家に帰って来て、2週間が過ぎた。
彩芽は葛葉の部屋を色々調べたが、最初に見つけた手記と手紙以外は特にこれといったものはなかった。
床下から壺が出てきたが、その中身は梅干しだったし、天井裏には何もなかった。
「身辺整理する時間はあり余ってたしな。ま、こんなもんだろ」
氷炎は早々に飽きてやる気がなかったし、彩芽もこれ以上は何も出ないだろうと結論付けた。
一息入れようと、彩芽は氷炎と茶々丸と一緒にお茶を飲む事にする。
何も言わずとも、熱い緑茶と、しょっぱいお茶請けを用意する茶々丸。
元々、冬場に草履を温めてくれたり、外出時には耳当てに化けたり、体調を崩せば傷だらけで薬草を摘んで来たりと、世話を焼いてくれようとする傾向にあった。
どちらかと言えば、それらは空回る事の方が多かったのだが、帰って来てからの茶々丸の行動は、不思議なくらい自然で心地が良い。
ポリポリとお茶請けを齧りながらテレビに釘付けになっている茶々丸を見ながら、彩芽もお茶を啜る。
正直なところ、彩芽もイギリスは苦手だった。
ずっと日本にいたいという気持ちも、確かにある。
だが、やるべき事がある以上、戻らないといけない。
「……そろそろ、向こうに行く準備をした方がいいわね」
「もう行くのか?学校は9月からだろ?」
氷炎が嫌そうに顔をしかめ、茶々丸が目を大きくして近寄ってくる。
「も、もう行くのですか?もう少しゆっくりされても……」
「学校が始まれば、外には出られなくなる。行動は制限すると言われている訳だし、その前に調べておきたいことがあるの」
彩芽の言葉に氷炎はため息を吐き、茶々丸は肩を落とした。
「次のお帰りは、また1年後でしょうか?」
「どうかしら……」
てっきり「そうだ」と言われると思っていた茶々丸は、言い淀む彩芽に顔を上げる。
「状況によるけれど、冬に一度、帰ってこようかと思っているの」
「そりゃいい。あっちの正月は味気なさすぎるんだよな。栗きんとんは食べれたけど、俺は重箱に入ったお節が食いたい」
氷炎がぺろりと舌なめずりをする。
「はい、僕、一生懸命作ります!」
「酒も用意しておけよ、茶々丸。東北の地酒がいいな」
「はい!うんと美味しいやつを探しておきますとも」
満面の笑みで茶々丸が頷く。
彩芽は少し呆れた様にそのやり取りを見ていた。
「帰ると決めたわけじゃない。あまり期待をしないで」
「……そ、そうですよね」
しょぼくれる茶々丸に、彩芽は懐から和紙を取り出した。
淡いうぐいす色のそれに、茶々丸はキョトンとした。
「今年は、茶々丸に頼みたい事もある。冬に帰るかどうかも事前に知らせたいし、こちらの様子も知りたい」
「え、えっと……」
手に乗せられた和紙は、仄かに力を帯びている。
それが分かり、茶々丸は狼狽えた。
「何かあれば、手紙を書いてちょうだい。字は書けるでしょう?」
「ええ、はい」
頷く茶々丸に、彩芽は頷き返す。
「それに書き終わったら、宙に投げるの。そうすれば、鳥に変わって私の元まで届くから」
「はあ……」
くりくりと目を丸くして、茶々丸は和紙に目を落とす。
大事に使わなくてはと、しっかりと胸に抱いた。
「私はこっちを使う」
薄桃色の和紙を見せ、彩芽は茶々丸の頭を撫でた。
少し癖のあるふわふわの茶色い髪が気持ち良い。
「私は、おばあ様のように式神を多く持っていないから……茶々丸には不便をかけるけれど」
「いえ!僕は全然平気です!」
茶々丸はぶるぶると頭を振った。
「式神を増やさないのは、彩芽様がお優しいからです。全てがそうという訳ではありませんが、使役するという関係になる以上、それは力による支配。彩芽様はそれが嫌だから、むやみに増やそうとしないだけの事です」
茶々丸の力説に、氷炎がくつくつと喉で笑う。
「じゃあ俺は、力で支配された可哀想な妖って事か」
「違います!氷炎さんはお強いですから、彩芽様が力で支配しない対等の関係です。僕は……僕は、お2人の関係が羨ましいです。僕では、ご主人様の力にはなれない」
力なく呟く茶々丸に、氷炎がため息を吐いた。
