少女の選択
「
祖母の
まだ8歳になったばかりの幼い女の子。
髪も目も黒く、着物を着てきちんと正座をしている彼女を見て、一体何人が生粋の日本人ではないと気付くだろうか。
幼い孫娘に複雑な想いを抱きながら、葛葉はこれから伝える事の残酷さに眩暈がしそうだった。
対する彩芽は、祖母の雰囲気がいつもと違う事に不安を感じていた。
母も父も物心つく前に亡くしている彩芽にとって、葛葉は唯一の肉親であり、尊敬する師でもある。
いつも自信に満ち溢れ、毅然としている葛葉が、何故だか頼りなさ気に見える。
嫌な予感がした。
「彩芽、心してお聞き。私はもう長くない」
そして、嫌な予感というものは当たるものだ。
彩芽は葛葉の言葉に、声は出さないものの目を見開く。
「占いだから、外れる事もある。だが、お前も知っての通り、私の占いは超一流だからね」
葛葉は言って、皮肉気に笑った。
陰陽道の中でも基礎となる占術……葛葉はそれを1番の得意としている。
特に人の死期に関する事では外した事がなかった。
それを知っているだけに、彩芽は何も言えなかった。
祖母は死ぬのだ、確実に。
「だから、お前には全て話しておく。……安心おし、今すぐ死ぬわけじゃないよ」
ワナワナと震えだした彩芽の唇を見て、葛葉は眉をしかめた。
今すぐじゃなければ良いという問題ではないと彩芽は思ったが、必死に呼吸を整えて堪える。
「そうそう、心を簡単にさらけ出してはいけないよ。付け入る隙を与えてしまうからね」
顔色は悪いものの、不安や悲しみの表情を消した彩芽の顔を見て、葛葉は頷いて話を戻す。
「彩芽、お前には才能がある。流石、安倍晴明の血を引くだけの事はある、ということかね。少なくともここ何代かの中ではぶっちぎりトップの天才だよ」
にっこり笑う葛葉に、彩芽は完全な無表情で頷いて見せる。
その様子を満足げに見た後で、葛葉は表情を曇らせた。
身を守る為とはいえ、素直に感情を表現させてやれない事を不憫に思ったのだ。
安倍晴明の血を引く陰陽師の家系。
自分の代で、その大きな流れからははみ出しているけれど。
それでも、そう易々と周りの抗争と無関係にはなれやしない。
もしも彩芽の陰陽師としての才能が明るみに出れば、周りの本家筋の奴らに彩芽の将来は縛られてしまうだろう。
それも、飛び切り嫌な形で。
「だけど彩芽、何度も言うようだけれど、術を人前で使ってはならないよ。出来ないふりをしなさい」
コクリと頷く彩芽をしばらくじっと見つめた後、葛葉はゆっくりと口を開いた。
「それじゃ、今からお前に全ての秘密を明かそう……」
葛葉は彩芽に全てを打ち明ける。
もしも死期が見えなければ、真実を伝えるのはもっと先になっただろう。
けれど現実はとても非情だった。
「お前の母親は病気で死んだんじゃない。殺されたんだ……」
彩芽は息を呑んだ。
父と母は病気で死んだと思っていた彩芽にとって、それは寝耳に水で。
続く言葉は、悪夢だった。
「お前の父親に……そう、イギリスの魔法使いどもがヴォルデモート卿と呼んでいる、闇の魔法使いにね」
