして、普段と異なるスキーウェア姿なら、思わず意識してしまう。彼とて男なのだ。
(とりあえず、他の生徒が気付く前に「舞衣~!大丈夫~!誰かとぶつからなかった?」…遅かったか。)
心配した生徒の足音が、近づく。
「舞衣、すまん。後で、説教してくれても構わない。少し、身をこちらに委ねてくれないか?いや、委ねてくれ。」
「うえっ!?」
舞衣に有無を言わさず、彼は目にも止まらぬ速さで、彼女を抱きかかえる。
お姫様抱っこの要領だ。
「ゲレンデ上に戻るまで、少し耐えてくれ。」
「…はっ、はい。」
展開に頭がついていかないなか、彼女は顔を赤くしながらも、彼に身を委ねた。
(この人、私が気を許していること、知らないんだね…。でも、やっぱり優しい人だな…。)
舞衣は、以前から彼と話すうちに、段々気を許せる人間であることを感じた。
それは、こうした時でもそう思ったが、当人は気づいていなかった。
(もうちょっとだけ、こうしていたいな…。)
ほんの僅かな時間しかなかったが、彼女は彼の方に体の重心を寄せていった。
残念ながら、他の美濃関の生徒の動きが気になっていた彼は、そのことに気がつかなかった。
ゲレンデ上で待機していた他の美濃関の生徒は、舞衣が彼にお姫様抱っこされている姿を見た時、さながら姫を抱える執事、あるいは騎士といった雰囲気を感じたのだそうだ。
刀使が騎士に抱えられるというのも、なんだか不思議な気はするが、その場に居合わせた人間は、少なくともそうした認識をしたそうだ。
そんなこんなはあったが、無事スキー教室は幕を下ろした。
さて、二日目の午後からは、今回の主目的である大規模訓練である。
内容としては、刀使やサポートメンバーなどが、十五人~二十人ずつの隊を組み、各ゲレンデ頂上から滑走後、リフトを使わないで登る。これを三回繰り返す。
訓練最中には荒魂(ダミーのもの)が出現したということが知らされ、その対処にも向かうことが含まれているという、非常にハードなものとなっている。
これに加えて、データイム終了時間頃に、スキー場とホテル側の協力のもと、利用客の避難誘導も行うのだから、どれほどの力の入れようかが分かるだろう。
後者は、スキー場の方からアナウンスをした上で実施するとはいえ、現場の負担は尋常ではなかった。
ただし訓練であるため、羽島学長から生徒に対し、無理をしないようには、一応呼び掛けられた。
「大丈夫か、舞衣。」
「はい…。荷物も少し重たいですから、ちょっと慣れないですね。」
「無理だけはするなよ。」
彼は、羽島学長から舞衣の班に付き添うよう、指示を受けた。
サポートメンバーはリュックを背負い、刀使はこれに加えて御刀の重さが含まれる。
スキー板で重量は分散されるとはいえ、それでも複数回往復するにはかなり大変な重さであった。
「休憩を取りながら行こう。板を持ちながら雪山を登るのは、きついな…。」
「みんな、なるべく一列になってね。」
先行する舞衣と彼が、新雪を踏み固め、後ろを歩く班員たちの負担を軽くする。
「よし、やっと頂上か…。」
「なんだか、雲行きが怪しくなってきましたね…。」
「山の天気は、変わりやすいからな。」
「どうであれ、みんなを休ませる必要がありますね。」
舞衣は十数人の班員を少し休ませた後、早々に下らせようとした。
夕方ではあるが、日没まで時間があるというのに、段々と暗くなる頂上。
二人は、天候に不安を感じ始めた。
…そして遂に、大粒の雪がちらつき始めた。
「いよいよ不味くなってきたな。」
「みんなを下ろしましょう。」
「それが賢明だな。ちょっと無線機を使うぞ。」
「はい。あと、これも。」
舞衣は、リュックから赤色の物体を取り出し、彼に渡す。
「ホッカイロか。助かる。手が悴んで仕方ないからな…。」
彼は、麓のホテルにある訓練用の本部に、無線連絡を入れる。