「俺はお前が羨ましいけどな」
皮肉しか言えない自分とは違い、いつも真っ直ぐで素直な言葉を紡ぐ茶々丸。
氷炎は確かにその辺りの妖怪では相手にならないほどの実力はあるが、肝心の彩芽の心に、本当の意味で寄り添ってやることは出来ない。
「誰だって、自分以外の事は良く見えるものよ。それに、茶々丸は十分私の力になっているわ」
彩芽がそう言うと、茶々丸は力なくだが笑顔を見せた。
葛葉の部屋で見つけた手記や手紙、それから必要なものを全てトランクに詰めた後、彩芽は重い腰を上げた。
出来ればこのままイギリスへ行ってしまいたいが、そうもいかない。
渋々とだが、説明もなくイギリスへ渡った事へのお詫びや、向こうの学校へ入学した事の報告。
現在一時的に屋敷に戻っており、一度会って説明したい旨を手紙に書いた。
それを茶々丸に頼み、本家に持って行ってもらう。
屋敷の中には結界が張られているため、誰にも気づかれずに術を使うことが出来るが、外ではそうもいかない。
術でも使おうものならすぐさま検知されてしまうだろう。
彩芽は『母親に似て陰陽師の才能は受け継いでいない』という事になっているので、術で送るわけにもいかない。
あの雰囲気の悪い場所に茶々丸を1人で行かせてしまった事に、彩芽は少し後悔した。
日数はかかるが、やはり郵便にすれば良かったか……。
けれど普通に郵便で届けると、大叔父の手に渡らない可能性もある。
考えていた彩芽の耳に、門を開ける音が聞こえる。
帰って来たと腰を浮かした彩芽は、茶々丸の側にある気配に動きを止めた。
「彩芽様ッ!!あの、あの……!」
駆け込んできた茶々丸の尻にはふさふさの尻尾。
そのさらに後ろには、厳めしい顔の大叔父の姿。
「お手紙をお渡ししましたら、そこで待てと言われて……そうしましたら、ご一緒に屋敷に来ると……」
言いながら、茶々丸は部屋の隅へと姿を隠す。
大叔父はそれを見て、フンと鼻を鳴らした。
「珍しく連絡して来たと思えば、あんな毛玉を寄こしよって」
侮蔑も露わにそう言い捨て、そのままの目で彩芽を見下ろす。
「随分と勝手な行動をしているようだな?外国の学校に入学などと……我が一族の名誉に係わる事だぞ」
「申し訳ありません、大叔父様」
彩芽は内心の感情を一切見せず、淡々と頭を下げた。
「葛葉の事もだ。もっとも、連絡もなしに葬儀が進んだのは、葛葉の意向だとは聞いているが……その学校の事もそうなのか?」
葛葉が息を引き取った後、彩芽が最初にした事は、あらかじめ指定されていた業者に連絡する事だった。
普通であれば色々とある手筈がすっ飛ばされて、あっという間に遺骨として骨壺を手にしたあの早さ。
大叔父達が葛葉の死を知って駆け付けた時には、すでに体は焼かれた後だった。
どうして先に本家に連絡がなかったのかと、かなり問い詰められたが、葛葉が用意していた遺書にその事が書かれていたため、最終的には不問となった。
「はい。私を入学させるよう、あちらの学校に連絡がいっていたようです」
「なるほど」
彩芽の言葉に、大叔父は頷く。
「つまり、未だお前はあの愚妹の人形というわけか。それで、お前はその学校で一体何をしている?葛葉に何を指示された?」
威圧的に尋ねられるが、彩芽は平然とただ見返して答えた。
「特には何も。私も、入学の件は寝耳に水でした」
「だが、葛葉が手筈をした事は確かで、お前は何の疑問も持たずに入学をしたのだろう」
眉間に皺を寄せ、大叔父は彩芽を睨む。
「であれば、やはりお前が外国の学校などに入ったのには何か理由があるな。葛葉の言う事には唯々諾々なお前だ、自分で意図しなくとも、葛葉の思惑通りに動いているはずだ」
なかなか鋭いと、彩芽は内心感心した。
もっとも、大叔父が危惧するような陰陽寮や一族に関係する事は何もないのだが。
実の父親を殺すために入学したと言ったら、大叔父はどう思うだろうか。
頭の片隅を過ぎった考えに、彩芽は内心で笑った。
恐らくは信じないだろうし、信じたところでどうも思わないだろう。