母親は殺された、他でもない自分の父親に。
では、私は人殺しの娘なのか……。
彩芽はそれに気付き、ぎゅっと拳を握った。
顔が熱くなり、涙が出てしまうかと思ったが、不思議と胸の中は冷えていた。
「お前の母親……私にとっては娘になる
酷い言い様だったが、葛葉は笑みを浮かべていた。
懐かしむような微笑み。
葛葉が撫子の事を話す時は、いつも柔らかい笑みを浮かべる。
彩芽はそれが酷く辛かった。
それが何故なのか、彩芽はいつも不思議に思っていたが、その謎が今解けた。
葛葉は撫子の話をした後、決まって彩芽を見るのだ。
本人は気付いてないのかもしれない。
でもその瞳に、彩芽は苦しくなる。
私に、母の面影と、その母を殺した憎い男の影を見ているんだ……。
そう気付いてしまった。
気付かなければ良かったと思った。
酷く悲しいはずなのに、やはり心は冷たく冷え切っている。
仕方がない、と思う自分の声が聞こえた。
仕方がない、だって私は、おばあ様にとって……大切な娘を殺した、憎い男の子供なんだから。
彩芽はそう割り切る事にした。
祖母のせいじゃない、全てはその男、自分の父親が悪いのだ。
「撫子は陰陽師としては失格だったけど、魔女としては優秀だった。だからイギリスの魔法魔術学校、ホグワーツに入学させたんだ。そこで学び、友も出来た。リリー・エバンズという女の子が、あの子の親友だった。何度か会ったけど、可愛らしい子だったよ。鮮やかな赤毛に、澄んだ緑の目をしていた。……死んでしまったけれどね。殺されたんだ、ヴォルデモートに」
「ヴォルデモート」
彩芽はその名を口にしてみた。
自分の父親であり、母親を殺した男の名前。
けれど、全く何の感慨も湧かなかった。
「リリーにもお前と同じ歳の子供がいたんだよ。男の子で、名前はハリー・ポッター。ジェームズ・ポッターがその父親で、撫子の片想いの相手だったね。リリーと違って、こっちは生意気で馬鹿なくそ餓鬼だったけれど……」
何か酷い思い出でもあるのか、葛葉は眉間に皺を寄せた。
「ともかく、そのジェームズも殺された。ヴォルデモートにね。だけど、父親も母親も殺されたのに、ハリーは生き残った。同時に、ヴォルデモートはいなくなった」
「……?」
意味が分からず、彩芽は葛葉を見返す。
「これは私の仮説だから、真実ではないかもしれないけど……」
葛葉はその視線を受けて、自分の推測を述べる。
「恐らく、ハリーには古い魔法がかかったんだろう。呪いに対する強力な反対魔法。奴がハリーを殺そうとしたなら、当然母親であるリリーは命を賭して守っただろう。リリーの我が子に対する愛が、ハリーを守り、魔法をかけた。そして呪いを放った張本人……ヴォルデモートはその反対魔法によって逆にやられてしまった」
では、父親は……ヴォルデモートはやはり死んでいるのか。
そう思った彩芽に、葛葉は「でもね」と言葉を続けた。
「ヴォルデモートは生きている。そして再び復活を果たす。そう遠くない未来にね」
「……それは」
予言だろうか。
葛葉はその未来を占いによって見たのだろうか?
