ホグワーツ魔法分などないっ!◇
久しぶりの我が家
目を開くと、そこは見慣れた屋敷だった。
「さっきまで列車に乗ってたせいで、なんか地面が揺れてないのが変な感じだな」
トランクの上に乗った氷炎がそう言って、畳の上に飛び降りる。
彩芽も、靴を脱いで手に持った。
ホグワーツ特急の中から日本の屋敷へと戻って来た彩芽は、大きく息を吸う。
それを吐き出しながら、帰って来たのだと実感した。
移動の術はかなりの大技だが、この屋敷内には気が満ちている。
疲れを感じないこの空気に、気持ちが解れていくのを感じた。
ガラリ、と戸を開けて廊下に出ると、雨戸が開かれていた。
庭に靴を置きながら、閉めて行ったはずなのにと思うと同時に、近づいてくる気配を察し、彩芽はその名を呼んだ。
「茶々丸」
「はいっ!お帰りなさいませご主人様!」
満面の笑みで走り寄って来た少年は、廊下の途中で何かに躓いて前のめりに倒れた。
その瞬間、それは人ではなく毛玉に変わり、そのまま彩芽の足元までゴロゴロと転がってくる。
「相変わらずのドジ、間抜け、おっちょこちょい具合だな、茶々丸」
氷炎が皮肉を言えば、毛玉は丸めた体を起こしてえへへと笑った。
「嬉しくってはしゃいでしまいましたっ」
人のするように、頭に手を当てて笑っているが、それはれっきとした狸だった。
まだ生まれて3年ほどの年若い狸で、この屋敷の裏の林で生まれた。
霊場になっているためか、この林に住む狸達は、古来より化けるのが上手い。
祖母の葛葉と茶々丸の母狸がお茶友達で、彩芽が幼い頃から縁側で2人お茶を飲む姿をよく目にしていた。
茶々丸が産まれた時は彩芽も立ち合ったし、さらに言えば、茶々丸と名付けたのも彩芽だ。
そのせいか、茶々丸は彩芽を主人として見ている節があり、何かにつけて役に立ちたいと考えている。
庭を見渡しても、屋敷を見渡しても、1年間放置していたとは思えないほど手入れが行き届いていた。
これまで屋敷の雑用は葛葉の式神がやってくれていたが、葛葉が亡くなったため、その契約は無効となっているはずだ。
「お前が手入れしたの?」
「はい!」
褒めて褒めてと、尻尾が左右に振れる。
彩芽は頭を撫でてやり、ありがとうと礼を言った。
「はーん、それであの部屋にあった掛軸が無かったんだな?お前、掃除ん時に破ったんだろ?」
氷炎が言えば、茶々丸は尻尾を膨らませた。
動揺したり、驚いたりした証拠だ。
「そ、そんな事……あり……ます。ごめんなさい」
しゅうんと垂れ下がる全身の毛。
分かりやすい奴、と氷炎は苦笑する。
その感情表現をどうにかして彩芽に分けれたらいいのに。
彩芽は気にした様子もなく、いつも通り無表情に茶々丸の頭をポンポンと撫でた。
「構わない。気にしなくていいから」
「ご、ご主人様ぁ!」
嬉しさのあまり足に抱き付いてきた茶々丸を見ながら、彩芽は黙ってイギリスへ行った事を少し後悔した。
そう言えば、ダンブルドアのせいで彩芽は誰にも告げずにイギリスに渡ったが、大叔父はその事をどう思っているだろうか。
考えて、彩芽は首を振った。
いずれにせよ、学校が始まるまでに一度、会う必要がありそうだ。
それは酷く億劫で、彩芽は重いため息を吐いた。
炊きたての白い飯、焼き立ての鰆、鰹出汁の豆腐のお澄まし、里芋と牛蒡の煮物、胡瓜と茄子のお新香……。
彩芽が台所に立とうとした瞬間、茶々丸が「任せてください!」と張り切り、用意した夕食だ。
「食ったら胃の中で葉っぱに戻るんじゃないのか?」
氷炎が茶化すと、茶々丸が頬を膨らませる。
彩芽といる時は、茶々丸は大体狸ではなく、こげ茶の髪をした10才ほどの童の格好で過ごす。
その方が色々とお世話できるので、というのが茶々丸の言い分だ。
「この1年、みっちり練習したんですよ!」
ふんぞり返る茶々丸に、彩芽は頷いた。
そもそも葉っぱで化かされたものかどうか分からない彩芽ではないし、食べたものは全て美味しい。
正直、まだまだ拙い部分はあるが、久しぶりの食事としては文句なしに美味しかったし、この1年頑張ったと言うのは嘘ではないだろう。
「あ、テレビつけてもいいですか?」
