彩芽と別れた後、ハリーはハグリッドがドラゴンの卵を手に入れた経緯に疑問を抱いた。
そこからハグリッドがフラッフィーの手懐け方をバラしたことを知り、ダンブルドアが魔法省から緊急の呼び出しで留守にしている事を知った。
一度は「もう首を突っ込まない」と誓ったハリーだったが、4階の廊下の見張りをマクゴナガルに見つかり、スネイプも見失ってしまった以上、じっとしている事は出来なかった。
ハリーはロン、ハーマイオニーと共にスネイプを止めようと決意していた。
もしもスネイプが石を狙っているなら、今夜しかない、と。
ハリーは寮に戻り、彩芽にもこの事を伝えた。
「ハリー、私はスネイプ先生を疑っていない」
彩芽の言葉に、ハリーは驚き、ロンは眉を吊り上げた。
「君、どうかしてるよ!じゃあ、ハリーが嘘つきだって、そう言いたいのか?」
「ロン、落ち着いて!」
彩芽の肩を揺さぶるロンを、ハーマイオニーが止める。
ハリーは彩芽を見たが、彩芽は首を振った。
「嘘というよりは、勘違いだと思っているわ」
「ああ、そうかよ!じゃあ、アヤメも今夜何も起こらないってそう言いたいんだろ。僕達がただ喚いて、ありもしない事件をでっち上げてるって!」
全く取り合ってくれなかったマクゴナガルの事を思い出し、憤るロン。
「アヤメ、無理強いはしない。でも、僕達は行かなきゃいけないんだ。だからこの事は他のみんなや先生たちには内緒にしておいて欲しい」
少し悲し気に、しかし真っ直ぐな目で、ハリーは彩芽を見た。
彩芽はそれにも首を振る。
「お前っ……!」
「私も行くわ」
ロンが爆発しかけたが、それより先に彩芽が口を開いた。
は?とロンが間抜けな顔をする。
「犯人はスネイプ先生、というのは勘違いだと思っているけど、石を狙っている『誰か』がいるというのには同意している。……例のあの人の手下が、ダンブルドアのいない今日、動くだろうと私も思っているって言っているの」
3人の怪訝な顔に、はっきりとそう言う彩芽。
「~~~っだったら、初めから一緒に来るって言えよ!」
ロンが怒鳴ったが、心なしか嬉しそうで、ハーマイオニーとハリーはホッとした。
「もしも、ヴォルデモートが石を手に入れてしまったら。それは魔法界が……たくさんの人の命が危険にさらされる事になる。そして今度こそ、ヴォルデモートは僕を殺すだろう」
静かにそう言ったハリーに、彩芽は頷いた。
「復活などさせない。そしてハリー、貴方を殺させたりしないわ」
ハリー達が夜、ネビルの制止を振り切って寮を抜け出した時、氷炎はみぞの鏡の前にいた。
「悪趣味な鏡だよな」
何度見ても胸が悪くなる。
だが、この鏡自体は悪くはないのだ。
いつだって、問題は人の方にある。
理想を映せば、人はその理想と現実の埋まらない差に悩む。
過去やもしもを映せば、人はその時間に縛られて未来を失う。
……そして、決して現実にしてはいけない気持ちを映すのは、その人物の理性を試し、闇に向かって背を押す行為に似ていた。
氷炎は人ではないが、鏡の中に自分の望みが映っていた。
心の中にある一番強い望み……彩芽が笑顔で日本の陰陽師たちの首を刎ねている。
その肉を、氷炎は美味そうに喰らって暴れていた。
これが俺の望みかと、氷炎は冷めた目で見やる。
妖として正しい望みだと思うし、実際そうなればどんなにいいかと思う。
……が、無理な話だ。
彩芽は決してこうはならない。
成人した狼ほどに大きくなった氷炎は、鏡に背を向けて部屋を移動する。
この部屋の1つ前は、スネイプが守る部屋だ。
黒い炎が行く手を遮る仕掛けだが、逆走する氷炎の側には炎に隙間がある。
その間に身を潜め、氷炎は待った。
