お邪魔したマツバの家は最早屋敷と呼ぶに相応しく、塀の向こう側には趣きのある庭も広がっている。
すぐに床の間がある畳張りの客間らしき部屋へと案内されたアッシュは思わず周囲を見渡した。
開かれた障子張りの襖からは先程進んできた縁側が見え、その先には最初に見た美しい庭が覗いている。床の間にも何やら水墨画と生け花が飾られており、よく手入れされているようであった。
キョロキョロと部屋の様子を観察していると、突然後ろから冷っとした冷気を感じてアッシュは飛び上がる。
「ゴースゴスゴス」
驚いたアッシュを見て、いたずらが成功したのを確信したゴースは嬉しそうに空中で一回転して見せた。
隣にいるイーブイは物凄く嫌そうな様子であるが、ゴースの方は相も変わらず全くもって気にしていないらしい。
ゴースに元気かと聞かれたのでこくりと頷くと、足元でイーブイがケッとイーブイに有るまじき鳴き声を上げた。
どうやら技が効かないのが相当気に入らないらしい。
そんな事をしているうちにお茶を取りに行っていたマツバが戻ってきたようで静かに襖が開かれる。
「こんな感じで僕とゲンガー達しか住んでないからあまり硬くならず寛いでよ」
「あぁ。ありがとう」
どうやらマツバが出ていく直前に物珍しげに見ていたのはしっかり見られたらしい。それに気付いたアッシュは手渡されたお茶を飲んでごまかした。
アッシュが買ってきた菓子折りをお茶請けにして、離れていた間にどんなことがあったか互いに報告し合う。
その間、怒るのにも疲れたのかイーブイはアッシュの隣で丸くなって昼寝をし始めた。ゲンガーとゴースも飽きたのか何処かへ出かけてしまったらしい。
マツバは最近あったジムでの事を話し、アッシュはマツバが興味津々だった新しく学んだ薬草の事などを主に話した。
カンポウと話す以外で薬草の事を話すのは始めてだった為、思わず夢中になって話してしまう。後になって話しすぎた事に気づいたアッシュは誤魔化すように苦笑する。
気にしなくていいよと笑いながらお茶の追加を取りにマツバが席を外したのを機に、アッシュはふうっとため息をついた。
まさかこんなに仕事の話が楽しくなる日が来ようとは、地元を離れたあの時には思っても見なかったことである。
「案外、楽しいかもな」
今後あるだろう配達の仕事を思い、アッシュは少しだけ気分が上昇した。
それにより、マツバが戻ってくるのを先程よりも大分リラックスした気持ちで待てるようになる。のんびりと寛いで待っていると、廊下の方から足音がどんどん近づいてきた。
同じ男性でもスッと静かに歩くマツバのものとは明らかに違うしっかりとした重い足音である。イーブイも異変を感じたのか、首だけをもたげ襖の向こうを見つめた。
アッシュもそれに習って誰だろうかと顔を上げると、入ってきたのはどんよりと影を背負ったマント姿の青年であった。
その瞬間、毛を逆立てたイーブイがカーッというような威嚇の声を上げてアッシュの前に立つ。
「え、と……どちら様?」
「……、…、……」
アッシュにもイーブイにも見向きもせず、マントの青年は何やらブツブツと呟きながらすぐ隣で両膝を抱え出す。
「えー……、」
――どうしろと?
思わず言葉にできなかった疑問符を浮かべるが、マント姿の青年は膝下しか見ていないので全くこちらの様子に気づくことはなかった。
その間もブツブツと何事か呟いているが聞き取れない。
「あぁ、アッシュ君ごめんね。その人は僕の古い友人でね。ミナキ君と言うんだ」
どうしたものかと途方にくれていると、戻ってきたらしいマツバが彼に代わって紹介してくれた。
不審者でなくて何よりである。イーブイは尚も威嚇を続けているが。
「彼はあのスイクンを追っているんだけど、最近めっきり会えないらしくてね」
それで落ち込んでいるんだよ、と言われたがアッシュはそもそもスイクンがどんなポケモンなのか分からない為首を捻った。
「スイクンって?」
「スイクンを知らないだって?!」
それまで廃人のようにブツブツと呟いていたミナキがガバッと顔を上げてアッシュの両肩を掴んだ。
その瞬間、ミナキの突然の動きに驚いたイーブイがアッシュと同じようにビクリと固まったのが視界の端に見えた。
がばりと起き上がって此方に詰め寄ったままの勢いでミナキは焼けた塔の伝説は知っているかと聞いてきたので、アッシュは雰囲気に呑まれながらも何とか知っていると答えた。
以前焼けた塔の前で聞いたことがあるのを思い返す。
「蘇らせたポケモンはホウオウと言い、ホウオウに蘇えらせてもらったのがスイクン、エンテイ、ライコウの三匹だ」
あー、そんな話だったなと頷いていると他の三匹のことはそっちのけでそのままスイクンの素晴らしさを延々と説明されることになった。
突然の語りモードについていけず、思わずマツバを目で追う。
「ごめんね、こうなるとなかなか止まらないんだよ」
暫く付き合ってあげてと早々に見放された。酷い。
数時間後、マツバの「ご飯だよ」という声が掛かるまでアッシュはその状態のまま動くことが出来なかった。
動こうにもアッシュに詰め寄ったミナキは逃げる暇も与えない程延々スイクンの話をし続けていたのである。
マツバやイーブイは勿論途中で早々に退散していたので孤立無援である。
げっそりと何かが磨り減ったアッシュが食卓に着く頃には、いつの間にか帰ってきていたゲンガー達と共にイーブイはフーズを既に食べ始めていた。
視線が明らかに憐れなものを見る目だが、その口にはこれでもかというほどフーズが詰め込まれている。
食べるか憐れむかどっちかにしてくれ。
それを見て思わず笑ったマツバを恨めしげに睨むと「まぁまぁ、お詫びに今日は泊まって行くといいよ」と返される。
食事もどうぞ、と示されついと食卓に視線を移す。
根菜とキーの実を使ったらしい煮物にナナシのみの酢の物和え、その他にも美味しそうな食事が並んでいる。
「う……、」
色々言いたいことはあったのだが美味しそうな食事に釣られて結局アッシュは用意された席に大人しく座った。
部屋の予約も今からでは残っているか怪しいので泊めてもらった方が賢明である。
そう自分に言い聞かせるアッシュを分かってか呆れるイーブイ。しかしフーズを噛み砕くのに忙しくイーブイがそれを直接口に出す事はなかった。