1話から感想もらえて感謝感激です。
なお、私はバドミントンをほぼ知らない人間です。ルールはそれなりに調べましたが、おかしな点がある可能性大です。
なので見つけた方は優しく指摘くださるとありがたいです。
あやのん vs コニー です。
──羽咲綾乃は天才である。
そう周囲に認知されたのは彼女が中学三年生の時。全日本ジュニアの準決勝、益子泪との試合がきっかけだ。
元々実力者として有名だった泪と当時世間的には無名に近かった綾乃が繰り広げた激戦は大会史に残り、綾乃は神童として名を馳せた。
記者は当然綾乃を追い掛け始めた。
未来の日本代表選手になり得るかもしれないとバドミントン業界は湧いたが、綾乃の密着取材が表に出ることは一度も無かった。
綾乃が拒否したわけではない。
取材内容が薄かったわけでもない。
ただ異常だったのだ。
綾乃の練習風景が、プライベートが、バドミントンに対する価値観が。
特に異様だったのは、中学以降の綾乃と過去に対戦したことがある現役選手が数える程も存在しなかったこと。
記者が何人か捕まえて話を持ち掛けたが、揃って全員が口をつぐんだ。
思い出したくもないと恐怖していた。
辞めた選手に至っては二度とバドミントンをしないと断言される始末。
取材を始めてしばらくして。
羽咲綾乃は
◆
「11 - 7! インターバル」
主審を務める海莉の声を聞き、ふぅーっと長い息を吐き出すコニー。
試合形式は練習ということでワンゲームマッチだ。
リードして折り返せたが、内心そこまでの余裕はなかった。
(思ってた以上にやる、流石はママの娘……)
「はい、コニー」
「ありがと」
唯華から手渡されたタオルを受け取り、コニーは流れ落ちる汗を軽く拭う。
失われた水分を補給しながらコニーは綾乃を盗み見る。
汗一つかいたようには見えない綾乃は、唯華と同じく補佐に就いた泪からスポドリを受け取っていた。
(でも、なんか不気味。本気を出してるのかな?)
違うのなら屈辱だ。
プロとしても活躍する自分が手加減されているなど断固として認められない。
煩悶とした表情で綾乃に熱視線を送るコニーの眼差しが鋭利になり、複雑に入り組んだ心情が一目で判るその様子を見ていた唯華は一つ助言をする。
「コニー、やるなら難しいこと考えないで淡々とやるといいよ」
「悪いけどそれは出来ないかな。せっかくアヤノと試合してるんだもん。それに、この程度ならどうやっても私が勝つからね」
「……あっそう。言ったからね私は」
踵を返す唯華がいつもより冷たく感じるが、そんな瑣末事は今はどうでもいいとコニーは捨て置き、待ち望んでいた一戦に意識を戻して集中を深くする。
体力に問題はない。振り返れば走らされていると判ったが、この程度の疲労は過去に何度も経験している。
綾乃のスタイルは拾うバドミントンだろう。生半可な決め球では綾乃の防御を突破することは能わず、一点ごとに長いラリーが続く為に体力勝負に持ち込まれる。
ならばそのリズムを崩せばいい。
やりようは幾らでもある。手数で翻弄し、力で押し切り、綾乃の呼吸はずらして主導権を握ることが出来れば試合は勝ったも同然。
戦略の精査を終えたコニーはコートに入る。
ラケットを左右に振り準備を終えたコニーはネット越しにいた綾乃を見て、まず感じたのは漠然とした違和感だった。
「綾乃、ラケット変えたの?」
「そうだよ」
淡々とした返答に、しかしコニーはそうじゃないと思い直す。
変わったのはラケット。
そして、それを握る手だ。
「……どういうつもり?」
「ん? 何のこと?」
「さっきまでは
ああ、と得心がいったのだろう。
ふっ、と綾乃の口許に淡い笑みが浮かんだ。
「私
「…………は?」
心底、ぽかんとなった。
呆然と浅葱の瞳を大きく見開いた後、その意味を呑み込んだのか顔を赤くして怒りを露わにする。
グリップをあらん限りの力で握り締め、険悪な感情を隠さない双眸でコニーは綾乃を睨み付けた。
「冗談でも笑えないよ、アヤノ」
「冗談じゃないよ? おかしいと思わなかったの? お母さんだって左利きなのに?」
「そ、それは……」
言われてそうだと合点してしまう。
なぜ試合開始時点で強く疑問に思わなかったのか。……いや、疑問自体は覚えていた。ただ、試合が進む中で「これだけのプレーが出来るのだから利き手なのだ」と勘違いしたのだ。
大体、利き手と逆の手で試合に臨む者など普通はいない。
「じゃあどうして最初は右手を使ってたのよ⁉︎」
「ん? いつも最初は右手を使うからだよ?」
「は? ……じゃあいつも途中から左手を使うの?」
「んーん。あまり使わないかな〜。でもコニーちゃんはちゃんと強いからこっちが使えるって思ったんだ!」