「とにかく、不用意な行動は慎め。お前の母親の様に、死にたくなければな。本来なら今すぐ辞めろと言いたいところだが……イギリスの奴らに妙に勘ぐられるのも面倒だ。それに、お前はこちらの学校には通えない事だしな……」
大叔父は言って、屋敷を見回す。
「それにしても、向こうに行っていたにしては、手入れは悪くないようだ。式神はもういないはずだが?」
「茶々丸が留守を」
彩芽が目を向けると、大叔父も部屋の隅を見た。
物陰に頭を突っ込み、尻尾がはみ出た状態で隠れている。
「化け狸か……妙なものには好かれる体質の様だ。まあ、狸ならエサで釣れる。力のないお前には丁度いいのだろう」
彩芽は黙って大叔父を見つめる。
「フン、相変わらず気味の悪い。力は無くとも、葛葉の遺伝子は受け継いでいるのだ。どれだけ不純物が混ざっていようとも、お前には子供を産んでもらわねば困る。それも陰陽師との子供をな。……それだけは覚えておけ」
言いたい事は言い終えたのか、大叔父はそのまま踵を返す。
彩芽は黙って玄関まで行き、丁重に見送った。
「ちゃんと塩は撒いたか?」
大叔父が帰ってしばらくしてから、ようやく氷炎が顔を出す。
陰陽師としての力はない、という事になっている彩芽に、氷炎の様な式神がいるのはおかしい。
今までは葛葉が使役しているという事で繕っていたが、今はもうその言い訳は通じない。
それが分かっている氷炎は、いち早く庭から林へと逃げ込んでいたようだ。
「撒かなくていい。塩がもったいない」
彩芽はバッサリそう言って、未だ隅っこから出てこない茶々丸を抱き上げた。
人型ではなく毛玉と化した茶々丸を腕に抱き、彩芽は謝る。
「怖い思いをさせてしまったわね。ごめんなさい」
「いえ……違うんです。彩芽様は悪くありません」
もぞもぞと動いた後、茶々丸は丸めた体を解き、ようやく顔を上げた。
「僕が……僕が不甲斐ないばかりに、彩芽様に嫌な思いをさせてしまって……」
落ち込んだ様子で、茶々丸はうな垂れる。
「僕がもっとしっかりしていれば、彩芽様があんな風に馬鹿にされたりは……」
「そりゃ無理な話だろ」
氷炎が呆れた様に声を上げた。
「成利の奴は元々あんな感じの性格だからな。茶々丸に関係なく彩芽をこき下ろすだろうさ」
成利、とは大叔父の事だ。
この辺りを縄張りにする妖怪なら、誰だってこの名前を知っている。
この屋敷は元々、葛葉の両親が所有していた。
かつてここは葛葉が家族で暮らした家であり、そこには成利も含まれる。
陰陽師としての誇りを過度に持ち、力を誇示する若い男。
成人して居を移すまでの間、この辺りの妖怪たちは無差別に蹴散らされていたのだ。
対して、その妹である葛葉は色々な意味で寛容だった。
和洋中問わず吸収できるものは無差別に吸収し、人を食らう妖怪であろうとも、気に入れば受け入れた。
代々続く陰陽師の家系に生まれた中では、それは異分子もいいところだったが。
価値観の違いから兄妹の仲は悪く、妖怪たちは兄の成利に傷つけられると、妹の葛葉に治療を頼むのがお決まりだった。
「あれも面倒臭い部類の人間だからな。もしこれが、もっと高位の、例えば神の化身みたいなやつが行っても、結局何かしら嫌味を言うんだぜ」
だから気にするなと言われ、茶々丸はようやく頷いた。
彩芽はホッとして、床に下ろしてやる。
「……行かれるのですね?」
床に足をついた途端、茶々丸は人の姿に化けて尋ねた。
「ええ」
彩芽は頷いた。
すでに準備は出来ている。
大叔父と話が終わればすぐに旅立つつもりだった。
茶々丸は悲しそうに眉を下げるが、無理に笑顔を作った。
旅立つ彩芽のためにも、気がかりを残してはいけない。
「道中、お気をつけて……またお会いできるのを、楽しみにしています」
健気な茶々丸の姿に、氷炎はその肩に飛び乗ると、小さく耳打ちをした。
「何か企み事?」
彩芽の問いに氷炎が「宿題を言いつけたんだよ」と笑い、茶々丸の肩から彩芽の肩へと飛び移る。
「きっとろくな事ではないのでしょうね」
彩芽はそう零しながら、柔らかい茶々丸の髪を撫でた。
「行ってくるわ。留守番をお願いね、茶々丸」