「何ッ!? じゃああの鋼鉄の怪物は魔物じゃないのか!?」
「はい、馬車みたいな乗り物だと思ってください。馬じゃなくてガソリンっていう燃料を使って動く乗り物ですが」
「じゃあ、私がした事は……」
「そっちで言えば……馬車を襲う野盗?」
「そうかー……そうかー……」
俺は現在、近所を歩きながら彼女に対して簡単にだが世間の常識について教えている真っ最中。そして彼女は自分のやっていた事が野盗と大差無い事を知って項垂れていた。
「ま、まあ知らなかったんですから仕方ないですよ」
「知らなかったら何をやってもいいわけでも無いだろう……」
その意見は最もだが人のフォローを一瞬で粉微塵にするのは止めて貰えないだろうか。
そんな彼女はあの甲冑姿から俺が持ってきた姉さんの服へと着替えている。紺色のサマーセーターに青のジーンズと然程特別な服装ではないというのに、とても映える。着る人間が違うだけで服の印象がこうも変わるのか。
惜しむらくは姉さんよりも彼女の身長が高いせいでサイズが合っていない事だろう。俺だって少々物足りないとはいえ170㎝以上はあるのに彼女の身長は俺よりも高い。姉さんがダボついた服が好きだからと大きめのサイズを良く買っていたというのに、彼女が着れば微妙にサイズが合っていない。サマーセーターに至っては彼女の胸のせいもあって裾部分がギリギリになってしまっている。
というか本当に胸が凄い。甲冑のせいで分からなかったが本当に凄い。エロいとかではなく凄いのだ。女性の胸はこうも迫力があるとエロいと思うよりも圧倒されるのだと18年とちょっと生きてきて初めて知った。おそらくこの知識が今後生かされる事は未来永劫無いだろうが。
これでは甲冑姿とまた違った意味で目立ってしまう。知らない人が見たら何処のパリコレのモデルやグラビアアイドルなんかと勘違いするんじゃないだろうか。
そして甲冑と俺が持ってきた服やら生活用品は彼女が持っているRPG特有の質量法則を無視した魔法の道具袋へ仕舞われた。詳しく聞いたところ、空間魔法を応用して作られた袋らしく、値段が馬鹿にならないそうで持っているのは貴族や王族、またはごく一部の金持ちくらいだと言っている。
「それにしても、私の世界とは全然違うな。特に交通機関や食糧事情は」
「そういえば紙が高価って言ってましたね」
「ああ、子どもの小遣いで買える額になっているとは思わなかった。それに油、塩、砂糖、胡椒のような香辛料も安い」
昔こそ、そういった調味料は高価な代物だった。胡椒なんて同じ重さの金銀と交換していたくらいだ。それを考えると良い世の中になったものだ。
「人は魔法が無くともここまで文化を発達させる事が出来るのだな」
「そちらは生活に魔法を使ってるんですよね。魔法が使えない人はどうするんですか?」
「そうだな……水は井戸や川から汲んでくればいいが、料理に使う火は魔石を使っているな」
「魔石? 魔力が込められた石って事ですか?」
「正確には
その仕組みはこちらでいうところの電気代やガス代に近いな。
魔法のようなファンタジー要素を除けば後は大昔の生活によく似ている。騎士なんて職業があるくらいだから中世のヨーロッパが近いだろうか。
「この国は、平和だな」
彼女の瞳に映るのは、ランドセルを背負った小学生たちがワイワイと騒ぎながら下校している姿であったり、親子が手を繋いで仲良く歩いている姿であったり、夕方に買い物をする主婦たちで溢れ返るスーパーであったりと俺にとっては別に珍しくも無い光景であった。
「大きな戦争が終わってもう70年くらいはどの国とも戦争してないですからね。平和ボケしている国なんて言われる事もありますけど」
「平和ボケで結構じゃないか。人が大勢死ぬよりはよっぽどいい」
戦争なんてしないに越した事無いし、戦争をやっても特をするのは一部の上の人間くらいだろう。一般市民でしかない俺にとっては平和万歳だ。
「それで次は……」
俺が二の句を告げる前にグゥと何処からか可愛らしい音が鳴る。隣を見ると、顔を赤らめたウィスタリアさんが腹部を左手で抑えている。
「そ、その……だな……」
「あー何か腹減ったなー。夕食前に何か軽く食っておくかなー。良かったらウィスタリアさんもどうですか?」
「いや、でも持ち合わせが……」
「一食くらい奢りますって」
「しかし、年下の君にここまでして貰ってさらに食事まで奢ってもらうわけには……」
「え? ウィスタリアさんって年上なんですか?」
高校3年生と自己紹介をした覚えはあるが、それが何を指すか分からない彼女に俺の年齢を導き出せる事は出来ない筈。
「違ったのか? てっきり他の勇者たちと同じくらいかと思っていたが」
「ああ、成程!」
合点がいった。確かに、山中先生を除けば全員が俺と同じ年齢だ。
「だから年上として、そして騎士としてこれ以上君に手間をかけさせるわけには……」
今度はキュルルルと機械音のような音が彼女から聞こえてきた。
「……何か買ってきますけど、要望とかありますか?」
「ありがとう。宛が出来たら必ず返す」
彼女の中で騎士の誇りが空腹に敗北した瞬間であった。腹が減ってはなんとやらというし、誇りで飯が食えるわけでも無いから仕方ないね。
俺は彼女を近くのベンチに座らせて走った。
◆
ダッシュでコンビニに行って数分の後に帰ってきた。
「とりあえず色々買ってきました」
「重ね重ねすまない……」