言うが早いか、茶々丸はスイッチをつける。
食事時にテレビを流すなんて、葛葉がいたらなんと言うだろうかと彩芽は考える。
躾には厳しい人だった。
「あ、アニメですよ!僕好きなんです!」
嬉しそうに言って、茶々丸がチャンネルを回す手を止めて、食事に戻る。
外国のアニメらしく、画面では人魚の女の子が海を泳いでいた。
画面に釘付けになりながら、黙々とご飯を食べるその姿に、氷炎が呆れる。
「この1年、どんな風にここで過ごしたのか想像できるな」
彩芽は頷いた。
この広い屋敷に1人で、寂しかったのだろう。
テレビでも観なければ孤独に負けそうだったのかもしれない。
「主人公の女の子、可愛いですよね!歌も上手ですし!」
コマーシャルになると急に饒舌になる茶々丸に、氷炎が「餓鬼」とか「お子様」と言ってからかう。
なんだかんだ言いつつ、気付けば彩芽も画面に見入り、結局最後まで観てしまった。
「ああ、面白かった!でも僕、あの敵の魔女が怖かったです。あんな魔女がいたら変身できなくなってしまいます」
ぶるっと震えて、茶々丸が言った。
化けるというのは意外に難しく、狸達の中でも茶々丸は化けるのが上手い方だ。
それでも、何かに怯えたりして気持ちに隙が出来ると、尻尾が出たり、そもそも化けること自体が困難になる。
「茶々丸はアニメが好きなの?」
「はい、アニメだけじゃなくて、ドラマも観ます。テレビってとっても面白いですよ!」
にこにこ、笑顔で返す茶々丸は、ここ最近観ている番組を教えてくれる。
しかし彩芽はどれも分からない。
茶々丸もそれに気付いたのか、話を変えた。
「あの、向こうはどうでしたか?彩芽様は洋食が苦手でいらっしゃるから、苦労されたのではないかと気を揉んでいたんですよ」
「ええ、そうね。正直なところ、あまり食は進まないわ」
彩芽の返事に、茶々丸は眉を落とす。
「やはりそうですか……人間は丁度彩芽様くらいが成長期ですのに、あまり変わられたご様子がないのでそうではないかと思いました」
狸に成長を心配されて、彩芽は内心苦笑する。
「私よりも、氷炎に苦労をかけているわ。色々と無理ばかり強いていて」
「俺はお前について行くしかねぇからな。そう思うならもう日本から出るなよ」
「言ったでしょう、私はイギリスに戻る」
彩芽の言葉に、茶々丸が顔を上げた。
「え、ずっとこちらにはいらっしゃらないのですか?!」
「一時的に帰宅しただけで、また向こうに戻るわ」
「そんな……」
しょんぼりと肩を落とす茶々丸に、氷炎が尋ねる。
「なんならお前もイギリスに行くか?」
「氷炎」
それを彩芽が素早く嗜めた。
「茶々丸を連れていくわけにはいかない。軽々しく言わないで」
「へいへい」
氷炎は軽く返事をして流す。
元より本気で聞いたわけではない。
「……イギリス」
ポツリと呟く茶々丸に、彩芽は首を振った。
「茶々丸には、また1年、この家の事を頼みたい。いいかしら?」
茶々丸は彩芽を見た。
主人から直々に頼まれたことが嬉しくて、顔には笑顔が浮かぶ。
「はい!僕、頑張ります!」
その笑顔のほんの少しでも彩芽に分けれたら、と。
氷炎は無邪気に喜ぶ茶々丸を見て思うのだった。
純和食な食事を楽しみ、湯船で疲れを癒し、時差ボケもなく布団でぐっすりと眠った次の日の朝。
彩芽は久々に庭で体を動かし、体捌きが鈍っている事を痛感した。
寮では毎日体を動かすのは難しく、ずっとストレッチぐらいしか行わなかったので、それも当然だろう。
ハーマイオニーと行動を共にするので朝は寮内で待っていたが、これからはどうだろうか。
帰りの列車で見た、ハーマイオニー達の顔を思い出して、胸がちくりと痛んだ。
「おい、朝飯出来たってよ」
「……すぐ行く」
氷炎の声に頷いて、彩芽は何事もないように食卓へ向かう。
平静に冷静に、凪いだ海よりもまだ静かに。
心を波立たせてはいけない。
寂しい、なんて。
思うはずがないのだ。
茶々丸の作ったおにぎり、漬物、味噌汁という朝ご飯を終えて、彩芽は祖母の自室に入った。
「茶々丸の奴、ここには全く手を付けてなかったみたいだな」