「……つまり今までは本気じゃなかったってこと?」
「え? ちゃんと本気だったよ?」
なんだこれは……と、あまりの不気味さに怒気が霧散したコニーは顔を引き攣らせる。
常識やら人間性やら価値観が全く異なる人物と話していると、こんな薄気味悪い感覚を味わうのだろうか。コニーの投げた問いに対してまるで見当違いの回答が返ってくるものだから、会話が殆ど成立していない。
沈黙の帳が降りる。
コニーの瞳に悍ましさに似た感情が宿るのを、ギャラリーの面々は明瞭と感じ取った。
「いやー、綾乃のあーゆーヤバイとこ見ると、よく仲良くなれたなーってひしひしと思うわ」
「路……」
遠慮が一切ない発言。泪は機嫌悪げに横目で発言者を窺う。
腰まで伸ばした黒髪を靡かせる快活げな少女──津幡路は、そんな泪のお冠加減を感じ取ったのか大袈裟に肩をすくめた。
「怒んないでよ泪〜。唯華だって少なからず思ってるよきっと」
「ちょっと、勝手に私を巻き込まないで」
「そうやっていつも唯華は良い子振る〜」
再開されたラリーの応酬を背景に、現女子高生バドミントン選手の中で最強を誇る「三強」と呼ばれる彼女たちは綾乃を見遣った。
「あーあ、左手使っちゃって。ホントにあの留学生大丈夫なの?」
「私が知るか」
「私も知らない」
「無責任過ぎでしょ……」
まぁいいけど……と路はカラッと笑う。
「ホント相手をナメ腐ってるよね綾乃は。プレースタイル自体は唯華と似てるけど」
「それは心外だわ。私と綾乃じゃ似ても似つかないわよ。ねぇ泪?」
「根本的に違うからな、あいつは色々と」
一口にバドミントンと雖も、スタイルは十人十色。
強打で点を取りにいく攻撃的なバドミントン、ひたすらに拾って相手のミスを誘う守備的なバドミントン。ネット前の乱戦が得意な者や、豪快なスマッシュを武器とする者。挙げれば枚挙に暇がない。
路が言った唯華のプレースタイルに関してだが、徹底した勝つ為のバドミントンだ。
洗練された基礎技術、相手の弱点を見切る洞察力、バドミントンIQの高さ。それらの要素を活かして負けない試合運びを完成させる、これが唯華の王道。
対して綾乃はと言うと……
「綾乃はアレだ、自分が愉しむ為だけのバドミントンだな」
コニーのスマッシュが炸裂。豪速のシャトルがコートに突き刺さる前に綾乃が打ち上げる。
「もうっ‼︎」
苛立ちを声に態勢を整え再度打ち込む。落ちない。
ドライブの連撃。崩れない。
距離を取ってコート全体を使う。全てが拾われる。
荒々しい息を吐き、全身から汗を吹き出させて髪を振り乱すコニーは焦燥に駆られていた。
(どうなってんのっ⁉︎)
インターバルを挟んで、得点が一つも進まない。
コニーの打つクリアもカットもドライブもスマッシュも、悉くがコートに着弾する前に綾乃のラケットに掬い上げられる。
綾乃の脅威的な粘りであればコニーも焦らずに攻め立て続けられるのだが、眼前に見える表情に逐一余裕が削り取られていく。
笑っているのだ。
此方の攻撃を毛ほども意に介さず、綾乃は声無く笑っている。
得も言えぬ恐怖にコニーの身が竦んだ。
「ッ⁉︎」
恐れを振り払うように力任せな一打を打ちかますが、崩れたフォームから放たれたシャトルはネットに捕まりゆっくりとコートへと落ちた。
「はぁ……はぁ……っ」
呼吸を慣らせ消費した体力を取り戻すことに努めるコニー。
ラケットを肩に担ぎ首をこきっと鳴らす綾乃。
両者の差は顕著で、それがそのまま得点へと繋がる。
「14 - 11」
一点も取れぬままコニーのリードは食い潰され、綾乃は着々と点数を積み重ねていく。
いつしか少女の顔から笑みは消えていた。
「どうしたのーコニーちゃーん。もっと
「はぁ、はぁ……ちなみに、アヤノの言う
ぱちぱちと、綾乃は眼を瞬かせる。
コニーとしては少しでも状況を遅らせ挽回の一手を考じる時間稼ぎの質問だったのだが、問われた綾乃は殊の外キョトンとしてしまった。
「どんなの? どんなの……うーん、口で言うの結構難しいな……」
慮外の質問だった。何度も口癖のように言っていた台詞故か、自身の中で明確な定義付けをしたことはなかったと今気付く。
「私の“愉しいバドミントン”の言語化か……初めてかも……」
抽象的な表現を具体的に改め他人に説明する。この行為がこうまで困難なものだと綾乃は知らなかった。
むむむーっと顎に手を寄せ真剣に悩み始めた綾乃をコニーは半ば呆れ顔で眺めつつ、体力を回復させ逆転の思索を高速で走らせる。
懊悩しているこの時間がコニーの思惑通りとは露知らず、綾乃は勝手気ままに沈思する。
(愉しいバドミントン……愉しかったバドミントンを考えればいいのかな?)
