カンポウの所でのバイトが決まってからというもの、配達や薬草調達のバイトだけでなく、薬草の勉強……の前に旧字を読む練習をする日々が始まった。
勉強中もカンポウは時給を出すと言ってくれた。イーブイがいることで今まで以上に家計が嵩むようになったアッシュにはかなり有難い申し出である。
「うーん…」
ぱらりぱらりと古い薬草帳のページをめくりながら食い入るように見つめてみるが成果が得られず、いつの間にか止めていた息をふぅっと吐き出した。
最初の数ページは頭に入ってきているので手書きの絵や写真を見ればすぐに何が書いてあるかは分かってきていたが、それは暗記に過ぎず読めているわけではないのだ。
読めるようになるのは一体いつなんだろうな、とほうけているとバシンバシンと何かを叩く音が聞こえてきてそちらを見た。
「どうした?」
音はするものの、イーブイの姿は完全に棚の後ろに隠れてしまっていて何をしているのかイマイチ見えない。
その間にも続く不穏な音に棚裏を覗き込むと、イーブイはポケモン用の玩具のボールを尻尾や前足を使って器用に叩きつけていた。
それはここの所缶詰になっていることを気にしたカンポウが買ってきたものである。まだ数日前には新品だったはずのそれは年季の入った玩具に成り果てていた。要するにボロボロなのである。
バシン
バシンバシン
バシンバシンバシン――ゴスッ
「おいおい、一体どうした?」
あまりの物音に何事かとアッシュは驚いて声をかける。
しかしイーブイはそんなこちらを見向きもせず玩具をバシバシと叩いたり振り回したりして遊んでいる。
使い方としては合っている。
合っているのだが、それは子供が無邪気に遊んでいるというよりはどうしようもないストレスをどうにか発散しようとしているように見えた。
「あー、ちょっと出掛けようか」
流石にこもり過ぎたらしいと悟ったアッシュがそう声をかけるとイーブイはピタリと動きを止めてこちらを見やりった。
ツンと気を張るよう気をつけているようだが、ゆらゆらと心無しか尻尾が揺らいでいる。どうやら喜んでいるらしい。
さて何処へ行こうかと考えてみるが、明日にはまた配達のバイトが控えている為あまり遠くに行くことは出来ない。
アッシュがすぐ行けそうな場所はその辺りの草むらくらいしか思いつかなかった。
どうしたものかと首を捻ったところでそういえば35番道路の先にある自然公園には行ったことがないということに気づく。広い園内を通ると遠回りになってしまう為、アッシュは基本配達の時には道らしい道がない獣道を辿ることが多いのだ。
では早速自然公園へ行こうと準備をし、適当にいつもの上着を羽織り外に出た。
せっかくの散歩なのでイーブイはボールから出したままである。
自然公園に到着して早々、なにやらイベントが行われているらしく人が集まっているのが見えた。
「なんか騒がしいとこだなぁ」
アッシュがぽつりと呟くと、それに呼応するようにイーブイが鳴くのが辛うじて聞こえた。それくらい人がいてガヤガヤとしている。
人に比べて遥かに小さいイーブイが踏まれやしないか内心気にしつつ、周りを見渡す。
「何かやってるのか?」
「虫取り大会だよ!」
集団の外れにいた赤い上着の少年が振り返る。アッシュの呟きが聞こえていたらしく、そのまま丁寧に教えてくれた。
なんでも毎週決まった日に虫取り大会があるらしく、今日もそのために参加者はこうして登録をするらしい。
その間勿論園内は普通に開放されているので参加しない人達は思い思いに過ごすことが出来るとのことだった。
「そんなこともやってるのか」
「結構面白いぜ!優勝すると進化の石が貰えるんだ!」
俺はそれ狙いだよと言って少年は笑った。後ろ前に被った帽子が如何にも活発そうな様子だ。ボールベルトには6個きっちりついているのできっとこういった大会だけじゃなくバトルとかも好きなのだろう。
教えてくれた少年に礼を言い、勿論参加しないアッシュは入り口に向かおうと歩き出した。
のだが、途中で右足に負荷がかかる。
ズボンの裾に噛みつかれたのだと気づき、一度足を止めると、ゆっくりと下を向いて尋ねる。
「どうしたイーブイ」
見ればなんと珍しいことにズボンの裾を噛んだままキラキラした熱い視線を何処かに送るイーブイがいた。
え、こんな顔見たことないんですけども。
イーブイの向いている方を見ると、参加した際の賞品が飾られているようだ。
1番高いところで宝石のように輝く石が少年の言っていた進化の石というものなのだろう。
しかしイーブイの視線は更に下の石に注がれている。
何に使うものなのかは分からないが、見た目はただの丸い石のように見える。ちょっと艶があるかなというのは分かるがそれだけである。なぜ欲しいのか正直イマイチ分からない。
「ブイ!」
あれが欲しい!はっきりとそう告げたイーブイはグイグイとズボンの裾を引っ張る。だんだんイーブイの唾液で濡れてきたのか、何となく湿っぽい感触がする。
しかしそんなこと気にせずイーブイは尚も欲しいと目を輝かせた。
普段横暴な態度を取るイーブイだが、食事以外で何かをアッシュに強請る事はかなり珍しい。そのイーブイが欲しい欲しいと言っているのだからあの石を余程気に入ったのだろう。
まあそもそもイーブイの気分転換の為に来たのだからやりたいなら参加すべきだ。
「参加するならここに並ぶんだぜ!受付をするから名前を書くんだ!」
「あぁ、ありがとう」
状況を察したらしい少年が自分の後ろを指差す。頷いたアッシュは少年の後ろに並ぶことにした。