湖が美しいと評判の35番道路は観光客も多いらしく、路面自体は綺麗に舗装されており草むらともしっかり分けられている。その為アッシュの様な草むらに慣れていないものでも歩きやすい道であった。
ずっとこうなら配達もスイスイ進んで楽なんだけどなと思うが、そう上手く行くものでは無いようだ。
ただ観光させてくれるというわけではないらしく、道のあちこちにはピクニックガールやキャンプボーイといったトレーナーたちがスタンバイしている。さながらアトラクションの様に次から次へと勝負をしかけて来る様子は気圧されるを通り越して最早圧巻である。
流石に手持ちがいなければ仕掛けてこないのだろうが、イーブイがボールに入らない為いるのが分かりきっているだけに断れない。
しかし、ここでよく思い出して欲しいのだが、アッシュはそもそもバトルが苦手である。その上不本意とはいえ譲り受けた形となったイーブイは全くもって懐いていない状態だ。イーブイからしても不本意なのは同じだろうが、その話は置いておくとして。この状況をどう打開したものかとアッシュはずっと考えていたが、名案などすぐ様思いつく筈もなくバトルになると案の定、
「イーブイ、たいあたり」
「……ブイ」
「イーブイ…おーい、」
ぷいとそっぽを向いたイーブイは全くもってアッシュの言うことを聞かずに首元を掻いている。何となく予想はしていたので苦笑するしかない。
相手も1度は拍子抜けといった表情をするのだが、これ幸いとばかりに攻撃を仕掛けてくる。流石に攻撃されると防衛本能からか、元々暴れることが好きなのか、はたまた今までストレスが溜まっていたのか、これでもかという程暴れ回って相手のポケモン達をノックダウンさせていく。まぁ多分後者だろう。
そして今知ったことだが、このイーブイ結構強いのかもしれない。勿論カンポウが長年連れ添ってきたラッタと比べれば劣るが、さっきから割と一発で相手をノックダウンさせている。もしかしたら少年のところで何だかんだ言いつつも育てられていたのかもしれない。
言うことを聞いてくれないながらも一緒にバトルをしようと試みる少年を想像するとやや悲しい思いがするが、そこは異種間のことなのでイーブイに思いが通じていなければただの独りよがりになってしまう。
とはいえ、人間側であるアッシュはどうしても少年のことを考えてしまう。それはイーブイにとってあまり良いことではないだろうから口には出さないが、生き物と心を通わすというのは難しい。
そんな訳でこの前のラッタ同様、アッシュは何もしないまま…というか出来ないままあれよあれよと言う間に勝ち進んでしまったのだった。
真面目にトレーナーとして戦っている相手方には悪いが、本当に何もすることなくイーブイの力のみで勝ち進んでいく。
途中、細い木が道を塞いでいたがうまく潜ることでそれも回避し、そのまま36番道路へと通り抜ける。
現在は塾帰りだという少年にバトルを申し込まれていた。
「むむむむむ。毎日5時間勉強してるのに……。教科書だけじゃ分からないこといっぱいあるね」
残念そうにため息をつく塾帰りの少年は仕方ないといった風でポケットから小銭を取り出すとアッシュに渡して来た。
あまり知らなかったが、このやりとりはトレーナー同士必ず行う礼儀らしい。渡すものはお金に限らず色々あるらしいが、受け取らないことは相手を下にみている証で侮辱に値するとのことだ。なかなかシビアな世界である。
ラッタを連れていた時、知らずに一度虫捕り少年に要らないと断ったら「子どもだからって馬鹿にすんなよ!」とこっ酷く叱られてしまった為、アッシュは断ることなくそれを受け取る。
貰った小銭を取り出した財布にしまっていると、「あ、」と思い出したように少年が呟いた。
「ねえねえ、お兄さんは何処行くの?」
「この先のエンジュに用があるんだ」
すると「この先はポケモンが邪魔していて行けないよ」と少年の方も財布をカバンに仕舞いながら律儀に教えてくれる。
「ポケモン?」
「そう!ウソッキーっていうんだ!」
バトルには負けてしまったが知っている事を教える事が出来て嬉しいらしく、少年は詳しくアッシュに教えてくれた。