その時、羽島学長は本部に残って、刀使たちのスペクトラムファインダーに載ったGPSを見ながら、訓練の進捗状況を確認していた。
ガーッ…ガーッ
「こんな時に無線?」
「学長。お繋ぎしますが、よろしいですか?」
「ええ。お願い。」
無線の相手は、先ほどの彼だ。
『こちら、第一班。現在、当間山山頂の展望台付近。』
「どうかしたの?」
『急激に山頂付近の天候が悪化。もし後続で登ってくる班がいるなら、直ぐに引き返させてくれ!恐らく吹雪く!』
「!…分かったわ。直ぐに確認を取るから、待っていて頂戴。」
冬の山は、人間の想像以上に牙を向くことがある。彼の言わんとしていることに、彼女は瞬時に気がついた。
『了解。確認が出来次第、こちらもく…だ……。』
「もしもし!…応答して!もしもし!…嘘でしょ…。」
突如、彼との無線が途絶えた。
「学長?」
「…今、当間ゲレンデで登頂中の班は?」
「第三班、第五班です。」
「その二班に、学長命令に基づいて、直ちに麓の本部に戻ってくるよう連絡して!」
「は、はい!」
職員たちは、慌てて動き出す。
「刀剣類管理局の職員は、何名こちらに残っていますか?」
「確か、八名程かと。」
「登山経験のある、うちの職員を何名か選出して、合同で緊急の救助隊を編成してほしいの。」
「構いませんが、二次遭難の危険はありませんか?」
「ダメそうなら、連絡を入れて。その時は、天候の回復を待つわ。」
「了解しました。すぐに取りかかります!」
矢継ぎ早に指示を飛ばす学長。
「彼や、第一班の生徒に連絡はとれる?」
「…ダメです。繋がりません。」
「只今、基地局に異常ありとの連絡が!」
それと同時に、ゲレンデ内のスペクトラムファインダーの発するGPSが、徐々に薄れていったのを確認した。
「当間ゲレンデ、
「…最悪ね…。これじゃ、救助隊を出しても二次遭難だわ…。」
「学長…。」
「全員、帰ってくる生徒の受け入れに回ってちょうだい。…今は、天候が回復するのを待ちましょう。」
苦虫を噛んだように渋面を作る、羽島学長。
だが、今は被害拡大を抑えることが先決だった。
(待っていて。一班の子たち。必ず助けるから。)
彼がいたとしても、自然の前では、人の力は無力である。
学長は、全員の無事を祈って指示を出し続ける。
一方、そんな麓の状況など全く知らない、舞衣と彼。
他の第一班の生徒たちは、舞衣の指示で吹雪が酷くなる前に、先に滑り下りてもらった。
伝言のメモも託しているので、無事に下りられれば大丈夫だろう。
少し離れた位置で、通信機器を試していた彼が戻ってくる。
「やっぱり、携帯も無線機もダメか。」
「しょうがないですよ。この悪天候じゃ…。」
「とりあえず、風雪が凌げるのはありがたいな。」
リフトの方も、つい数分前に完全に止まった。
二人が展望台に残った理由だが、途中で通信が途絶えたことで、もしこちらの方に登ってくる美濃関の班がいた時に備えて、というのが一つ。
もう一つが、気象条件の急速な悪化だった。これは、他の班員を送り出したのち、わずか二分程で、視界がホワイトアウトする程の吹雪に変わったのである。
御刀を持っている状態の舞衣なら、明眼を使いながら滑降することも容易ではあったのだが、彼の方はただの一般人。これでは、仮に滑降できたとしても、二人が遭難する危険性が一気に高まる。
それならば、展望台に残った方がまだ安全、という判断だった。
「すまないな…。俺が残ったばかりに、舞衣まで残らせて…。」
「立場は、貴方の方が上ですから。…それに、誰かがこの辺りで迷って、ここに来るかもしれませんし。」
「そうだな。それにしても、凄まじい吹雪だな…。」
「当分、下には降りられそうにないですね…。」
窓の外が吹き荒れるのを見ながら、彼は、辛うじて電源の入る自動販売機から、温かいお茶の入ったペットボトルを、二本買う。