ついて来た氷炎が言う通り、葛葉が使っていた文机にはうっすらと埃が積もっている。
「だ、だって、葛葉様のお部屋に勝手に入ったら、なんだか呪われてしまう気がして……」
気を利かしてバケツと雑巾を運んで来た茶々丸が、氷炎の言葉に言い訳を返した。
「そういやお前、あのばあさん苦手だったもんな」
ま、俺もだけど、と呟いて、氷炎はふうと息を吐いた。
瞬間、体が膨らみ、ふわりと髪が流れる。
氷炎が人の姿に化ける事は少ない。
そもそも化ける事に力を使うのが面倒だし、化けたところで茶々丸の様に人に溶け込めるわけではないからだ。
人の姿をとった氷炎を一言で表すと、『妖艶』だろう。
少し華奢めだが、大人の色香漂う体。
少し乱れ気味に流し着た着物からは鎖骨と胸板が見え隠れし、それらにかかる長い髪は白い。
顔は文句なしに美形。
切れ長の目に弧を描いた口元。
白い睫に見え隠れする薄茶の瞳。
全体的には儚げな雰囲気であるのに、その表情は強気で余裕たっぷりといった感じ。
当然の話だが、こんなのが道を歩いていたら目立って仕方がない。
「でもま、俺も呪われねぇように気ぃ付けるか」
男性のそれに変わった声で、氷炎がため息を吐く。
葛葉は氷炎のこの姿を気に入っており、自室に入るときは人の姿で入れといつも言っていたのだ。
「……はぁ、いつ見てもお綺麗ですねぇ。僕も早く氷炎さんくらい格好良くなりたいです」
茶々丸が感嘆して見上げる。
同じ姿に化ける事は可能だが、この滲み出る雰囲気までは真似できない。
氷炎はふふんと鼻で笑って、茶々丸から雑巾入りのバケツを受け取った。
「餓鬼のお前にゃまだ無理だろうよ。ほら、戻らなくていいのか?そろそろコマーシャルが終わるぞ?」
茶々丸の頬にサッと赤みが増す。
「あ、あの……あれはただ流しているだけというか……」
「別に責めてるわけじゃねぇよ。ほら、行って来い」
ぽん、と背を押され、茶々丸は顔を真っ赤にして走って行く。
それをケラケラと笑う氷炎に、彩芽は目を向けた。
「あまり苛めては駄目よ」
「分かってねぇな彩芽、あれは可愛がってるっつうんだよ」
髪をかき上げ、氷炎は首を傾げる。
彩芽はそうなの、と呟いて、葛葉の文机に近づいた。
あれが可愛がっているのか疑問ではあるが、2人の仲が良い事は間違いない。
死期を悟っていただけあって、始末すべきものなどはすでに葛葉自身の手で捨てられている。
なので今から彩芽がする事は、遺品整理と言うよりは、どちらかと言えば遺品の確認。
「どうせなら、おもっくそこっぱずかしいもんでも出てくりゃ良いのにな。昔書いた恋文とかさ」
絞った雑巾片手に、氷炎が引出しを開ける。
その姿は妖艶さと所帯臭さがちぐはぐで、なかなか面白い。
彩芽も本棚を確認しながら、氷炎に頷く。
「それは私も見てみたい。おじい様の事が分かるかもしれない」
「おじい様、ね」
氷炎は薄く香が染み込んだ和紙を選りながら、葛葉の言葉を思い出す。
「超絶イケメンのイギリスの純血魔法使いで、性格最悪の実力者……だっけ?」
「そう言っていたわね。なんでも、ホグワーツ創設者の1人、サラザール・スリザリンの末裔だとか」
氷炎はそれに眉を寄せた。
「本当かよ、それ。じゃあなんで彩芽はグリフィンドールに入ったんだよ」
「私がグリフィンドールを選んだからでしょうね」
去年、グリフィンドール寮に決まった瞬間、胸に感じた暖かな気持ちがふと蘇る。
それは一瞬のうちに消え、先程よりも胸の内が寒く感じた。
彩芽はそれに気付かないふりをして、続ける。
「お母様とおばあ様が調べたところによれば、お父様もスリザリンの末裔に当たるそうよ。おじい様の一族は、魔法界内で要領良く純血を守り家を栄えさせ、お父様の一族はより頑固にスリザリンの血を守ろうとし、衰退していった」
「血族結婚……か」
「そう」
かつて日本の上流でも、そういう習わしがあった。
しかし近代、その危険性は科学的に証明されている。
あまりに近い者同士が子供を産むと、遺伝子的な欠陥が出る事があるとし、日本の法律でも現在は三親等内の婚姻は禁止されている。