クィレルが通り過ぎた時、氷炎は目を閉じた。
にんにくに混ざって強烈な臭いを放っていた死臭は、後頭部に憑依したヴォルデモートのものだ。
彩芽を通して時折見たクィレルという男。
彩芽はクィレルと過ごすお茶の時間を、本当に気に入っていた。
最初は相手の手の内を知るためだけに会話をしていたようだが、最近では会話自体を楽しんでいた。
――死なせるのは、惜しい。
そうポツリと零した彩芽。
肉体に他者を憑依させるというのは、体にも精神にも負担をかける。
助かるかどうかは5分といったところ。
(ま、俺はどっちでもいいけどな。彩芽さえ無事なら)
姿の見えなくなったクィレルから、自分の主人に意識を向ける。
4階の禁じられた廊下から滑り落ち、悪魔の罠という植物をハーマイオニーの知恵で抜け、今さっきハリーの箒によるスーパープレイで無数に飛び回る羽の生えた鍵から正解の鍵を探し出し手に入れたようだ。
この分なら、もうすぐここまで辿り着くだろう。
間一髪、ハリーが手に入れた鍵を使って無数の鍵鳥から逃げおおせたハリー達。
逃げ入った部屋は、大きなチェス盤のある部屋だった。
入り口側が黒の駒、向こうの出口は白の駒。
つまり、これはチェスで相手を負かさないと向こうに行けない仕掛けという事だ。
自分より大きな黒光りするナイトの駒をコンコンと叩くロン。
瞬間、意思を持ったようにナイトの乗った馬がぶるるる!と首を振り、ロンは慌てて一歩退いた。
「石でできているみたい」
「無闇に触るなよ、ロン」
警戒するハリーに、ロンは首を振った。
「多分、僕達……向こうに行くにはチェスをしなくちゃ。きっと、駒になって戦わなくちゃいけないんだよ」
少し震える声で、しかし確信気味にロンが告げる。
その言葉を、馬の上から見下ろしたナイトが頷いて肯定した。
「アヤメ、どう思う……?」
ロンが彩芽に意見を求める。
この4人の中で、自分とチェスについて語れるのは彼女くらいだ。
「いいえ、ロン。私の意見は参考にならないわ」
彩芽はそう言い、ハリーとハーマイオニーも頷いた。
ここは任せると言外に言われたロンは、そのまま思考の海に沈む。
3人は真剣に盤上を見つめるロンを黙って見守った。
「うん、じゃ、始めよう」
ロンが毅然と顔を上げた。
「ハリーはビショップと、ハーマイオニーはその横のルーク、アヤメはキングと交代してくれ」
指された通りに、駒と代わるハリー達。
チェスの駒は言葉を理解していたのかすんなりとその場を明け渡し、盤上から降りる。
「そして、僕はナイトだ」
ゆっくりとナイトの場所に立ち、ロンは彩芽を振り返った。
「もしも、僕が悪手を打ちそうになったり、万が一やられた時は……」
「私が打ったらキング以外全滅するわよ」
口上を遮って、彩芽が苦笑する。
確かに、とその場の全員が思った。
「それにね、ロン。……信じてる」
彩芽の真っ直ぐな目に、ロンは震えた。
恐怖ではなく、武者震いだ。
見れば、ハーマイオニーとハリーも、当たり前だと頷いている。
「……白の先手だ」
ロンは真っ直ぐ前を向く。
もう、頭の中はチェスの事しかなかった。
等身大の魔法使いのチェスは激しかった。
駒を取られるときに相手の駒が攻撃するのは、今まで寮の談話室でいつも見てきた光景だった。
だが、すぐ側であの硬そうな駒が割れるほどの衝撃で攻撃され横たわる姿を見て。
そしてその攻撃がいつ自分に襲い掛かるか分からない状況で、冷静でいるのは難しかった。
ロンはさすがの腕前でチェスを進めるが、相手の方も腕は確かだった。
ハリー達が取られそうになっていることに気付かず、ギリギリ回避した事もあった。