「復活したヴォルデモートを倒すのは、ハリーだそうだよ。そう、これは予言だ。でも私のではない。……撫子の見た予言さ」
葛葉は悲しげに微笑んだ。
「本当に、あんなにも陰陽師の才能がなかったのにね。あの子は何故か予知をした。そして、リリーとジェームズの子が、そんな運命を背負うのは理不尽だと、撫子は……」
彩芽が見ている前で、葛葉が泣くのは初めてだった。
「ヴォルデモートの元へ行き、……命を落としたんだよ」
大きな広い日本屋敷。
高く頑丈な塀に囲まれたその敷地はかなりの大きさで、屋敷もさることながら、庭園も立派なものだった。
町の外れにあるため、騒音とも縁がなく、庭の裏の大きな林からは涼しげな風が吹き込む。
霊場としても優秀で、気の流れも安定している。
その広い屋敷に、彩芽は葛葉と2人で住んでいた。
彩芽の祖母である葛葉は、安倍晴明の血を引く陰陽師の家系に生まれた。
様々な理由で葛葉はすでに勘当されており、現在は彩芽と暮らすこの家だけが財産と呼べるものだった。
葛葉が全てを打ち明けたその前日に、彩芽は8歳の誕生日を迎えていた。
その日、葛葉に陰陽師としての修行は終わりだ、もう教える事はなにも無いと言われた彩芽。
事実上の免許皆伝だったが、葛葉のこの告白以降、その修行に当てていた以上の時間を、西洋の言葉や学問、魔法を学ぶ事に費やす事になった。
詳しい理由は聞いても教えてくれず、いつかお前に必要になるだろうというばかり。
そのくせ、指導はスパルタで、間違えれば叱責。
酷ければ細い棒状のもので打たれる事もあった。
もっともそれは、陰陽師の修行中と同じなので慣れてはいたが、やはり痛いことに変わりはない。
1日のうち、午後から就寝までは全て英国語。
食事は日曜日は洋食に変わった。
元々、死んだ祖父が英国人という事もあり、英国語を使う事はあったが、日常会話全てがとなると難易度は急に上がる。
さらに彩芽はどうしても洋食に馴染めなかった。
しかし、食べなければ次の日も洋食になるので必死で食べるしかない。
勉強より、言葉より、彩芽にとっては食事が一番辛かった。
そんな毎日が繰り返され、彩芽は充分に知識を得ていった。
そして彩芽が11歳になった夏。
蝉の声が煩わしいその日、葛葉は静かに息を引き取った。
眠っている様な遺体を焼いて、骨にして墓に入れて。
色々な手順をすっ飛ばし、祖母はあっという間に埋葬されてしまった。
あらかじめ葛葉が専門の業者にそう指示していたらしく、故人の遺志であるというならば止めるわけにもいかない。
手際よく進められるそれらを、彩芽はほとんど見ているだけだったが、あまりにも急過ぎる事に驚いていた。
葛葉は親戚に自らの死の予定を告げていなかったため、彩芽が葛葉の兄である大叔父に連絡をして一族が駆け付けた時には、葛葉はすでに土に埋まった後であった。
ゆっくりと別れを惜しむことも出来ないまま、全てを終えてぼんやりと座っていた彩芽は、人の気配に顔を上げてその人物の名を呟いた。
「アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア……」
ちょっと異常なほど、白く長い髭の老人。
1度しか会ったことはなかったが、彩芽は相手を覚えていた。
「さよう、君と会ったのは何年も前の事じゃが、覚えていて貰えたとは嬉しいのう」
しかもフルネームとは!と、ダンブルドアは口元を綻ばせる。
彩芽はそれを見て微かに眉を寄せた。
「何をしにいらしたんですか?」
自然と言葉にもトゲが含まれる。
ダンブルドアはそれに気を悪くするどころか、にっこり笑って答えた。
「君に道を示す為に来たのじゃ」
「祖母に別れの挨拶をしに来たのではなくて?」
葛葉の友人であるのに少しも悲しそうでないダンブルドアに対して、彩芽は腹立たしさを感じる。
しかし顔にはほとんど出ない。
いや、出せない。
内心ではふつふつと怒りが湧いているものの、無表情な彩芽に、ダンブルドアはポケットから手紙を取り出して見せた。
品の良い、薄い藤紫色の和紙を使ったその手紙には、しっかりとした黒墨で『親愛なるアルバスへ』と書かれている。
…………英国語で。