「舞衣。体を冷やさないように。」
彼は、お茶を舞衣に手渡す。ほんのりとした温かさが、こうした状況でも安らぎを与える。
「あっ、ありがとうございます。…いつも、手を煩わせてしまって、すみません。」
「そうか?」
彼自身は少なくとも、これくらいは何とも思っていないのだが、とは考えた。だが、それは言えなかった。彼女を余計に追い詰めてしまわないか、その懸念が拭えなかったからだ。
そして彼は、この場に舞衣しかいない現状を鑑み、羽島学長からの頼みごとをここで切り出す。
その開口一番は、やはり彼にとっては重たかった。
「…舞衣。最近、無茶、してないか?」
「…気づかれていましたか。」
あなたは、私のことなら何でもお見通しなんですね、といった感じで、口を紡ぐ。
「可奈美ちゃんや姫和ちゃんがいなくなった時、私は、自分の力の無さを酷く恨みました。もちろん、私は可奈美ちゃんほど強くないし、そこまで自惚れたつもりもありません。…でも、辛かったんです。大切な人が、突然いなくなってしまって。何で私は、こんなにも無力なんだろう、って。」
「でも舞衣。それを言うなら、あの時君たちを置いて撤退した、俺たちにも責任がある。君一人だけが、そのことを抱え込む理由なんて、どこにも無い。」
「でもっ…。可奈美ちゃんたちは、もう……。ぐすっ。」
思わず、泣き出してしまう舞衣。
彼は、静かに彼女の隣に座り込む。
「君には信じてもらえないかもしれないが、俺は、二人はまだ生きていると考えている。」
「えっ…。」
「これは、あくまで俺の直感だから、信じてくれない方がいい。だが、まだ希望はあると、少なくとも俺は考えている。たとえ、どれだけ諦めろと言われても、誰かが折れない限り、可能性はゼロじゃない。」
「…あなたは、人が良すぎますよ…。…でも、私も、いつまでもウジウジしてはいけませんね。」
涙を拭い、彼に向き合う。
「私は、あなたを信じます。…これからは、自分の出来ることを、倒れない程度に頑張ります。可奈美ちゃんが、いつ帰ってきてもいいように、居場所を作っておかないといけませんから。」
「そうか…。吹っ切れたんだな…。」
(羽島学長、あなたの生徒達は皆立派ですよ。こうして、前に自ら進もうとしているのですから。)
彼は、迷いのなくなった舞衣の表情を見る。
「あっ!外の天気が良くなってます!」
舞衣が、窓の外を指差す。
「ホントだな。多分、学長がもうじき救援を送ってくるだろう。」
かなり遠方に、ライトの光源を捉えた。
「一つ、お願いがあるんですけれど、いいですか?」
「何だ?」
「五秒だけ、外を見ててもらってもいいですか?」
「?ああ。分かった。」
一体、何をするのだろうか…!?
舞衣は、彼の背中に抱きついた。しかも、素早く手を前に回していた。
…彼は背中に、柔らかな感覚を感じた。
「えっと…、舞衣。これは…。」
「…これは、二人だけの内緒にしておいてください。…絶対ですよ。」
そっと押し黙る彼。
五秒と言わず、もっと甘えても良かろうに…とは思ったが、彼女の真面目さを考えると、これくらいの方がいいのかもしれないな、と感じる彼だった。
彼の方から舞衣の顔は見えなかったが、恥ずかしがりながらも、今の自身の気持ちの表現をしたことで、どこか落ち着いた表情をしていたようであった。
それから、およそ三十分後。二人は無事、救助にやってきた職員たちと合流することが出来た。
こうして、二人の冬季訓練は、終わりを迎えることが出来た。
ホテルに戻って以降も、沙耶香からの連絡があったりなどで、ドッタンバッタン大騒ぎだったそうな。
雪深い新潟の夜空は、この日澄み渡って綺麗なものだった。
ご拝読頂きありがとうございました。
感想などありましたら、対応させて頂きます。
次話は、沙耶香編を予定しています。
投げっぱなしの日光での話、進めます。
それでは、また。