彩芽は一切口を挟まなかった。
挟んではいけないと知っていた。
もし危なくても気付いてくれる、万が一自分がやられても大丈夫、という緩みは命とりだ。
それに、下手に口を出せば思考を中断することになる。
大丈夫だ、ロンは勝てる。
彩芽はじっと戦況を見ていたが、その手にじわりと汗が滲んだ。
詰めが近いとロンの呟きが聞こえる。
「これしか手はない……」
長考の後、ロンが静かに言った。
彩芽も思考したが、確かに、それしかない。
「いいか、みんな。僕が今から動く。そうしたらそこのクイーンは僕を取る」
「ダメだよ!」
「何を言うのロン!」
「全くの犠牲なしにチェスはできない、これがチェスだ!」
ハリーとハーマイオニーの叫びに、ロンは言い返す。
「アヤメは分かるだろ、僕が取られた後、ハリーがキングにチェックをかけて僕達の勝ちだ!」
「でもロン……君を犠牲になんて……」
ハリーが首を振る。
「スネイプを止めるんだろ」
ロンがハリーに言った。
「早くしないと、スネイプが石を手に入れてしまうんだぞ。いや、もう手に入れているかもしれない!」
ハリーはぐっとこぶしを握る。
そしてゆっくりと頷いた。
ハーマイオニーは口を覆い、それでもこの決断を邪魔しないと決めた様だ。
彩芽も目をそらさず、ロンを見つめた。
「行くよ……」
震える声で、しかし足取りはしっかりと、ロンは前に出た。
すぐさま白のクイーンが気付き、ロンめがけて襲いかかった。
クイーンの振り上げた拳はロンを殴りつけて床に叩きつける。
ハーマイオニーの悲鳴が響いたが、誰も持ち場を離れる事はしなかった。
ずるずると、物の様に引きずり運ばれていくロン。
ハリーは震えながら、キングに向かって歩を進めた。
「チェックメイト」
その言葉に、白のキングは王冠を脱ぎ敗北を認め、道を開けた。
他の駒もそれに倣う。
動かないロンを振り返りながら、それでもハリー達は出口の扉に向かって急いだ。
「ハリー、ハーマイオニー、先に行ってて」
彩芽の言葉に、2人は驚いて振り向く。
「私はロンを手当てしてから、すぐに追いかける」
後ろをついてきていると思った彩芽は、部屋の真ん中で立ち止まっていた。
ハリーもハーマイオニーも、早く石を、スネイプを止めなくてはという気持ちと、ロンを助けなければという気持ちに揺れていた。
なので、彩芽のその申し出を拒むことは出来なかった。
「ロンを頼んだよ、アヤメ」
ハリーに頷いて、彩芽はロンに駆け寄る。
それを見て今度こそ振り返らず、ハリーはハーマイオニーと次の部屋へと走り出した。
ハリーとハーマイオニーが部屋に入って来て、氷炎は首を傾げた。
ロンと彩芽はどこに行ったんだと、すぐさま意識を共有する。
彩芽を通して見えたのは、ぐったりと動かないロンだった。
(チェス、完勝とはいかなかったのか……)
詳細は分からないが、まあ大きな怪我もなければ命もあるらしい。
手早く手当てを施す彩芽から、目の前の2人に意識を戻す氷炎。
炎に包まれた部屋の中で、ハーマイオニーが羊皮紙を手にスネイプの難題に挑んでいる様だ。
「分かったわ」
行く手を阻む炎を無効化する薬を見つけ出したハーマイオニー。
しかしその薬はたった1人分だけ。
「君は戻ってロンやアヤメと合流してくれ」
ハリーはハーマイオニーにそう言って、ダンブルドアを呼ぶように指示する。
ハーマイオニーが引き返し、たった1人で黒い炎をくぐるハリー。
(さあ、ここからは真相解明編だな……)
ハリーに……そしてすでに鏡を探すクィレルと黒幕に悟られぬよう、隠れながら。
氷炎は成り行きを見守る。