和紙にアルファベットを小筆で書く辺りが葛葉らしく、彩芽は瞬間、怒りを忘れてしまう。
どんな型にもはまらない自由な人。
それが彩芽の中にある祖母のイメージだった。
「彼女からの手紙じゃ。わしに、君の今後の身の振り方を手伝ってもらいたいと考えておられた様での」
その言葉に、彩芽はダンブルドアを見上げる。
3年前のあの日から、葛葉は彩芽に西洋の言葉や魔法を叩き込んできた。
そのお陰で、今こうしてダンブルドアとも自然な会話が成り立っている。
発音や単語を間違えた時の事を思い出して、彩芽は眉を寄せた。
まだ、懐かしむには生々しすぎる痛みを思い出したせいだ。
しかし葛葉は一度も……死ぬ間際でさえ、それが何の為なのかを彩芽に伝えなかったのだ。
「君には2つの道がある……と、その前に……」
ダンブルドアは杖を取り出し、ひょいひょいと振ってどこからか椅子を取り出して座った。
彩芽にも、いつの間にか現れている椅子に座るように促す。
さらに、ティーカップの乗ったテーブルを出すと、ダンブルドアは彩芽に砂糖の数を聞いた。
「……1つ」
人の家で勝手にお茶の準備をしだしたダンブルドアに少々呆れながらも、お茶の1つも出さなかった自分に思い当たり、渋々ながら椅子に座り答える彩芽。
頭の片隅で、畳に痕が付かなければいいけど、と思った。
「本当に1つでよいのかね?」
ダンブルドアは言いながら、角砂糖を1つカップに落とす。
差し出されたそれを、彩芽は礼を言って受け取った。
「……さて」
彩芽からしてみれば胸焼けするくらい甘そうな紅茶をすすって、ダンブルドアはそう話を切り出した。
「わしが思うに、君には優秀な魔女の血が流れておる」
キラリと光る眼差しを向けられて、彩芽はコクリと頷く。
物心つく前に亡くなった母は、陰陽師としての才能は皆無だったが、魔女としてはとても優秀だったと葛葉から聞いていた。
祖母の葛葉は生粋の日本人だが、祖父は西洋の魔法使いだったとも。
その力を受け継いでいることも、葛葉との勉強の中ですでに確認していることだった。
「そこでじゃ、これは提案なんじゃが、ホグワーツに入学してはどうじゃろう?」
思っても見なかった提案に、彩芽はしばし固まった。
もっとも、表情に乏しいので傍目には分からないが。
「おお、もちろんここに残るのも選択肢の1つじゃ」
ダンブルドアは大きく手を広げて微笑む。
「陰陽師としても、君は天才的だと葛葉から聞いているしのう」
その言葉に、彩芽は今度こそ軽く目を見開いた。
「……祖母が、貴方にそう言ったんですか?」
ダンブルドアはゆっくりと頷く。
彩芽が免許皆伝した事はもちろん、術を使えることすら人に知られてはならないと……そう言ったのは、他ならぬ葛葉本人だ。
彩芽は、ダンブルドアに対する認識を改める必要があると感じた。
ダンブルドアは祖母にとってただの友達ではなく、信頼に値する『親友』だったのではないだろうか。
「……ミスター、アルバス・ダンブルドア」
「アルバスでよい、アヤメ」
「では、アルバス。選択肢ではなく、貴方の意見を聞かせて」
彩芽はダンブルドアをじっと見据えた。
ダンブルドアは半月型のメガネ越しに、キラキラした明るい5月の空の様な瞳を彩芽に向ける。
「ふむ、わしの意見を聞くのかね?君はもうすでに、答えを見付けていると思ったが」
「それでも。聞かせて」
彩芽の言葉に、ダンブルドアはにっこりした。
「わしはもちろん、ホグワーツ入学を勧めよう」
そしてそれは、祖母の望みだったのだろう。
彩芽はふうと息を吐く。
ダンブルドアと話をするうちに、彩芽は祖母が本当にして欲しかった事が何だったのかを理解した。
自分からその望みを口にしなかったのは、罪悪感からだろうか。
きっと、彩芽が嫌だと言えば、葛葉はそれでも良いと思ったのだろう。
だから、これが葛葉が彩芽に残した最後の選択。
彩芽は迷うことはないと思った。
そう、葛葉が望んでいなくとも、いずれはイギリスへ渡るつもりでいた。
父を……ヴォルデモートを殺しに。
その時が早まっただけの事。
母が命を賭けて変えたかった未来を、私が変える。
ヴォルデモートを殺すのはハリー・ポッターではない。
――私だ。
◇初っ端からネタバレ満載。そして不穏◇