彼女はしばらく何も食べてなかったと言っていたし、水分も碌に取っていなかったようだから固形物よりも消化に良さそうなものを主に買ってきた。野菜ジュース、ゼリー飲料、フルーツヨーグルト、プリン、杏仁豆腐と種類も様々。食べられないものがあったら後で持って帰ればいい。
「色々あるな」
「聞き忘れましたけど、宗教上で食べられないものとか身体が受け付けない食べ物とかはあります?」
「私は無いよ。宗教によっては肉や魚を食べないものもあるそうだが、私には耐えられないな」
彼女は笑いながら一番近くにあった杏仁豆腐を手に取った。
「これはどうやって食べればいい?」
「こうやってふたを開ければいいんですよ。中身はこのスプーンで掬って食べてください」
そう言って蓋を開けて見せる。そしてコンビニで貰った使い捨てのプラスチック製のスプーンを手渡した。
「こう、か……?」
彼女は俺の言う通りに杏仁豆腐を掬って口に含んだ。
「ッ!? はぁ……」
一瞬、彼女は眼を見開いた。そして先程までキリっとしていた表情がだらしなく破顔したものへと変わっていく。
「はっ、おほん!」
俺にじっと見られているのに気づいた彼女は今更ながら咳払いをして表情を元へ戻す。
「美味いな、口の中でとろけるような滑らかさに控えめな甘さ、後味もさっぱりしていて口の中に甘さが残らない」
それからが早かった。余程腹が減っていたんだろうか、杏仁豆腐は10秒もせずに空となりその勢いでフルーツゼリーとプリンを完食。ゼリー飲料も10秒チャージの如く消費されて、野菜ジュースもゴクゴク飲み干してしまった。物凄い食欲だ。
「はぁ、神に、そしてこの出会いに感謝を……」
「ど、どうも」
胸に手を当てて念じるように感謝の言葉を述べる彼女に思わず軽く頭を下げてしまった。日本でいうところの『ごちそうさまでした』みたいなものだろうか。
「美味しそうに食べますね」
「うっ、恥ずかしいな。騎士をやってると娯楽なんて食べる事か風呂に入る事くらいしかないんだよ。だから自然と良く食べるようになった」
その割には脚もすらっとしていてウェストも引き締まっている。世の女性たちが羨むボディラインをしていると言っていいだろう。
「フフ、君も男だな」
「……何の話ですか?」
「さっきから私の身体をちょくちょく見ていただろう」
言葉に詰まる。事実彼女の事はちょくちょく見ていたし胸やボディラインに目が行ってたことも否定出来ない。でもあくまでチラ見に留めていた筈。
「あの、すいませんでした。武力行使とかは出来れば勘弁して貰いたいです」
「別に怒ってはいないんだが、というか君は私の事を何だと思っているんだ……。胸が目立つから普段は鎧を着て抑えているんだが、この服では胸を押さえられないから仕方無い。肩は凝る、動きの邪魔になる、ジロジロ見られると良い事があった試が無い」
うんざりしたような口調で言っているが、世の貧乳女子が血の涙を流して怒り狂うような台詞だ。持つ者には持たざる者の気持ちは分からないんだろう。
これは個人的な意見だが、胸に貴賤は無いが無いよりはあった方が良いと思う。
「さて、まずは住む場所を―――――ッ!?」
彼女の目つきが途端に険しいものへと変化する。素早く俺の身体を後ろへと隠し周囲を見渡した。俺も周囲を見回してみたが不審人物や危険物はこれといって見当たらない。
「どうしたんですか?」
「私が追っていたサイクロプスの気配がする」
そういえばスポーツドリンクを渡したときにそういえば『サイクロプスを追っていた』と言っていた。
「何故そう思うんですか?」
「私は魔法が使えない代わりにこの手の勘が鋭いんだ。仲間からもよく羨ましがられているよ」
「サイクロプスってデカいんですか?」
「デカいな私が追っていたのは私の倍以上はある大きさだった」
ならばそのサイクロプスは3mを軽く超えていることになる。
「そんな化け物が居たら目立つんじゃ……」
「それについては私も気になるが、今はそんなことを考えている暇はないな」
立ち上がった彼女、その風格は先程までとはまるで違う。彼女もまた一人の騎士なのだとあらためて思い知らされた。
「ありがとう。私が生きていたらまた会おう」
「……勝てるんですか?」
「分からない。並みの戦士が束になって犠牲を払い、やっと倒せるレベルの相手だ」
「でもウィスタリアさんは一人じゃ……」
「私もそれなりの手練れだと自負している。そう簡単にはやられないさ」
彼女は俺に優しい顔で笑いかけ、背を向けて歩き出す。
俺は自然とその背中についていこうと――――。
「来るな!」
一喝。
その声に俺の歩もうとしていた足が止まった。
「これは私の、私の世界の問題だ。これ以上君を巻き込むわけにはいかない」
「で、ですけど……」
「この世界で君に会えてよかった。ご飯美味しかったよ、もう一人の勇者」
そして彼女はそのまま走り去った。例え向かう先が死地であると分かっていても騎士である彼女は行かなければいけないのだろう。それが彼女なりの矜持なのだろう。
まだ彼女と邂逅して半日も経っていない。でも、彼女との会話は楽しかった。俺が知りたい事を教えてくれた。そこには残酷な真実もあったが、知らぬまま一生を過ごすよりは遥かにいい。
そして、彼女は俺を勇者と称えてくれた。
俺は彼女に一体何をしてやれるのだろう。
俺にはいったい何が出来るのだろう。
そう思った時、俺の足は自然と前へ進んでいた。