みぞの鏡が置かれている部屋は入り口から少し下がるようになっているため、入り口の陰から覗いた氷炎は様子が一望できた。
「僕、スネイプだとばかり……」
ハリーが驚愕して鏡の前に立つクィレルを見つめている。
ずっとスネイプ犯人説を唱えていたハリーには、この事実が信じられないようだ。
ハリーはスネイプが犯人だと思ったいきさつを喋るが、クィレルが丁寧に反論し、真実を伝える。
ハリーがついにクィレルが犯人だった事、スネイプはハリーを守ろうとしていた事などを認めると、クィレルは満足したのかハリーを縄で縛り、みぞの鏡を調べ始めた。
だが、いくら鏡を調べても石は見つからない。
焦るクィレルに氷炎は嘲笑う。
(あのジジイは、この石を守るためにここの教師たちに協力を仰いだ。……だが、それは全部余興なんだよ)
ハリーに冒険させ、仲間と力を合わせて困難を乗り越えたという感動の物語を演出したのだ。
でなければ、ホグワーツ1年生がここまで来られるわけがない。
いくら必死でとはいえ、死人も無しに1年生が突破できる罠でヴォルデモートやその部下の足を止められるわけがない。
知識さえあれば簡単に抜けられる『悪魔の罠』、クィディッチシーカーには持って来いのハリー用の『飛び回る鍵』、チェスが得意なロンにおあつらえ向きの『リアル魔法使いのチェス』、論理的な思考を持つハーマイオニーなら解ける『炎の部屋』。
全部、あの男、ダンブルドアの手の上での出来事なのだ。
ハリーが鏡の前に立たされ、今まさに、クィレルがターバンを脱ぎ捨ててヴォルデモートがその存在を明かした。
この瞬間のために……この1年は作られたのだ。
「氷炎」
薬を飲み、部屋の炎を突っ切って来た彩芽が、氷炎の側に立つ。
たった1人分しかないと思われた黒い炎をくぐるための魔法の薬。
だがそれは正確ではない。
誰かが炎をくぐる度、しばらくするとたった1人分補充される仕掛け。
これはハリー1人を、この場に立たせるための仕掛けだ。
「母親はお前を守ろうとしたが故に死んだ……その犠牲を無駄にしたくなければ、さっさと石をよこせ!」
「断る!」
ヴォルデモートとの言い合いの後、ハリーは彩芽のいる方へ向かって走った。
クィレルがそれを追うが、彩芽のいる入り口どころか、階段に差し掛かる前に追いつかれ、ハリーは手首を掴まれた。
「手が……手がッ!!」
ハリーが悲鳴を上げたが、それ以上にクィレルが苦痛の呻き声を上げる。
クィレルは体を丸め、苦痛に顔を歪めて自分の手を見つめていた。
見る見るうちに火ぶくれが出来ていく。
「捕まえろ!捕まえるんだ!」
ヴォルデモートの言葉に、クィレルが再びハリーに飛びかかる。
引き倒されたハリーの上にクィレルがのしかかり、首に両手をかける。
ハリーはまた悲鳴を上げた。
そしてクィレルも痛みに叫ぶ。
「もういいでしょう、ダンブルドアには悪いけれど」
「そうだな、ハリーの奴、もう気を失いかけてる」
彩芽は陰から出る。
そして眼下で揉み合う2人の方へ、軽く指を向けた。
と、次の瞬間、クィレルが真横に吹っ飛んだ。
「誰だ……俺様の邪魔をする奴は!」
吹き飛ばされたクィレルの方から、ヴォルデモートの声がして、彩芽は自然と、口元に笑みが浮かぶ。
待っていた。
ずっとこの時を待っていた。
あの日、葛葉から、撫子の死の真相を聞いた時から……。
「ずっとお会いしたかった」
目を細め、口は弧を描いて。
なのに、その笑みは驚くほど冷たい
ハリーは薄れる意識の中、ゆっくりと階段を下りる彩芽を見た。
「はじめまして……お父様」
酷薄な笑みを浮かべる彩芽の姿を最後に、ハリーの意識は途絶えた。
◇次回、ついにお父様との感動の再会!◇