地頭は悪くない綾乃はすぐに糸口を掴む。
そこからは芋づる式に根拠を洗い出し、なぜそれが自分にとって愉しかったのかを整理。
最終的に他人にも分かるような説明を考え終えた綾乃は口を開いた。
「分かったよコニーちゃん!」
「へぇ、じゃあ教えてよ」
「うん! 私はね、作りモノの人形だったんだ」
「…………は? え、人形?」
「そっ、お母さんが作った人形。それが私」
突拍子も無い奇天烈な発言に場が凍る。
泪と海莉は瞳を伏せ、唯華は顔に手を当て吐息を漏らし、路はあちゃーと肩をすくめ、コニーは呆然と固まる。
壊れた空気を気にも留めず、綾乃は喋り続けた。
「バドミントンも最初は楽しかったんだと思うんだけど、他人と試合すればするほど楽しくなくなって。でもお母さんと打つのは面白かったから続けてたんだけど、一年半くらい前からお母さんもいなくなっちゃったからつまんなくなったんだよね」
「…………」
「でも私バドミントン以外何もないから大会には出てたんだ。だけどどんなに私が真剣にやっても相手は途中で辞めちゃうし面白くない。ただ、相手の得意なことだとちょっと愉しかったから、途中からは飽きるまで遊ぶようになったんだ」
「ア、アヤノ……?」
「でもね、去年の秋に泪ちゃんと試合した時は本当に愉しかったの! 私が全力を出しても凄い強さで返してくるし、ラリーも全然終わらない。喉が痛くて息が苦しくて全身が疲れ切ってたけど、私その時思ったんだ。あ、今すごく愉しいって!」
はきはきと話す綾乃はいつしか笑みを浮かべていて、コニーにはそれが恐ろしい。
「人形だった私でもそんな人並みの感情が抱けるんだって感動した! なんていうんだろう、こう、生きてるって感じかな?」
だからね、と綾乃は締めに入る。
「私にとっての愉しいバドミントンは、生を実感できるような心身削り切るバドミントンだよ!」
皮肉なほど綺麗な笑み。
まるきり悪戯を大成功させた子供の表情があって。
濃密で堕ちそうな深い闇が眼前に。
「ぁ……ぇ……ぃゃ…………っ」
言葉が紡げない。脚が後ずさる。口が渇く。頭がくらくらする。戦慄に総毛立ち、少女が侵食する闇に飲み込まれそうになる。
目の前が、真っ暗に、なって……
「──コニー、しっかりしなさい!」
はっ、とコニーは俯いていた顔を振り上げた。
こちらを睨む唯華の眼差し。視線に乗る優しさに満ちた叱咤激励がコニーに突き刺さり、弱気に支配された心に確かな意気地が蘇る。
「すぅーーー……はぁーーー……」
コニーはしっかりと息を吸い、大きく大きく吐き出した。
心の中で唯華に感謝を捧げ、コニーは毅然たる態度を纏う。
暗雲に閉ざされた空色の瞳に暖かな光が射し込まれた。
「……
……だとしても、それがなんだ。
何の為に自分は母国を離れ、遠いこの地までやって来たのだ。
自己満足のためだ。
母と慕う女性との繋がりを一番にしたかったからだ。
──ママのNo.1は私なんだと証明する‼︎
「……じゃあやってあげるよ」
「ん? 何を?」
「──楽しいバドミントンだよ‼︎ 来いッッ‼︎ アヤノォォォオオオオオオオオオオオオッッッッ‼︎」
「……あはぁっ。お母さんが作った玩具だもんね。期待してるよ、コニーちゃん‼︎」
パァンッと天へと上がるシャトル。
靴を鳴らして着弾点に入り、コニーはクリアで綾乃をコート奥へと押し込む。
俊足で即座に追い付いた綾乃はコニーがネットに迫っているのを視界に捉え、ニヤリとあえて甘い球を宙に上げた。
(さぁ、打ってこい!)
これまで全てを返したスマッシュ。
これまで全てを返されたスマッシュ。
(上等!)
綾乃の狙いを察した上で、コニーは両脚で踏み切り一段と高く飛ぶ。
左手を上げ、腰を反り、余分な力みを抜き取って、右腕に全ての力を込める。
ここで綾乃に失望されるなどバドミントン選手として、有千夏の娘として死んだも同然。
出てこい、限界を超えた力よ。
綾乃を完膚なきまでに叩き潰す力よ──‼︎
「撃ち抜けぇぇぇええええええっ‼︎」
決死の形相でコニーは振り抜く。
風切り音だけを残し、ラケットが霞んで消えるその光景を、綾乃は目を見開いてただただ凝視していた。