気が付くと、ホグワーツに来てから2ヶ月ほどが過ぎていた。
その日の朝、彩芽は廊下を漂う甘い匂いに半ば胸焼けしながら目を覚ました。
廊下にいても、教室にいても、どこもかしこも甘ったるい。
今日はハロウィーンだと少しウキウキした声でハーマイオニーが教えてくれて、彩芽はようやく納得する。
実際に体験したことはないが、知識としては知っていた。
「かぼちゃのメニューがたくさん出るんですって!」
ラベンダーの弾んだ声に、くすくすとパーバティが笑う。
「いいの?あなたダイエットがどうとか言っていたじゃない」
「いいのよ、お祭りは楽しまなくっちゃ!」
ラベンダーは呪文のように「かぼちゃジュース、パンプキンパイ、かぼちゃアイス、パンプキンステーキ」と口ずさみ始める。
パーバティはそれを聞きながら、今日のために用意したらしいジャックオーランタンの髪留めで髪を飾った。
ハーマイオニーもハロウィンの事は楽しみなようで、本で読んだハロウィンの起源と魔法界のハロウィンにまつわる知識を披露してくれた。
もっとも、ラベンダーには「授業を受けてる気分になるから止めて!」と不評だったが。
Trick or Treat?
悪戯かお菓子か。
他者にその二択を迫り、お菓子がなければ強制悪戯。
その二択を迫られた時のために、今日はお菓子を持ち歩いた方がいいと、彩芽はハーマイオニーにお菓子のおすそ分けをもらった。
なんだかんだで楽しそうなハーマイオニーを見ていると、彩芽も嬉しくなってしまう。
寮を出た瞬間、待ち構えていた双子達の襲撃もお菓子を渡してなんなく通り過ぎる。
来年は日本の和菓子を用意しようかと、彩芽にしては珍しく先の事を楽しみに考えた。
ところが、幸せなムードは一気にぶち壊しになってしまった。
それは呪文学の授業の後。
運悪くペアにされたハーマイオニーとロンの間で何か問題があったらしく、授業が終わるなりロンは、ハリー向かって不満をぶちまけていた。
「まったく悪夢みたいだよ。自分の頭の良さをひけらかして、本当に鼻持ちならない奴だ!知ってるか?あいつ、寮の部屋の中でも浮いてるらしいぜ。アヤメがいるから辛うじて独りじゃないってだけでさ」
たまたま後ろにいた彩芽は、ロンを蹴り飛ばしてやろうとしたが、隣にいたハーマイオニーの方が一瞬早く嗚咽を漏らす。
ハッとして彩芽がハーマイオニーを振り向くのと同時に、彼女は涙を落として走っていってしまった。
「今の、聞こえたみたい」
「それがどうした?」
ハリーが呟き、ロンは少しバツが悪そうに、それでも虚勢気味に言う。
彩芽は今度こそ、ロンを後ろから思い切り蹴った。
背の低い彩芽の蹴りに丁度膝カックンの要領で倒れたロン。
「痛い!何だよいきなり……」
彩芽はそのロンを静かに見下ろすと、いつも以上に平坦な声音で一言呟く。
「呪われろ」
青くなるロンとハリーを置き去りにして、彩芽はハーマイオニーを追って走っていった。
彩芽が追いついた時には、ハーマイオニーはすでに女子トイレの個室の1つに閉じこもってしまっていた。
外から呼びかけたが、泣くばかりで会話にならない。
授業をすっぽかしたハーマイオニーと彩芽を心配して探しに来たパーバティとラベンダーにも、ハーマイオニーは1人にして欲しいと泣くばかりだった。
「…………落ち着いた?」
長い時間が経った。
少し離れたところで壁に寄りかかっていた彩芽は、すすり泣きが小さくなったのを見計らって、ポツリと呟くように話しかける。
ハーマイオニーは一瞬息を呑み、次に鼻をすすった。
「気配が無いから、私てっきり、アヤメもパーバティ達と行ったんだと思ってたわ」
「いかない。ハーマイオニーと一緒に、ハロウィンのご馳走食べるの楽しみにしてたから」
「ごめんなさい、私……」
「だからハーマイオニーと一緒にいる。ご馳走より、こっちの方がいいもの」
言い切った彩芽の言葉に、ハーマイオニーは笑った。
カチャ、と錠の外れる音に、彩芽は個室に歩み寄る。
出て来たハーマイオニーは泣き腫らした目で、でも少しだけ笑ってくれた事に、彩芽も微笑みを向けた。
「あなたって、本当に……」
言いかけたハーマイオニーの顔が強張る。
ツン、と鼻にくる悪臭と気配に、彩芽も背後を振り返った。
ヒッと息を呑む声が側で聞こえる。
彩芽は冷静に、相手と自分の力の差を推し量っていた。
背の丈4メートルほどの、ずんぐりとした体型の生き物。
巨体とちぐはぐな小さな頭と、バランスとしては長すぎる両腕。
そして、手には巨大な棍棒。
トロールという生き物だと知識から分かったが、トロールは普通、いきなり女子トイレに現れたりしない。
頭を屈めて扉から入って来たトロールは、彩芽とハーマイオニーを見てブグォオーと鳴いた。
「アヤメこっち!!」