「とはいえ、おじい様の一族も虚弱で短命な者ばかりで、おじい様が唯一の生き残りだったそうよ」
「……なるほど、それで性格最悪か」
血族結婚を繰り返すと、遺伝的に劣勢な部分が多く出る。
それは体だけではなく、精神にも影響を及ぼし、短気で癇癪持ちだったり、知的障害が見られたりという事もある。
「恐らく、お父様が闇の帝王なんて恥ずかしい名前を堂々と名乗っているのも、そういう影響が出ていると思う」
「気ぃ付けろよ、そういう意味じゃ、お前だってその遺伝子継いでんだぜ?」
氷炎がニヤニヤしながらそう注意を促した。
「俺は歓迎だけどな。陰陽寮の奴らを恐怖と混乱に陥れる闇の姫君。そして俺はそれに仕える残忍で獰猛な悪の妖怪ってわけだ」
「それはとても面白そうね。私が陰陽頭より弱いという事実さえ抜けていなければ完璧だと思うわ」
「俺は、お前の方が強いと思うぜ?大体、なんで戦ってもないのに実力が分かるんだよ?」
「私が、おばあ様より弱いからよ」
彩芽の返事に、氷炎は開きかけた口を閉ざした。
それは違う。
葛葉に勝てなかったのは実力の問題ではない。
純粋な力の差で言えば、彩芽が上なのは確実で。
ただ、葛葉は力を受け流し、罠を張り、相手の隙をつく。
そういう事に長けていたのだ。
それに、実際に葛葉と模擬戦のような事をしたのは大分と昔の事で、そういう駆け引きにも長けた現在なら確実に彩芽に分がある。
――これも一種の呪いって奴かね。
氷炎は葛葉を完全には好きになれなかった。
人間の中ではかなり面白い部類に入るし、あのさばさばした性格も気に入っていた。
だが、たった1つだけ、氷炎が葛葉に対して好意を抱けなかったのが、彩芽に対する態度だ。
撫子とヴォルデモート卿の事を聞いた後であれば、幾分か理解できる部分はあるものの。
それでも、巧みに彩芽を縛り、誘導するその教育に、氷炎は不信感を抱かずにはいられない。
葛葉の彩芽に対する態度は、孫というよりは弟子という感じで。
見ていて酷くもやもやしたものだ。
「青は藍より出でて藍より青し、って言うだろ」
「もし、私に力があるとしたら、それはおばあ様の力。私は驥尾に付しただけの事」
彩芽はキッパリと言って、氷炎に向き直った。
「無駄口より、そろそろ手を動かして」
「……分かったよ」
言っても無駄だと、氷炎は引出しの中の確認に戻る。
彩芽は祖母であり師である葛葉を、氷炎から見れば少し異常なほど尊敬していた。
葛葉を否定する言葉を言うと、彩芽は決まって少し不機嫌になる。
しばらく無言で手を動かしていた氷炎は、彩芽の声に顔を上げた。
「おばあ様の手記だわ」
彩芽の手にあるのは、和綴じの本の様なものだった。
少し厚めの濃い紫の和紙の表紙。
手記自体は1センチほどと薄く、何冊かに分けてあるようだ。
「日記か?」
「ええ、その様ね。若い頃につけたものだわ。イギリスにいた頃の……」
最初の何ページかを捲って、彩芽はそれを閉じた。
「何だよ、読むんじゃないのか?」
「後でね。他にも無いか見てからにする」
「あっそ。こっちには術に使う道具と、手紙一式があったぜ。文箱も見つけた。相手から来た手紙も、大方これに入ってる」
「それも見てみるわ。部屋に運んでおいて」
「了解」
立ち上がった氷炎は、手記と文箱を抱えて部屋を出る。
それを横目で見送ってから、彩芽は小さく息を吐いた。
自分の力が葛葉より上だと、本当は気付いている。
彩芽の能力がまだ稚拙な内に、わざと力の差を見せつけ、葛葉の方が上だと刷り込みをされた事も知っている。
――おばあ様は、私の力が怖いのだろうかと考えた事もあった。
彩芽は父親の事を知り、葛葉がどうして自分にそうしたのかを知った。
さっき氷炎が言った言葉は正しい。
力を過信し、暴力的に振舞い、悪の道に堕ちる。
その遺伝子が受け継がれている事を考えて、葛葉はそうしたのだ。
己の力を過信する事のない様に。
おばあ様は正しい。
いつだって先を読み、正しい道を選び、導く。
だから、おばあ様の行動を、言葉を、疑ってはいけないのだ。
◇次回も日本でのお話です。
気長にお待ちください。◇