そもそもウソッキーというポケモンは岩タイプなのだが木に擬態することが得意らしく、今はこの先の道で木に成りすまして通せんぼをしているらしい。
何でも前に一度トレーナーに負けて何処かへ行ってしまったらしいが、最近になってまた現れ始めたらしい。
余程そこが気に入っているのか、はたまた別の個体が前の個体同様にその場所が気に入ってしまったのかは分からないが何とピンポイントで邪魔な位置にいるんだろうかと思えてならない。ウソッキーは水が嫌いだとも教えてくれたが、水をかけられたウソッキーは狂暴性を増すため子供は近づくなと言われているともアッシュに教えてくれた。
「そうなのか…。色々教えてくれてありがとうな」
「僕は色々勉強してるからね!また教えてあげるよ!」
ふふん、と得意げな少年にまたよろしくと声をかけ、アッシュはイーブイを連れてウソッキーがいるという場所へと進んでいった。
一応気をつけてねーという少年の声が後ろから聞こえたので手をあげてそれに答えながら黙々と先を進んでいくと段々と木々が増えてくる。生い茂った木々で太陽が遮られ辺りが暗く感じ始めた頃、前方で何やら道をふさいでいるのが見え始めた。
「……あー、うん。こりゃあ通れないな確かに」
実際見てみないことには何とも言えないと思っていたのだが、ピンと手足を開いた状態で仁王立ちしているウソッキーはなかなかに邪魔である。
体長はアッシュの腰よりやや上と言ったところ。大型のポケモンもいる中でのそれはさ程大きくないのだろうが、イーブイと比べれば十分大きい。
怒るかなと思いつつもそっと触れてみると岩ポケモンらしく硬い身体とひんやりとした体温が伝わってきた。木になりきっているのか、怒るどころが微動だにする様子もない。これは木と間違えて攻撃すれば手酷いしっぺ返しがありそうだ。
そもそも何故ここの道は人一人通るのがやっとな程狭いのだろうか。
道を外れようとすると急な下りになっていて危なくて迂回する事も出来そうになかった。
かといってウソッキーに触れた感じからしてイーブイの攻撃はあまり効かないだろうと悟り、アッシュはどうしたものかと暫し腕を組んで考え込む。
その後カンポウから貰った鞄をごそごそと探ると、目当ての物を見つけたアッシュは音もなくそれをウソッキーの身体へと押し付けた。
「なぁ、どいてくれないか?一枝だけで良いんだけど」
家を出る際に持ってきた美味しい水を蓋を開けた状態で突きつける。傍目から見たらさぞや滑稽な図であろう。しかしアッシュは至って真面目に考えていた。そもそもイーブイしか手持ちにいない為、ウソッキーが自分から退いてくれる意外手立てがないのだ。迂回するという選択肢は面倒なので却下だ。
横にいたイーブイは一体何をやってるんだとでも言いたげな視線を送ってくるが、アッシュはそれに動じることなくウソッキーに語りかける。
「少し動いてくれたらそれでいい」
素知らぬ顔を続けるウソッキーだったがやはり多少思う所はあるらしく、その身体にじんわりとした汗が浮かび出すのが見えた。それでも余程動きたくないのか、身動きはせずそのまま通せんぼを突き通している。
このままいくとポケモン愛護団体にでも訴えられそうだが、これしか浮かばないのだから仕方ない。どうか人に見られませんようにと祈りつつ、そのまま美味しい水を押し付け続ける。
その状態でどれくらい経ったのか分からなかったがアッシュの腕が痛くて限界を迎えつつあるのは確かであった。
正直内心やはりこれでは無理だったか、一度戻った方がいいだろうかなどと色々思い始めたその時、
「……ッソッキー…」
ボトルの水が零れないようにそっと、しかしとても嫌そうにウソッキーが片腕を仰け反らせたのだ。
その表情は子供が嫌いな食べ物を自分の皿に入れられた時のような、苦手な事をやってみろと指示された時のような、要するに人間味を帯びた表情であった。何ともまぁ親近感の湧く表情だが自分のした事を思うとなんとも言えない。
「……ありがとう」
ウソッキーが開けてくれた所をくぐる様にしてアッシュとイーブイはその横を通過する。時間はかかってしまったがどうやら何とか成功した様なので特にバトルする事なくすんなり通る事に成功したアッシュ達であった。