とりあえず動きを封じるのが先かと、懐に手を伸ばした彩芽は、その腕をぐいと強く引かれた。
奥へと逃げるハーマイオニーと彩芽を、トロールは棍棒を振り回して近付いていく。
「ハーマイオニー、手を……」
放してと言う前に、トロールが洗面台をなぎ払った。
それに恐怖したハーマイオニーは、悲鳴を上げて正面から強く彩芽を抱きしめる。
状況が見えなくなったのと同時に、ハリーとロンの気配……次いで声が聞こえて、彩芽はハーマイオニーの腕から出ようともがく。
恐怖で加減を知らないハーマイオニーの抱擁はきつく、彩芽は苦戦した。
物を投げたり叫んだりして、トロールの注意をハーマイオニーと彩芽から逸らさせようとするハリー達。
恐怖のあまりすくんで動けなくなったハーマイオニーの腕をこじ開けて、彩芽はようやく自由に動けるようになった。
ヒトガタを取り出した彩芽の前では、ハリーがトロールの頭にしがみついていた。
トロールの鼻からは長い棒が。
そして、ロンが杖を取り出して構えた。
「ウィン」
ロンの口から出た呪文の音に、彩芽もヒトガタを放って短く印を結ぶ。
「ガーディアム レヴィオーサ!」
棍棒が持ち主の手から飛び出し、宙で一回転してから頭めがけて落ちた。
鈍い嫌な音がして、トロールはドサッとうつ伏せに倒れる。
その頭を、メリッと嫌な音が鳴るほど強くヒトガタが押さえつけた。
万が一意識を取り戻しても、起き上がるのは困難だろう。
「これ……死んだの?」
ハーマイオニーが恐る恐る尋ねる。
彩芽はそれに、小首を傾げた。
「いいえ、まだ息はある。……殺したほうがいいの?」
ブンブン首を振るハーマイオニーに、改めてハリーが気絶しているだけだと言って、トロールの鼻から杖を引き抜いた。
ねっとりしたものが杖に付着しているのを嫌そうに見て、ハリーはトロールのズボンでそれを丁寧に拭う。
と、バタンとドアが音を立てて開き、次いでマクゴナガル、スネイプ、クィレルの3人がなだれ込んできた。
唇を蒼白にしたマクゴナガルに、ハリー達はうな垂れてしまう。
「マクゴナガル先生、聞いてください――2人は私を探しに来たんです」
「ミス・グレンジャー!」
彩芽はチラ、とハーマイオニーを見た。
トロールをやっつけようと探しに来たと、嘘をつくハーマイオニー。
「アヤメは私を止めようとしてくれたんです。私はそれを無視して……ハリーとロンも……」
こんな回りくどい嘘を言わなくとも、他にもっといい言い方があるんじゃないかと思いつつ。
二人を庇う言葉に、彩芽もその通りだというように頷く。
ハーマイオニーは真実を知られたくないらしい。
ならば、私はハーマイオニーの嘘に付き合うまでだと彩芽は思った。
マクゴナガルはハーマイオニーの無謀さを怒り5点を減点した。
ハーマイオニーはそのまま帰るように言われ、彩芽の方を心配そうに見た後トイレから出て行った。
その後、ハリーとロンに向き直り、マクゴナガルは幸運だったと念を押して2人に5点ずつ与えた。
「ミス・ミナヅキ、あなたは差し引き0です。止めようとしたのは分かりますが、だからといって一緒になってついて行ってどうするんですか。とにかく、このことはダンブルドア先生にご報告しておきます。帰ってよろしい」
言われて、ハリー達はトイレから出る。
スネイプと視線を合わせた彩芽は、眉間の皺の本数にサッと顔を背け、無言でハリー達を追った。
スネイプはいつだって、彩芽に対して怒っている。
何に対して、どうして怒っているのか。
それが分からないから、彩芽は困ってしまう。
階段を上がっても、ハリーもロンも黙っていた。
彩芽は、まだロン達に少しだけ腹を立てていたが、階段を上がりきったところで待っていたハーマイオニーの顔を見て、それは忘れる事にする。
気まずそうな空気の後、ハーマイオニーとロン達は、互いに「ありがとう」と呟いた。
「君、まだ怒ってる?」
ロンが黙ったままの彩芽を恐る恐るといった風に振り返った。
彩芽はそれに、ちょっとだけ口の端を吊り上げる。
「まだ使った事のない呪いがあったのだけど、……試せなくて残念」
ロンは顔を引きつらせ、ハリーは少し考えてクスクス笑った。
「ロン、君、呪われずにすんだみたい」
「いやいや、アヤメのそれ、洒落になってないよ……」
ロンは泣きそうな顔で、それでもホッとしたように笑った。
それを見てさらに笑ったハリーの声を合図に、4人はグリフィンドール寮へと急いだ。
「ねえ、アヤメ」
走りながら、ハーマイオニーはニコリと笑った。
「ありがとう」
彩芽も、それに笑い返す。
その笑顔に3人は驚いて、そしてまた笑うのだった。
◇もしもハーマイオニーが彩芽の視界を塞がなかったら……女子トイレでスプラッタ事件が起こっていた可能性もあるわけです。今回から週一更新に速度を落とします。◇